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116、現在 選択の行方

「優香、いつも颯爽としているお前が、みっともない姿を晒しているな」


史音の冷たい声が、静寂に包まれた空間に響く。

地球の大樹に絡め取られ、身動きの取れない優香は、その言葉にわずかに顔を歪めた。枝の蔦はまるで蛇のようにしなり、彼女の体を締め付けている。息苦しさとともに、彼女の中にかつてない屈辱が込み上げた。


「史音……龍斗の光層磁版図を創ったのが私だっていうのは、本当なの?」


苦しげに息を整えながら、優香は問いかける。

混乱した思考の中で、それだけが今、確かめたいことだった。


「本当だよ。あれは、お前が創ったものの一つだ」


史音は静かに、しかし確信をもって告げた。

その言葉に、優香の意識がざわめく。自分が? 自分が創った?

だが、考える間もなく、龍斗の穏やかな声がその疑念を断ち切った。


「お嬢ちゃん、君はどうして地球の大樹の世界に入ってこられたんだい?」


龍斗は薄く微笑みながら、史音をじっと見つめる。

その視線には好奇心と、わずかな警戒が滲んでいた。


「優香に教わったんだよ。地球の枝を呼び出す方法も、話す方法も。優香がお前やベルの前から姿を消した後も、私は何度も逢っていたからな」


史音が言葉を紡ぐたび、龍斗と優香の間に張り詰めた沈黙が落ちた。

その沈黙の奥には、それぞれの思惑が渦巻いている。


「最初の崩壊からアオイが優香になって戻ってきた時、私も気づいたよ。優香の胸の大きな空洞を。お前は今でも、それを埋めたがっていたんだな」


史音は龍斗の右手を指さした。

彼が握るマキシマーの籠——そこには、優香が失ったものが収められている。


「優香、お前はあんなものが本当に欲しいのか? 侑斗を殺してでも、あれが欲しいのか?」


静寂を破るように、史音が鋭く問いただす。

優香は眉を寄せ、唇を噛みしめた。

だが、その瞳には迷いがなかった。


「……欲しいよ、史音。あれは私のものだ。私の隙間を埋めるものだ」


そう答えた優香の声には、苦しさと焦燥が滲んでいた。

それを聞いた史音は、ゆっくりと目を細める。


「お前の隙間は、とっくに埋められてると思っていた。だが、この四年もの間、お前はずっとあれを探し回っていたんだな」


史音の視線は、どこか遠くを見ているようだった。


「……誰に聞いた? 龍斗があれを持っていると」


優香は沈み込んでいた記憶を、無理やり引きずり出す。


「……フィーネに……追い詰めたフィーネの一体に聞いた。私の失われた心を、龍斗が持っていると」


「なるほど、お前は地球の枝から記憶をもらえなかったんだな。まあ、お前を創った者が地球に要請したんだろう。お前の質問には答えるな、と」


史音の言葉に、優香は息を呑んだ。

それを知る術が、そもそも与えられていなかったのだ。

最も近いものから、最短の答えを聞くことが——許されなかった。


「だが、そいつは私や龍斗にまで事実を伏せろとは言わなかった」


史音はゆっくりと龍斗に視線を向ける。


「だから龍斗、お前は優香のルーツを地球の枝から聞いて、アオイが失ったものを知った。そして私も、アオイのルーツを知った」


その瞬間、龍斗は密かに動いた。

彼の背後から、一本の枝が槍のように伸び、史音を貫こうとする。


——だが、


「勝手に動くな、龍斗。面倒くさいから、お前たち二人とも、この剣で世界から退場させたくなるじゃないか」


史音が静かに言い放つと同時に、クリアライン・ブレイドが閃く。

龍斗の背後から伸びていた槍の枝は、一瞬で消滅した。


「優香、お前がアオイだった頃、私はお前が嫌いだった」


史音は静かに言葉を続ける。


「ベルの純粋な信頼さえ利用するお前が、嫌いだった。だけどな、お前は自分のルーツを知って、ベルや修一の姉さんの哀しみを知って、侑斗に呪いをかけた。それは許されることじゃないが……少なくとも、お前は女として他人の痛みを分かるようになった。お前は——優しくなったんだよ」


その言葉に、優香は目を見開く。

——優しく、なった?


史音はふっと微笑んだ。


「私は、お前を少し好きになった。そして、お前から色々なものを教えてもらう気になったんだ」


だが、その言葉を、龍斗が否定する。


「お嬢ちゃん、それは違う」


彼の声は、どこまでも冷静で、どこまでも確信に満ちていた。


「彼女の合理的な非情さは、世界にとって必要だ。人の愚かしさを捨て去ることなど、誰にもできない。人間の中には、他人の苦しみを喜びとする残虐な本能がある。それを計算に入れない者に、世界など創れない」


史音は目を細め、ゆっくりと応える。


「……人の持つ残虐さは、パラメータとしては必要かもしれない。それでも私は、そんなものを否定する世界を創りたいんだ」


龍斗の唇が、冷たい笑みを形作った。


「それは綺麗事だよ、お嬢ちゃん。人の思考様式は、もっと無慈悲で冷淡に集約されるものだ。シンプルにね」


「綺麗なことの何が悪い?」


史音は剣を握りしめる。


「私もシンプルなものが好きだが、美しさを伴わないシンプルさなど、世界に表現する価値はないさ」


龍斗は史音を見つめ、何も感じなかった。

人の本質を受け入れない者に、世界を創れるはずがない——そう確信しながら。


静寂が支配する空間に、龍斗の冷静な声が響いた。


「そこまで言うのなら、僕の方から問おう」


彼の視線は鋭く、目の前の相手を見据えている。その表情には、わずかな揺らぎもなかった。


「38,727千人。この数字が何か分かるかい?」


その数字が持つ意味を悟った者たちは、わずかに息を呑んだ。


「これは、この短期間に、僕が一度も会ったことも、認めたこともない教団の自称信者が——逆賊として惨殺した人々の数だ」


龍斗は淡々と語る。その言葉は、空間に重くのしかかるようだった。


「状態の波の崩壊で消えていく人の数を、はるかに凌ぐ数字だ。君も、今回の世界中を巻き込んだ争いで気づいたはずだ」


彼の目が、相手の奥底を抉るように射抜いた。


「愚かな者たちは、理由さえ与えられれば、どんな非道なことでも平気で実行できる」


冷たく突きつけられた言葉に、空気が張り詰める。


「残虐さは、人の本能だ。君が認めなかろうが、見ないふりをしようが、それが消えるわけではない」


龍斗の声は静かだったが、確固たる真理を語っていた。


その通りだ。

月は、たとえ誰も見ていなくても、そこに存在するのと同じように。


——だが、その言葉に反応した者がいた。


「事を起こした張本人が、どの口でそんなことを言う?」


声の主は鋭く睨みつけるように言い放つ。


「そうやって、人々の思考パターンを偏向させることがお前の光層磁版図だろう?」


その言葉は鋭い刃となり、龍斗へと突き刺さる。


「だが、そうだな……」


一瞬、言葉が途切れた。


「人類にかけられた原罪……いや、呪いは、そう簡単には外せないだろう」


静寂の中、互いの視線が交錯する。

まるで、世界そのものの理を巡り、真実と欺瞞がぶつかり合うかのように。


空気はひどく冷たく、凍りつくような静寂が辺りを包んでいた。地面から立ち上る霧が、薄ぼんやりとした光に包まれ、周囲の景色をぼやけさせている。その中で、史音は冷徹な眼差しで優香と龍斗を見据えていた。手にしたクリアライン・ブレイドの刃は、光を受けて反射し、鋭く輝いていた。


「おまえ達だけで世界を変えられるという思い込みが、そもそも奢りなんだよ、優香、龍斗」


史音の声は冷たく、重く響いた。彼女の目には、もはや優香や龍斗をかばう余地などない。


「お前達には小さくて醜く見えたアイツは、誰よりも不器用で馬鹿だけど、どこまでも優しくて、お人好しで、糞真面目な奴だ。だからきっと今のお前でもアイツは助けるだろう」


その言葉に、優香の表情はわずかに揺らぐ。しかし、史音は一切の同情を見せず、さらに続けた。


「だがな、アタシはアイツほど優しくないぞ」


彼女は透明の剣を大きく振りかざし、切っ先を二人に向けた。その鋭さが、どこか冷徹で無情に思えた。


「それほど今の自分が嫌いなら、侑斗を殺して、そのマキシマーの籠でアオイに戻れ。そうしたらアタシの敵がこいつから、アオイ、お前に変わるだけだ」


その言葉が、優香の胸に突き刺さった。


優香はしばらく、静かに瞳を閉じた。周りの空気が冷たく、息をするのも苦しい。深く息を吸い込み、心の中で整理をつけるようにしてから、ようやく彼女は口を開いた。


「敵わないな、史音ちゃん」


その声には、少しの悲しみと覚悟が込められていた。


「私が彼を殺せるわけがないだろう、彼は大切な私の一部、私の分身だ」


史音はそれを聞き、微かに眉をひそめると、無言で剣を下ろした。その鋭い刃が、静かな音を立てて地面に向けられる。

「そうか、ならアタシはもうお前を二度とアオイとは呼ばないよ。椿優香」そして右手で優香の胸の空洞に掌を当てる。


「優香、アオイの記憶の代わりに、アタシが今回の旅でもらった、侑斗と修一との思い出の記憶の映しをお前にやるよ」


優香はその手のひらを感じ取る。史音の手から、微細な電磁波が流れ込み、数値化された記憶が優香の空っぽの心に注がれていく。


「こんなものでお前の胸の空洞は埋められないが、きっとお前を救ってくれる」


優香は少し哀しげに目を閉じ、空いた心の隙間を埋めるべく記憶を吸収していった。その間、龍斗の振線が断ち切れる音が遠くで響いた。


しかし、その静けさを破るように、龍斗の声が響く。


「邪魔だよ」


彼の声は冷徹で、明確な敵意を込めていた。


「本当に君は邪魔だ。君ではアオイも地球も救えない」


その瞬間、龍斗は再び地球の枝を振り上げ、史音の背後から鋭く突き立てようとした。しかし、優香はその手のひらで軽々とそれを打ち消した。彼女の手は、まるで力強い決意を持つように、地球の枝を拒絶した。


「私の大事な史音ちゃんに何をするのかな?」


優香は静かに、しかし力強く言い放った。彼女の声には、迷いがなかった。


「私はもう後戻りはしない。失ったものより、これから得るもので自分の出来ることをするよ」


その言葉が、龍斗にも、史音にも強く響いた。


龍斗もまた、静かな決意を固めたようだ。彼は、今度こそ決着をつけるべく動き出した。


「ならば、せめてもう一人の彼女を——」


彼の目は真剣で、言葉に力がこもる。その決断に迷いはなかった。


「彼を始末して、二度とあの男が干渉できないようにする」


そう言って、龍斗は神殿の入り口に進む。侑斗の胸に、地球の枝の刃を向けた。その刃は、史音と優香が何もできないような場所に向けられ、二人にはもはや手を出す隙を与えなかった。


「ああ、やっちまったな、在城龍斗。おまえは自分の心臓に刃を突き立てたんだ」


史音の低い声が、どこか憐れみを含んで聞こえてきた。


「気づいてなかったのか?」


龍斗は、冷徹な眼差しを史音に向けるが、彼女はすでにその事実を理解していた。


「お前は、葛原零(くずはられい)に初めて会った時、既にマーキングされている。私はフライ・バーニアで気づいたぞ。それは、侑斗に確かな殺意を持ったときに発動する」


その言葉は、まるで刃のように鋭く、彼の心に突き刺さった。



零は突然、空を見上げた。静かな部屋に、その動きだけが異質なもののように感じられる。琳が不思議そうに尋ねる。


「零さん、急に上を向いてどうしたんですか?」


零はゆっくりと視線を戻し、微笑みながら答える。


「輝石が侑斗の元から戻って来る。最後の仕掛けが発動した、あの男の最後だ」


その言葉に、空気が少し重くなり、琳は思わず黙り込んだ。零は紅茶をゆっくりと口にし、静けさを取り戻す。



外からの冷たい風が侑斗の頬を撫でる。空気が変わり、少し湿り気を帯びたその感触に、侑斗は陽光の暖かさを感じ、わずかに目を細めた。その瞬間、使えなくなったクリスタル・ソオドの底に眠っていたアクア・クラインの輝石が、静かに光を放ち始める。


輝石は次第にその輝きを増し、クリスタル・ソオドの外壁を突き破り、侑斗の背後に迫った枝の刃を砕いた。破壊された刃の破片が空中に散らばり、輝石はそのままプルームの岩戸へと向かって飛び立つ。


高速で飛んできた輝石は、龍斗の心臓を一瞬で貫き、彼方へと飛んで行った。


「はっ!」


輝石の衝撃を身体に受けた龍斗は、瞬時に自分の実体を別の可能性へと移す。その速度に、周囲の空気がわずかに歪んだ。


「反応が早いな、在城龍斗。でもそれで葛原零の攻撃を避けたつもりか?あの輝石は、元々は万の可能性を切り裂く侑斗の剣の核だったものだぞ。お前が生き残る可能性を全て打ち貫くのに、それほど時間はかからないだろう」


龍斗は自分の最期を、冷徹に悟った。


「あっけなかったな、僕の最後。これから僕は地球と一緒に君たちを見ている。世界がどれほど無情で、乾いているか、どれほど汚れているか、しっかりと受け止めたまえ」


その言葉を最後に、龍斗の姿は薄れ、消えかけた。


優香はその静かな終焉を見届けながら、少し微笑んだ。


「世界が汚れているのはおまえに言われなくても知っているさ。だからアタシたちの敵はいつだってこの世界だ。コイツを叩きのめして、美しく整えてやる事こそ人の本懐だろう」


「史音ちゃんはカッコ良いね、私なんかよりずっと。本当、貴女は何者なのかな?」


優香は史音に目を向ける。


「アタシは何者なのかな?今度はアタシが自分探しの旅に出ようかな。侑斗を日本に返しちまったから、ベルに合わせる顔が無いしな」


史音が軽く笑ったその瞬間、地球は選ばれし者、枝の御子を完成させたことを悟る。もう、地球に選ばれる者は他にいないのだ。


二人は互いに見つめ合い、プルームの岩戸を破壊した後、静かに外への石段を上り始める。


やるべきことはまだ終わっていない。むしろ、今、始まったばかりだった。


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