12、現在 夏の夜、記憶が目を覚ます
夏の高原。澄んだ夜空の下に佇むペンション。星々が瞬く中、亜希は一人、星を見上げていた。
天空の異変を理由に、人々は外出を避けている。それでも亜希はここにいる意味を自問し続けた。作家としての生活の合間に訪れたこのペンションは、自分自身の思考の細い糸を手繰るための逃げ場であり、原点を確かめるための場所でもあった。
異変が起こって以来、空を見上げることが少なくなった。アマチュア天文家でさえ、不透明な影を恐れて自宅に引きこもっている。亜希の友人である洋や彰も、もう星を見に行くことはなくなった。
だが、亜希にはどうしても向き合わなければならない事情があった。誰にも知られるわけにはいかない。たとえ、それが零であっても。そして、どんなに心を閉ざそうとしても、その声だけは逃れられなかった。
——初めてその声を聞いたのは、いつだったのか?
幼い頃、母の胎内にいた時か。それとも、もっと以前——前世の記憶かもしれない。
夏の真夜中、その声は亜希を呼び続けた。
目を閉じ、静かに耳を澄ませる。懐かしい音色が、何かを伝えたがっている。問いかけても、返ってくるものはない。ただ、その存在を感じるだけ。しかし、その声は確かに亜希の内側で鳴り響いていた。
——あの夏の日。
亜希は両親に内緒で、夜の草原へ飛び出した。駆けていくと、真南の空に蒼く輝く光があった。それは目が眩むほどの明るさで、まるで銀河そのもののように見えた。
そして——その声が聞こえた。
神秘的で幽玄な響き。同時に、荘厳な音色。
その瞬間、亜希の内なる声と、求めてやまない何かが共鳴した。
「あなたたちは誰? 私は何なの?」
亜希は問いかけた。しかし、いかなる言葉も返ってこなかった。
ただ、胸の鼓動が高鳴る。
声は次第に鋭さを増していく。
冬になると、声は消えた。まるで冬眠しているかのように。そして春が訪れると、再び目覚める。夏には、恐ろしいほどの強さで亜希を捉えていた。
その声は、何かを伝えようとしているのか。それとも、亜希を試しているのか。
手が震えた。
ペンションの窓から見える星空には、数え切れないほどの銀河が広がっている。その中で、ひときわ輝く星があった。
「ーたすけて」
そんなふうに呼びかけられている気がした。
——『どうして、わたしたちを・・』
心の奥で、その問いが反響する。
高原の冷たい風が頬を撫でた。真夏の夜空は、亜希を迎え入れるように静かに広がっている。
背後には、思い出せない過去がある。
目の前には、未知なる未来がある。
それは、心が震えるほど美しく——そして、恐ろしい。
「私の正体を知ることができるのか?」
その疑問を抱えたまま、亜希は声に導かれるように、静寂の中で佇んでいた。