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113、現在 再会

 ずぶ濡れの侑斗の目の前に、ぼやけながらも四年前と変わらぬ颯爽とした彼女の姿があった。濡れた視界の向こうで、黒髪が揺れる。相変わらず格好良いな——こんな状況で、俺は何を考えているんだろう。


 椿優香が、力なくへたり込んだ侑斗に近づく。水滴が滴る彼の頬に、彼女の手がそっと添えられた。指先の温かさが、凍えた肌に染み込む。


「やあ、久しぶりだね、君」


 微笑む彼女の顔が、すぐ目の前にある。


「私の言いつけを守って、他のどんな女とも一緒になっていないね?よしよし」


 優しく撫でるような手つき。しかし、その言葉に覚えはない。そんな約束を、俺は——されていたのか?

 侑斗の衰えた意識では、奥底に沈んだ灰色の記憶を掬い上げることができなかった。


 ふいに、優香の背後から何かが這い出てくる。闇の中から突き出された顔——フィーネだ。死者が動き出したかのような不気味さに、侑斗は息を呑んだ。


「うう、ク……」


「野暮ったいなあ、久しぶりの再会に水を差すんじゃないよ」


 優香は侑斗から目を逸らすことなく、後ろに回した右手でフィーネの顔を無造作に潰した。力なく崩れ落ちるフィーネの身体が、床の上で手足をバタつかせる。


「ままごとで遊んでる場合か!この貧乳女!さっさとこの状況をどうにかしろ!」


 怒声が飛んだ。史音だ。彼女の瞳は苛立ちに燃え、ずぶ濡れの侑斗に構う優香を睨みつける。


「まあ史音ちゃん、酷いセクハラだね」


 優香はしれっとした顔で応じる。


「私はまだ自分の姿を完全に定めていないよ?決めつけるのはやめてくれないかな?」


「うるせえ!十も歳が違うのに、てめえの胸はアタシの半分以下だ!お前の貧乳はもう永久認定だ!」


 史音の口調は荒々しいが、その目は鋭い。


「それにな……てめえ、最初からここにいたな?フィーネを誘き出すために、私を囮にしやがった」


 ククッ、と優香は小さく笑い、頷いた。


「あんたは琉菜たちが殺されるのも黙って見てたな」


 今度は修一が乾いた声で問いかける。


「当たり前だよ、修一くん」


 優香は何のためらいもなく答えた。


「私の大事な史音ちゃんを殺そうとした奴に、何で私が情けを掛けなきゃいけないのかな?」


 修一は瞼を閉じ、首を振る。——そうだ、椿優香とは、こういう女だった。


 優香が侑斗を見据える。


「さあ、君。四年前、君はまだ自分の意志でサイクル・リングから存在力を取り出すことができなかった」


 侑斗は黙って聞いていた。優香の表情がわずかに曇る。


「でも、まだ全然ダメ。君は私にとって未だにマイナスでしかない」


 ——マイナス?


「君はいらない、不要だ」


 その言葉が胸を刺す。


「でも、まあ……彼女たちのために少し力を貸すよ。これから、ベルティーナの赤のサイクル・リングを君の青のサイクル・リングに繋いで力を与える。君の体力と知成力を回復させよう。ただし、レイが造ったクリスタル・ソオドはベルの力で使えなくなる」


 優香がそっと侑斗の右腕のサイクル・リングに触れる。途端に、箔花月の森で出会った少女の深紅の力が流れ込んできた。灼熱のような力が、全身を駆け巡る。力が戻っていく。意識がはっきりする。


 優香は侑斗の腕から手を放し、床に落ちていたクリアライン・ブレイドを拾い上げた。


「へえ、こんなすごいものを再生できたんだ。流石は私の一部」


 そう言って、剣の柄を掴み、自分の正面に翳す。


「史音も修一くんも、頭はいいのに少し感情にとらわれすぎだね」


 優香の声が、静かに響く。


「ベルの力とこの剣の力を合わせれば、一瞬で全てが終わってたのになあ」


 彼女が握るクリアライン・ブレイドの刀身が、双対の輝きを放つ。べルティーナの差時間の膜が剣を幾重にも覆っていく。


 ——ふう。


 優香が軽く息を吸い込む。そして——


 世界との結合を割く剣の力が、示された場所全てを一瞬で貫いた。


 部屋中にいた全てのフィーネが、まるで最初から存在しなかったかのように消え去る。


 優香は侑斗の方へクリアライン・ブレイドを放ってよこした。


「まあ、出来損ないの君にしてはよくやった。次に使う時まで大事に取っておくんだね」


 優香は史音に向き直る。


「史音、私はこれから下のプルームの岩戸に入って龍斗と決着をつける。極子連鎖機構は貴女に頼むよ」


 静かに続ける。


「それから、彼はもっと役に立ってもらわないといけないから、ベルのところへ連れて行く。私が戻るまで、ちゃんと待ってるんだよ」


 彼女が踵を返し、虚無の神殿の階下へと向かう。その背中に、侑斗は思わず声を上げた。


「待ってくれ、俺は貴女の何なんだ?俺は、何で貴女のマイナスなんだ?」


 本当は、再会したら吐き出したかった罵詈雑言が山ほどあった。けれど、今——彼女の傍で震えている自分に、その言葉をぶつける勇気さえ萎えていく。


 どうして否定しかしないのに、それでも俺を都合よく使おうとする?


 史音が立ち上がった侑斗の手を、ぎゅっと握る。


「侑斗、あの貧乳に構うな。あれはお前に対して卑怯なだけだ。お前に全ての罪を負わせたくせに……最低な女だ」


 優香は無言のまま、内に問いかける。


——どうして?

——葵瑠衣は、どうしてあんなものを欲しがる?

——女として、どうして嫌悪せずにいられる?


 その不快感を噛み潰しながら、彼女はプルームの岩戸へと歩を進めた。

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