140、現在 叛逆
「侑斗!」
彰が声を張り上げる。
「侑斗くん、その人の言うことが正しいって、簡単に思い込んじゃダメだ。ちゃんと自分で考えるんだ!」
洋の叫びが響く。
「侑斗さん、私も……その人の言うこと、信じられません」
琳の震える声が室内に広がる。
分かっている。けど——どうしようもないじゃないか。
世界なんてどうでもいい。けれど、亜希さんを救うことができるなら……。
侑斗は窓から伸びる優香の手に、あと十センチほどで触れようとする。
だがその瞬間、彼の左手が引っ張られた。
弱々しくも確かな力——亜希が、わずかに動いた右手で、侑斗の手をつかんでいたのだ。
「……侑斗、そんなことしないでよ。嫌だよ……。あんたがあの人に取り込まれたら……あんたがいなくなったら……結局、私は世界を本当に滅ぼしてしまう……」
かすれる声が震えている。
ゆっくりと瞳を開き、亜希は侑斗に伝える。
「……侑斗、もういいよ……分かるんだ。このままだと……私は、大好きだったこの世界を、みんなを……消滅させてしまう。だから……私を殺して、みんなを守って……」
「何言ってるんだ、そんなことできるわけないだろう!」
侑斗は伸ばしかけた腕を下ろし、亜希を見つめる。
「……侑斗、あんた……私がみんなと一緒に見上げる、あの星空が好きだったの、知ってた?」
「——え?」銀河の姿を極端に嫌っていた亜希が......。
「晴れ渡る夜空が……大好きだった。もう一度、見たかったな……」
力が抜けるように、亜希は侑斗の左手をそっと放し、再び瞳を閉じた。
『—晴れ渡る夜空?
—星の世界は、所詮私たちには届かない光。
—そんな益体も無いこと、どうでもいい——』
優香の声が響く。
その瞬間、侑斗の中で何かが弾けた。
「——うるさい、黙れ!」
怒りと共に、侑斗は優香の手を振り払う。
「誰があんたなんかの力を借りるものか!
この人は——俺を、ずっと支えてきた人だ。
俺が、今一番助けなきゃいけない人だ!」
『君の事情はどうでもいいよ。彼女が暴走したら、世界は終わりだ』
「助けるさ、俺が。零さんにも頼まれたんだ」
侑斗は決意と共に、亜希から一歩下がる。
「侑斗さん、なんで亜希さんから離れるんですか!? 亜希さんの身体が、もうボロボロなのに!」
琳が涙声で叫ぶ。
「大丈夫だ。これ以上亜希さんに触れてると、後で何言われるか分からないからな」
そうだ。
自分にも、亜希にも、みんなにも——まだ“先”がある。
“先”を創るんだ。
侑斗は全神経を集中させ、亜希から流れ込むエネルギーを、右腕の《サイクル・リング》を通して全身へと行き渡らせる。
思い描け。
あの二つの剣を——確率の海から、引き上げろ。
今この瞬間、自分がそれを持っている可能性を——。
猛烈なエネルギーの奔流が体内を駆け巡り、侑斗の全身の毛細血管が裂ける。
鮮血が迸る。
「侑斗さん!」
琳が泣き叫ぶ。
「止めろ、侑斗!」
彰が怒号をあげる。
「いいんだ。
亜希さんがいなきゃ、とっくに死んでいた俺の命なんて、どうでもいい」
「侑斗くん……君がそう思っていたとしても、僕たちは——
亜希さんが助かって君がいなくなる世界なんか、決して望んでない!」
洋の言葉が、侑斗の胸に染みわたる。
三人の心が、確かに、そこにあった。
やがて侑斗の左手には《クリスタル・ソオド》、右手には《クリアライン・ブレイド》が顕現する。
二つの剣を——振り上げる。
亜希から溢れ出る“声の力”が、剣へと流れ込む。
「《クリスタル・ソオド》よ——
彼女を苦しめる全ての可能性を、消し去れ!」
「《クリアライン・ブレイド》よ——
彼女のささやかな望みを打ち砕くものを、世界から排除しろ!」
二つの剣から溢れる黒い炎が、激しく暴れ、
星々の光を湛えながら、高く——
空へと昇っていく。
優香は、その瞬間に《共振転創》を解かれ、《刻奏音》を断絶されたことに気づいた。
外へ放たれた漆黒の輝きは、地球の大気圏を突き抜け、
やがて無数の流星となって大地へ降り注ぐ。
——そして、わずか数分の間に。
世界は、元通りになった。
ヴェナによって深紅に染められた空も——
コバルト色へと戻っている。
***
「……あんたさあ、何やってんのよ」
病室のベッドの下、自らの流した血にまみれて横たわる侑斗を、
亜希は呆れたように見下ろした。
「そんなにボロボロになって……そこまでしなきゃ、他人から認めてもらえないとでも思ってんの? 馬鹿じゃないの?」
「亜希さんだって、けっこうボロボロだよ」
侑斗は苦笑する。
「綺麗な顔が、もったいない」
「……女性の容姿に興味ない奴が、綺麗とか言うな」
「……俺は馬鹿で、誰からも必要とされてないからさ。
目の前で苦しんでる恩人を救うためには、命を削るしかないんだ」
「……あんたは、本当に馬鹿でどうしようもない」
亜希は、ふっと笑う。
「——そんなことしなくたって、私はあんたを嫌いになったりしないよ」
◇
「何故、世界が戻っていく? 何が起きている?」
復元されていく地球の姿に、ヴェナは戦慄した。
瓦礫と化していた街並みが元の形を取り戻し、崩れ去った大地が再び安定した地盤を築いていく。
蒼穹を染めていた深紅の空は、徐々に本来のコバルトへと変わりつつあった。
「こんなことが……あり得るはずがない……」
ヴェナの表情に動揺が走る。
即座に演算を試みるが、この現象を引き起こしている力の本質が測定できない。
「くっ……!」
理の外にある力を前に、ヴェナは本能的に後退する。
——そのとき。
「戦いに集中しろ、ヴェナ!」
鋭い声が響いた。
「お前の最期は、もうすぐだ!」
冷たく研ぎ澄まされた声とともに、一筋の輝きが宙を奔る。
零の手に握られた《輝石の剣》が、まばゆい光を纏いながら空を切った。
ヴェナはとっさに防御の構えを取る。
だが、零の剣は彼女を貫かず、一瞬だけ軌道を緩め——静かに下ろされる。
「……何?」
ヴェナが疑念を抱いたその瞬間——
「侑斗、聞こえたよ。」
零の穏やかな声が、戦場に響いた。
「彼女の苦しみを切り裂き……
ささやかな願いを、守ってくれたんだね。」
零は微笑む。
その瞳には、深い安堵と、どこか懐かしさが滲んでいた。
「貴方を選んだのは正しかった。
貴方はユウじゃないけど……
彼の優しさを、全て受け継いだ。」
ふと、零は遠くの空を見上げる。
蒼く澄み渡る夕空に、静かに金星が輝いていた。
その瞳に浮かぶ涙が、
柔らかな三日月光を映して揺らめいていた——。