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121、 現在 世界の淵

女王の破線飛行船は、通常の高度を遥かに超えた天空を航行していた。ベルティーナと優香は、澄み切った蒼穹の彼方に浮かぶ飛行船の甲板に立ち、眼下に広がる地球を見下ろしていた。地表は遠く霞み、薄い青の大気の層が地球を覆っている。その中で、在城龍斗の『地球を守る教団』が創ろうとしている世界の配置図を確認するため、二人はこの異常な高さにまで上がってきたのだった。


優香は、自らの光層磁版図を包み隠すことなくベルティーナに見せた。その瞳には迷いが浮かんでいた。


「人に痛みを強いない配置図を考えたんだけどね、まだ史音の言う理想とは大分差があると思う」


ベルティーナは、虚空を映すような真空の瞳で自身の地球を見つめながら、在城龍斗の高磁力生成パターンと比較する。彼の手法は、人間の思考を偏向させることで、ほぼ完成に至っていた。


人間の認識力は、知覚したものを自らの意識に結びつける力であり、知成力は確率の海から知覚したものを引きずり出し、世界に連結させて他者と共有する力だ。本来、知成力は量子世界のミクロな可能性を掬い上げ、それをマクロの世界に具現化するために使われる。しかし、在城龍斗の光層磁版図——かつてアオイが創ったもの——は、それを逆に利用し、人類に白亜の呪いを与えて思考の集合を偏向させ、認識力を低下させることにより可能性の海へ存在力を沈めていた。そして、沈められた存在の代わりに、炙り出された不存在に対し偏向した人々の思考力で形を与え、世界を構築し安定させる。その結果、形を持たない不存在が外側から形を与えられ、この滅びかけた地球を固定し破滅を防ぐのだ。


だが、その代償はあまりに大きかった。


それは、世界を守るために人間を道具として扱い、思考力を奪うものだった。ただ存在するだけの世界。人々の偏向した思考によって形を維持するだけの空虚な世界。


「龍斗は……いえ、かつての私は、発展は無いけれど互いが争うことも無く、確率に揺れることなく穏やかに存在する世界があっても良いと考えたんだと思う」


優香は、自らの過去を悔いるように呟く。


ベルティーナは、自らの地球と、そして量子の海の彼方に存在する他の地球を思い浮かべた。


「私の世界では、争いは決して悪いものではありませんでした。自分の存在を懸けて他の世界と戦い、存在力の塊——パールムを奪い合うことは、聖戦だと皆が考えていました。……いえ、ユウだけは違った」


その名を聞いた優香の胸に、微かな衝撃が走る。自らのルーツであるその名前を、今までとは違った感情で受け止めていた。


「戦いに聖なんて無い。汚れの無い戦いなんて、本当は無いんだよ。人は学ぶことで自分の価値を高めていかなきゃいけない。闘う相手は、それを拒否する自分自身だ」


ベルティーナは微かに微笑みながら優香を見つめる。


「そうですね。自ら努力を放棄して、本能のまま他者を傷つけることは決して美しくない。優香、まるでユウみたいなことを言いますね。史音も、きっと同じようなことを言うでしょう」


優香は軽く笑った。しかし、人が皆そのように考えることは、永久にないのだろうとも確信してしまう。


ふと、飛行船の先端から操舵主が声を掛けた。


「女王、まもなくフライ・バーニアです」


「分かった。フライ・バーニアにつけて、そのまま錨を打ち込んで待機せよ」


飛行船がゆっくりと降下し、氷の大地に降り立つ。ベルティーナと優香は、吹きすさぶ冷風の中、雪を踏みしめながら進んでいく。ベルティーナは東のクローズへと足を向け、両手に抱えた花束を握りしめた。


氷の下に眠る美しい姉妹——紫苑と恵蘭。透明な氷の層の向こうに、その姿ははっきりと見えた。


ベルティーナは静かに目を閉じると、瞳の力を解放し、氷の上に姉妹の羽根と花びらを撒く。その瞬間、彼女たちの姿は柔らかな光に包まれ、視界から消えた。


「私の欺瞞です。彼女たちが見世物になるのは、耐えられません」


優香は、寂しげに微笑んだ。


「ああ、そうだね、ベル」


二人は氷の大地を後にし、再び飛行船へと戻る。


船が高度を上げるにつれ、クァンタム・セルの窓越しに、地球の真の姿が現れる。赤黒く、不気味な光を帯びたその星。


「優香、ここまで薄くなったこの地球の存在力を、限りなく可能性の少ない美しい世界にできるのでしょうか?」


ベルティーナの問いに、優香は甲板に置いた有機パネルを指し示した。


「確かに、このままじゃあ地球は、じきに誰の目にも真の姿を晒すようになる。デコヒーレンスの壁の下にある存在力が小さすぎる。あなたたちが奪い合ったというパールムは、もともとこの星の正体不明の存在する為の力なんだ。それはエネルギー保存則には抵触しないものの形を創る何かだ。最初に成起創造をして他の地球を創った者たちは、最初からこの地球をただの燃料みたいに考えていたんだろう」


有機パネルには、この地球の高磁力パターンと存在力が重なって表示されている。まるで宇宙の背景放射のマップのように、ほぼ平坦で、微かな点滅だけが、この星の尽きかけた存在力を示していた。


「存在する力(エグジスタンス・ドライブ」の正体が解らない以上、この滅びに傾いた地球は救えない。彼方の地球達もこの星が完全に絞りつくされたときそれを維持できるか、も判らない」

優香は船内の淡い照明に照らされながら、真剣な眼差しでベルティーナに向かって説いた。その言葉は、この星の未来を左右する重大なものだった。


「それが出来るのが彼女なんですね。彼女が創ったという……」


ベルティーナの瞳が僅かに揺れる。優香は静かに頷いた。


「木之実亜希はシニスを食らいつくし、存在する力を創る事が出来る。操作線からのシニスの力を逆流させフィーネを消滅させた。彼女は無意識でその力を使っている。制御も出来ていない。どのように使えば良いかまだ見当もつかない。けれど世界を救う最後の切り札。」


優香の声は低く、張り詰めたものだった。外の世界は黒い宇宙に溶け込むように静かで、クァンタム・セルの窓越しに見える地球は、赤黒く脈動するかのようにゆらめいていた。


「それに龍斗の光層磁版図の姿がまだこれだけ残っているという事はフィーネの光層磁版図も消えたわけじゃない。今は世界が元に戻った余波でフィーネ達のシニスは力を失っているけど、あれだけは完全に駆逐しないといけない。それは美しくなくても、こちらの一方的な都合でも譲れない。何故なら私達とあれは絶対に共存できない」


ベルティーナは視線を落とし、思考を巡らせる。優香の言葉が意味するもの、その重さを噛み締めながら、静かに拳を握りしめた。


暫く考え込んだ後、彼女は何かを決意したように顔を上げ、真っ直ぐ優香の方を見据える。


「優香、私も自分に出来ることをずっと考えていました。私一人では難しいですが……もし上手くいけば……」


そこまで口にした瞬間だった。


突然、飛行船が闇に包まれた。クァンタム・セルの窓の向こう側から、濃密な闇が這うように広がり、船内の光を奪っていく。空間が圧縮されるような感覚が全身を包み、ベルティーナは思わず身構えた。


そして、静寂を引き裂くように、低く響く声が聞こえた。


『ベルティーナ!』



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