176、未来 パリンゲネシアの憂鬱Ⅱ
**パリンゲネシア――今そう呼ばれている存在は、およそ六万年前、この星の“中階層”で誕生した。**
ちょうど下層でホモ・サピエンス(現生人類)が生まれた時期と重なり、これらが偶然の一致であるはずがなかった。知性を発達させた人間は、その“思考能力”によって幾重にも重なる階層を飛び越え、結果的にパリンゲネシアを“生み出す”に至ったからだ。
約一万年前遥か上階層にいる創造主はこの星の中心を貫くようにそびえ立つ“地球の大樹”を深く根を下ろした。その大樹は、本来なら上位階層から下層世界へ干渉できない創造主が、**下層へ影響力を及ぼす手段**として創り上げたものだった。複数の階層を無理やり結びつけることで、創造主は思惑どおり世界を支配しようと試みたのだ。
パリンゲネシアの一部は大樹にとり憑き、長い間、ただ人間を観察しながら“純粋な思考体”として存在していた。長い時間、退屈な時を経ても、自ら下層へ降りることは叶わず、そこで一万年前に“シニス”が出現するまでは大きな変化がなかった。その代わり遥か宇宙の彼方からこの地球の意志を代行するよう要請を受けた。
**シニスは、この星の多層構造を貫く性質を持ち、さらに上階層の創造主の意志に操られる存在でもあった。**
最初にシニスが目を向けたのは、パリンゲネシアと、それを生み出した人間――つまりホモ・サピエンスの思考形態だ。人の多彩な感情や欲望こそが、上階層を上書きする力を秘めていると判断したのだろう。
**やがてシニスは下層世界へと降り立ち、創造主が設計した“地球の大樹”をさらに利用する。**
量子世界の“デコヒーレンスの壁”の上に立つ“巨大な生成樹”は、複数の階層を無理やり繋ぎ止めた。これにより、人間の思考形態が大きく揺れ動き、パリンゲネシア自身の“構造”も少しずつ書き換えられていく。
当初、パリンゲネシアは純粋な存在だったが、**シニスによる人間思考の操作に巻き込まれ、その半分が人間の醜悪な感情を取り込み、醜く変質してしまう**。歪んだ悪意はパリンゲネシアの力を増幅させ、これまで静観していたパリンゲネシアがついに“復讐”を叫ぶ存在へ変貌し始めたのだ。
地球の大樹を占拠した邪悪なパリンゲネシアは、そのまま幹を伝うようにして下層へと降り、人間の世界へと姿を現した。まるで「地球の意思を代弁している」と偽りつつ、史音のような負の感情を持たない善良な人々を次々と取り込んでいく。
暗灰色の空が垂れ込めた大地では、冷たい風が吹き荒れ、焼け焦げたような土のにおいが鼻を刺す。そんな荒涼とした景色の中で、取り込まれた人々は血と泥に塗れて転がり、無残な姿をさらしていた。
ベルティーナは、その光景に深紅の瞳をわずかに歪ませると、再び“真空の瞳”を発動させる。彼女の周囲の空気が震え、差時間の幕が何重にも重なってパリンゲネシアへと向かう。薄闇を切り裂くように広がった幕が、禍々しい気配を放つパリンゲネシアを覆い尽くし、ベルティーナは流れる時間の速さを強引に変化させた。
だが次の瞬間、パリンゲネシアの体が不気味に膨れ上がり、それに合わせて差時間の膜は圧縮されていく。そして、まるでガラスの板が砕けるように、一枚の薄い膜となって宙を舞い、あっけなく千切れ飛んでしまった。
再び姿を現したパリンゲネシアは、どこか妖艶ともいえる凄惨な美しさを漂わせながら、口を大きく開いて笑う。血と泥に染まった周囲の景色が、まるでその存在を引き立てる舞台装置のようにすら見えた。
「だから言っただろう? 上位回路たる私たちの前では、お前の差時間など、止まったも同然だって。
さあ、ラナイの女王よ――。お前たちが私たちをここまで貶めたんだ。その醜い感情という思考回路を、今からすべて返してやるよ」
針のように刺さる嘲笑が空気を震わせると、ベルティーナは鋭い眼差しを向けながらも、その瞳の奥に苦悶の色をにじませた。焦げ臭い風が砂埃を巻き上げ、黒ずんだ空の下で、パリンゲネシアの叫びだけが大地に響き渡る。