表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
158/244

156 未来 星霜

今となっては、星々の輝きはBWゾーンでしか見ることができない。フォトスとパリンゲネシアの世界では、他の創られた地球と同じように、空には月の残照があるだけだ。


優香はBWゾーンを南へと下り、澄んだ夜空を仰ぎ見た。星々が瞬くその空に、銀河の囁きが響いてくる。深く息を吸い込み、瞳を閉じる。深層から押し寄せる声、叫び、要請──いや、これは……。


「そうか、地球を擬人化したのはあなた達だったんだね。痛みを知ってもらうために、哀しみや苦しみを知ってもらうために、創造主たちが創ったこの地球の大樹を擬人化した。酷いよ、自励発振を起こすために感情を持たせるなんて。自分の痛みを強制するなんて……」


◇                    ※


夜の街は沈黙に包まれていた。BWゾーンの暗闇の中、わずかに灯る街灯の明かりが道を照らしている。ハルカは彰の首に左腕を絡めながら歩き、零の待つ図書館へと向かっていた。


琳は少し後方に下がり、露骨に不機嫌な表情を見せる。一矢と美沙は肩をすくめ、そのさらに後ろをついていく。


BWゾーンが創られてからというもの、そこは零や修一の家であり、ファースト・オフの代わりとなる場所だった。しかし、本来零の認証を得た者以外は、立ち入ることはできない。


「いやあ、こうやってまた彰と肩を組める時が来るとはなあ。私は本当に嬉しいよ」


ハルカは楽しげに笑い、彰の肩に寄りかかる。しかし、彰はその手を振りほどくこともせず、ただ目を逸らしていた。


「鳳ハルカ、見てて気持ち悪いんで、彰さんから離れてもらえませんか?」


琳の冷たい声が背後から響く。ハルカが振り向き、ニヤリと笑った。


「なんだ、焼餅か? 小鳥谷琳。それなら、私が戻ってくる前にさっさと自分のものにしておけばよかったのに」


琳は目を伏せ、ゆっくりと息を吐く。


「そうですね。貴女のものになるくらいなら、さっさと殺しておけばよかった」


物騒な言葉に、彰も思わず琳を見た。


「ハハハ、そうだよ。女の愛はそのくらいでなきゃ価値がない」


勝ち誇ったように彰を抱き寄せるハルカ。琳は眉を吊り上げ、険しい表情で言い返した。


「私が言いたいのは、こんな気持ち悪い光景を見せられるくらいなら、その前提を壊しておけばよかったということです。人として最低の彰さんと、世界にとって最低の貴女の組み合わせは、ひたすらにマイナスです。二乗して虚数になっちゃうみたいなものです。世界にはあってはならないものです」


「上手いことを言うなあ」


ハルカは楽しそうに笑う。いや、量子世界は虚数を使わなきゃ表現できないぞ、と彰は心の中で思う。


「ところで、小鳥谷琳も彰も、全く私と目を合わせてくれないなあ。人の話を聞く時は、相手の目を見なきゃダメだって教えられなかったのかい?」


一矢と美沙は顔を見合わせた。そうだった。ハルカの眼視能力のことを、すっかり忘れていた。


「はい、私は嫌いな人の目を見ることができないので。それに、そもそも貴女の話を聞くつもりもないので」


琳の冷淡な返答に、ハルカのクスクスと笑う声が、暗闇に響き続ける。


やがて、彰が口を開く。


「先輩、一応、零さんのいるところへ向かっているけど、零さんの指定した時間は過ぎている。もう図書館には辿り着けないかもしれない」


努めて冷静に言葉を発するが、彰は自分の感情が少しずつ死んでいくのを感じていた。


「それは心配いらないよ、彰。私達、霧散師はどんな場所でも入っていける。フォトスとパリンゲネシアに限らずね。師匠カラナ・ソーリアが方法を伝授した霧散師は、全世界に十人といない。私達霧散師は、世界の歪みを霧散させるだけでなく、世界のあらゆる壁を霧散できる」


そう言いながら、ハルカは右手に銀色の光の塊を発現させ、行く手を照らした。


「なら、別に自分達だけで零さんの所に行けばいいじゃないですか?」


琳が口を尖らせる。その苦情に、ハルカはすぐに呆れたように返す。


「は? 何を言ってるんだ、小鳥谷琳。葛原零がお前達を通さず、私に会ってくれるわけがないじゃないか?」


この人の生きる基準は何なんだろう──。彰は白い息を吐きながら、ハルカの体重を支え、重くなった足を前へ進めた。



零は図書館の最奥、中央の席に座っていた。薄青の光が彼女の周囲を包み込み、静かな空間を作り出している。


手元には湯気を立てる珈琲。厚い本のページを静かにめくりながら、零は物語の世界に浸っていた。今は知識を探るよりも、物語の流れに身を委ねることを好んでいた。


「彰、琳。遅かったね。しかも三人もお客様を連れて。少し寂しかったから嬉しいよ」


 零は、ハルカが霧散師の力を使うことなく、五人を自らの領域へ迎え入れていた。静かな図書館の奥、淡い青の光に照らされた空間で、彼女は厚い本を片手に珈琲を嗜んでいた。その姿はどこか神秘的でありながら、冷徹な雰囲気を漂わせている。


 彰はバックから、零に頼まれていた電子回路を取り出して手渡した。

「ありがとう、彰。それで――貴女達は私に何の用?」


 柔らかい口調とは裏腹に、零の瞳は鋭く光る。突き刺すような視線に、ハルカも一瞬だけたじろぐが、それも束の間だった。以前のような恐れは、もはや彼女にはない。


「いや、葛原零。私の役目は、この二人を貴女の元まで連れてくることだ。それ以上の話は、そこの二人に聞いてくれ」


 そう言い放ち、ハルカは一矢と美沙に話を丸投げする。突然矢面に立たされた二人は、緊張で体を強張らせた。目の前の零は、かつてあの世界を滅ぼしかけたロッゾの魔女をたった一人で倒した、全地球の中で最強の戦士、レイ・バストーレ。彼女の伝説を知る者にとって、その存在感は圧倒的だった。


 ハルカが異常なのだ。


 美沙は息を整えながら、慎重に口を開いた。

「葛原零、貴女にお願いがあって参りました。私たちはかつて『枝の神子』と呼ばれていた者です。そして――貴女の仇敵、女王ベルティーナの臣下でもあります」


 零は、一度だけ瞳を瞬かせた。

「それで?」


 短く、鋭い問い。美沙は息を飲みながら続ける。

「女王は今、パリンゲネシアに囚われている西園寺史音を救おうとしています。彼女を覚えてらっしゃいますか?」


 零はまっすぐに美沙を見据え、静かに答えた。

「覚えている。賢そうな娘だった。侑斗が随分と世話になったようだ」


 美沙は唾を飲み込み、さらに言葉を紡ぐ。

「そうです。そして、貴女の分身とも言うべき木乃美亜希も、同じくパリンゲネシアに囚われています」


 その言葉に、零の瞳にわずかな影が落ちる。

「そう……どうしようもなかった。無意識のうちに、亜希さんはパリンゲネシアを選んでしまったから」


 低く沈んだ声。その様子に、一矢が反応する。

「じ……女王は、その二人を救うために、貴女に力を貸してほしいと願っています」


 その瞬間、零の声が鋭さを増した。

「力を貸して? 女王が私に? ふざけるな! 亜希さんは私が何とかする。そっちは自分たちでなんとかすればいい!」


 放たれた言葉の強さに、一矢も美沙も思わず後ずさる。


「いや、葛原零。貴女でも、パリンゲネシアには侵入できないだろう? それが分かっているからこそ、この二人も交渉に来たんだろう?」


 美沙と一矢の肩をかき分け、ハルカが一歩前に出る。

「世界の境界を超えられるのは、フォトスの幻怪人とパリンゲネシアの幻妖、そして私たち霧散師だけだ」


 零は改めてハルカを見つめ、その全身から発せられる気配を感じ取る。

「……貴女からは、ユウの……いや、椿優香の気配がする」


 ハルカは肩をすくめ、軽く笑った。

「そう、私は霧散師の創始者、カラナ・ソーリア……えっと、貴女たちは椿優香と呼ぶのか? その一番弟子だ」


 零は視線を落とし、しばし思案する。彼女は自身を超えたのだろうか?


「それで、その霧散師の力で、私をパリンゲネシアに連れて行くという話なの?」


 困惑した表情で零が尋ねると、後ろから美沙が声を上げた。

「違います!」


 一矢がそれに続く。

「女王は、命を懸けてパリンゲネシアの世界を消し去ろうとしている」


「私たち霧散師が、パリンゲネシアの中核をこのBWゾーンへ招き入れる。それを女王ベルティーナが討つ。その間、貴女にこのBWゾーンを一人で支えてほしい――これが女王からの頼みだ。女王は、もう長くは持たない」


 一矢と美沙の感情が高ぶるのを、ハルカが静かに制するように呟く。

「そう……なんだ」


 禁断のサイクル・リング移動で得た力。それはベルティーナの存在を危うくさせていた。ラナイの不死身の肉体といえど、度重なる再生は、確実に彼女の身体を蝕んでいる。


「承知した。亜希さんを取り戻してくれるのなら」


 渋々ながら、零は二人の頼みを受け入れた。


「それから、葛原零。これは師匠、椿優香からの頼みだ」


 ハルカの最後の言葉に、美沙と一矢は息を飲んだ。


「どうか最後に――女王が創った彼を、橘侑斗くんを、女王に引き合わせてほしい」


ハルカの最後の言葉に美沙と一矢は息を飲んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ