123、現在 無限の箔刀(クリスタル・ソオド)
ロッゾの魔女の声を聞いた瞬間、優香の中で何かが弾けた。
葵瑠衣が荒れ狂う。ロッゾの地球で何百回も殺された記憶が、憎悪となって煮えたぎり、黒い津波のように意識を呑み込もうとする。
あれを倒す!
あれを許さない!
あれの存在を認めない!
優香の理性が急速に暗闇に沈んでいく。そのとき、もう一つの巨大な意思が葵瑠衣の暴走を押し戻した。
――ベルティーナを救わなければ。
その想いが優香を覚醒させる。葵瑠衣の影を押しのけ、己を取り戻した優香が叫んだ。
「駄目だ、ベル! そんなことをしちゃいけない!」
しかし、船内にいたベルティーナの姿はすでに消えていた。声は届かない。
優香は両腕で自分の身体を抱きしめる。全身が震えていた。胸の奥から溢れ出る力が、身体を銀色に輝かせる。
次の瞬間、彼女は東の空へと飛び立った。
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東の日本列島、琉双の丘。
侑斗は零、修一と共に草原に立っていた。昨晩までの荒れた天気が嘘のように晴れ渡り、穏やかな風が丘を撫でる。草の匂いが、微かに湿った土の香りと混じる。
零は優しく微笑んでいた。昨日までの不安が嘘のように消え去っている。その姿を見て、侑斗は思う。
――零さんは、すごい人だ。
秀でた才能に溺れることなく、どんなときでも他人の話を真剣に聞く。こんな人を置いていった男がいるなんて。
ユウ――。
昨晩、零はその名を口にした。どんな男だったのか。
美しい少女ベルティーナを苦しませ、零の心を縛り続け、搾りかすのような存在である自分をこの場に残した。
一体、何がしたかった?
何を背負っていた?
どうして、消えてしまった?
『大きな過ちを犯した。でも、それでもやらなきゃならないことがあった。そして君も必要だった』
突如、侑斗の頭の中に声が響く。
瞬間、彼の意識が書き換えられる。
西の空から、一条の銀光が一直線に彼へと向かってくる。
侑斗は何かに突き動かされるように立ち上がる。
「駄目だ、ベルティーナ! そんなことをしちゃだめだ!」
だが、それは侑斗の声ではなかった。
澪がはっとする。
「この身体を借りるよ」
その言葉と共に、銀の光が侑斗を包み込み、右腕の青のサイクル・リングへと流れ込んだ。
澪と修一の目が見開かれる。
そこにいたのは――
ブルの戦士、ユウ・シルヴァーヌ。
右腕には銀色のサイクル・リング。
両腕に携えた二振りの無限の箔刀、クリスタル・ソオド。
ユウはゆっくりと両腕のクリスタル・ソオドを外し、腰を沈める。
澪の脳裏に焼き付いている姿。
何度も見た戦闘態勢。
――スクエア・リム。
刃から溢れるエネルギーが弧を描き、やがてアーク・プレイザーの輪郭を成す。直角に構えた二つの剣にエネルギーが蓄積され、その淵が琥珀色に強く輝く。
巨大な弧の刃が放たれた。
琥珀の閃光が、遥か西の空へと飛んでいく。
◇
ベルティーナは《カーディナル・アイズ》の力を限界まで高め、差時間の膜でヴェナを封じ込めていた。
その中には、ベルティーナ自身の肉体も存在力として潜んでいる。
「……ベルティーナ、貴様!」
「さあ、共に量子の海に消えましょう、姉上」
ヴェナが絶叫する。
その瞬間。
琥珀の光の弧が飛来し、カーディナル・アイズの結界を打ち砕いた。
轟音と共に、結界が砕け散る。
咄嗟の出来事にベルティーナの意識が途切れ、捕えていたヴェナを手放してしまう。
――スッ。
ヴェナの姿が、瞬時に掻き消えた。
ベルティーナは急いで飛行船へと意識を戻した。
カーディナル・アイズを外側から破る?
できるのは、たった一つの技。
「……ユウの《スクエア・リム》……」
遠くから、ユウの声が響く。
『ごめんよ、ベルティーナ。君は、まだこんなところで消えちゃいけない』
「ユウ! どこにいるの?」
『もう戻らなくちゃいけない。僕はただの残留思念だ』
「待って……逢いたい……残留思念でも構わないから……あなたに逢いたい! 逢いたいよ!」
ベルティーナの叫びが、船内に虚しくこだまする。
視界が滲む。
涙でぼやけた目に映ったのは、床に倒れた一人の女性。
「優香?」
違う。
そこに横たわっているのは、見たことのない女性だった。
◇
琉双の丘。
立ち尽くす零。
激しい感情が溢れる。
涙が頬を伝う。
ユウは《スクエア・リム》の構えを解き、ゆっくりと零を振り返った。
「ユウ……あなた……」
「ごめん、レイ。ロッゾの魔女が来てしまった。後のことは、頼むよ」
一瞬の閃光とともに、侑斗の身体からユウの気配がすうっと抜けていった。まるで魂が離脱するかのように、彼の身体は力を失い、その場に崩れ落ちる。
スクエア・リム――それは普通の人間には到底扱えない技。放った瞬間に全身の体力が限界を迎え、生命そのものを削るほどの負荷がかかる。侑斗の顔は青白く、呼吸は浅く乱れていた。
澪はとっさに彼の身体を抱きとめる。温もりがほとんど感じられないほど、侑斗の体温は下がっていた。
「ユウ……」
微かに震える声が漏れる。
私が、あなたの頼みを断ったことなんて、一度もなかったじゃない……。
胸の奥に押し込めていた想いが、堰を切ったように溢れ出す。
――でも、逢えた。
ほんの一瞬だった。それでも確かに、そこにユウがいた。懐かしい声を聞いた。彼の意志が、自分を呼んでくれた。
「……嬉しかった……」
澪は侑斗の身体をぎゅっと抱きしめた。震える声で叫ぶように、泣きながら。