11、現在 二人で世界を止めるには
つい半日前まで人で溢れていた広大な偏光量子管制室は、今やベルティーナ・ローゼンとその親友、西園寺史音の二人だけが残っていた。かつての喧騒が嘘のように消え去り、静寂だけが支配する空間。
「史音、さすがに少しやりすぎだったのではありませんか?」
ベルティーナが問いかけると、史音はキーボードから指を離さず、目を細めてわずかに振り向いた。
「ベル、あのさあ。アタシは奴らの粗視化操作を完全に遮断できる波導遮蔽装置を作ったはずなんだよ。それが一つ隠せば次が発見され、それを隠せば更にその次が見つかる。これがどういうことか分かってるよね?」
史音の声は冷静ながらも、その中には険しい意志が宿っていた。
ベルティーナも理解していた。
こちら側の誰かが波導遮蔽を相殺できる情報を敵に流しているのだ。まるでモグラ叩きのように、隠せば隠すほど、次が見つかる。
だが――
「しかし、あなた一人で敵の幻無碍捜索を妨害できるのですか?」
ベルティーナは心配そうに尋ねたが、史音は手を止めなかった。
「アタシ、最初から言ったよね。ベルとアタシ、二人で全部やろうって。でもまあ、準備には人や物が必要だから、ある程度は仕方なかったよ。でも、さっさと他のやつらを追い出しておくべきだったんだ」
史音の指が中央モニターに映るグリーンの光点を次々と消していく。
その手つきには迷いがなかった。
「ベル、あんたは現世ではアタシと同じ15歳だけど、精神年齢はずっと上だろう?」
史音のいつもの癖だった。
人間嫌いの彼女がベルティーナとの関係を続けるのは、一種の依存なのかもしれない。
「史音、貴女が数を頼る者たちを忌避していることは解っています。でも私は人を統べる者です。仕える者を信頼しなければ、女王はやれません」
ベルティーナの言葉に、史音は半笑いを浮かべた。
「ホント、これだけ価値観が違うアタシらがよく付き合ってるよね」
そう言いながら立ち上がり、エスプレッソをLサイズのカップに注ぐ。
砂糖も入れず、一気に飲み干した。
その表情は、まるで戦闘準備を整えるような鋭さがあった。
「ベル、何度も言うけど、人間は数が揃うと大体間違えるんだ。統計学でもその答えは決定している。人間は有りもしない絶対的な価値観を互いに押し付け合う。互いの価値観を尊重することができない。要するに、おバカさんなんだ。そして、自分と同じ価値観を持つ他人を求めるんだ」
「そんなもの存在しないのに、ですね?」
ベルティーナが静かに応じると、史音は瞼を閉じて悪態をついた。
二人の思考は、現実の厳しさと未来への不安に巻き込まれていく。
「存在しないものを求めれば、誰だって不安定になる。そして何か絶対的なものを求める。そうなれば扇動者にとって好都合な道具が完成する。人の歴史は大体そうやって造られてきた」
だが、それは少し違う。
ベルティーナは思う。
確かに人の歴史は、安心を求める者と、それを利用する者の繰り返しだった。
だが、それでも人間は知恵を持ち、文明を進歩させてきた。
「全ての事々は脈動して動いている。一つの慣性系から移ろいで行く世界を見ることは、最初から不可能です。あなたの言うとおり、世界に絶対なものはないのだから。人々は常に心の半分を未知に対して開けておかなければならない。そうではありませんか?」
史音は薄く笑い、ベルティーナを見つめる。
「本当にベルとは気が合わないね。だからアンタが好きなんだ」
価値観が違っても、一緒にいられる。
それが、この不確かな現実の中の微かな希望だった。
――ユウ。
貴方なら、こんな時に何を思うのでしょう。
『・・・ベルティーナ、お願いだ。どうか僕をステッラの地球に転創して欲しい・・それから君もあそこに行って、自分の地球だけじゃなく全ての地球を統べる女王として世界を守って欲しい。それから・・・あれを放置しておくのは・・・多分危険だ』
ユウは、この事態を予測していたのか?
「でもさ。ベルの仇敵の人、修一の姉さんは、決して愚かな人じゃなかったよ」
史音の言葉に、ベルティーナの心は揺れる。
――ユウを殺した彼女を、絶対に許せない。
「それでも史音、私たち二人で敵の幻無碍捜索を妨害し続けるのは、もう限界です」
ベルティーナの言葉に、史音も頷いた。
「そうだね。数じゃ勝負にならない。アタシもこんな所に閉じこもって、チマチマと機械の相手をするのは飽きた」
「龍斗たちは、余剰次元の発現確率をそのうち計算しちゃうよ。そしたら次は破壊活動に出る」
ベルティーナの最も恐れていたことが、現実になりつつあった。
「それは、なんとしても阻止しなければ」
ベルティーナの強い口調に、史音も真剣な顔になる。
「後手後手に回り過ぎたのは、ベルが人を信じ過ぎたせいだ」
二人は無言になった。
「それでは、私はどうすれば良いのですか?」
改訂版(セリフ変更なし・読みやすく調整)
最初に口を開いたのはベルティーナだった。
「まあ、なんとか被害を最小限にとどめるさ。奴らの攻撃方法は、だいたい検討がついている」
史音の目が鋭くなる。
「アイツらが離脱する前に、ある程度手は打っておいたからね」
当然、スパイも紛れ込ませてある。史音は何でもないことのように言った。
「私に事前に教えてくれませんでしたね?」
ベルティーナが問いかけると、史音は呆れたように彼女を見上げる。
「ベルに話してたら、この計画も潰されてたよ。アタシが人を信じなかったからこそ、ギリギリなんとかなるんだよ」
史音は不敵に笑った。
「とにかく、行動はなるべく少人数でやることさ。阿呆に邪魔されるのは、もうたくさんだ。そうだな……修一と、あともう一人。ちゃんと自分の意志で人間やってる奴が欲しいな。ベルの仇敵と一緒にいた奴らなら、ギリギリ問題ないかな」
葛原零、レイ・バストーレに認められた者たち。それは当然のことだった。
ベルティーナの胸には暗雲が立ちこめていたが、それとは別に、わずかな希望が芽生えた。全く個人的な希望だったが——。
「史音は修一と親しかったですね。ならば、彼を通して連れて行ってほしい人がいます」
自分が創った彼が、どの程度の力を持っているのかを知りたい。それ以上に——二人で会いたい。
史音が少し首を傾げる。
「まあ、そこはベルの要望を受けてもいいけどさ。やり方は全部アタシに任せてもらうよ。一切の口出しはなしだ」
ベルティーナは微笑み、静かに言う。
「もちろん貴女に任せますよ。私は人を信じているんです。知っているでしょう?」
史音は顔をしかめ、ベルティーナをじっと睨んだ。
「まあ、なんとか奴らを棹さすさ。アイツらに世界を滅ぼさせたりしない。だって——世界はアタシが滅ぼすんだからね」
そして、ふと考えるように視線を逸らし、ぼそりと呟く。
「それにしても、アオイは何をやってるのかね」
そう言いながら、史音はカップに残っていた真っ黒な液体を一気に飲み干した。
——世界の未来を賭けた戦いは、まだ始まったばかりだった。