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160、未来 黄昏を追いかけて

「女王……まだ起き上がってはいけません。一日の7割りは横になっているよう、医師から言われているはずです」


 セージは純白のマントを纏いながら、静かにベルティーナを諫めた。淡い光の差し込む室内、白いカーテンが風にそよぎ、わずかに揺れる。ベルティーナはベッドに添えていた腕をそっと外し、再び身体を横たえた。セージの言葉はもっともだ。けれど、納得したとしても自由に動けないもどかしさが、じわじわと神経を蝕んでいく。


 彼女はセージとは反対の方向を向き、擦れた声で呟いた。

「この世界の医者に、ラナイ一族の身体の何が分かる」


 セージはゆっくりと息を吸い込み、ベルティーナの子供じみた反抗を穏やかに受け止める。

「無理をすると、貴女の身体はあと一年も持ちません。その事実に間違いはありますか?」


「無理をしなくても、多分持たないだろうよ。だからこそ、私は時間を何よりも大切にしなければならないのだ」


 拗ねたように呟くベルティーナ。彼女の肉体年齢は十八歳。確かに、それは短すぎる寿命だった。


「女王は、やはり戦いに行くおつもりですか?」


「……同じことを何度も聞くな」


 葛原零と共に築き上げたこのBWゾーン。ただ何もしないまま自分が消えれば、この最後の砦も崩れ去る。だが、パリンゲネシアの世界を消し飛ばせば、後は彼女だけでもこの世界を支えられる。


 まさか、レイ・バストーレと力を合わせることになるとは。あの戦い、アローンを打倒したあの瞬間、お互いの他我の種を震わせながら共鳴したことが、こうした因果を生んだのかもしれない。


 ベルティーナの個室には、慎ましやかに咲き誇る花々が、静かに彼女を取り囲んでいた。ラナイの庭園に咲いていた花とはまるで違う。ベルティーナは鮮やかすぎる色を好まない。その嗜好を知るセージが、彼女のために選んだ花々だった。


「セージ、彼女の元へ向かった美沙と一矢から連絡は?」


「まだありません。しかし、彼女は条件を受け入れるでしょう。貴女がパリンゲネシアと戦っている間、この世界を引き受けるという条件を」


 ベルティーナは自嘲するように笑う。

「安易だな、セージ。一人の男を取り合って憎み合ってきた私たちだぞ」


 セージは少しの揺らぎも見せずに応じた。

「それはそうですよ。彼女の下には霧散師のハルカと、その師である椿優香が行きましたから」


「……!」


 ベルティーナは息を止めた。驚きに瞳を見開き、身体を再び起こすと、セージに詰め寄る。

「女王、動いては駄目です。何度も言わせないでください」


「セージ、初めて聞いたぞ。優香が彼女の下へ向かったというのか?」


 セージは荒い息をつくベルティーナの手をそっと取り、再び彼女を寝台へと横たえた。


「そういえば言っていませんでしたね。しかし、世界を支える依頼だけなら、優香は必要なかったでしょう。彼女は貴女の為に橘侑斗くんを迎えに行ったのでしょう」


 ベルティーナは天井を見上げ、静かに瞳を閉じた。


「そうか……優香は、自分の分身と葛原零に会う覚悟を決めたのだな」


 しばらくの沈黙の後、ベルティーナは再び静かに目を開いた。


「ならば、私も覚悟を決める時が来たのだ。彼に、全てを話す覚悟を……。すまないセージ、私を一人にしてくれないか」


 セージは恭しく一礼し、ベルティーナの居室を後にした。


 おそらく、自分はパリンゲネシアとの戦いで命を失うだろう。ならば、全てのことを彼に話さなければならない。自分が犯した過ちを——。


 部屋を後にしたセージは、思考を巡らせる。かつて地球の枝の神子として力を振るった者は、ほとんど存在しない。パリンゲネシアの幻妖に抹消されたからだ。地球は枝の神子の力を奪った後、更に彼等の命も奪った。


 一矢や美沙のように女王に守られた者。あるいは優香によって霧散師となった者。


 前方から侵入してきたパリンゲネシアの幻妖に、セージは手刀を振るい、その存在を霧散させる。背後から忍び寄るフォトスの怪人をひと睨みし、その影をも消し去った。


 ——BWゾーンを支えている女王は、これほどまでに無力なのだ。




「師匠、此処に来ている事を何故私に話してくれない? 私が馬鹿みたいじゃないか?」


ハルカは優香に真っ直ぐ問いただす。彼女の声には戸惑いと苛立ちが混じっていた。


「ハルカ、何を言ってるのかな? 貴女を通さなかったら、彼が私に会ってくれるわけないだろう」


優香は涼しげな表情で応じるが、その瞳の奥には複雑な思いが垣間見える。実際には、侑斗はハルカに対しても優香の気配を感じて逃げ出していたため、この計画に大きな意味はなかった。けれど、零の心を動かし、侑斗を解き放つきっかけとなったのは、ハルカの純粋な率直さだったのだろう。


一方で、彰と琳、洋の三人は複雑な心境で優香を見ていた。異空間の窓越しに零と魔女の戦いを見守っていた時、彼女は語りかけてきた。しかし、今目の前にいる優香は、あの時と同じ人物とは思えなかった。


「いつかはあなたたちに不愉快な思いをさせて、悪かったね。あの頃が私の一番の黒歴史だ。彼を連れて行く。どうか、私を信じて欲しい」


優香は一人一人の目を見つめ、憂いた瞳でそう訴える。


「へえ、師匠にこんな顔をさせるのか。彰、私は嬉しいぞ」


「俺は先輩を信じてますから。先輩の師だって言うなら、信じますよ」


彰は素っ気なく言い、洋はいつものように穏やかに続ける。


「侑斗くんが自分で貴女について行くというのなら、僕が言うことは何もないよ。でも、ちゃんと帰ってきてほしい」


琳だけが優香の訴えを退け、険しい表情を浮かべる。


「いえ、駄目でしょう? 私はまだこの人、信用できません。零さん、いいんですか? ずっと零さんが守ってきた侑斗さんを、この人は連れて行くって言うんですよ。しかも、この人は侑斗さんを自分に取り込もうとしたんですよ。零さん、黙ってないで何か言ってください」


琳は零の腕をつかむ。しかし零は静かに首を横に振った。


「琳、私は彼女など比較にならないことを、ずっとしてきた。そして、自分が話すことのできない過去を、他人に押し付けようとしている」


琳は零の手を握り返す。


「零さんが話すことのできない過去?」


「そう。私とラナイの女王しか知らない事、先に転創された優香も知らない事、侑斗が忘れてしまった事」


「でも、でも……やっぱり私は……」


「いい加減にしろ。お前は何にこだわってるんだ? いちいち他人の事情に踏み込むな」


ハルカに首を抱かれたままの彰が、口を尖らせる。ハルカはこくこくと楽しそうに頷いていた。琳は彰とハルカを睨んだ後、黙って零の手を放す。


「あなたたちが零や私の分身と一緒にいてくれて、本当に良かった。レイ、ベルティーナがパリンゲネシアと戦っている間、かなり無理をしてもらうことになる。どうか皆、零を助けてほしい」


優香は三人に向かって深々と頭を下げる。


「まあ、僕たちに何ができるか分からないけど、もちろん零さんの手助けはするよ」


代表して洋が答える。


「それからハルカ、貴女は此処に残って、ベルティーナがパリンゲネシアを倒すまで皆を守って。できるよね? 貴女は私の弟子の中では、セージの次に優秀だった」


「もちろん、了解だ、師匠。当分、彰の傍にいられるな」


そして優香は、侑斗を連れ、美沙と一矢と共にBWゾーンの反対側へ向かう。ベルティーナの城へと、黄昏の空を追って。


BWゾーンの日本からイタリアまでは、位相移動ではなく、辛うじて存在し続けている空港から旅客機を使っての旅となった。


機内の雰囲気はどこか曖昧で、侑斗はまるで幽霊船に乗った時のような感覚を覚える。三人掛けの席に、侑斗を挟んで優香と美沙が座っていた。一矢は機内のどこかにいるようだが、姿は見えない。


優香は侑斗の呪いを解くと言ったが、まだその素振りを見せない。初めて会った時のような超然とした雰囲気もなく、二度目に会った時の颯爽とした影すら見えない。ただ押し黙り、前を見つめていた。


――どうして私を探してくれなかったの?――


優香が泣きながら零に訴えた姿が、侑斗の頭から離れない。そんな思いを振り払うように、侑斗は尿意を覚えて席を立った。


その瞬間、優香が侑斗の左腕を掴む。


「どこへ行くのかな?」


侑斗の方を見ず、前を向いたまま低い声で尋ねる。


「トイレ。飛行機の中じゃ、貴女から逃げたくても逃げられない」


「優香!」


反対側から美沙が非難するように鋭く言葉を放つ。


「もう、あなたも私も逃げられない。どんな真実からも」


そう言って優香は侑斗の腕を放す。炎のように冷たい手の感覚が、消えない。


「いつかこんな日が来るとは思っていた。覚えてないけど、自分がしたことの責任はちゃんと取る」


「責任? あなただけでそんなことができるわけないよ。だから、私がここにいるんだ」


侑斗はその言葉に答えず、真っ直ぐ機内の後方へ歩いていく。


 用を足した侑斗に、近くに座っていた一矢が声を掛けてくる。


「おまえさ、分不相応な運命を辿ってるな。葛原零や女王ベルティーナ、そして椿優香まで、おまえに自分のあり処を求めている。ここでおまえを殺したら、彼女たちはどうするかな? 世界はどうなるかな?」


 座ったままでも体格のいい一矢を、侑斗は見下ろした。


「さあ、試してみれば?」


 侑斗の挑発的な言葉に、一矢はつまらなそうに口角を歪める。


「修一の姿がなかったな。アイツは今どこにいる?」


「修一は亜希さんの入っていったパリンゲネシアの入り口を探している、もうずっと」


「なるほどな」


 一矢は腕を頭の後ろで組み、しばし思案する。彼の仕草が、史音に似ているように見えた。


「なあ、おまえはこの訳の分からない世界が、どうなったら良いと思う? 誰が一番正しい答えの近くにいると思う?」


 全ての条件、座標で成立する正しさなどない。かつて亜希と修一に向けた言葉が脳裏をよぎる。だが、その答えは何も選ぶことができない悪魔の証明でもあった。


「人が当たり前に自分のやりたいことをやって、そこそこ満足できる世界で良いと思う」


 その瞬間、一矢は勢いよく立ち上がり、侑斗の襟首を掴んだ。


「凡人がそれをするために、どれだけの人間が救いのない人生をやってるか知らない奴のセリフだよなあ。葛原零の周りにいた奴らもそうだ。お前らみたいなどうでもいい奴が『良い人』をやるために、世界を支える者達がどれほど苦しんで、擦り減った人生を送っているか、考えたこともないんだろう?」


 世界は常に不平等だ。個人の微かな願いのために、大勢の犠牲が生まれることもある。


「……あんたの言う通りだ。でも、みんな自分の理解できることだけを知って、自分ができることしかできない。だから、みんな自分が『良い人』をやれる世界を求めているんじゃないのか?」


 それはかつて、ユウ・シルヴァーヌがベルティーナに言った言葉だった。


 一矢は侑斗を掴んでいた手を放す。


「世の中、お前のように欲のない奴ばかりじゃない。お前達はそうやって守られてばかりいるから、それが分からないんだよ」


 一矢は興味を失ったかのように再び腕を頭の後ろで組み、目を閉じる。


 侑斗は無言のまま、一歩ずつ優香のもとへ向かって歩き出した。



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