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167、未来 崩壊

ベルティーナの腕の中で、冷たく沈黙していた侑斗の瞳がゆっくりと開く。

その瞳は暗く深い影を宿し、まるで無限の後悔を抱えているように見えた。


「貴女は……何一つ間違っていない」

掠れた声が、震えるように響く。


「貴女の優しささえ利用した俺を創った残骸は、ただ間違いを繰り返しただけだ。本当に……醜くて、惰弱で、卑怯で……俺は、貴女(あなた)にどうやって謝ったらいいか……わからない……」


その言葉に、ベルティーナは確信する。

侑斗は、もう打ちのめされ尽くしていた。

自分が、最後のひと押しをしたのだ。


「いいえ」

ベルティーナは、そっと侑斗の頬に触れる。


「貴方はユウの最後の希望。私や葛原澪の最後の希望なのです。だから——」


言葉を紡ぎ終えるよりも早く、ベルティーナの腕の中から侑斗の姿が掻き消えた。


「……っ!」


気配を探るよりも早く、侑斗は女王の謁見の間の入り口近くへと移動していた。


共振転創? いいえ……違う。


「位相の波頭を跳んだ……?」

優香は愕然とする。


侑斗は枝の神子だったが、彼に位相移動の力はない。そもそも地球との関係が消えた今現在、枝の神子の力を使えるのは優香を含め数人だけ。

それに、こんな短距離の跳躍など聞いたことがない。


「まさか……共振転創……?」


そんな力があるのなら——優香は、永遠に侑斗を捕まえることはできない。


「させない!」


優香は霧散師の力を解放し、侑斗との間にあった障壁をかき消した。

瞬時に前へと踏み込み、右手を伸ばして侑斗の腕を掴もうとする。


——だが、その腕は幻のように揺れ動き、決して優香の手に触れることはなかった。


「……っ、くっ!」


侑斗の身体が、不規則な波紋のように揺らめく。

優香の指はすり抜け、空を切るばかり。


「優香!」

ベルティーナの叫びが響く。


「あれは——葛原澪の風落(ふうらく)移動です!」


「風落移動……?」


優香の脳裏に、澪とヴェナレートとの戦いが蘇る。

どんな敵を前にしても、絶対に敗北しない可能性を瞬時に創り出す、あの能力。


「嘘……そんな……」


震える唇を押さえながら、優香は侑斗を見つめた。


「君はいつから、こんな力を——」


優香が問いかける。


「木乃美亜希から力を得た時から?」


「違うよ」


侑斗は、わずかに口角を上げる。


「物心がついた時から、こういう力があることには気づいていた。でも、俺は——この世界の人間でいたかった。だから、絶対にこの力を使おうとは思わなかった」


「……」


「自分が異常な人間だと、誰にも知られたくなかったんだ」


だから——


史音や修一と旅をしていた時も、一度たりとも風落移動を使わなかった。

紫苑(しおん)恵蘭(けいら)が命を落とした時さえ、この力を使わなかった。


ただの、普通の人間でいたかったから。


——それも、結局は自分の都合を優先する矮小さのせいだ。


「……君は、何故今になってその力を使う気になったの?」


優香の問いに、侑斗はゆっくりと踵を返す。


次の瞬間、彼の背中はすでに遠ざかっていた。


「待ちなさい!」


優香は叫び、葵瑠衣の相転移分子結晶能力を解放する。

風が渦を巻き、侑斗の周囲に檻を形成する。


だが、侑斗はその中でなお揺れ動き、檻を破る道を探し続ける。


「ベル!」


優香の叫びに、ベルティーナが真空の瞳(カーディナル・アイズ)を開放する。

次の瞬間、部屋全体が差時間の渦に包まれた。


「……っ!」


重圧に満ちた力が、侑斗の風落の振動を封じる。


「優香!」


ベルティーナの意図を悟り、優香は即座に動いた。

侑斗の背へと両手を伸ばす。


——あと数センチ。


その瞬間、侑斗の右腕が漆黒に染まる。


「サイクル・リング……!」


リングが発現し、黒い輪が次々と放たれる。

それはベルティーナの真空の瞳の結界さえ削り取るほどの力を持っていた。


「これが……木乃美亜希から貰った力……」


優香も、ベルティーナも、その威力に震えずにはいられなかった。


侑斗は彼女たちを見ることすらなく、漆黒の闇の中へと消えていく。


「優香! 侑斗を止めなさい! 彼は——彼は今から……!」


ベルティーナの声が、必死に響く。


優香は僅かに目を伏せ、静かに頷いた。


そして次の瞬間、侑斗の姿を捉える。


彼は——


女王の城の真下にいた。


「……わかってる、ベル」


優香は唇を噛み締める。


「彼は——今から死ぬつもりだ」


優香は迷いなく位相の波頭を跳び、侑斗を追った。彼がどれほどの力を得ようとも、彼を捕えられないことはない――ベルティーナはそう確信していた。なぜなら、優香と侑斗はそれぞれが自分自身でもあるからだ。


「……ははは……私はユウを救った気になって、自分の望むユウを創った。だからこそ、優しくて弱い彼が生まれた。自分を否定することしかできない彼が、どれほど苦しんだことか……。それなのに、私は女王として傲慢にも、葛原澪のように己の全てを賭けて彼を取り戻そうともしなかった……。もし彼が私たちと関わらなければ、普通に誰かを愛し、憎み、そして人間らしく生きられたのに……」


ベルティーナは一人、自嘲の笑みを浮かべた。冷たい風が金色の髪を揺らし、星のない夜空がその影を際立たせる。彼女の言葉は、暗闇に溶けるように消えていった。



侑斗は、大きな川に架かる橋の上に立っていた。水面には街の灯が揺らめき、しかしそれが美しいとは思えなかった。吹きつける夜風が頬を切るように冷たい。


「……貴女は全く悪くない……か。ははは……本当にその通りだ。ベルティーナは少しも悪くない。全部、俺になる前の残骸のせいじゃないか?」


ぽつりと呟き、侑斗は目を閉じる。どこまでも深く落ちていくような感覚がする。


「俺はユウ・シルヴァーヌの罪をすべて背負うために創られた。そのためだけの存在だ……。こんな俺が、生きている理由なんて、どこにもないのに……」


涙が溢れた。もうとっくに枯れ果てたはずなのに。拳を握り締める。抑えきれない怒りが込み上げる。


「……俺は、自分を否定し尽くした。もう何も残らないと思ってた。でも、あるもんだな……。上には上が……。零さんを苦しませて、謝るくらいなら、黙って消えればよかった……! 何でだ? 何でこんなにも、生きてしまったんだ……!!」


振り上げた拳を橋の石の欄干に叩きつける。鈍い痛みと共に血が滲む。それでも足りない。もっと深く傷つけなければ、己の存在を否定し尽くさなければ。


「さて、どうやって消えようか……」


夜の闇が広がる。川底は深く、冷たい水がすべてを包み込むだろう。


侑斗はためらいなく身を投げた。


ボトン……!


意外なほど小さな音が響く。水面が波紋を広げ、彼の姿を飲み込んでいく。


「まったく……」


優香がすぐに飛び込んだ。暗闇の中、水流に逆らいながら侑斗の体を掴む。冷たい水が容赦なく体温を奪っていく。それでも優香は力を緩めなかった。


やがて、ずぶ濡れになった二人は川岸にたどり着く。


優香は侑斗の頬を軽く叩いた。


「君はいつもずぶ濡れだね。こんな風に助けるのは、もういい加減にしてほしいな」


目を覚ました侑斗は、ぼんやりと優香を見つめる。恋愛とは無縁の人生を送ってきた自分が、ただ一度、好きになりかけた人。その人が、またしても目の前にいる。


 ……今度はどうやって否定してくれるんだろうな……


そう思った瞬間、ズキリと左の頬が痛んだ。以前、優香に殴られた場所だ。


「君が死んだら、ベルティーナも葛原澪も木乃美亜希も、酷く悲しむ。彼女たちから君は逃げたいのかな?」


優香の穏やかな声が、闇を切り裂くように響く。


侑斗は歯を食いしばった。


「……そうだよ。でも、もう俺は何よりも自分から逃げたいんだ。最初から誰かに認められようなんて望んでいない。でも……誰かの都合のために生かされるのは、もう嫌なんだ……! だから……せめて、悲しんでもらうくらい、許されてもいいじゃないか……! それくらい、否定されなくても……いいじゃないか……!!」


叫びながら、嗚咽が止まらなくなる。


優香は強く侑斗を抱きしめた。


「……もう泣くんじゃない。君は私がちゃんと救う。だって、君は私の一部だ。自分を救うのは、人として当たり前のことなんだ」


侑斗は優香の腕の中で震えながら、ただ泣き続けた。


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