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168、未来 流転創造

優香に抱かれた侑斗は、一瞬、その温もりに心が溶けるような気がした。しかし次の瞬間、夜の風が吹きつけ、その微かなぬくもりを容赦なく凍てつかせる。


「やめろ……俺に触るな!」


侑斗は荒々しく優香の腕を振りほどき、後ずさった。暗がりの中で水面が波紋を広げる音がかすかに響く。立ち上がり、さらに距離を取ろうとするが、どれほど離れようとしても、ある一定の距離以上はなぜか遠ざかれない。


優香は涙を流しながら、それでも侑斗に手を伸ばした。


「頼むから……俺なんかに触らないでくれ。完璧な貴女に、こんな負の俺は不要だ」


再び、優香の腕が侑斗の首に絡みつく。


「とても失礼なことを言うね。知っているだろう? 私は完璧な人間なんかじゃないって」


次の瞬間、優香の顔が近づき、その唇が侑斗の唇に重なる。かすかに涙の塩辛い味がした。


「もし君が負なら、私も負だ。それは切り離せないものなんだ。もし切り離したら、私はもう二度と人として生きられない」


そう言うと、優香はさらに腕に力を込める。


――俺たちは、もともとひとつの存在だった。


どんなに逃げようとしても、互いの存在を知ってしまった以上、無視することはできない。逃げようにも、優香の腕の中では風落移動すら使えなかった。だが、凍りついた心の奥底で、ほんのわずかに何かが緩んでいく。


「さっき言った。俺はもう、誰かの都合のために生かされるのは嫌だ」


侑斗の乾いた声に、優香は湿った声で応える。


「誰かのためじゃない。君は、自分のために生きるんだよ。私と一緒に」


やがて優香は唇を離し、そっと右手を侑斗の胸の奥へと差し込んだ。その先には、ユウ・シルヴァーヌの蒼い欠片がある。だが、澪やアルファに触れられたときのような苦しさは感じない。代わりに、優香が苦悶の表情を浮かべた。


侑斗は驚いた。感じているのだ。それに触れられる苦痛を、触れている本人自身が。


それでも、優香は潔い微笑みを浮かべる。


「……こんなものをずっと持っていたんだね、君は。これほどの苦痛を、私はずっと君に押し付けていたんだ」


その言葉を聞いた瞬間、侑斗はようやく優香と繋がったような気がした。


「……決めるんだ、君が。私と共に生きるか、普通の人間として生き直すか」


優香の喉の奥から、悲鳴のような声が漏れる。


「普通の人間として……生き直す? そんなことが……できるのか」


優香は歯を食いしばりながら、ユウの欠片をしっかりと掴んだ。その瞬間、澪に触れられたとき侑斗が感じた苦痛がすべて、優香の肩へとのしかかる。


「……流転創造(るてんそうぞう)。ベルティーナが君を創った方法は、他の地球で行われる転移創造とはまるで違う。それは……創造主が初めて成起創造を行ったとき、この地球から人の情報をコピーした方法だ。空の肉体の存在を創り、そこに元の世界の人間の知成力を注ぎ込み、人格を植え付ける……それが流転創造……」


優香の言葉は、侑斗には到底理解できないものだった。


「……君には、この地球に普通にお父さんやお母さんがいる。兄弟もいる。ベルティーナが流転創造を行わなければ、君は普通の人間として生まれ、生きることができた。この地球にある君の肉体に、ユウ・シルヴァーヌの意思が注がれただけだから……。流転創造は、遠い昔に真地球からコピーされた人間の子孫に対して、他の地球から知成力を注ぐことで行われる。君は、ユウ・シルヴァーヌの遠い祖先の複写元となった人間の子孫なんだよ」


侑斗は、今更になって遠ざかっていた家族のことを思い出した。


――あの人たちは、自分をずっと疎ましく感じていると思っていた。


……だが、違うのか?


卑屈な自分が、彼らの愛情を感じ取れなかっただけなのか?


「……君が、普通の人間として、この世界の終わりまで生きたいと言うのなら……」


優香の呼吸が荒くなる。


「この苦痛の塊は、全て私がもらう。ユウ・シルヴァーヌの弱さも、優しさも、全部取り出して……私がユウ・シルヴァーヌそのものになる……」


――優香の肩が小さく震えていた。


「……さあ。君がこの蒼い欠片を手放し、普通の人間として生きたいのなら、選択しなさい。そうすれば君は……本来の、普通の人生をやり直せる」


侑斗はこれまでの人生で出逢った人々を思い出した。


――亜希と澪。修一、史音、洋、彰、琳。


彼らと共に歩んだ時間も、全てやり直すのか?


今の自分を、すべて捨てて――


静寂が降りる。長い沈黙の後、侑斗は、胸の奥に差し込まれた優香の手を掴んだ。


「嫌だよ、これは俺のものだ」


侑斗は胸に残る蒼い欠片をぎゅっと押さえつけた。

「これと共に歩いてきた俺の人生は俺のものだ。誰にも奪わせない」


その瞬間、優香の表情がほんの少しだけ和らいだ。彼女の肩の力が抜け、苦痛が薄れていく。そして、奪われた痛みは再び侑斗へと戻ってきた。


「なら……私は君と共に未来を創ることにする」


優香の声は穏やかで、だが決意に満ちていた。

「この苦しみは半分だけ私がもらう。そのために、私たちはもう離れることができない。君は世界との戦いが終わるまで、私と共に歩くんだ」


優香はそっと侑斗の頬に手を添えた。彼女の手は温かく、震えていた。


侑斗は戸惑いながらも、その手を振り払うことができなかった。優香の涙で曇った瞳の奥に、揺るぎない決意が見えた。


「……私は君に今、プロポーズしたんだよ」


優香は微笑んだ。どこか照れくさそうに、けれど真剣な眼差しで侑斗を見つめる。


「それとも、こんな年上のお姉さんは嫌なのかな? 君の周りには、私より若くて綺麗な人が何人もいるからね」


ベルティーナ、澪、亜希──侑斗の頭に、彼女たちの姿がよぎる。

だが、それはただの美しさにすぎなかった。彼の心を強く揺さぶるものではない。


「初めて会った時からずっと……貴女より綺麗で格好いい人はいないと思ってた」


侑斗の言葉に、優香は目を見開いた。そして、次の瞬間、ふっと小さく笑った。


「そう」


その一言に、どれほどの感情が込められていたのか、侑斗には分からなかった。ただ、優香の微笑みがとても優しくて、どこか懐かしく感じた。


──自分以外の女性を異性として認識しない優香の呪いは、解かれた。


だからこそ、これは侑斗の本心なのだ。


「貴女が俺を否定してくれたから、俺は今の俺になれた」


侑斗は、静かに続ける。


「貴女以外の誰かを好きになるなんて、今までも、これからも無い」


優香は侑斗の額にそっと額を合わせた。彼の体温が感じられるほどの距離で、彼女は小さく囁く。


「……決して楽じゃないし、幸せでもないかもしれない。でも君は私と一緒に行くんだよ」


侑斗は真っ直ぐ優香の瞳を見つめた。彼女の奥底にあるものを知りたくて、逃げずに見つめ続けた。


「貴女は本当に俺が必要なの?」


その問いに、優香は小さく笑った。


「まだそんな失礼なことを言うんだね」


彼女の声は、まるで優しく転がる風のようだった。


「君の周りには、本当に怖い女の子たち──ベルみたいな保護者達がいたでしょう? そして、何より私自身がどうしようもない女だったから。ここまで来るのに、こんなに時間が掛かってしまった」


言葉の端々に、優しさと後悔が滲む。


侑斗はしばらく黙っていた。

そして、ゆっくりと息を吐き出しながら、はっきりと答える。


「分かった。俺は他の誰でもない、貴女と一緒に行く。最後まで」


その瞬間、二人はいつの間にか互いを抱きしめていた。


優香の腕が、そっと侑斗の背中に回る。侑斗もまた、優香の背を抱きしめる。


温もりが、お互いを包み込んでいく。


それは、世界の終わりのような、けれど確かな未来の始まりだ。

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