119、現在 日常の内側
ファミレスでの四方山話は尽きなかったが、侑斗にはどこか現実味のない、虚ろな時間に感じられた。疲労が蓄積し、会話の輪から少しずつ遠ざかる侑斗を、零が心配そうに見つめる。
「侑斗、もう帰ったほうがいい。貴方の心は酷く荒んでいる。ゆっくり休んで、少しでも落ち着いたほうがいい」
静かに、だがはっきりとした口調で零が言った。
「そうだね。そうでなくても死んでるみたいな顔してるのに、さっきから目の焦点が合ってないよ」
亜希は相変わらず遠慮のない言い方だったが、それが彼女なりの気遣いだということは、もう理解している。
「みんな、悪いな。俺、ここからバスで帰るよ。本当にちょっと疲れた」
侑斗がそう告げると、零は家まで送ると言い張った。しかし、侑斗は丁重に断る。
「零さんが居なくなると、みんな寂しくなるだろ? もう少し一緒にいてあげてよ。俺のことは大丈夫だから」
それでも不安げな零に代わり、洋が申し出る。
「じゃあ、僕が送るよ。さすがに、この時間に一人で帰すのは気が引けるしね」
松原洋なら問題はないだろう。侑斗は素直にその申し出を受けることにした。
洋の車は大きめのRVだった。エンジン音がややうるさく、乗り心地も今ひとつだが、送ってもらえるだけありがたい。
「侑斗くん、車買わないの? 確か免許は持ってたよね?」
信号待ちの間、洋が何気なく尋ねた。
「必要になったら、中古の安いのを買おうかな、とは思ってるけど……」
確かに普通自動車第一種免許は持っている。しかし、車を所有するとなると、税金やガソリン代、車検など、侑斗の懐事情には厳しい出費が待っている。今のところ、車を持つ余裕はなかった。
十五分ほどで、築三十年以上のボロアパートに到着する。
「侑斗くん、僕にはまだよく分からないけど、君は、自分の意志とは関係なく、世界を守る役割の一端を担っているんだろう? だから今は、しっかり休んだほうがいい。何か困ったことがあったら、遠慮なく相談してよ。まあ、零さんや亜希さんがいるから、僕の出番はあまりないかもしれないけどね」
洋の言葉に、侑斗は小さく笑った。
「そんなことないですよ。松原さんや彰さんは、俺の日常を内側から守ってくれてる。だからこそ、こうして普通の生活に戻って来られるんです」
「……なら、よかった。君の周りは、君の日常をひっくり返そうとする出来事ばかりだ。でも、僕たちがいることを忘れないで」
洋が車を発進させるのを見送った後、侑斗はアパートのドアを開ける。
部屋に入ると、かび臭さが鼻についた。六畳一間の狭い部屋。窓が一つしかなく、空気が滞りがちだった。それでも、窓を開けて換気をする。
疲労は深かったが、侑斗は通帳の残高を確認することにした。まず、大家に二ヶ月分の滞納した家賃を払わなければならない。それから、免許を取るために両親から借りた金も返す必要がある。これまで返済の目処が立たなかったが、今回まとまった金が入ったため、早めに済ませるつもりだった。
自分の命の軽さを自覚している侑斗にとって、大金を持つ意味はない。
以前、彰に望遠鏡を買い替えろと言われたことを思い出し、スマートフォンでオークションサイトを開く。確かに、以前よりも安くなっている。しかし、しばらく眺めた後、結局購入は見送ることにした。彰と違い、写真を撮る趣味があるわけでもない。今の機材で十分だ。どうせ何が起こるか分からないのだから、無駄な買い物は避けたほうがいい。
そんなことを考えているうちに、急激な睡魔が襲ってきた。身体が重く、微熱のような感覚がある。
以前、高熱を出して寝込んだ時のことを思い出す。
あのときは、零と亜希がこの狭い部屋に押しかけて看病してくれた。……いや、あれは本当に看病だったのだろうか? 二人が作った病人食は、見た目も味もひどいもので、とても食指が動くものではなかった。結局、後から来た修一が呆れて、二人の料理をゴミ箱に捨て、まともな食事を作ってくれた。修一は万能だ。
そんなことを思いながら、侑斗は意識を手放した。