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180、未来 白き窓

ベルティーナは薄れゆく意識をどうにかつなぎ止め、いまの自分の身体がどれほど痛みに苛まれているかを知覚した。

「ああ……愚かだ」

かすかに動く唇から、そんな言葉がこぼれる。もし彼らが最初に視覚を奪っていれば、目の前に広がっているはずの惨状も、自分を嘲笑する連中の姿も見えなかっただろうに――そう思うと、ベルティーナは乾いた哄笑すら浮かべたくなった。


大勢の群衆が何かを叫んでいるようだが、その声は遠くでざわめく風音にしか聞こえない。おそらく耳を切り落とされたとき、聴覚も奪われてしまったのだろう。うすぼんやりとした騒音に混じって、誰かが近寄ってくる気配がした。その瞬間、拳がベルティーナの顔面を真正面からとらえる。鼻がへし折れる生々しい感触に、目の奥で稲妻のような痛みが弾けた。


続いて喉も押しつぶされたらしい。のどの奥から、低い呻き声が掠れるように漏れ出る。それだけが彼女の唯一の抵抗だった。


> 「ラナイの最後の一人、ベルティーナよ。先ほど、おまえ以外のラナイはすべて生きたまま細切れにして、汚物処理場に流してやった」


頭蓋の奥へ直接響いてくるその声は、ルアシル一族特有の“刻奏音”によるものだ。ルアシル一族は、かつてもっともラナイに近い位置にあり、他の国々とラナイをつなぐ役割を担っていた――そしてその声の主は、一族の長であるフェレーヌだと分かる。


> 「女王ベルティーナ。私にできるせめてもの“恩返し”として、あなたの五感を少しずつ奪っている最中だ。これで自分が受ける辱めをさほど感じなくて済むだろう? ああ、でも、あなたがこうして公開処刑された後、次に狙われるのは私たちルアシルだろうから……それまでの短い猶予にしかならないのだけれど」


遠のいた意識のなかで、ベルティーナはフェレーヌの刻奏音にわずかに応じる。


> 「フェレーヌ……幼い頃、よく一緒に遊んだ……わね……。どうして……この地球の人々が……こんなことに……なったのか……教えて……」


途切れそうな息遣いに乗せて懸命に問いかけるベルティーナに、フェレーヌは淡々と語り始める。


> 「女王、この地球では職掌によって国が分かれ、それぞれの国が独自の思考と感情を担ってきた。ラナイは戦闘特化の一族として、好戦的な思想や冷徹な思考、合理的な判断力を人々へ注いできた。だから、星全部を戦闘に特化させた“ブルの地球”と渡り合うことも可能だった」


ベルティーナはうなずきかける。ラナイが女性至上主義の国として戦闘を担ってきたことは、自分自身がいちばん理解している。実際、最後の戦いで先頭に立つのはベルティーナの役目だったはずだ――もし“励起導波戦争”の末期でなければ。


> 「だが女王、私たちの星はブルの地球に負けた。そして、それを招いたのは……ほかでもない貴女の手引きによるものだと皆は思っている」


思い出すのも辛い記憶だ。敗北によってこの星の人々は“次の段階”へ進まねばならなかった――しかし、その進化もままならないまま、戦いは虚しさだけを残して終わったのだ。


> 「戦争が終わると、地球の職掌分担は崩壊した。ラナイが担っていた戦闘の衝動……それが他の国へと、まるで戻ってくるように跳ね返り始めたのだ。

> この世界の者たちは、本来ならラナイ一族に分散していた“荒々しい負の感情”を再び自分たちで引き受けることになった。その結果が、この有り様だよ」


フェレーヌの刻奏音は乾いた響きを帯びていた。ラナイから離れていた負の感情を、再び手にしてしまったこの星の民たちは、いつしか“パリンゲネシア”を自ら代弁する存在に成り果てたのだ――人間の悪意によって選り分けられたパリンゲネシアを、そのまま受け入れるかのように。


ベルティーナには、その仕組みが半ば理解できないままだった。そもそも彼女は、ステッラの地球」では難なく発揮できていたはずの力が、な自分が生まれ育ったこの地球では無効化されるのかを疑問に思い続けていた。ここがパリンゲネシアに創られた虚像の世界なのか、それとも別の理由があるのか――。


そんな思考も、再び暗闇に飲み込まれていく。自分の身体がどんな姿に変えられているかを、もはや感覚として捉えることができない。肉体と意識がばらばらに乖離していくなか、ベルティーナの肌は裂かれ、骨まで晒されて、人としての形を失いつつあった。


一方、その惨劇を見せつけられている者たちがいる。B・Wゾーンのセージや美沙、そしてパリンゲネシアにいる史音や亜希だ。彼らは強制的に映し出される“白き窓”――まるで舞台を俯瞰するような視点――から、ベルティーナの拷問の一部始終を見守るしかなかった。


凄惨な血の臭いが鼻を突くわけでも、耳を裂く悲鳴が響くわけでもない。彼らが目にしているのは、ただ色彩の薄い光景――ベルティーナが引き裂かれ、砕かれ、皮を剥がれる様子だけだ。

まるで夢の中の悪夢をなぞるかのように、その姿はゆがみ、赤黒い筋を描きながら淡々と崩れていく。誰も声をあげられない。それほどの衝撃だった。


> 「……何という無為……」


誰かが、そうつぶやいた。しかし、それが誰の声なのか、もはや分からない。広がる静寂のなか、悲嘆も恐怖もすべて薄膜に覆われたように行き場を失っていた。


薄れゆく視界の奥で、ベルティーナは自分の思考が何度も混濁し、また戻りかけるのを感じる。痛みや苦しみを超えた先で、心がどこか遠くへ飛んでいくような、そんな感覚に支配される。

彼女が最後に聞いたのは、ルアシル一族の刻奏音なのか、あるいはパリンゲネシアの嘲り声なのか――もはや区別などつかなかった。



優香と侑斗が立ち止まったのは、セージたちのいる地点からは遥かに離れた場所だった。視線を向ける先には、クァンタム・セルの窓が淡く揺らめいている。

優香はその窓に続く空間に意識を向けながら、目の前の幾重もの障壁を次々に霧散させていく。侑斗は左手に携えたクリスタル・ソオドを握りしめ、襲いくるかもしれない危険を断ち切るように身構えていた。


足元の地面は、ひび割れや小石が散らばっているかと思えば、急にすべすべした大理石のような平坦さをのぞかせる。道が真っ直ぐなのか曲がっているのか、どちらとも判別がつかない。

まるで、自分たちの進む軌跡がまだ確定していないようだった。


「フライ・バーニアへは、どうやったって辿りつけないだろうね」

優香は、前方の空間にそっと手を当てる。すると、見えない糸のようなものが走り、彼女の意思と空間とが繋がるのが侑斗にも分かった。

「でも、フライ・バーニアに重心を置いてクァンタム・セルの窓へと接続し、刻奏音を量子の海へ送ることなら、きっとできると思う」


侑斗は思わず首をかしげる。先ほどまで、てっきり彼女がフライ・バーニアを目指しているのだと思い込んでいたからだ。

「その情報を余剰次元の彼方にいるベルティーナの姉さんに届ければ、助けが来る……ってことか?」


優香は肩越しにちらりと振り返るだけで、ほとんど身体を動かさないまま答える。

「正直、分からないよ。でも他に方法なんてないし、今はやれることをやるしかない」


それ以上の言葉は交わされず、二人はしばし無言で歩みを続けた。何度か優香の力で位相を跳び、侑斗の風落移動で空間をすり抜けてきたせいか、どれほど出発点から離れてしまったのか想像すらつかない。


荒涼とした道のりのなか、侑斗はいつものように自分の分身――あるいは自問――に問いかけるように呟く。

「もし人間を動かすエネルギーが感情だとしたら、人と人とが感情の刃を向け合うのは、避けられないことなのか……?」


優香の足も自然と止まる。彼女は侑斗の問いを受けてか、静かに息を吐いて言葉をつないだ。

「私たち生き物には、機械のような起動スイッチは存在しない。自分から起き上がるためには“自励発振”と呼ばれる感情の衝動が必要になる。だからこそ、人がどんな感情を抱こうと、それを否定することは難しい。例えそれが“悪意”であってもね」


やや苦い顔をした侑斗は、心中で毒づく。

(まるで、悪意を認めろと言わんばかりだ。そんなきれいごとを今のベルティーナを見て吐けるのか? 一体誰が言ったんだ、こんな正論めかした戯言を――)


「誰がそんな、悪意を正当化するようなことを言ったんだ?」

言い捨てるように問いかけた侑斗に、優香はクスリと小さく笑う。

「ユウ・シルヴァーヌっていう人。私たちの前身にあたる存在がそう言ったんだよ」


「そいつがどんな人間か知らないが、正直、きれいごとばかりで虫酸が走るね。俺は、そういうのは史音みたいな極々限られた真っ直ぐさを持つ人間だけに許されると思ってるんだが」


優香は浅く呼吸して、静かに侑斗の言葉を聞いていた。

「私もそう思う。レイだって、ベルティーナだって同じ考えかもしれない。だけど――綺麗な言葉って、ときに人を惑わせるのよ。世の中に“絶対の正しさ”なんて無いって分かっていても、やっぱりそれに反応してしまう。ベルティーナなんて、とくに真面目すぎる娘だから、なおさらだよ。……それに、彼女が創り出した“あなた”もね」


一瞬、侑斗は言葉を失った。

「なら、そのユウ・シルヴァーヌってやつは、人の心に取り入って、自分の価値観を押し付けてきたわけか? ほんとに、厚かましい話だ……」


「まさにそれ。だから私も、いったい何でそんな前世から私たちが生まれてきたのかなって、不思議に思うわ」


大きく視界が開けたのは、そのときだった。空がいきなり深く広がり、夜空の星々が二人の頭上に瞬く。

「繋がったね」

優香の声には、ほっとしたような安堵が混じっていた。

「ようやく、量子の海へ刻奏音を送れる」


侑斗は星の中心に拡がるようにして扇型に開いた“窓”へ目を凝らす。揺らぎとともに銀色や淡い紫色の光がきらめき、まるで深海へ続く扉が宙に浮いているようだった。

「これが……クァンタム・セルの窓……」


未来へ続く鍵とも言えるその場所に、侑斗は思わず息を呑む。これからの自分が、そして優香が、たぶん長い時間をかけて関わっていくことになる空間――

そう思うと、星々と窓との淡い境界が、まるで何者かの意志を帯びて二人を迎え入れているように見えた。


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