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147、過去 牟礼彰が星を始めた理由についてⅡ

彰が橘侑斗(たちばなゆうと)に初めて会ったのは、かなり前のことだ。


そして初めて言葉を交わしたのは——鳳ハルカと話したのと同じ日だった。


小さな書店にて


行きつけの小さな書店。


書棚の間を歩きながら、いつものように小説や科学書籍のコーナーを眺めていると、ふと目についた人物がいた。


彰と同じような本を探している、あどけない少年のような姿。


年下なのは明らかだった。

だが、それ以上に目を引いたのは、その態度だった。


周囲を警戒するような、怯えた仕草。


何かに追われているのか、それとも単に人混みが苦手なのか。


そして、ある日の午後——


いつものように同じコーナーで本を取ろうとしたその瞬間、侑斗の右手が同じ本に向かって伸びてきた。


指先が触れる。


——多分、先に触れたのは侑斗の方だった。


だが、彰が少し遅れてその本に触れると、侑斗はすぐに手を引っ込めた。


その遠慮がちで、卑屈にも見える態度が、彰の癇に障った。


「おまえ、先に取っただろう? 遠慮しないで手に取れよ」


少し怒気を込めて言う。


目の前の少年は、彰より数センチほど背が低い。


そのくせ、意外にも鋭い目つきで彰を見上げ、思ったより強い口調で答えた。


「別に、誰かと争ってまで欲しい本じゃないし。俺はこれの代わりに雑誌を買うから、遠慮せずどうぞ」


そう言うと、侑斗はあっさりと雑誌コーナーへと向かっていった。


彰は、思わずその背中を目で追った。


侑斗の手にあるのは、表紙がカラーの天文関係の雑誌だった。


——なのに、彼は中身も確かめず、そのままレジへ向かう。


妙に気になった。


気づけば、彰は本を棚に戻し、店を出て行く侑斗の後を追っていた。


「おい、お前!」


後ろから声を掛けるが、侑斗は気づかない。


「おい、さっき俺と本を取り合った貧相な服装の、中二病みたいな奴!」


その言葉に、侑斗の足が止まる。


そして、ゆっくり振り向いた。


「……ええと、別に取り合ってないでしょ。貧相で中二病みたいに見えるのは、その通りですが」


——一番どうでもいい部分にだけ反論してきやがった。


「いや、俺と同じような趣向の本を買う奴ってあまりいなくてさ。少し話をしたいと思ってな。奢るから付き合えよ」


彰がそう言うと、侑斗は面倒くさそうな顔をして、手元の袋に目を落とす。


袋の中にあるのは、先ほど買ったばかりの天文雑誌。


……中身も見ずに買ったくせに、妙に執着しているようだった。


「お茶でも飲みながら本を広げりゃいいだろう。邪魔はしないから、少しくらい良いだろう?」


そう言うと、侑斗はわずかに眉を寄せたものの、結局、無言で頷いた。


こうして二人は、駅前の「BLACK BACK」という喫茶店へと入った。


侑斗は席を選ぶのに迷わなかった。


迷うことなく、奥の窓際の席に座る。


後で知ったが——そこは木乃美亜希(このみあき)がカウンセリングの時に使う席だったらしい。


「ええと……奢りじゃなくていいですよ。ここで頼むのは、いつも同じだし」


そう言って、侑斗は注文を済ませた。


二人はそこで互いに名前を交換し、ようやくまともな会話を始めた。


ウエイトレスが注文を取りに来た直後、侑斗は先ほどの雑誌を雑に取り出し、テーブルに広げる。


てっきり天文学のページを開くのかと思ったが——


彼が見ているのは、機材のレポートや広告のページだった。


時にじっくりと目を落とし、時にさっさとページをめくる。


——何をそんなに真剣に見ているんだ?


「おまえ、天文学に興味があるんだろう?」


「ええ、ありますよ」


侑斗は投稿写真のページに視線を落としたまま、淡々と答える。


「素人が使う機材や、素人が撮った星の写真なんか見てどうするんだ? 面白いのか?」


彰は超合理主義者だった。


専門分野はプロに任せて、素人は研究結果やハッブル望遠鏡の画像でも眺めていればいい——

当時の彰は、そう考えていた。


しかし、侑斗は即答する。


「天文学者の研究成果は、いつも耳を立てていますよ。でも、自分で星を見るのは知識とかじゃなくて、体験です」


「……体験?」


「世の中、嘘っぽいことばかりで。唯一、夜空だけが俺にリアルを見せてくれる」


侑斗はそう言って、雑誌の写真を指でなぞった。


「だから、星をやってるんです。天文学とは別に。でも——世の中、天文学自体に意味を感じてない人がほとんどなのに、貴方はそうじゃない。珍しいです、ちょっと嬉しい」


「…………」


けなしたお返しに、褒められた。


変な奴だ。


その後、話は流れで二人の共通の知人——葛原修一(くずはらしゅういち)へと移る。


夜にアウトドアらしきことをやるとはいえ、彰も侑斗も根はインドア派。


スポーツ選手の修一と接点があること自体、不思議なことだった。


——それじゃあ、(おおとり)ハルカもそうなのか?


この前、鳳ハルカに笑顔を向けられて以来、直接近づくことはなかったが、彼女の活躍はなんとなく追っていた。


それでも——彼女は彰の存在に気づいている。


そんな気がしていた。


二人の会話が一段落し、紅茶を啜っていると——


入口の方から、明るい声が響いた。


「やあ、牟礼彰(むれあきら)くん。楽しそうだね。私も仲間に入れてくれないか?」


 明るく響く声に振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた鳳ハルカの姿があった。

 眩しいほどの存在感に、彰は思わず息を呑む。


「鳳……ハルカ先輩」


 呟くように言うと、ハルカは嬉しそうに微笑み、言葉を重ねた。


「牟礼彰くん、嬉しいな。私の名前を知っていてくれるなんて」


 そう言いながら、彼女は自然な動作で彰の隣に割り込む。その途端、橘侑斗の表情が硬くなった。気まずそうに身を縮める彼の様子に、彰は内心で苦笑する。無理もない。


「そりゃあ、あなたは有名人ですから。誰でも知っていますよ」


 彰が淡々と答えると、ハルカは楽しげにさらに身体を寄せてくる。


「へえ、君は有名人なら誰でも知っているのかい? 世界中の芸能人、科学者、政治家、スポーツ選手……」


 挑発的な視線を向けながら、彼女は極端な詭弁を弄する。その言葉に、彰は思わず苦笑した。


「じゃあ、貴女はどうして俺の名前を知ってるんです?」


「ここのところ毎回、私の試合を見に来てくれていただろう? 嬉しくて、友人の伝手で調べたんだ。牟礼彰くん」


 その言葉に、彰は軽く眉を寄せた。彼女は店の外から自分の姿を見つけ、声を掛けずにはいられなかったと言う。


 前方では、侑斗がさらに小さくなっている。居心地の悪そうな様子に、彰は少し罪悪感を覚えた。


「先輩、あなたの試合を見に行ってる奴なんかいくらでもいるでしょう? 何で俺なんかに構うんですか?」


 そう問いかけた瞬間、ハルカの笑みがわずかに揺らいだ気がした。


「だってさ……君は……君は入って来たじゃないか……()()()()()()()()()()()()()()()


 その瞬間、侑斗が立ち上がった。


「すみません、俺、失礼します」


 慌ただしく雑誌を脇に抱え、レジへ向かおうとする。


「おい、待てよ」


 彰が呼び止めようとするが、ハルカもそれに割って入った。


「まあ、待ちなよ。君も違うな……何だい、その右腕の青いリングは?」


 ハルカの視線が鋭く侑斗の右腕に向けられる。侑斗の顔が一瞬にして青ざめた。


 彼は何も言わず、足早に店の出口へ向かう。


「おい、ちょっと待てって」


 彰が立ち上がろうとするが、その腕をハルカが掴んだ。思った以上に強い力で拘束され、動けない。


 その時——


 入り口のドアが開き、そこから一人の女性が入ってきた。


 彼女は端正な顔立ちをしており、洗練された雰囲気を纏っている。まるで異質な空気を持つような存在感に、店内の雰囲気がわずかに変わった。


 その女性は、迷いなく侑斗に視線を向ける。


「あれ、あんた、なんで今日ここに居るの?」


 意外そうな口調で問いかける。


「いや、今日はたまたまです。もう帰るところで」


「面倒くさい。今日、アンタのカウンセリングをしよう……都合が悪い? ……私より優先されるアンタの都合があるわけないでしょ」


 堂々と言い放つ彼女の姿に、店内の空気が暖かくなる。


 ——これが、彰が初めて木乃実亜希(このみあき)を見た瞬間だった。


「ははは、今日は本当に面白いなあ」


 ハルカが愉快そうに笑いながら、侑斗が座っていた席に腰を下ろす。そして、まるで自分の領域を確かめるように居住まいを正した。


「本当に美人っているものだねえ」


 ハルカがそう呟く。


 ——あんたも十分に美人だよ。


 彰は言葉を飲み込みながら、この場をどうやって切り抜けるか考え始めた。


「あの美人、木乃実亜希(このみあき)って言うんだけど、知っているかい?」


 ハルカが言う。


 彰は首を横に振る。


「あれほどの美人が街の噂にも乗らないだけでも奇妙なんだがね。彼女は、私が短距離走で唯一一度だけ負けた相手。まあ、超人だよ。底が知れない」


 背筋を伸ばし、ハルカは真剣な瞳で彰を見据える。


「彰……やはり君は、知成力で人を繋ぐ力がある。ずっと探していたよ、君のような存在を」


 彼女は微笑みながら——けれども、その瞳には真剣な光を宿し、まるで宣告するように言葉を紡いだ。


「君は私のものだ」

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