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142、現在 決着

(れい)とヴェナの戦いは、すでに丸一日が経過していた。それでも決着はつかない。互いに相手の底を測りかねていたのだ。


「強いな、レイ・バストーレ」

ヴェナが息を整えながら言う。彼女の深紅の瞳が妖しく光った。

「おまえは一人でも十分強い。何故、他人などとつるんだのだ? 一人の方が効率的に敵を倒せただろう」


零は短く息を吐いた。

確かに、一人でも敵を倒すことはできた。だが、それだけだ。ユウの言った通り、戦いのための戦いを続けるだけなら、一人で十分だった。


「ならヴェナレート・クレア・ラナイよ。貴様は何故、軍を率いてラナイの戦士として戦っていたのだ?」


ヴェナは苦笑する。

そうだ。彼女の戦いの目的は、戦うことそのものではなかった。


蒸気が立ち昇る熱帯の密林。その真上、雲と空気がせめぎ合う高度で、二人の戦士はぶつかり合っていた。


ヴェナレートは、巨大な姿から人の姿に戻る瞬間、発生する空間偏差を利用し、零のアクア・クラインの包囲をスクエア・ウォールで弾き飛ばした。


だが、零は即座に対応する。空中で姿勢を整えながら疑似輝石を創り出し、弾き飛ばされた輝石と共振転創させた。青白い光が散り、軌道が修正される。


しかし、その一瞬の隙を狙っていたのはヴェナだった。


ロッゾの魔女の瞳が妖しく輝き、深紅の光が放たれる。瞬く間に無数の花弁が生まれ、渦を巻くように増殖していった。濃密な圧力が生まれ、空気が制御される。


次の瞬間、それは零の周囲を完全に覆った。


鏡のように光を反射する花弁。その表面に映っているのは――零自身の姿だった。


「……鏡か?!」


零は驚愕し、周囲を見渡す。だが、そこに映っている自分は、どれも微妙に異なっていた。違う戦い方をしている自分。違う未来を辿った自分――。


今、気づいたのか? それとも、前からわかっていたのか?


零は唇を噛む。ヴェナは、すでに零の戦法を見抜いていたのだ。


「なるほどな……。確かに、人の観測量には限界がある」

ヴェナは花弁の中に浮かびながら、優雅に微笑んだ。

「おまえは、自分の存在するあらゆる可能性の中で、最も適した戦法をとれるものと常に入れ替わっていたのだな。だが――」


ヴェナの指が軽く動く。


次の瞬間、零が選び取ろうとした「自分」を映した鏡が砕け散った。


選び直した自分の姿も、またヴェナによって破壊される。選択肢が消えていく。零の動きが止まる。


「これは……ラナイの盾と同じものか?」


「ふふ……似ているが、違うな」

ヴェナは楽しげに笑う。


「ラナイの盾は、確かに相手の攻撃を反射し、敵の動きを封じて望まぬ場所へ追放する力を持っている。だが、これは私が創ったもの。ラナイの鏡と名付けた」


「ラナイの鏡……?」


「これは、相手の姿の千の可能性を映し出す。攻撃を反射することはできないが、相手の動きを読むにはもっとも有効な道具だ。そして――」


ヴェナは手を掲げると、花弁の鏡の一部を砕く。


「映った可能性を消すことができる」


鏡の砕ける音が響く。


「ブルの最強・最後の戦士よ……よく戦った。だが、これで終わりだ」


鏡の包囲網が、頭上から順に崩れていく。


ヴェナは、俯いた零を哀れむような眼差しで見た。世界最強の女同士の戦い。終わるのが惜しいほどだった。


だが――。


崩れる鏡の中で、零は小さく、しかし確かに呟いた。


「ラナイの血を……あれほど憎んでいた者が……ラナイの力を使うか……成長したな、ロッゾの魔女」


「……?」


ヴェナは眉をひそめる。その瞬間、零が静かに顔を上げた。


「だがおまえは……自分の位置の固有状態を理解していないな」


鏡の破片に映る零の姿が、一瞬歪む。そして――零の身体は、崩れていく鏡の中に映っていない位置へと移動していた。


「何……?」


「お前の鏡は全ての可能性を映し出してはいないよ」


零が冷静に告げる。


「私の戦法を見抜いた者は、過去にもいた。だから私は、選んだ自分と正反対の自分を同時に双対として認識しておく」


ヴェナの瞳が揺らぐ。再びラナイの鏡を展開しようとするが――


動かない。


「……!?」


身体の縁から、何かが噴き出していた。いや、それはまるで彼女自身の存在そのものが流出しているかのようだった。


「な、何だ? どうして私は動けない!?」


ヴェナは驚愕し、声を荒げる。


零は静かに、しかし確信を持って告げた。


「ホーキング放射……と言うそうだ。この世界では」


ヴェナの瞳が揺れる。


「おまえ達ラナイ一族は、もともと身体に押し込められないほどの存在力を抱えている。だが、自身の肉体の状態を固定しないことで、その存在力による質量の増大を打ち消していた。だから気づかなかったのだ」


「……何?」


「おまえの質量が、限界を超えて増大していることに――」


ヴェナの瞳が見開かれる。


「馬鹿な……! たかが私ほどのサイズのものが、シュバルツシルト半径を超えて量子の対消滅を打ち消すほどの存在になれるわけがない……!」


世界最強の戦士たちの戦い。その決着が、今まさに下されようとしていた――。


「そうだよ。だが、おまえは量子力学的変数でしか存在しない。元ラナイの最強戦士よ。貴女ももう気づいているだろう、存在する(エグジステンス)(フォース)の正体を。暗黒に隠れたそのエネルギーを。それを使えば量子が一つ蒸発する程度の質量を増やすことなど、私には造作もない」


ヴェナレートの深紅の瞳がかすかに揺らぐ。理解しかけていた。零の言葉が示すものを。

自分が量子の状態になったとき、質量が増大し、それによって蒸発を始めていたことを。流れてくる暗黒の質量を。

だが――。


「……いつだ?」


喉を絞り出すような声が虚空に響く。


「この戦いの間に、どうやって私の質量を増大させた?私に気づかれることなく……?」


零は、静かに視線を落とし、空中から真下を指し示した。

ヴェナレートは、その先を追う。


雲の切れ間から見下ろす地表。

そこに、小さな緑色の光が、脈動するように瞬いていた。


「何だ、あれは?」


零が淡々と告げる。


「私の、この世界での弟、修一が知らせてくれるサインだ」


ヴェナの眉がわずかに歪む。


「修一……?」


「修一は私の力で増幅したマーキング能力を使い、位相を跳びながら、ずっと伝えてくれていたんだ」


ヴェナレートの脳裏に、戦いの最中の光景が鮮明によみがえる。

零は戦いの最中、共振転創で何度も移動を繰り返していた。

それが何故なのか、ようやく気づく。


「……このステッラの地球は、常に量子の海の彼方にある地球に存在力を奪われている。その流れ込む固有ベクトルを計算し、修一がその位置を知らせてくれていた」


風が吹き荒れる戦場に、零の声だけが静かに響く。


「おまえは、この星から流れ出す存在力を、暗黒の力を、戦っている間ずっと吸い続けていたんだ」

それは人がダーク・マターと呼ぶもの。人の階層ではエネルギーとして捉えることが出来ない。


ヴェナは、動かなくなった唇を僅かに開く。

声にならない言葉が、どうにか形を成す。


「……小細工を……仕込んだな……」


零は、それを聞いて微かに目を細めた。


「小細工だと?」


静かに左腕を掲げる。

その指先には、白熱する《サイクル・リング》が煌めいていた。


「私の《サイクル・リング》は、私の分身から流れ込んだ莫大な力を制御するだけで精一杯だ。本来なら、この力でおまえを一瞬で両断することもできた」


零は淡々と告げながらも、その瞳には確かな決意が宿っていた。


「だが、ラナイの戦士ヴェナレートよ。私は戦士としておまえに応じた。それが、《ブル》の地球、最後の戦士である私の矜持だったからだ」


ヴェナレートの身体が震える。

それは恐怖ではなく、未練のようなものだった。

自身の存在が霧散していくのを、惜しむように。


「……量子の海に還れ、ロッゾの魔女よ」


零の言葉とともに、ヴェナの姿は完全に消えた。

まるで、最初からそこにいなかったかのように――。

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