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青いガーネットの奇跡  作者: 村松希美


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5 綾乃に吹くすきま風

 綾乃は、午後10時に進学塾から帰ってくると、自分の部屋のドアをパタンと閉めた。そして、数学の100点満点のテストをぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に捨てると、ベッドに仰向けに寝転がった。


 玄関のドアを開ける前までは、久しぶりの満点だったので、気分も浮き浮きしていたが……一気に急降下した。


 綾乃がテストを持って居間に入ると、母の美也子と父の淳三が、姉の静を取り囲んで楽しそうに話している。綾乃が100点のテストを差し出す前に、美也子が、満面の笑みを向けて言った。


「綾乃、しずちゃんったらすごいのよ」

「えっ?」

「何、きょとんとしているの? しずちゃんったら、今度の司法試験、間違いなく受かるだろうって、末松教授から太鼓判を押されたのよ。まだ、法学部も卒業していないというのに……」

「そうなんだ。静が司法試験に合格すると、港都大学法学部では、初の快挙になるんだ」

 淳三も浮き浮きしている。綾乃の家庭は教育熱心だ。


 姉の静は、ストレートの長髪に、温かみのあるさわやかな顔立ちで、その容姿のように性格も穏やかだ。その上、勉強、スポーツも万能で、ショパンの「革命」を暗譜で弾けるほどのピアノの上手な人、いわゆるスーパーレディだ。


 幼い頃からその天才ぶりは発揮されて、両親とも、綾乃より、静に期待しているようなところがある。少なくとも、綾乃はそう感じていた。


 静は綾乃にやさしかったが、綾乃は負けず嫌いの性格が強く、自分より、静の方に、両親の期待が向いていることに、何かさみしいものを感じていた。しかし、どうあがいても、姉の静に勝てるところがない。

 綾乃はそれを認めたくなくて、必死で頑張ったが、いつしか、静は天才だと悟るようになり、そうでない自分を嘆いた。そして、それは、大きな不満となって、心の中に蓄積されていった。

「綾乃も静に負けないようにもっと頑張らなければ……」



 父さん、私、頑張ってるわ。これ以上、どうしろっていうのよ。


 頑張らなければ……。


 綾乃は、この言葉にうんざりしていたが、気を取り直して、進学塾の100点のテストを見せた。


「ほう、これくらい、当たり前だ。綾乃は、東京大学を卒業した私たちの子どもなんだからね」

「そうよ、綾乃が、私立に全部落ちた時は、とっても、心配したのよ。でも、この分なら大丈夫ね。もう遅いから、お風呂に入って早く寝なさい」

 100点のテストに対する両親の反応はあっさりしたものだった。ほとんどの家庭なら、テストで100点を取ったら、もっと喜んでくれるだろう。綾乃の家庭では、できて当たり前だった。

 それに、食卓での話題は、いつも姉の静のことばかり。綾乃は、この家には自分の居場所がないような気がして、大銀行家のお嬢様だったが、家庭教師ではなく、進学塾を選んだ。


 外での綾乃の実力はみんなに認められていたので、気に入らない人にはまず、悪い人というレッテルを貼り、好き放題に振る舞った。まるで、自分の満たされない思いを誰かにぶつけるように……。それがいけないことなんだって、考える余裕なんてなくなっていた。


 綾乃は、天井の一点をじっと見つめる。イライラした気分は治まらず、麻子の顔が思い浮かぶ。


 何よ、あの子、八方美人だし、能力なんててんでパッとしないのに、仁川君はともかく、鈴木君までどうして親しくするの? あんな、顔だけ女のどこがいいのよ。


 綾乃が麻子を目の敵にするのはこういう理由もあったが、麻子が両親から充分にかわいがられているところを目の当たりにしたからだ。


 それは、去年の2月のある寒い日のことだった。その日、綾乃はどん底の気分で、カフェテリアのカウンター席で、頭を垂れて座っていた。

 あんなに入りたかった清蘭女学院の入試に落ちたのだ。握りしめているのは、受験票だった。涙が止めどもなく流れ出す。清蘭女学院は、静も入った学校だ。


 綾乃は、四年生の頃から、週に4日は塾に通い、あんなに頑張ったのに、入試の前日になって、


 姉さんが入れたのに、もしも、私が入れなかったらどうしよう……。


 という不安が急に襲ってきて、中々寝つけなかった。それが災いして、翌日のテストは、悲惨なものだった。結果は予想できたが、合格発表で、自分の番号がないのを実感すると、頭がぼーっとなって、何もする気がなくなった。抜け殻のようにとぼとぼ歩いて気がつくと、このカフェテリアに座っていた。


 すると、こんな会話が綾乃の耳に飛び込んできた。

「麻子はいい子になったって、遠野の叔母さんが褒めていたよ」

 男の人の声がする。

 綾乃が我に返って、その声のする方を向くと、まるで、人形のように整った顔立ちの女の子が両親と一緒に座り、幸せそうな笑みを浮かべている。


「子どもをあやすのがとっても上手だって。あのきかん坊のリョウ君が、おまえのいうことはなんでも聞くんだからな。たいしたもんさ」

「わたし、小さい子どもって、大好きなの。天使のようにかわいいもん」

 少女は無邪気に答えていたが、綾乃はその言葉を聞いて、何だかムカついた。


 子どもが天使? 幼児って、うるさくって、わがままで、鬱陶しいだけじゃない。


 綾乃は子どもが好きではなかった。綾乃には、如何にもいい子そうに見えるその少女がうそっぽく見えた。綾乃は会話にじっと耳を傾けている。


 少女の声のトーンが落ちる。

「お父さん、お母さん、わたし、この間の算数のテスト、30点だったの。ごめんなさい」


 綾乃は、その点数に吹き出しそうになったが、両親の反応には、もっと驚いた。


「いいのよ。そりゃ、もう少し頑張って欲しいけど、麻子は国語なら誰にも負けないし、それに、点数だけがすべてじゃないわ。人間にとって大切なのは、人にどれだけ思いやりを持てるかということだわ。麻子はやさしいいい子よ」


 麻子と呼ばれた少女の母親が嬉しそうに話している。その顔は、まるでマリア様のようだ。綾乃はそんな目で、両親に見つめられたことはない。少女はニッコリ微笑む。


 綾乃には、甘ったれのようにしか見えなかった。


 あんなきれいごとばかり言って、あの家族ってなんか変。現実は、学歴社会の弱肉強食じゃない。勝たなければ意味がないのよ。ムカつく、ムカつく、ムカつく……



 そして、港町中学校に入学して、麻子に出会った綾乃は……


 偽善者、偽善者、偽善者……


 麻子の素直な人柄が、妙に勘に触った。


 

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