135、現在 分極化
姉であったロッゾの魔女、ヴェナ・ロッゾの手によって、ステッラな地球の人々が次々と惨殺されていく。その様子を、ベルティーナは世界に張り巡らせた**真空の瞳**を通して見つめていた。
都市は炎に包まれ、大地には無数の瓦礫と血の海が広がる。ヴェナの一撃ごとに大地が抉られ、空が裂け、絶望の叫びが響き渡る。その圧倒的な破壊力を、ベルティーナの能力で防ぐことはできなかった。
彼女は自らの傘下に戻ってきた教団関係者のみを避難させ、その場に強力な結界を張る。しかし、“地球を守る教団”の自称信者たちまで把握することは不可能だった。元々の教団の構成員たちは真っ先に殺され、その後も次々と命が散っていく。ヴェナは因果を遡り、余剰次元の彼方に存在するブレーンの地球を否定した者たちを特定し、容赦なく滅ぼしていたのだ。
憎しみを、憎しみで返す。
それこそが、ヴェナに指示を与える複素演算体の意志だった。
──それにしても。
ベルティーナの脳裏に、一人の女性の言葉が蘇る。
「アルファを止めに行く」
そう言い残し、優香は彼女のもとを去っていった。
「もうずっと私の側から離れない、そう言ったのに……」
ベルティーナは唇を噛みしめる。
あの女の力では、姉──ロッゾの魔女に敵うはずがない。
さらに、飛行船での出来事がどうしても頭から離れなかった。
一瞬だけ別の女性に変わった優香。その後、共振転創によって元の姿へと戻った。
その時──確かに、ユウの声を聞いたのだ。
一度その姿を失った優香が元の姿を取り戻したのは、偶然ではない。
──あれは、一体どういうことなのだろうか?
ベルティーナは思考を巡らせる。そして、最後にブルの地球で起こった出来事を思い出した。
ユウは、励起導破戦争の最後の戦いで兄から奪った、大量のパールムを持っていたはず。
それが、どこにもなかった。
ユウとレイはこのステッラの地球へセル・バーニアに乗って来るはずだったが、その中は空だった。
──なぜ、今まで考えつかなかったのか?
もし、ユウが兄バーナティーから奪ったパールムを使えば、彼も、ベルティーナも救えたはず。
しかし、ユウはそれをクライン・ボトルを破って空へと放った。
スクエア・リム──あれには、ユウが手に入れたパールムが含まれていたのではないか?
もし、それがユウの意志とともに、このステッラの地球へ転移創造されたのだとしたら──
ベルティーナは静かに目を閉じた。
──ユウの意志は、ずっと私のそばにあったのだ。
◇
ゆっくりと歩みを進める澪を見て、ヴェナは退屈そうに口を開く。
「かつてのつがいがこのような姿になっても、まだ守ろうというのか?」
「仕方ないだろう」
澪は淡々と答える。
「ユウをそんな姿にしたのは、私なのだから」
そして、一歩前に進むと、ゆっくりと頭を下げた。
「ついでに頼みがある。私に、彼女と話すひと時を与えてもらえないか?」
かつての戦士──レイ・バストーレとは思えぬほどの礼節を込めた頼みに、ヴェナは一瞬、表情を曇らせる。
「……フン、図々しい奴だ」
そう言いながらも、彼女は澪を値踏みするように眺める。
「だが、ブルの戦士レイ・バストーレ、お前は恐ろしく変わったな」
かつての荒々しさは影を潜め、そこには気高さがあった。
──いや、それだけではない。
この女は、人の弱さを受け入れた覚悟を持っている。
「良いだろう。数刻の間、かつてのつがいと語るが良い」
ヴェナが道を譲ると、零はその横を静かに通り過ぎた。
そして、目の前には、這いつくばる優香の姿。
「やあ、レイ。よく来てくれたね」
弱々しく微笑みながら、彼女は顔を上げる。
「待っていたよ」
零はしゃがみ込み、優香の顔を覗き込む。
「ユウ、また会えたね。そんな格好で何をしてるの?」
そして、じっと彼女を見つめた。
「それから──どうして、あなたは女の姿になっているの?葵瑠衣に取り憑かれたからなの?」
零の問いに、優香は苦笑する。
「……相変わらず、君はなんでも知っているね」
彼女は微かに肩をすくめ、ゆっくりと首を振った。
「いいえ、私は彼女に取り憑かれなくても、きっと女になっていたよ」
静かな声だったが、その言葉には確かな意志が宿っていた。
「君やベルティーナを苦しめた、“男の性”は否定すべきものだったから」
その強い言葉に、零は目を伏せる。
「……だから、彼を憎むの?」
彼の瞳に影が落ちる。
「あなたが嫌いな”男性の性”の象徴として? 修一から聞いてるよ。あなたが侑斗を否定して、心を殺そうとしているって」
優香は、じっと零を見つめる。
彼女が、かつてのレイとは違う価値基準を持っていることを、改めて悟った。
「レイ……」
彼女は静かに口を開く。
「確かに私は、ユウ・シルヴァーヌの記憶を持っている」
──零が最初の崩壊を起こしたとき、彼の手によって呼び覚まされた記憶。
それは、優香の非情な合理性と引き換えに蘇ったものだった。
「でも今の私は、この星を救う役目を負った一人の女なんだ。ユウ・シルヴァーヌとしての私、そして彼の弱さを具現化した存在――彼を許すことはできなかった。ところで零、君は女になった私でも好きだと言ってくれるのかな?」
優香の問いに、零は冷ややかに返す。
「いいえ、ユウ。完璧なあなたは、私には不要だよ。初めて会った時、言ったよね? 私は、私にないものが欲しいって」
「そうだったね。だから君は彼にこだわるんだ」
優香は痛む身体を引きずるように立ち上がり、零の悲しげな瞳を見つめた。
「それは、あなたも一緒でしょう? もし彼が不要なら、掛けた呪いを解いて解放すればいい。それなのに、なぜそうしないの?」
優香の問いに、零は一番聞きたくない答えを返した。
「そういうわけにはいかないよ。彼の醜い矮小さは、すべて否定し尽くす。完全に浄化した上で、初めて私の一部として同化する。彼の力だけを、私のものにするために」
膝をついていた零が、静かに立ち上がる。蒼い瞳が冷たい光を宿し、優香を見下ろした。
「本当に変わっちゃったね、ユウ。今のあなたは完璧だ。完璧すぎて、何の感情も湧かない。……気持ち悪いよ。あなたは要らない。少しも欲しくない」
零は踵を返し、静かに歩き出した。二度と優香を振り返ることはなかった。
◇
「私は、誰かの理想になるためにここにいるわけじゃない」
優香は衣服についた砂埃を払うと、小さく息をついた。
「さて――彼と彼女の方を見に行かなくちゃいけないな」
冷たい風が吹きすさび、空を切り裂くような轟音が響く。薄暗い雲の隙間から射す光が、まるで何かの終焉を告げるかのように揺らめいていた。
***◇
『零、後のことは頼むよ』
それが、零の聞いたユウの最後の言葉だった。
一度だけの奇跡。優香の中のユウと、侑斗の中のユウの想いが共鳴し、生まれた奇跡――。
優しくて、生真面目で、誰も否定しない、大好きだったユウはもういない。
零が、自ら殺したのだから。
零は溢れる涙を拭うこともなく、ただ毅然と前を向いた。そして、赤く染まる空の下、ロッゾの魔女の元へと歩き出す。
「待たせたな、ロッゾの魔女。いや――ヴェナレート・クレア・ラナイか」
燃え盛る業火の中、ヴェナレートは頬を緩ませた。
「潔いな、ブルの最後の女戦士よ。己の心を曝け出し、自ら招いた最悪の事態から目を逸らそうともしない。その覚悟、称賛に値する。せめてもの情けとして、おまえをつがいのいる死の国へ送ってやろう」
赤い炎がヴェナレートの周囲を包み、空間が歪み始める。しかし――。
零の周囲に、青白い光が螺旋を描きながら輝き出した。14個のアクア・クラインの輝石が渦を巻き、彼女の全身を蒼炎が包み込む。
冷たい瞳が、敵を見据えた。
「覚悟すべきは、おまえの方だ――ロッゾの魔女!」
零の声が、燃え盛る戦場に響き渡る。
「このクァンタム・ワールド最強の戦士、レイ・バストーレの前に立ちはだかった者の末路を、知るがいい!」
雷鳴のごとく大地が震え、零の全身からほとばしる蒼炎が、世界の色を塗り替えていく――。




