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110、現在 開錠

地下神殿の天井が砕け、轟音とともに白い閃光が神殿内を染め上げる。一瞬、すべてが無音となり、続いて視界に飛び込んできたのは、裂け目から覗く空の青。

虚無に沈んでいた神殿の暗闇が、何事もなかったかのように降り注ぐ陽光によって浸食されていく。


セージは静かに神殿の床へと降り立った。長い髪の一房が宙を舞い、ゆっくりと地に落ちる。それは、間一髪のところで修一の攻撃を防いだ証だった。


「……本当に、不公平だ」

セージは歪んだ蒼い瞳で、光に照らされた神殿の床を見つめる。


宙に浮かんでいた修一が、ゆっくりと視線を移す。手にしたクリアライン・ブレイドがかすかに煌めき、史音が空けた壁の穴を指し示す。

細い光が、壁の向こう側に刻まれたマーキングを照らした。そこには、彼ら三人が進むべき道が示されている。


「偶然というのは、いつだって不公平なものさ」

史音が低く呻くように呟く。


修一は足を地につけた。右手でマーキングの向きを変えながら、左手に持ち替えた剣の刃先をセージに向ける。


「無意味なことはやめてください、修一くん」

セージは静かに言った。その声音には、迷いのない冷たさが滲んでいる。

「私はアオイと約束した。君たちが自力で最終障壁を破ったら、もう教団から手を引くと」


「……またアオイか!」

突然、史音の怒声が響いた。

「お前は在城龍斗の光層磁版図からアオイのそれに乗り換えるつもりか? お前自身の意思はないのか!」


修一は剣を下げ、目を細める。


「相変わらず潔いな、セージ」


苦笑まじりの声に、セージもわずかに唇を歪めた。


「私はね、無駄だと分かっていることに、気力や体力を費やすのが何よりも嫌なんです」

ゆっくりとした口調で語るその声は、妙に説得力があった。

「修一くん、分かっていますか? 君のマーキング能力とクリアライン・ブレイドを組み合わせれば、世界のどこにあるものでも、君の意思一つで消してしまえる。……まあ、その場に君の姉や女王のように強大な知成力を持った者がいれば、少し難しいかもしれませんが」


修一は剣を構え直し、柄を握り込む。その瞬間、透明だった刀身が消えた。

セージは今度は史音に向き直る。


「史音、あなたは私に**“自分の意思はないのか”**と尋ねましたね」

淡々とした声音。

「だが、それを言うなら、あなたはどうなのですか? ずっとアオイの設計図に従ってきたあなたが」


史音の眉がぴくりと動いた。


「私は在城龍斗の光層磁版図もアオイの設計図もずっと見てきた。だが、どちらの方が私の好みかと問われれば、答えは”どちらでもない”」

セージは言葉を区切る。

「アオイの設計図は、美しい。誰にも犠牲を強いない。しかし……不確定要素が多すぎる。もう滅びかかっているこの地球を救うには、在城龍斗の光層磁版図の方が効率的だった」


「効率……だと?」

史音の瞳に怒りが燃える。

成起創造(せいきそうぞう)された彼方の地球をいくつも破壊し、何も知らない人々を殺戮するのが効率的だから許されると? この地球の人間の他我の種を操り弄んだことが”効率が良かったから”許されると? ……貴様、それを本気で言っているのか?」


セージはまっすぐに史音を見つめた。

そして、静かに言葉を紡ぐ。


「では、史音。あなたに聞きます」

その目には一切の揺るぎがない。

「他の地球に存在力を奪われ続け、わずかな揺らぎでその存在を消されてしまうこの地球の人々に対して、何の情も抱かず、他の地球の者たちが略奪戦争を続けていたのは”公平”なことなのですか?

互いが存亡をかけて争うのならば、この地球の人々が太陽の鞘を破壊するという手段をとるのは、何もおかしくはない」


史音は言葉に詰まった。

だが、その沈黙を破ったのは、かすかな声だった。


「……あんたが言ってることは、前提がおかしい……」

侑斗だった。

「どんな世界も、人も、最初から他者を傷つけると分かっていて、躊躇せずに我を通すことなんて……そんな行為は、最初から間違ってる

世界がどれほど厳しくても、人は……人に優しくなければいけない。それが……美しく生きるってことなんだろう……史音が言いたかったのは……」


そう呟いた侑斗は、膝をつき、床に崩れ落ちた。


「侑斗!」「橘!」

史音と修一が同時に駆け寄る。


侑斗の身体から、知成力と体力が急速に抜けていく。かろうじて残っているのは気力だけだ。


「右腕の青のサイクル・リングから強制的に存在力を引き出し、クリアライン・ブレイドを創った。反動が来るのは当然です。そして、彼のクリスタル・ソオドは……」


セージの視線が侑斗の剣を指す。

かつて強い輝きを放っていた刃は、完全に輝きを失い、陽光に照らされてなお、ただの透明な影となっていた。

その奥底、かすかに蒼い輝石が残っている。


「何事も、代償なしでは達成できないと言いたいんだろう?」

修一が静かに言う。

「だがな、セージ……人が人を助けたいと思ってすることに、代償なんてないんだよ、

そう思った瞬間、もう目的は達成されてるからな」


修一の言葉を聞き、セージはふっと微笑んだ。


「偶然は不公平……ですか。どうも、私にはそう思えなくなってきましたよ」

そう言いながら、彼は侑斗を見下ろした。


「史音、君たちは修一くんのマーキングが示す方向へ進みなさい。そこに完成された極子連鎖機構がある」

「橘侑斗くんは、私が責任を持って預かりましょう……どうやら、私も”誰かを助けたい”と思うようになりました」


 セージの言葉に、史音は冷たい視線を投げかけた。 だが、それ以上の言葉は発さず、苦しげに息をする侑斗のもとへ歩み寄る。そして、自らの懐から小さな瓶を取り出し、侑斗の口元へそっと押し当てた。


「侑斗……まだ終わってないからな。アタシたちは、まだ誰も助けちゃいない。だから、これを飲め。アタシが作った気付け薬だ」


 史音の声は、荒く、それでいて静かな決意を帯びていた。

 侑斗は、喉を詰まらせるように咳き込みながらも、何とか半分を飲み込む。残りはこぼれ、胸元を濡らした。

 その身体を、修一が力強く抱え上げる。侑斗の身体は以前よりも軽く感じられ、彼の消耗の激しさが容易に分かった。


 そんな二人を見つめながら、セージが問いかける。


「他人に痛みを強いるのは、美しくないのでは?」


 静かに放たれた言葉は、神殿の冷えた空気に溶けていった。


 史音は、鼻で笑いながら答える。


「知ってるだろう? アタシは誰も信用しない」


 彼女は、鋭くセージを睨みつける。その瞳の奥には、決して揺らぐことのない覚悟が宿っていた。


「こいつの面倒は、最期までアタシが見る。この馬鹿は、本来なら全ての人間を憎むくらいのことをされたんだ。ほかならぬアオイ、椿優香によってな」


 史音の言葉に、セージの表情がわずかに動いた。


「それでも、この馬鹿は、まだ恥ずかしいくらいのお人好しを続けてるんだよ。あの女の言う『美しさ』と、アタシの求める『美しさ』は違う。お前に侑斗を預けるってことは、そのまま優香に渡すってことだろ? 冗談じゃない」


 史音の声には怒気が滲んでいた。

 神殿の暗がりの中、光の筋が壁の割れ目から漏れ、史音の横顔を照らす。その顔には、強い意志と、どこか遠い昔を見つめるような寂しさが混ざっていた。


 セージは、ふっと目を伏せ、そっと両手を胸の前で合わせる。


「……さすが史音、すべて分かっていますね」


 彼の声は、どこか寂しげだった。


「それでは、アオイには私が適当に繕っておきましょう。あなたたちの行動が、想いが、この黄昏の世界を救ってくれることを心から願っています」


 史音は何も言わずに背を向ける。

 彼女の足が、静かに瓦礫の上を踏みしめる。壁の向こうへ、迷いなく進んでいく。


 修一もまた、侑斗をしっかりと抱え、史音の後に続いた。


 地下神殿の天井から差し込む光が、二人の影を長く伸ばしていく。

 その光の向こうに、彼らが目指す未来があるかのように——。

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