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181, 未来 時と次元を繋ぐ声Ⅰ

優香と侑斗の頭上に広がる白濁した空間の一部が、ゆっくりと切れ目を生じさせる。かつては史音の助力がなければ視認できなかったフライバーニアの氷の島が、わずかに姿を見せていた。もっとも、その島の上空は厚い灰色の雲に覆われている。


「雲を裂いて」

優香が低い声で告げると、侑斗は握りしめていたクリスタル・ソオドを上向きに構えた。そのまま大きく振りかざすと、ソオドから放たれた“無限の刃”が音もなく灰色の雲を貫いていく。

見上げるうちに雲が次々と掻き消え、夜空の星がきらめき始めた。


視界の先には、沈みかけているカシオペア座、ぐんと高く昇った北斗七星、そしてその間にこぐま座のα星――北極星(ポラリス)が微かに揺らめいている。

侑斗は、こんな力があれば彰の毒舌を存分に浴びるに違いない、などと妙な感慨が頭をかすめた。


一方で、優香は星の位置を頼りにクァンタム・セルの窓を探り始める。彼女の瞳は、まるで何かを演算しているかのように鋭い。

やがて、息をふうっと整えた優香は、クリスタル・ソオドを握る侑斗の右腕を掴み、一直線に伸ばした。その指先とソオドが示す先には、夜空に開く小さな扉のような光――クァンタム・セルの窓。

銀色の線がソオドから伸び、闇のなかをひそやかに走っていく。


「繋がった……。とりあえず量子の海の岸辺までは、ここから刻奏音を送る」

優香の横顔を盗み見ると、その瞳がほんの一瞬、妖しく光ったように侑斗には思えた。


--- 刻奏音の呼び声


> 『ヴェナレート!』


空気そのものを震わせるというよりは、頭蓋の奥に直接響くような呼び声が、侑斗の思考にまで共振して伝わる。声ではなく“音”――明確に違う質感を伴う衝撃。そうか、これが刻奏音か。確かに遠い過去、似たような音を聞いた記憶がある……。


「……反応がない」

優香は切なそうに、かすれた声を漏らす。


侑斗はクリスタル・ソオドを軽く握り直すと、気丈に言った。

「諦めるなよ。できることは全部やるんだろう?」

「そうだね」


優香は繰り返し、クァンタム・セルの窓に向かって刻奏音を放ち続ける。すると、次第に何かの反響が彼女たちの方へ戻ってくる。ノイズと呼べばいいのか、それは小さなざわめきから次第に膨れ上がり、頭の芯をえぐるような騒音へと化していく。


耐えきれない騒音に、二人は耳を塞ぎたくなるが、それも無駄だと悟り、頭を抑えるしかなかった。


「な、なんだ……この耳障りな音は……」

侑斗は歯を食いしばりながら声を張り上げる。


「量子の海にいる“複素演算体”が出すノイズだよ……!」

優香も顔をしかめ、痛みに耐えながら応じる。


「複素演算体……?」

侑斗は意味不明な名称に眉をひそめる。この騒音を生み出す不気味な存在が一体何なのか、想像するだけで辟易してしまう。


「彼らは創造主が余剰次元に創った“幾つもの地球”を守るための存在よ。たとえば、レイに吹き飛ばされたベルティーナを復元したり、ユウ・シルヴァーヌのスクエア・リムで切り裂かれたヴェナレートの身体を再生して、この地球へ送り込んだ。地球の大樹と対を成す役割を負っているの」


こんな状況下でも、優香の声ははっきりしていた。彼女はいったいどれほどの知識と情報を持っているのだろうか。侑斗は心底感心しつつも、不満を漏らさずにはいられない。


「結局、創造主ってのが全部の黒幕なんだろ? 地球の大樹に複素演算体、余剰次元の仮想膜にいくつも地球を創るだの、訳の分からない塵楳(じんばい)を撒いて人心を操るだの……本当にタチが悪い。

 どうせなら、もうちょっと上手に舞台を作ればいいのに」


ノイズの大きさが増すたび、優香は刻奏音すら出せなくなる。しかし、侑斗の問いには答えを返してみせる。その姿は、何でも知っていると誇示するというより、むしろ覚悟を秘めた人間のように見えた。

やがて侑斗は後に知ることになるのだ――この時点で最も多くの情報を把握していたのは優香だったということを。


「彼らもいろいろと間違えたのよ。そのおかげで、私たちはこうしてまだ存在を許されてる。……奇妙な皮肉だけどね」


優香は静かに侑斗の黒いサイクル・リングへ手を添える。そこから溢れる小さなエネルギーを、クリスタル・ソオドへ伸びる銀色の線に載せていく。


「刻奏音は量子場を直接揺らす振動。あなたと私が位相を合わせれば、ヴェナレートのもとへ届くかもしれない」


いつの間にか、侑斗の頭をかち割るような音も、かすかに小さくなっていた。少なくとも無視できる程度には。侑斗は荒い呼吸を抑えながら尋ねる。


「で、具体的にはどうすればいいんだ?」


優香は、まるで気にも留めないかのように彼の顔へと近づく。何の遠慮も感じられないその態度に、侑斗は少しだけ苦笑する。


「私と一緒に“願い”を込めて、声を音に変えて放つの。いま、宇宙と繋がっているあなたの漆黒のサイクル・リングなら、それが可能なはず」


侑斗は優香の唇の動きに合わせるようにして、その声を重ねる形で音へと変換する。まるで二重奏のように、祈りの響きが夜空へ飛び立った。


> 『ヴェナレート、応えてくれ。貴女の妹――ベルティーナが危機に瀕してるんだ!』


銀色の意図を通り抜け、その呼び声ははるか彼方へ伸びていく。複素演算体の反響をすこしずつかき消しながら、しかしなおも余剰次元に渦巻く彼らの思考が行く手を阻もうとする。


> 『さっきからやかましいよ……まったく、この有象無象の爺どもが』


その瞬間、確かに第三の意志が音となって、時空を超え、優香と侑斗のもとへ届いた。


> 『私に呼びかけたのはお前たちか? いまクァンタム・セルの岸辺まで行くから、そこでお前たちを共振転創する。少し待っていろ』


それだけ告げると、彼女――ヴェナレートの刻奏音は途絶えた。そして、複素演算体からの反響も、ピタリと鳴りを潜める。

静寂が訪れた夜空には、星々の煌めきだけが残り、寒々しいまでの月明かりが光の筋を描いていた。


二人は顔を見合わせる。わずかな安堵が胸をよぎると同時に、新たな局面が近づいていることを否応なく感じ取っていた。


 優香は、掴んでいた侑斗の腕をそっと離す。すると、クリスタル・ソオドから伸びていた銀色の糸も、まるで導線を失ったかのように消えていった。

「どうにかヴェナレートに私たちの願いは届いたね。あとは彼女次第。共振転創はヴェナレートの専売特許みたいなものだから、そう時間をかけずに私たちはクァンタム・セルの窓へ呼ばれるはず」


優香が言った通り、ほどなくして二人の視界はがらりと変わる。闇に沈むような量子の海の岸辺――そこへ転移したようだ。周囲を見回すと、「クァンタム・セル」と呼ばれる巨大な半透明の構造体がいくつも折り重なり、その表面がわずかに白く光を反射している。


侑斗は目を凝らしながら、奥に人影を捉える。深紅のドレスに身を包んだ女性が、静かに佇んでいた。光の加減で、彼女の輪郭が淡く溶け込んでいるように見える。

「ヴェナレート・クレア・ラナイ!」

優香は驚き混じりに呼びかけ、思わず前へ出ようとする。


「来るな。お前たちは、こちら側の領域には踏み込めない。それに私自身も、そちらへ行くことは叶わない」

ヴェナレートの言葉に、優香の足が止まった。かつて零と戦ったときのような激しさは、今の彼女には見られない。むしろ少しやつれた様子が、その美貌を一層はかないものにしている。


「ヴェナレート、あなたの妹のベルティーナが、とんでもない状況に陥ってる。どうか手を貸してほしい」

優香は声を抑えながらも、はっきりと口にする。ヴェナレートは、それを聞いて自嘲気味な笑みを浮かべた。


「そうか……あの子のためなら何だってやってやりたいが、残念ながら今の私は無力だ。ほかの地球から多くの人々を、あの“結創造した地球”に転創させたせいで、ここにいる“爺ども”を押さえるくらいしか能がないんだよ」


ヴェナレートの視線が、優香と侑斗のはるか向こうにある“地球”へと向かう。

「このステッラの地球も、ずいぶんと面倒なことになっているようね。シニスが“創造主”のために、世界を切り分けたのか」


侑斗は、このまま優香に任せていていいものか、口をはさむべきか躊躇する。そんな彼の様子を見て、ヴェナレートはどこか愉快そうに目を細めた。


「それにしてもお前たち、“あの時”は一つになることを拒否してたくせに、今はつがいのように行動しているんだな。まるで……自分自身と恋をしているみたいじゃないか? 一体どんな気分なんだろうね」


あまりに突拍子もない言葉に、侑斗は肩をすくめる。まさかロッゾの魔女と呼ばれた女性が、こんな俗っぽい揶揄を口にするとは思わなかった。

「私たちは最初から自分自身だった。ほかの何物でもないよ、ヴェナレート」

優香がキッパリ言いきる。その凛とした横顔を見て、侑斗は改めて交渉役を彼女に任せようと思う。澪よりも苦手なタイプの相手には違いないが……。


「だから、ヴェナレート。今はベルの話を聞いて」

優香の声が深刻さを帯び、ヴェナレートは一瞬息を止める。沈黙が凍るように流れたあと、深紅のドレスの女は口を開いた。


「……久々に面白い光景を見たくて、ここまで来てお前たちを呼び出したのだけど、なるほど、ベルティーナが危機にあるんだな。では、まず状況を詳しく教えなさい。……ああ、わざわざ声にしなくていい。お前の記憶を“刻奏音”で送ってもらおうか」


優香とヴェナレートの間で、無言のやり取りが始まる。身体を通さない音――それは周囲の空気すら揺らさない、静かな共振のようだった。侑斗も、その波をかすかに感じ取れる。

やがて、ベルティーナが凄惨な形で大衆の前で辱めを受けている場面が映し出されたとき、ヴェナレートは刻奏音をぴたりと遮断した。


「そうか……パリンゲネシアが私のベルティーナに、あんな真似をしているのか」

吐き捨てるように言いながら、ヴェナレートの瞳に暗い怒りの炎が宿る。


「そ、その……」

ようやく侑斗も言葉を差し挟んだ。

「あれは本当にベルティーナの地球で起こっていることなんですか? パリンゲネシアが作り出した幻影かもしれないんじゃ……」


ヴェナレートなら、創られた地球の状況に詳しいはずだ。結創造によって多くの地球に共振転創を行った人物でもある。しかも、あの地球はヴェナレート自身にとっても故郷なのだから。


「それは意味のない仮定だね。私の知る故郷は、あんな有り様ではなかったけど、そうなる可能性は十分にあった。私がラナイの戦士長だった頃には、戦争が終わった後の対策を考えていたよ。だけど、シニスに疎まれたパリンゲネシアの階層にいる連中が、現実として――そう、お前たちやベルティーナにとっての現実として――あの姿を作り出したんだろう」


ヴェナレートの瞳の奥に宿る炎が、青白い光へと変わっていく。

「じゃあ……どうか、ベルティーナを助けてください」

「そう。どんな方法でも構わない。とにかく、ベルを救ってほしい」

優香と侑斗が声を合わせる。ヴェナレートの長い髪が量子の海へと流れるように広がり、深紅のドレスがかすかに波打つ。


「だから言っただろう。今の私はそちらへ行くことすらできないし、何の力も残っていない――ただ、“言葉”を届けるくらいはできる。それをお前たちに頼みたいんだよ、ユウ・シルヴァーヌの分身たち」


「言葉だけで状況を変えられるの……?」

優香が押し殺した声で尋ねると、ロッゾの魔女だった女は、どこか寂しげに微笑んだ。


「そう、“それだけ”なんだ。……それにしても、お前は前に会ったときとは別人のようだね。痩せてやつれて、あの頃の超然とした姿が影も形もない。でも、だからこそ託せる。

 心配はいらない。ベルティーナは今まで本来の力の、そう――百のうち一つ分だって使ったことがない。あの子の潜在力は、私なんかよりずっと上で、レイ・バストーレさえ凌駕する。サイクル・リングなんて必要ないくらいにね。無意識のうちに封印しているだけさ」

---


これが、新しい混迷を迎える“真地球”の運命を左右する**小さな一歩**になるのかもしれない――

深紅のドレスの魔女の語りに耳を澄ませる二人の姿を、量子の海の岸辺に幾重にも折り重なったクァンタム・セルが、白く静かな光で照らしていた。



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