101、現在 光層磁版図
四方向から投影される立体版図を在城龍斗は鋭い眼差しで見つめていた。
自ら設計した光層磁版図の完成度は72%。そこから進捗は停滞し、振幅を繰り返している。先日までは順調に形を整えていたのに、アローンの影響で人々の心理パターンが狂わされた。
忌々しい。あの小僧、次に姿を現したら即座に消し去るつもりだったが、それを察したのか、教団への協力を申し出て以来、一度も顔を見せていない。さらに、幻無碍捜索を無効化されて以降、空に浮かぶ白亜の帯が生み出す支配の力も衰えている。
龍斗はゆっくりと左へ歩を進め、時間軸の視点から版図を確認した。残された猶予は少ない。あと数日以内に、完成させなければならない。
再び元の位置に戻り、操作パネルに手を添えた。キーを打とうとした瞬間、指先に違和感が走る。ざらりとした妙な感触。
キーボードの位置に、何かが浮き上がってくる。
それと同時に、鬱蒼とした暗い瞳がパネルの中から現れた。
龍斗は反射的に身を引き、勢い余って立ち上がる。その拍子に、座っていた椅子が背後で倒れた。
パネルの中から覗くその瞳の持ち主は、やがて上半身を抜き出し、両手を操作パネルにつく。そして、穴倉から這い出るかのように、ゆっくりと全身を現した。
「……教祖様、貴方の版図もまだ完成されないようですね……」
フィーネの声が、空間を震わせる。
龍斗は胸に手を当て、乱れた呼吸を整えながら顔をしかめた。
「フィーネ、これでも僕は極一般的な生理的反応をする人間なんだ。現れるなら、普通に入り口から来てくれないか?」
「これは失礼……。ちょうど箔花月の森の手前で女王の相手をしていて、追い詰められたものですからね。版図上で最も離れたここへ逃げてまいりました」
無機質な顔からは、焦燥の色をまるで感じられない。
「女王が箔花月の森に? 彼女の瞳の結界はどうなった?」
龍斗は再び立体版図の操作パネルを操作し、地球全域の様子を映し出す。
全球を覆っていたカーディナル・アイズの結界は消滅し、現在は箔花月の森と虚無の神殿だけを囲む状態となっていた。
「今なら、世界中の教団の者たちを動員し、呪いの狼煙を強化できます。そして、貴方の版図を完成させることも……」
フィーネのストールの下、見えないはずの口がわずかに歪んだように見えた。
「そんなことをしている間に、史音たちがここへやって来る。あれの頭脳はアローン以上だ。迎え撃つ準備をしなければならない。僕の版図を完成させるには、もう少し世界に消えてもらう必要がある。そして、滅びの音をこの地球の人々に響かせなければならない」
フィーネは背後のモニターを操作し、虚無の神殿の映像を映し出す。
「地上の極子連鎖機構は、あと二日ほどで完成しそうですね。……女王の予測通り」
フィーネはつまらなさそうに唇を歪める。
「ああ、今度はストレージ・リングに連動させて太陽の鞘の位置を探り、より確実に破壊できる」
女王ベルティーナはその計画を察し、全球の結界を解除し、史音たちの援護に回ったのだろう。
「ところでフィーネ、アオイ……いや、椿優香が現れたというのは本当か?」
「貴方は既に人として生きる資格がないのに、そんなことを気にしてどうするのです?」
フィーネは冷たく睨みつける。
龍斗は理解していた。優香が二度と自分を許さないことを。それでも彼女が失ったものを彼女に戻したかった。そして彼女に伝えたい。このフィーネに対抗するため、唯一の方法を取るしかなかったことを。
「信者たちから聞いた。アローンは葛原澪を打倒するために日本へ渡ったが、教団を裏切った美沙たちに追い詰められ、最後は優香によって抹消された、と」
優香は、自分のために邪魔なものを排除してくれたのか……? アローンによって狂わされた光層磁版図を修正してくれたのか……?自分を取り戻して……
我ながら、都合のいい、あまりに愚かなこじつけだった。
「あれはアローンの自滅です。優香には優香の創りたい光層磁版図がある。そのためにアローンの元へ向かったのでしょう」
おそらく、その通りなのだろう。
優香と自分が目指す版図は変わらないはず。だが、優香はまったく異なる方法でそこへ向かおうとしている。何故だ?
「ところでフィーネ、君の光層磁版図の進捗はどうなんだ?」
短い沈黙の後、フィーネは口を開いた。
「お互い、それを隠さない約束で協力関係を結びましたからね……。私の版図は順調に進んでいますよ。私に先を越されたくなければ、貴方も急ぐことです。椿優香のことなど、忘れてしまいなさい」