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162,未来 転移創造Ⅰ

慣れない石畳の路上を、優香と美沙、一矢に連れられ侑斗は狭い通りを歩いていく。イタリア北部の街は少し肌寒く、それでいて日本とは異なる空気の香りが漂っていた。湿った石の匂い、焼きたてのパンの香ばしさ、遠くから微かに聞こえる鐘の音が、異国の情緒を際立たせている。


やがて、巨大な塔のような建物の入り口に四人は辿り着く。赤く輝くライトに照らされたエントランスには、清潔そうな身なりの男女が正装で並んでいた。その中の一人、白いマントを羽織った男に、侑斗は見覚えがあった。


彼は侑斗を見つめ、静かに微笑む。


「あんた、確か虚無の神殿で会ったな。修一と戦ってた人だよな」


セージは以前と同じ落ち着いた、よく通る声で答える。


「久しぶりですね、橘侑斗くん。あの時は敵同士でしたが、今は私は女王の側近です。どうかご理解ください」


考えてみれば、この男がいなければ侑斗は自分の青のサイクル・リングを覚醒させることができず、今では漆黒となったサイクル・リングで亜希を助けることもできなかった。


「セージは私の霧散師としての最初の指導者だ。信頼していい」


優香が小さな声で侑斗に囁く。


「それにしてもセージ、私の指導を受けた霧散師の半分が集まっているのに、ここはフォトスやパリンゲネシアからの侵入が多すぎるよ。どういうことかな?」


優香の言葉に、侑斗も右腕のサイクル・リングに左手を重ね、視覚を拡張する。目の前に映し出されるのは、フォトスの幻怪人とパリンゲネシアの幻妖が荒れ狂って戦う光景だった。


「霧散師の第一誘言者、カラナ・ソーリア……いえ、優香。彼らはこのBWゾーンを作っている女王ベルティーナの存在を感知している。だからあえておびき寄せ、私たちがそれを消し去っている。これを常態とした方が効率がいい。いつ襲ってくるかわからないのは、心の平穏に悪いですからね」


優香は周囲を一通り眺めた後、セージに伝える。


「美沙と一矢に霧散師の基礎指導をしておいて。ベルとパリンゲネシアの幻妖本体と戦っている時、フォトスの幻怪人が襲ってくるのを防ぐために、少しでも力が必要だから」


美沙は溜息をつき、一矢は不満そうな態度を隠そうともしない。


「分かりました、カラナ・ソーリア」


セージはそう言って頭を下げる。


一階のロビーの中空には、細長いピロティがあり、遥か高く上空へと伸びている。それを囲むように長い螺旋階段が天へと続いていた。


優香は侑斗の右手を掴み、その螺旋階段へと引っ張っていく。セージたち三人はそのまま一階に残る。


侑斗は優香の手を振りほどこうとするが、優香は強い力でその手を離さない。零と変わらない強い力だ。


「前に立ってくれるだけでいい。貴女の後をちゃんとついていく」


侑斗が苦々しく呟くが、優香は聞き入れない。


「ベルにあなたを会わせる時は必ず私が連れて行くと、もうずっと前から決めていたんだよ。だからあなたの手は離さない」


女王ベルティーナ。組織の集まりで姿は何度か見た。そして砂の森で一度だけ会った、青みがかった金髪の美しい少女。あれは「会った」ことにカウントされないのか、と侑斗は言葉にせず、諦めて優香に従った。


「ベルは今、個室を出て女王の間にいる。この螺旋階段の最上階だ。あなたはベルから全てを聞かされる。覚悟を決めておくんだよ」


それから最上階まで、優香も侑斗も一言も言葉を発しなかった。


最上階へ向かう間、明かりは天から降り注ぐ円形の光しかない。全ての階の照明は、灰色の壁に微かに灯っているだけだった。


やがて辿り着いた最上階の広い廊下。青い壁が広がる空間の中、血のように赤い縁を持った扉が見える。


優香はその扉に手を触れ、静かに声を出す。


「ベル、彼を連れてきた。入ってもいいかな?」


応えの代わりに、赤い縁の扉が左右に開く。


女王の間は暗い赤に染められ、天井から淡く絞られたLEDの照明が部屋を照らしている。かなり広い部屋だ。そして床には入り口から白い線が引かれ、奥へと続いている。その先、玉座に女王が座っていた。


優香はいつの間にか侑斗の後ろに立ち、侑斗の背を押す。


そして、座っている美しい女王が口を開く。


「橘侑斗さん、やっとあなたとこうして話せる時が来ました」


明るく優しい声だが、どこか弱々しい。続いて彼女は優香に向けて声を放つ。


「最近の貴女の行動は、私の測定能力を超えています。どういうつもりなのですか?」


ベルティーナは侑斗の背後にいる優香を問責する。


「今日という日のために、私は必要な自分になるための努力をしてきたんだよ。ベル」


ベルティーナは、胸の底に負の係数を感じる。それは自分にとってのものか、侑斗にとって逃れられない係数なのか。


そして、優香の考え方は上手くいっているのだろうか——。


ユウの創った優香は、ベルティーナでさえ完全に掌握することは難しい。一度はフィーネによって打ち砕かれた彼女だが、今は以前とは別人のようだ。しかし、すべてが彼女によって導かれているかのように見えた。

彼女は物語の設計者なのだ。

では、物語を綴るのは私か?


「どうか私の近くまで来てください。これから貴方の忘れてしまったことをすべて話します。それが貴方を創った私の責任です」


ベルティーナは、静かな声で侑斗を招き寄せる。その後ろから優香もゆっくりと近づいてくる。


「優香、貴女はユウがスクエア・リムを放ち、レイ・バストーレの葛原零のクライン・ボトルの結界を破るまでのことはすべて知っている。それでもすべてを最初から聞きますか?」


しばしの沈黙。優香は心の奥底から這い上がってくるような低い声で答えた。


「ああ、もちろん。すべてを聞いて、すべてを受け入れる。彼だけに全てを負わせるつもりはないよ」


「分かりました。侑斗、優香、手前の椅子に掛けてください」


ベルティーナは、彼女の前に並べられたアンティークな椅子を示した。美しい装飾が施されたその椅子は、まるでこの部屋の時間が別の流れを持っていることを物語っているかのようだった。


侑斗は黙って椅子に腰を下ろす。しかし、背後にいた優香は何も言わず立ったまま、じっとベルティーナを見つめていた。ベルティーナもまた、その瞳に疑問を宿しながら彼女を見つめ返す。


優香は、呟くように微かな声を出した。


「私は立ったままで聞くよ、ベルティーナ」


ベルティーナはどことなくやつれたように見えたが、それでも彼女の持つ尊厳は揺るがない。その冷静な口調が、侑斗の心を捉える。


「今の貴方はもう、青のサイクル・リングの力を超えた存在ですね」


侑斗は、ベルティーナの正面に座したまま、その深い緑の瞳を見つめた。


その時、ベルティーナは纏っていた緑のドレスの右側を左手で強引に引き下げた。


突然の行動に、少し幼さの残る彼女の肩が露わになる。予想外の展開に侑斗は戸惑いを隠せなかった。


彼女の右腕には、赤銅色のリングが巻きついていた。それが鈍く輝き始めると、周囲の景色が霞み、輪郭が揺らぐ。そして、侑斗の右腕にある漆黒のリングが共鳴するかのように震えた。


ベルティーナはリングを高く掲げ、その輝きがさらに激しさを増した。しかし次の瞬間、彼女は静かに腕を下げ、ドレスを整えると、リングの光はすっと消えた。


「今の私では、この力を制御できない。本来の持ち主ではないから」


彼女は、ドレスの上から自らの腕をさすり続ける。その仕草には、かつての誇り高き女王としての威厳とは違う、ひとりの少女のような脆さが見え隠れしていた。


「これがサイクル・リング。転創する前の貴方から借りたもの。もう返すことはできないけれど」


そう言いながら、突然ベルティーナは激しく咳き込み、その細い身体が椅子から崩れ落ちそうになる。


侑斗は思わず手を伸ばし、彼女を支えようとした。しかし、その瞬間、優香が素早く彼の前に立ちはだかり、侑斗の手を遮った。そして、代わりにベルティーナをそっと抱き支える。


「あなたはまだベルティーナに触れてはダメ。ベルの心が飽和してしまう」


優香の声には、静かながらも強い決意が滲んでいた。


「ありがとう、優香……」


ベルティーナは、苦しげな表情を浮かべながらも、無理に微笑んだ。


「元は私の責任。これは、この地球でいうところの……自業自得というもの」


優香は慎重にベルティーナの体を支え、そっと椅子へ戻す。


椅子に身体を沈めたベルティーナは、深く息を吐きながらも、侑斗から視線を外さなかった。


「すべてが私の責任だから、あなたにすべてを話すのが私の責任。それは、きっと葛原零が果たせなかったこと……自分の都合で貴方を創ってしまった私の責任」


しばらくの静寂。


そして、女王ベルティーナはゆっくりと口を開いた。


「それでは、すべての物語を話しましょう。この世界に私たちがこうしている理由……転移創造に至るすべての事象を」



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