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161,未来 相似方向性

亜希と史音の前の空気が揺らぎ、白一色の世界に青い亀裂が走った。


パリンゲネシアの朝——世界が割れる音を、亜希は確かに聞いた。そして、気持ちよさそうに寝ていた史音を叩き起こし、静脈の谷まで引っ張ってきた。その目の前で、今まさに異変が起こっている。


亀裂の奥から声が聞こえた。


「……史音……いるか……」


かすれた声。それでも、聞き覚えのある声だ。


「修一くん!」


思わず叫ぶ。


「……木乃美さんも一緒か……」


史音は迷わず亀裂の奥へと腕を伸ばした。


「掴んだぞ、修一。私たちを引っ張り出せるか?」


亜希の目には、史音の腕の先が見えない。まるで何もない空間へと溶けてしまったかのようだ。


「……無理だ……俺がそっちに引っ張られるだけだ……」


突然、乱れた電波のように修一くんの姿が浮かんだ。強風の中の衛星アンテナから送られる、ひどく不安定な映像のように。


「史音、女王がお前を取り戻すために行動を起こす」


ほらな、と言わんばかりに史音が得意げに私を見た。


「それから木乃美先生……そのために姉貴も力を貸すことを承知した」


「零さんが……?」


史音の表情がわずかに曇る。


「修一、それはベルがパリンゲネシアと正面から戦うということだな。そこまでベルの身体は危ないのか?」


「……」


沈黙が返ってくる。その沈黙こそが答えだった。


しばしの静寂の後、修一くんは最後の言葉を告げる。


「これで、パリンゲネシアの世界の崩壊の際、史音と木乃美先生を導く線はつなげた。それまで意識を研ぎ澄ませておけ」


その言葉とともに、修一くんの姿は掻き消え、世界の歪みも次第に消えていく。


「修一くん、私たちの場所を突き止めてくれたんだね。これで、みんなのところに帰れるね」


そう問いかける私に、史音はすぐに返事をしなかった。彼女は真剣な表情で何かを考えている。


「亜希、とりあえず家に帰ろう」


そう言って、彼は背を向け歩き出した。


「ここを離れていいの? 修一くんが意識を研ぎ澄ませろって……?」


「修一は私たちにマーキングした。パリンゲネシアの呪縛が解ければ、間違いなく私たちを見つけるだろう。ここを突き止めたのも、世界中に張ったマーキングを辿ったからだろう。ところで亜希?」


史音が少しだけ振り返る。


「なに?」


「お前は、この退屈だけど真っ白で、汚れのない世界が消えることに抵抗はないのか?」


彼女の言葉の意味は分かる。この美しい世界は、亜希たちの地球が本当に望んだ姿なのかもしれない。けれど——。


「私は善人じゃないからね。自分の都合と地球の都合、どちらを選ぶかは決まってるよ。こんな不自然な世界は気持ち悪いし、パリンゲネシアの都合で拘束されるのは嫌だ。でも、もし共存できるなら……」


「共存はできない。地球はパリンゲネシアの世界を、私たちの世界を否定するために創った。放っておけば、私たちの地球は完全に消えてしまう」


言葉を失った。


「そのベルティーナっていう人は、どうやってパリンゲネシアを滅ぼすのかな」


「たぶん、優香たち霧散師を使って、パリンゲネシアを支える幻妖本体を自分の世界に呼び込むんだろう。その辺は優香があらゆる条件やタイミングを計算し尽くしている。まあ、優香の奴は私より亜希の方を取り戻したいだろうけどな」


史音の言葉には、どこか不自然な間があった。


「椿さんたち霧散師は、どうやってこの世界に侵入できるの?」


「……ええと、亜希は侑斗がお前を助けるのに使ったクリスタル・ソオドとクリアライン・ブレイドを知ってるだろ?」


知っている。見てはいないけれど、零さんから聞いた。


「霧散師の力は、クリアライン・ブレイドの能力に近い。世界はあらゆる力が強く結ばれて形作られている。その結びつきを一定の時間外す。世界のあらゆる障壁を消し去る……まあ、この力はもともと、優香がパリンゲネシアに取り込まれるのを防ぐために身につけたんだろうがな」


「椿さんも、本当はパリンゲネシアの世界に呼ばれたってこと?」


次々と疑問が湧き上がり、止められない。


「そりゃあ優香はユウ・シルヴァーヌによって私たちの地球に転創されたけど、それを優香の形にしたのは地球自身だからな。パリンゲネシアに呼ばれる資格は、私たちより上位だっただろう」


いつの間にか、亜希たちは家の前まで辿り着いていた。

 

「まあ、正直この退屈な世界はアタシにもどうでも良い。けれどベルや葛原零は、まず闘いの前にやらなきゃいけないことがあるだろう」


「私には史音が何言ってるか判らないよ」


 史音は無造作に棚を開け、そこから黒ずんだ液体の入った瓶を取り出した。自作のなんちゃって珈琲。カップに注ぐと、蒸気とともに得体の知れない匂いが立ちのぼる。それを躊躇なく一気に飲み干した。


「全く、どこまで煮込んでもちっとも苦くならないな、超マズい」


 顔をしかめながらカップを置くと、史音は肩をすくめた。


「えっと、ああ、ベルとお前の分身である葛原零の話だったな。あの二人の畢竟は、行くべきところに行くだけだ。だからまあ、心配しなくても良いだろう。いろいろ決断はしなきゃならないがな」


 史音はふっと視線を逸らし、窓の外へと目を向けた。窓の向こうには鈍色の空が広がり、風が乾いた枝を軋ませている。


「問題は侑斗の奴だよ」


「侑斗? アイツがなんで絡んでくるの?」


 亜希がそう尋ねると、史音は呆れたようにため息をつき、じろりとこちらを睨んだ。


「亜希、おまえさあ、ここで一緒に生活してきて色々分かったけど、女の癖に女のことが本当に分からないなあ。侑斗は前世、アタシ達の地球に転創されてくる前に、ベルと葛原零にどれほどの想いを寄せられていたか、見当つかないか?」


 そう言われても、零さんやベルティーナさんがあの侑斗を取り合ったというのはちょっと想像できない。私の目に映る侑斗は、出来の悪い弟のような、自己否定の化け物のような奴だった。


「アタシでさえ侑斗には母性を感じたがな。だからこれから侑斗に告げられる真実は、アイツにとって……あの糞真面目で中途半端な知性で、それでも自分を諦めないアイツには耐えがたいものになるだろう」


 史音はカップの中をじっと見つめながら、低く呟く。


「最悪の結果が見える。それがアタシは怖い」


 確かに、アイツの自傷癖には何度も悩まされてきた。でも最近は大分マシになってきたし、そこまで心配しなくてもいいんじゃないか。


「亜希、お前が男女の恋愛をよく判らないのはまあ仕方ないんだけどさ、長い付き合いだろう? 一度はお前を命がけで救ったんだ。少しは心配してやれよ」


 そう言うと、史音はふっと視線を逸らし、それ以上の会話を打ち切った。



 優香と侑斗がベルティーナのもとへ向かっているその頃——。


 ベルティーナはセージに休むよう窘められ、静かに目を閉じていた。そして、夢を見る。幼い頃、姉ヴェナレートによって共振転創された甲城トキヤと共に過ごした、あの一時の記憶を。


「ファラ、お前の姉さん、迎えに来るんだ?」


 陽の差し込む広間で、トキヤは苛立ったように問いかける。彼の荒々しい口調には、どこか優しさが混じっていた。その強さに守られていたベルティーナは、自分の地球へ帰ってしまうことを思うと、胸が締め付けられた。


「姉さまは今、他の地球に戦いに赴いているの。それから……私たちの星のように創られた地球が、なぜか大量に消滅していると聞いた。でも、原因が全く分からないって」


 幼いベルティーナは、決して知性が劣っていたわけではない。それでも、起こっている事象の本質を推し量るだけの器量は、まだ備わっていなかった。


 トキヤは腕を組み、何か深く考え込む。


「多分……俺たちの地球のコピーとして創られた地球は、少々やり過ぎたんだな」


「……やり過ぎた? どういうことなの? トキヤ」


 幼いベルティーナは、不安げに彼の言葉を繰り返した。


「今、俺たちの地球では、暴走した『枝の神子』と呼ばれる存在が何かを創り上げようとしている。それが少しずつ形を持ち降りてきた。そして俺たちの地球と創られた地球の状況を見て——俺たちの地球の強大な存在力を、お前たちが奪いすぎていると判断したんだ」


 トキヤの言葉の意味を、ベルティーナはすぐには理解できなかった。彼女は俯き、必死に考えようとする。


「トキヤの地球の人々は、私たちとは比べものにならないほどの存在力と、それを操る知成力を持っているのでしょう? 私たちが少しばかりそれをもらっても、問題はないと聞いているけれど……」


 トキヤは困ったように、口元に手を当てた。その瞳には、どこか複雑な思いが揺れていた——。


「いやな、ファラ。確かに俺たちの地球はお前たちの地球よりはるかに強い存在力を持っている。だから相似性を持つ知成力を持つ者がたくさんいるとお前たちは考えてるんだろうが……俺たちの地球は長い歴史の中で自分の存在を強固にしてきた。人類が生まれるはるか昔からな。だから俺たちの世界の人間は総じて高い知成力を持たなくても問題無い。それがなくても地球は十分存在できるからな。だが困ったことに、お前たちは存在力と共に俺たちの地球の人間の知成力も奪っている。だから人が単体で思考停止するような人間であふれかえっている」


ベルティーナはトキヤの横に座り込み、膝を抱えて顔を埋めた。冷たい床の感触が肌に染みる。


「トキヤのような優れた戦士がいるのに、知成力がない人がほとんどだっていうの?」


「まあ、地球の枝に救いを求められた俺たちは特別だ。俺とわずかな仲間たちが抵抗しているが、あいつらは俺たちの地球を何かで覆い、翻そうとしている。創られた地球が消えていってるのは、アイツらが創ったシニスのダークという存在の仕業だろう」


「シニス……ですか?姉から一度だけ聞いた気がするけど」


「奴らは不存在の表面にいる生命だろう。そして上から降りてくる何かを待っている。それにとって、これ以上俺たちの地球から存在する力を奪われるのは困る。だから」


「不必要な創られた地球を消し去っているのね?」


「多分な。だから俺はあれが降りてくる前に何とかしなきゃならない。ファラはラナイの国の王族だったよな?なら、いずれはお前もあれと戦う日が来るかもな」


確かに……姉上や兄のバーナティーを凌ぐ力を身につければ、ラナイの女王にまでなれるだろう。


「私はトキヤのずっと傍にいたい。私がもっと強くなるまで、そしてあなたのために役に立ちたい。それができないなら、私はあなたの記憶だけを理想の男性として生きていく」


幼いベルティーナに芽生えた恋心。


「それは駄目だ。お前は俺なんかとはまったく違う、自分に相応しい男を見つけるべきだ。荒々しくて粗暴な男じゃなくて、優れた知成力と存在力を持ち、もっと線の細い柔らかい男をな」


そう、べルティーナは結局トキヤとはまったく違うユウを好きになった。けれどユウの傍には、クァンタム・ワールド最強の戦士レイ・バストーレがいた。



「女王、まもなく優香たちが到着します。本当に謁見されるのですか?」


夢の外側からセージの声が聞こえる。まだ現実の世界に意識が馴染んでいないが、どうにかベルティーナは上体を起こした。


「そうか、思ったより早かったな。それでは私も身なりを整えよう」


そんなベルティーナに、セージは低い声で尋ねた。


「女王ベルティーナ、せめてこのままこの部屋で橘侑斗くんや優香と話すことはできませんか?」


ベルティーナはゆっくりと立ち上がり、行動でセージの忠言に答えた。


「駄目です、セージ。あの二人、ユウが転創されて生まれた優香と侑斗には、女王の間で女王らしくすべてを語る責任があります。弱々しい姿では、私の言葉は彼らの心に真実を伝えることはできない」


着替えるベルティーナのカーテンの隙間から、彼女の強い意志が滲み出ていた。


身支度を整えたベルティーナを、セージは支えながら女王の間──玉座まで連れて行く。


「女王ベルティーナ、椿優香と橘侑斗が城に到着しました」


ベルティーナが玉座に身体を沈めたとき、第二秘書官のヌエナが伝令を届けた。


「分かった。女王の間に通せ、二人ともな」


やがて扉が開き、椿優香が姿を現す。彼女に手を引っ張られる橘侑斗の姿もある。


ああ、ついにこの時が来てしまった。


ベルティーナは身体に残ったわずかな力を動員して、二人に相対する。



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