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9、現在 その正義に、誰が責任を持つのか

駅前の喫茶店「BLACK BACK」は、雑然とした都市の喧騒から一歩離れた静かな場所だった。半透明の窓から差し込む午後の光が、店内の柔らかな空気を照らしている。落ち着いた木目のテーブルに、コーヒーの香ばしい香りが漂っていた。


その一角に座る三人——木之実亜希(このみあき)修一(しゅういち)、そして侑斗(ゆうと)。修一に呼ばれて来たはずなのに、なぜか侑斗まで一緒だった。その存在が、会話の雰囲気をわずかに沈ませている気がした。


在城龍斗(ありしろりゅうと)が来たって!」


修一が声を張り上げた。普段冷静な彼が、珍しく興奮している。その様子に、亜希は意外さを覚えた。


「しかも向こうから姉貴に会いに来たって、どこまで規格外の発想だよ。」


彼の顔には、恐れとも怒りとも取れる複雑な感情が滲んでいた。その理由は、亜希にも分かる。名前を聞いただけで、空気が張り詰める。胸の奥が、じわりと締めつけられた。


「それに、史音(ふみね)ちゃんという可愛い女の子も来たよ。」


亜希が続けると、修一は眉をひそめた。


「あいつはどうでもいい。どうせ行くだろうとは思ってたし。」


「史音って誰だ?」


侑斗が首を傾げる。修一は小さくため息をつくと、気怠そうに言った。


「お前も見たことあるだろ? 女王ベルティーナの横にいる、生意気そうな小娘。」


侑斗は一瞬、記憶を探る。確かに、修一の所属する組織のリーダー——あの美しい少女と、その傍にいつもいる娘を見たことがある。天才少女だという噂もある。だが、それ以上関わることはないだろうと思った。


ただし——彼は知らなかった。ベルティーナがいつも侑斗に視線を送っていたことを。


侑斗の沈黙を見て、亜希はふと考えた。彼はいつでも、自分の無知を恐れ、その恐れと向き合おうとしている。そんな彼の姿をよそに、修一は肩を震わせながら話を続けた。


「在城龍斗か。俺がその場にいれば、他の奴らを蹴散らして捕まえて、女王のもとに連れて行ったのにな……まあ、姉貴と揉めずに済んだのが救いかもな。」


亜希は本題に入ることにした。


「結局、その有城龍斗って何者なの?」


修一は、諦めたような表情を浮かべた。


「あいつの言った通り、あれが今回の騒動の中心だ。それに、女王の側近だった男なんだ。」


その言葉に、亜希は驚いた。修一の言う「組織」がどのようなものなのか、その実態を彼女はまだ理解しきれていなかった。


「組織の半分以上が離脱したって噂を聞いたけど……みんな、その男について行ったの?」


侑斗の問いに、修一の表情が険しくなる。


「その、あんたたちのトップの女王さまって……人徳がないの?」


冗談めかしたような侑斗の言葉に、修一は一瞬ぼうっとした。


「女王の人徳には何の問題もない。……まあ、不出来な俺たちが足を引っ張ってるがな。有城龍斗の言う『真実』と『正義』の思想に取り憑かれた阿呆どもが、俺の予想より遥かに多かったんだ。」


修一は苛立たしげに右の掌を、左の拳で叩いた。


「アイツ、零さんに『女王の味方をしないでほしい』って言ってたけど……どういうこと?」


亜希は疑問を投げかける。


「仇敵とか言ってたけど、零さんとその女王さまはどういう関係があるの?」


修一は肩をすくめた。


「女王ベルティーナと姉貴——葛原零の因縁については、今は何も言えない。今は有城の教団を何とかすることが第一だ。」


「史音が言っていた親友のベルのことか……。確かに、あの娘が器の足りない人間に付くとは思えないな。」


そう呟いた亜希は、ふともう一つ疑問を口にする。


「修一くんは誘われなかったの?」


「さすがのアイツも、姉貴の弟は誘えないさ。」


そしてようやく、亜希は今日の核心に踏み込んだ。


「それで……アイツとあの信者たちは何をしようとしてるの? 地球を救うとか、焦眉の急を説いてたけど?」


修一は、目を鋭く細めた。


「この地球は……まあ、少しは救われるかもな。でもアイツがやろうとしてることは——何百億の人間を殺すことだ。」


亜希の思考が一瞬、凍りついた。


「……それ、地球の人口より多くない?」


「なあ、木之実先生。人間はそれぞれ、自分の価値観を正しいと思って行動するだろ? その正しさの責任って、一体誰が持つんだろうな?」


修一の問いが、重く響く。


「そんなこと、私には分からないよ。」


亜希は静かに言った。


「自分の行動が正義だと思っても、誰かにとっては悪かもしれない。でも——善悪に関わらず、後に責任を持てない行動は、きっと悪なんだと思う。」


修一は、思いつめたようにため息をついた。


「よく言うよな。正しくあろうと、自らを律する行為そのものが正しさだって。」


「違うよ、それ。」


沈黙に包まれた空間を破るように、侑斗が口を開いた。


「正義だとか正しさって、結局のところ結果論なんだ。後になって、世界が上手くいっているように見えれば、その時初めて過去の行為が正しかったことになる。でも、それだって一面的で曖昧なものだ。世界中のすべての座標で成立する正しさなんて、どこにもない。どんなに状況が変わっても、ものごとの善悪は相対的で相補的なものなんだ。だから——俺たちは決して正しくなんてなれない。」


普段は無口な侑斗が、まるで別人のように言葉を紡ぐ。その声音には、自らに言い聞かせるような重みがあった。


「亜希さん、俺は4年前から、自分が情けなくて、悔しくて……いろんなものに追いつきたくて、一生懸命学んだ。でも、俺はあの人みたいにはなれないし、修一や亜希さんのようにもなれない。今でも分からないことは山ほどあるし、中途半端な知識のまま生きている。でも、俺にも分かったことがある。」


侑斗は一度息をつき、静かに続ける。


「それは、自分には理解できないことがあるという事実を認めること。そして、それを否定しないこと。諦めないこと。分からないことに、背を向けないこと。」


言葉を噛み締めるようにして、彼は悔しそうに言った。


「……龍斗って人についていった人たちはさ、自分に分からないことがあるのを認めたくなかったんだよ。自分にとって分かりやすい世界が心地よかったんだろう。それを、彼から与えてもらったんだろう。でも——そんなのは、ただの幻想だ。」


修一——いや、おそらく私も、不思議そうな顔をしていたのだろう。侑斗は気まずそうに目を伏せた。


それじゃあ、あなたは何を生きる基準にするの?


私と変わらないじゃない。


そう思った瞬間、亜希は胸の奥が締めつけられるような苦しさを覚え、そっと視線を落とした。

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