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158、未来 戦女達の不文律

「洋、侑斗はどちらへ逃げていったの?」


 抑揚のない声で零は洋に問いかけた。


「零さんたちが表玄関から入ってくるのが分かったからね、反対側の非常階段を駆け下りていった。あっという間に見えなくなったよ」


 洋が視線で示す方角を、零と彰、ハルカが見つめる。夜の闇が広がり、月の光が薄く地面を照らしていた。


「私が追いかけて捕まえてこようか? 枝の神子たちほどじゃないけど、位相の波頭を跳んで彼のいる場所までの障壁を霧散させることはできるが」


 ハルカが零にそう囁く。彼女の声は低く、まるで月光のように冷たかった。


「先輩、それはやめとけ」


 彰が間を置かずに引き留める。静寂が一瞬だけ場を支配した。


 零は頭上の月を見上げ、しばし沈黙する。冷たい風が頬をかすめ、静寂の中で遠くの喧騒がかすかに響いていた。


「洋、結果はどうだったの?」


 真上を向いたまま、零は問いかける。


「予想通りだったよ。世界に連結されていない異常な重力集中が地球の周りに発生している。多分、放置しておくと大変なことになると思う」


「そう……」


 零は顔を戻し、暫く瞳を閉じる。そして考える。これまでのこと、これからのこと。侑斗のこと、亜希のこと、女王のこと、優香のこと——想いが駆け巡る。


 彰や洋、琳、修一、侑斗と共に、この世界の片隅で破滅の日まで穏やかに過ごしたかった。それは本当だ。けれど、決断を迫られている。その時は予想より早く来た。ただ、それだけのこと。


「彰、洋を手伝って機材を撤収して。それが終わったら、琳と後ろの三人と一緒に図書館へ戻って。それから食事をして、さっさと休みなさい。私たちを待つ必要はない。私と侑斗は今晩は帰らない」


 その言葉の意味を、それぞれがそれぞれに解釈した。


「零さん、侑斗さんをどうするつもりですか?」


 琳が耐えきれずに問いかける。


「何を野暮なことを聞く? 小鳥谷琳。そういうことに決まってるだろう」


 ハルカが呆れたように湿った声を出す。


「そりゃあ、あんたのような安い女はそうでしょうが、零さんは違うんです。零さん、私には分かるんです。零さんが理由は分からないけど、ずっと侑斗さんを見守ってきたこと。誰よりも侑斗さんを大切にしていること。そして、私には分からない一線を超えようとしていること——亜希さんがいたら、きっと言うことを私が言います。一人で先のことをあっけなく決めてしまわないでください。私たちと一緒に道を探してください!」


 彰はハルカの腕をスルッと抜け、琳の下へ行って押しとどめる。


「今に拘って、先へ進もうとしていないのはお前だ。零さんと侑斗のことは、俺たちじゃどうにもできない。そして、その中へ立ち入るべきじゃない。俺も、お前も、松原さんも、修一でもな」


 ハルカはそんな彰を嬉しそうに見つめる。前のような抱擁では、彰はもう繋ぎ留められない。


「琳、彰。有難う。侑斗に全てを話して、それが終わったら私は貴女たちのところへ戻ってくる。それから——」


 零はハルカと一矢、美沙を見て言う。


「その後、侑斗を連れてくるから、貴女たちはラナイの女王の元へ彼を連れて行きなさい」


 そう言い放った瞬間、零の姿は一同の前から消えていた。



 ぜいぜいと息を切らしながら、侑斗は細いビルとビルの間に身を潜めていた。空気は湿り気を帯び、薄暗い路地には粘り気のある蜘蛛の巣が絡みつく。頭や腕にまとわりつく感触が不快だった。どこからともなく、腐臭が漂ってくる。


 あの人の、彼女と同じ気配を持つ人がまた自分の前に現れた。鳳ハルカ——その昔見た時とは全く違うものになっている。侑斗を否定しながら利用しようとする、あの女の気配だ。自分を捨てて、置いて行った前世の自分。


 コツン、コツン——。


 背後から足音が響く。真っ暗な路地の向こうから、青の燐光を発しながら葛原零がこちらに向かってくる。



「侑人……」

「零さん……」


 零は左手で侑斗の右腕を掴んだ。いつもなら両腕で彼を包み込むはずだったが、今はそれをしない。震える身体を支えてくれる温もりは、どこにもなかった。

「まだ超えていないんだね。彼女の呪いを」


 零の指が、掴んだ侑斗の手の先から肩へと這う。彼女は知っている。もともと同じ存在から分かれた二人の間でこそ成立する呪い――決して異性を受け入れられない呪い。それを解くことは、零でもできない。呪いをかけた本人しか、それを解くことは許されていないのだ。だからこそ、零の愛情も、ベルティーナの愛情も、侑斗には届かない。


 だが、三年前。侑斗は自ら亜希の力を取り込み、それを制御する術を得た。それでもなお、自分を否定し続けるのは、優香の張った予防線のせいなのだろうか。

 このままでは、侑斗は永遠に誰も愛せない。

 まるで、ユウのように。


 ユウ……わかっているよ。

 女王に託した転創した侑斗に、あなたは自分と同じ楔を打ち込んだ。

 あなたの欠片が呪縛となって、侑斗を苦しめている。

 そして、フィーネの塵芥を弾き続けてきたことも……。


「侑人……」


 零は、侑斗の顔をじっと見上げた。そして、すっと身を引き、次の瞬間――

 彼の右頬を強く叩いた。


 鋭い音が路地に響く。

 弾かれるように侑斗の身体が左に傾く。

 その頬を、もう一度。


 強烈な一撃。


 それを、十回ほど繰り返した。零がこんなふうに人を叩いたのは、亜希以来だった。


 やがて侑斗の膝が崩れ、地面にへたり込む。呼吸は荒く、瞳は虚ろだった。

 見下ろす零の瞳は、どこまでも冷たかった。


 ずっと感じていた。

 零は侑斗を守りながらも、どこかで冷たい視線を送っていたことを。


「これがブルの女戦士たちの怨念。貴方に向けるのは、これくらいかな」


「構わないよ、零さん。このまま俺を殴り殺してくれ」


 侑斗はうつむき、呟いた。


 零はふっと横を向き、周囲にアクア・クラインの輝石を舞わせる。


「侑人、私は二度も貴方を殺せない。でも……」


 零は、まっすぐに侑斗を見つめた。


「確かに、貴方の中のユウの欠片を取り出して、それをこの身に取り込み、消し去って永遠に私のものにすることは……何度か考えた。

 もし亜希さんや琳、彰、洋がいなかったら……私は、きっと実行していたかもしれない」


 二人を包み込むクライン・ボトルの闇。

 その瞬間、彼らの姿は、夜の路地から消えていた。


  ※


 そして――

 次に侑斗が意識を取り戻したとき、彼らは真っ白な部屋にいた。


 裸身のまま。

 零の顔が侑斗の胸に触れている。


「零さん……駄目だ、俺は、こういうことができない。知ってるだろう。俺は、正常な男じゃないんだ」


 それは、以前亜希が皆に問いかけたことだった。


 侑斗は、男として正常じゃないのか?

 侑斗は、無性なのか?


 性が交わらない併進運動。


「違うよ、侑斗」


 零は、静かに首を振った。


「貴方は、本来は正常な男性。性を持たなかったのはユウ。貴方と彼女の元となった、私のつがい」


 かつてアルファがそうしたように、零の指が侑斗の中のユウの青の欠片へと向かう。


「……っあああああ!」


 侑斗が泣き叫ぶ。

 先ほど殴られた痛みより、遥かに苦しい痛み。


「少し我慢して。私が、貴方の中の欠片を取り出す。

 それでユウの呪縛も、彼女の呪縛も、かなり緩和できる」


 ただし、侑斗の根幹となったユウの欠片は、再び彼の中に戻る。

 それまでに、二人の繋がりを結び直そう。

 そして、すべてを話そう。


 侑斗の中に、本来の男性の本能が戻る。

 暫くは、侑斗はその本能のまま零を抱いた。


 真っ白な部屋。

 零は侑斗に唇を重ね、息をついた。


 そして、見せたことのない表情で、彼を見つめる。


「侑人、貴方は……

 貴方を創ったラナイの女王に、私たちに起こったことをすべて教えられる。

 貴方は、知らなければならない。

 私には、それを話す資格がないから」


 突然、侑斗は我に返った。


「……ごめん、零さん! 俺は、俺は何てことを……!」


 彼の中に、ユウの欠片が戻っていた。


「いいの、侑斗。私の中のブルの女戦士の不文律を、少しだけでも抑えるには、他に方法がなかったから」


 泣きじゃくる侑斗の頭を、零はそっと抱きしめる。

 そして、甘い吐息のように囁く。


「それでも、私が貴方に話さなければならないこと。

 そして、女王が知らないことを、貴方に伝えなきゃいけない。


 ブルの女戦士の不文律のことを……」


「俺の・・俺たちの前世の奴の事なんかどうでも良い。そいつが殺されるに相応しいことをしたんだろう。零さんは悪くない」


侑斗を抱く零の腕に力がこもる。


「いいえ侑斗、私が悪いの。私も、私の中のブルの女戦士たちも思い違いをしていた。私たちが欲しがったユウの優しい強さは、先に転創された巨大な力の中にあると思い込んでいた。でも違った。ユウの優しさは、男性の部分に宿り、弱さとして貴方の中にあった。一方で、戦闘に特化した冷徹な思考は彼女、椿優香の方に行った。そして気づいたの。私が取り返しのつかない過ちを犯したことを」


創られた地球で始まった励起導破戦争(れいきどうはせんそう)の中で、ブルの世界の戦士たちはサイクル・リングから力を受け継ぎ、最強の力を持っていた。そして、最終形態であるレイ・バストーレに至るまで、世代ごとの最強の戦士は常に女性だった。彼女たちは戦闘のために力を特化させ、あらゆる感情を戦闘の糧にした。悔しさも、哀しさも、優しさも、愛情も、それらが招く怒りの感情も、すべて戦闘のために集約された。おそらく、フィーネによる感情操作さえも取り込んで。


ブルの世界の男女比率は七対一。女性は常に優れた知性で男性を統率し、男性は彼女たちを守るために戦い、若くして死んでいった。残された男たちは、子種を残す役目を果たし、再び戦場へと赴き、命を散らす。子孫を残した後の戦士の女性は、一人孤独に老い、やがて死ぬ。異性を愛する機会も、その意味も知ることなく。戦士の宿命の中で、彼女たちの異性への想いは報われず、理性で押さえ込んだ本能の欲求は、ただ降り積もっていくばかりだった。


「でもね、彼女たちも女性だったの。いくら感情を戦闘に流し込んでも、異性を愛する気持ちをサイクル・リングは汲み取ってくれなかった。そして、自分たちの想いを奥底に沈めたまま、それはより濃く、深くなっていった。だからこそ、他に優れた女戦士がいたにもかかわらず、私はユウを選んだ。ユウの中性的な姿は、ブルの世界の中で唯一受け入れられる存在だった。そして、女たちの不文律が私の中で強く燃え上がり、ユウの中の男性の部分をひたすら愛するようになった。でも、ユウが最後にほとんどの自分を転創し、残った貴方の元の姿に異性の姿を見つけようとしなかった女たちの怨念は、貴方を殺した後それに気づき、後悔させ、そして貴方をこの世界まで追わせた」


そのまま二人は眠りについた。



そして朝が来て、二人は元の着衣をまとい、朝日の中に立っていた。


前方には、朝日を背にした人影があった。


彼女は、座っていた石段から静かに立ち上がり、ゆっくりと侑斗と零の前へ歩み寄る。


「レイ、貴女をずっと苦しめたことは、謝っても謝りきれない。そして、もう一人の私──貴方にかけた呪いを解く時が来た」


椿優香は、以前とは全く違う姿で二人の前に現れた。



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