表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
180/244

178, 未来 狂気の城Ⅰ

パリンゲネシアが、じわじわと力を込めながらベルティーナの首を絞め続ける。その圧迫感が増すたびに、ベルティーナは何度も自分の“本体”を別の分子の分布へ移そうとした。しかし、どれだけ試みてもその能力は働かなかった。次第に視界が薄れていき、思考は暗闇に落ちていく。


 ――やがて、ベルティーナの意識はぷつりと途絶えた。


***


 暗闇の中、声が聞こえる。はじめはかすかな振動だったのが、次第にベルティーナの頭蓋を揺らすようになってくる。


「ベルティーナ様!」


 その呼びかけは何度も繰り返され、ようやくベルティーナは重い瞼をゆっくり開いた。しかし、開けたところで周囲は依然として漆黒の闇。視覚が戻ったのかどうかすら分からないほどに真っ暗だった。

 彼女は身体の感覚を探り、どうやら硬い石のベッドの上に横たわっているらしいと知る。冷たい石の感触が、皮膚を通じて不気味に伝わってくる。


「お気がつかれましたか、ベルティーナ様」

 暗闇の中から、女の声がかかる。記憶にある声……そうだ、トゥワルチ。ラナイ一族の女で、ベルティーナが国を去る際、数少ない信頼できる者としてラナイの統治を任せた人物だった。


「……トゥワルチ? お前が、なぜここに? どうやって、この地球に?」


 ベルティーナは戸惑いを隠せない。彼女が地球を去った後、いったい何が起こったというのか。

 トゥワルチはかすかに息を吐き出し、その小さな震動がベルティーナの耳をくすぐる。


「ベルティーナ様、何をおっしゃっているのです? 貴女は長い時を経て、ようやくこの“ラナイの城”に戻ってきたのですよ」


 囁くような声。その吐息が、ベルティーナの頬をかすめていく。

 パリンゲネシアによって、ベルティーナはラナイの城へと連れ戻されたのだろうか。けれど、それにしてもこの“闇”は何だ?


「トゥワルチ……なぜこんなに暗い? 何も見えない」


「ベルティーナ様、なにをおっしゃっているのか分かりません」


 短い沈黙が、闇の奥で重く沈む。しばらくして、ベルティーナはもう一度口を開いた。


「トゥワルチ。お前はこの暗闇の中でも、私の姿を捉えられるのか?」

「……何を仰るのです。わたしに貴女を視覚で見るなどできません。このラナイの国には、もはや光など存在しないのですから」


 その言葉に、ベルティーナは自分の“真空の瞳”を開こうとする。城の内部を見渡そうと試みるが、瞳は微動だにしない。まるで自分の力が完全に封じられているかのようだった。


「ベルティーナ様。このラナイの国では、ラナイ一族の能力は二度と発現しません。励起導波戦争の後、この地球にはもはや争いなど起きることがないのです。あなたが去った後、この国は“不要”として切り捨てられ……わたしたちは蔑まれ、見捨てられたのですよ」


 励起導波戦争――かつてベルティーナたちラナイの戦士が、地球における大規模な戦乱を収束させようと戦った、あの闘い。

 彼女が離れた後、いったい何があったのか? その問いが胸の底を焦がす。


「……ラナイの国は、戦のためだけに作られ、戦のためだけに存在する国。だが、平和が訪れたなら、この国の役目は終わる――。そう判断されたのか?」


 トゥワルチは小さく息をつき、再び言葉を継ぐ。


「はい。私は他国へ嘆願し、多くのラナイの民をそこへ移住させていただきました。あなたが『ラナイ一族の行く末を託す』と言って去られたとき、そのご意向を汲むように努力したのです」


「……ならば、ラナイの国が消えても、それで良かったのだろう。ラナイの民が他国で生きていけるならば……」


 もともと“呪われた血”を持つラナイの民が、他の国に溶け込んでしまってもベルティーナは構わないと思っていたのだ。むしろ、そうすることで彼らが普通に生きられるなら――。

 しかし、どうしてラナイの城は今もこうして残り、しかも光のない暗闇に包まれているのか。ベルティーナは固い石床の冷たい感触を指先に感じながら、暗黒の中でかすかに震える唇を引き結んだ。


 「ベルティーナ様。あなたのその浅慮な態度が、わたしたちラナイ一族をここまで貶めたのですよ。他国へ渡ったラナイの民は疎まれ、異業の者と蔑まれ……やがて檻に閉じ込められた末、惨殺された者が多いのです」


 トゥワルチの声は、暗闇に沈む城の中で冷たく響いた。その言葉にベルティーナの瞳が見開かれる。胸の奥を鷲づかみにされるような痛みが、全身を震わせる。


 「な……何を言う、トゥワルチ。地球最強の力を持つラナイ一族が、戦を知らぬ他国の民に抵抗できなかったなど……信じられない」


 ベルティーナは声を詰まらせながら言い返す。しかし、トゥワルチはむしろ静かに、しかし確かに怒りをにじませる声で応じた。


 「ベルティーナ様。ラナイの力を、決して他の民に振るってはならぬとおっしゃったのは貴方でしょう? わたしたちはその掟に縛られ、抵抗することもできませんでした。もともとラナイは“戦闘に特化するため”に他国から造られた国なのです。最初から、わたしたちの意志など踏みにじられる運命でした。

 そうしてそれぞれの国を追われ、やっとの思いでこの城へ逃げ戻った者たちは、追っ手に身体を切り取られ、力を二度と振るえぬようにされました。この闇の中に閉ざされたおかげで、自らの醜い姿を見ずに済んでいるわけですがね」


 深い暗闇に沈む広間。その中心で、ベルティーナはおそるおそる手を伸ばし、トゥワルチの身体に触れた。まずは肩へ――そして、続けて腕を握ろうとするが、それが存在しないことを知る。

 まるで重力の奔流に呑み込まれるように、ベルティーナの意識が遠のいた。彼女は嗚咽を漏らしながら、震える指でトゥワルチの顔を探る。両眼があるはずのところには、深い傷痕が二本刻まれていた。


 「……泣いておられるのですか、ベルティーナ様? おかしなことですね。こんな闇の中に閉ざされ、視力も奪われ、涙すら流せないわたしの前で――」


 痛々しいトゥワルチの姿に、ベルティーナは膝を落とすように座り込み、混乱と絶望とが入り混じった表情で問い続ける。


 「トゥワルチ……あなたほどの力があれば……肉体を再構成できたのではないのか?」


 息を飲むほど静かな空気の中、トゥワルチは淡々と答えた。


 「先ほども言いましたように、わたしたちはラナイの力を封じられています。他の国々は、ずっとその時を待っていたのでしょう。

 ……わたし達は、いつか貴女が帰ってきて、その力でラナイの民を救ってくれると信じていた。けれど――」


 そこで、トゥワルチは言葉を切り、自嘲するかのように笑みを刻む。その声に、棘のような痛烈さが混じっていた。


 「わたしたちラナイの民は、ずっとあなたを待っていたのです、ベルティーナ様。なのに、あなたは自分の都合で姿を消してしまった。結果、この国がどうなったか、分かりますか?」


 重苦しい沈黙。空気に緊張の糸が走る。ベルティーナがか細い声で口を開いた。


 「トゥワルチ……わたしは……わたしは……」


 すると、トゥワルチの言葉が遠慮なくベルティーナを責め立てる。


 「ベルティーナ様。あなたは“好きな男”を求め、自分の責任をすべてわたしに押し付け、ラナイの民を救うことを放棄した。だから今や、ラナイの民は数十人しか生き残っていないのですよ。救うべき民など、もはやいないのです。

 ……それなのに、なぜ今さら戻っていらしたのですか?」


 そのとき、遠くで重々しい鐘の音が鳴り響いた。背筋を凍らせるような低い音。まるで死の合図のように城内を震わせる。


 「どうやら気づかれましたね。外で見張っているのは、バルジの一族です。今の鐘は、あなたの帰還を知らせる“呪いの音”――わたしにもはっきり聞こえます。彼らはずっと、あなたを捉えることを待ちわびていたのです」


 トゥワルチの言葉と同時に、城の外からごうごうと風が巻き込み、石造りの壁が小さく軋む音を立てた。


 「やがてこの闇を切り裂き、光が差し込むでしょう。わたしのように目を潰された者は見られませんが、視力を奪われなかった残りのラナイの民たちは、あなたの処刑を“強制的に”見せられることになります。それこそ、多くの他国の人間が一番望んだ娯楽。

 ――わたしたちが命がけで守ってきた、人間性の裏返しの“快楽”ですよ。さあ、逃げられません。行きましょう。王族として誇りを持って死を受け入れることを、残ったわずかなラナイの民は願っているのですから」


 両腕のないトゥワルチが、肩でベルティーナを押し起こす。その呼吸は冷たく、どこか薄笑いを含んだ囁きがベルティーナの耳を刺した。


 「……もっとも、これから行われることは、“誇り”どころか、あなたの人としての尊厳すら根こそぎ奪う行為でしょう。あなたがいくら抵抗しようと叶いません。一方的な暴虐と、その“獲物”をいたぶる喜び……。わたしたちが血を流して守ってきた『他の国の人々』が求めた娯楽ですよ。

 さあ、ベルティーナ様――ついに貴女の番です」


 闇は依然として濃い。だが、その先に見える予感は、明るい光などではなく、苛烈で残酷な“晒し台”の始まり。その事実に、ベルティーナの心は悲鳴を上げながらも、ただ黙して受け止めるしかなかった――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ