1 ひだまり
前作「シャーロック・ホームズ未来からの依頼人ー麻子と真司の時空旅行ー」の続編長編です。前作は、タイムスリップどSF的な要素とシャーロック・ホームズのパスティーシュでお届けしましたが、今回は学園ものを書いてみました。
「ねえ、真司、ホームズさんって、一体、どういう人なのかしら? 分からなくなってきた」
二宮麻子は、向かいの席で、ホームズの推理学をピックアップしていた真司に訊ねた。
「そりゃ、決まってるだろう。ホームズさんは、観察力と推理力と知識を兼ね備えた名探偵じゃないか」
麻子や真司が「ホームズさん」と敬称で呼んでいるのは、実際に会ったことがあるからだ。去年の秋、真司が見つけたタイムマシンで、二人は、19世紀のロンドンに行ったのだ。ベイカー街221Bのホームズに会いに……。(詳しくは、「シャーロック・ホームズ未来からの依頼人ー麻子と真司の時空旅行ー」を読んでね)
時は、桜の花が咲き乱れる春、場所は、シーサイドタウン図書館桜ヶ丘分室、麻子は、真司のホームズ学研究につき合わされている。
春休みに入り、麻子は、学校へ行かなくてホッとした反面、真司に会えなくなるのは、何だかさみしく思っていた。真司の家に電話することはできない。女の子と電話していると、真司は母親にからかわれるから、嫌だと言っていた。とにかく、尋常じゃないらしい。だから、新学期までは、連絡が取れないと思っていた。
ところが、春休みに入って、すぐ、真司から電話がかかってきた。麻子は、外出した母に、叔母からの電話を聞いておいてと頼まれていたので、受話器を取ってびっくりした。
「よう、麻子、元気か?」
麻子の声だと判断した真司は屈託なく話す。
「どうしたの、真司。電話してきてもいいの?」
「それなんだけどよ、俺、とうとうやったんだぜ。母ちゃんに誓わせたんだ。女の子と電話してても、側ではしゃぐなって」
「やったじゃない。でも、どうやって?」
「ポール・レノンのチケットを俺が取ったんだ」
ポール・レノンは、イギリスでブレイクして、世界的に有名になったミュージシャンで、日本でも、カバー曲が歌われている。
「えっ、すごいじゃない。あのチケットは中々取れないって噂だったのに……。でも、それと電話とどういう関係があるの?」
「にぶいな。母ちゃんがポールの大ファンなんだよ。だから、俺がチケットを手に入れた時には、神様を拝むような目になって、俺の条件をすんなりのんでくれたんだ」
「それじゃあ、私から電話しても、迷惑じゃないのね?」
麻子は嬉しさがこみ上げてきて、真司がからかう性格のことも忘れていった。案の定、真司は、
「あれ~っ、麻子は、そんなに俺と電話したかったのかー?」
と、からかう口調でいったので、麻子は、「うん」という言葉を引っ込めて、
「あら、真司こそ、そんなに嬉しそうに電話してきて、よっぽど、わたしと電話したかったのね」
と、いい返してしまった。
「あのなあ、俺はなあ、麻子がさみしがっているんじゃないかと思って、わざわざ、電話したんだぞ」
真司も本当は、麻子に会いたくって電話したのに、全く違うことをいってしまった。
「あら、さみしがってなんか……」
麻子は黙ってしまった。真司は心配になって、
「どうしたんだよ、麻子? 何とかいえよ。俺、何か悪いこといったか?」
「えへへっ、何でもないですよーだ」
麻子は、受話器の向こうで舌を出した。
「何だよ、脅かすなよ」
「ごめんなさい。ねえ、話は変わるけど、わたしに何か用事があったの?」
「あっ、それなんだけど、俺、春休みに、ホームズ学の研究を本格的にやろうと思って……。だから、つき合わない?シャーロキアンだろう?」
これは、真司が麻子に会うための口実だということに、麻子は全く気づいてなかった。
「ええ、いいわよ」
麻子は2つ返事でOKした。
4月になると、急に日差しが強くなり、町に白さが増したような感じがする。窓から、心地よく日が差している。
「そうじゃなくって、わたしたちが出会ったホームズさんは、とても温かくって、いい人だったわ。でも、昨日、久しぶりに『四つの署名』を読み返してみたの。そしたら、ホームズさんの最も心惹かれた美人というのは、『保険金欲しさに三人の子供を毒殺して死刑になった女性だった。それから、男でいちばん嫌な奴だと思ったのは、ロンドン貧民のために25万ポンドちかくも使った慈善家だった』って、書いてあったのよ」
「へえ、おまえ、そんな細かいこと、よく覚えてたなぁ。『緋色の研究』には、『漫然と読書する人で、知識の正確さを誇りうる人はほとんどいないのだ』ってあったけど……」
真司は、ホームズノートをめくりながら、からかうようにいった。
「あら、何よ、そのいい方。昨日の今日だもの。印象に残ったところだから、覚えているわよ」
麻子は、頬をふくらませた。でも、心の底からは怒れなかった。一時、本気で怒っても、いつまでも、尾を引かない。口でいい返しているうちは、そんなに怒っていないのだ。
「そうか、悪ぃ、悪ぃ。でも、大胆な記述だよな。たいていの人は、ホームズさんの逆を思うもんな」
真司はしばらく、「考える人」のポーズをとって、ポンと手をたたいた。
「そうだ、こういうことなんじゃないかな?」
「どういうこと?」
「つまり、人間って、1つのレッテルに収まるものではなくって、多面体だろう?」
「真司って、すごいのね。今度でやっと中二になるというのに、どうして、そんなことを悟っているの?」
「そりゃ、簡単だよ。近くにおまえといういい見本があるからな」
「何よ、それ……」
「あれ、自分で気づいていないの?」
「そっ、そんなことないけど……」
「確か、前に自分で、そういっていたような気がするぞ」(「シャーロック・ホームズ未来からの依頼人ー麻子と真司の時空旅行ー」参照)
「そうだったわね」
「まあ、つまり、こうだ。人間は多面体だが、世間には、それに気づいていない人が多いらしい。その証拠に、みんな、あの人は、「明るい人」、「暗い人」、「がさつな人」って、1つのレッテルに当てはめようとして、正反対の部分が出たら、その人はウソを吐いているとか、フリをしているだけだとかいうだろう? 本当は、一人の人間の中には、強弱はあるけど、そんないろいろな部分があるはずなんだ。真意は分からないけど、ホームズさんは、周囲から悪く言われているその女性の中の良い部分に惹かれたんじゃないのかな?」
真司は、自分の麻子への想いと照らし合わせて考えていた。
麻子が真司を知った(顔と名前が一致した)のは、港町中学校の図書室でだが、真司は、麻子を入学式の時から知っていた。
式の前、新しい制服が、まだ、身体に馴染んでいない新入生たちが、数人のグループを組んで楽しそうにしているのに、桜の木の下で、一人ぽつんと立っている少女がいた。それが麻子だった。
真司が、その少女に持った最初の印象は、(なんてさみしそうなんだろう)だった。その少女をぼーっと眺めながら歩いていると、男子生徒におもいっきりぶつかった。(これが、立花公平と友だちになるきっかけだ)
その拍子に、入学式に読もうと思って持ってきた、黒縁眼鏡をかけて、ランドセルを背負っている男の子の表紙の『名探偵ドイル』の20巻を落としてしまった。
「痛てっ!」
「あ~っ、小林さとしじゃないか」
立花公平は、真司の顔をまじまじと見ていたが、『名探偵ドイル』に目を移して、いった。
「そんなもの、入学式に持ってくるなんて、おまえ、いつから悪になったんだ? でも、いつ、帰国したの?」
「何いってるんだ? 俺は小林じゃなくって、仁川真司っていうんだけど」
「えっ、君、小林さとしじゃないの?」
「誰だ、そいつ?」
「だって、そっくりだから……」
真司はしばらく、その少女のことは忘れて、公平と『名探偵ドイル』のことで話が盛り上がり、クラスも一緒ということで、意気投合した。
入学式が始まる前に、真司の前をその少女が通り過ぎた。
「なあ、公平、あの子、知ってる?」
真司は公平に訊ねた。
「あれ、真司、好きになったのか? かわいいからな」
公平がからかう。
「バカ、そんなんじゃないや」
「あの子は二宮麻子といって、小五の時に転校してきて、僕と同じ桜ヶ丘小学校だったんだけど、あんまりいい噂がたってないよ。女子から嫌われているんだ」
「ふ~ん、そうか」
真司はそれっきり、二学期に『シャーロック・ホームズの冒険』をきっかけに、麻子と言葉を交わすまで、忘れていたのだが……。
中一の時に、麻子は無視といういじめに遭っていたけれど、真司は、麻子と一緒にいると何だか楽しかった。公平たちと遊んでいる時も楽しいけれど、麻子といる時はまた少し違った感じがした。何といったらいいのか分からなかったが……。
「真司、何、ぼーっとしているの?」
「あっ、いや……」
真司は言葉を続けた。
「逆にいうと、25万ポンド寄付した慈善家は、周囲から見れば良い行いをしているのかも知れないけれど、ホームズさんには、その男の中の悪い部分が印象に残っているんだと思うよ」
「あっ、そういうことね。それなら分かる。でも、真司って、本当にすごいのね。まるで心理学者みたい」
「そんな立派なものでもないよ。すべて経験談だよ。たかが、中二で人生のすべてを悟れるわけないじゃん」
「あら、そんなにまで、信じている人がいたのね。悪いレッテルを貼られると、みんな、そんな目で見るのに、えらいのね」
麻子は、真司が自分のことを思い浮かべていっているなんて、思ってもみなかった。
バーカ、麻子、おまえのことだぞ。
真司は舌打ちした。そして、シャーペンを上唇と鼻の間でくわえていった。
「あー、早く名探偵って呼ばれるようになりてー」
と、いったところで、シャーペンが机の上に落ちた。真司は構わず話続けた。
「『四つの署名』で思い出したけど、ホームズさんって、ワトソンさんが差し出した懐中時計で、持ち主の兄さんの性格や習慣をズバリ当てたんだよな」
「そう、そう、すごいわよね」
「俺もそこまでの観察力を早く身につけたいよ」
「真司なら、きっとなれるわよ。だって、心のこと、こんなに観察できるんだもの」
麻子は心を込めていった。
「そっ、そうかな……」
真司は頭をかいた。
そんなに嬉しいことを面と向かっていわれると、照れちゃうぜ。でも、事物の観察は結構難しいものがあるけどな。
麻子の真司を見る目が眩しく見えた。真司は慌てて話題を変えた。
「明日から学校だな」
「そっ、そうね」
しっ、しまった。麻子は学校に行くのが辛いんだった。
「ごめん」
「いいのよ。そんなに気を使わないで。それより、今度は真司と一緒のクラスになれたらいいな!」
「俺とか?」
真司は嬉しかったが、なぜか、こんな答え方になった。
「あら、わたしと一緒じゃ、やっぱり嫌なのね」
麻子の声が急に沈んだ。
「そっ、そんなこと全然ないよ。嬉しいよ」
真司は、こういったことに麻子が敏感だったのを思い出して、慌てていった。
「そう、それなら嬉しいけど。でも、迷惑なら、はっきり、そういってね」
「迷惑だなんて、そんなこと、絶対ない!」
真司がドンと机を叩いた。
「真司、どうしたの?」
「いや、迷惑なら、おまえをこうして、誘ったりしないよ。もっと自分に自信持てよ」
「う、うん」
「俺は、麻子は本当は強いんじゃないかって思うよ」
「わたしの? どこが?」
麻子は、真司の意外な言葉に驚いた。
「だって、おまえ、クラスの女子から無視されたり、嫌がらせされたりしているのに、ちゃんと毎日、学校に来ているじゃないか」
「そんな、強くなんかないわ。ただ、どんなことがあっても、学校だけはちゃんと行かなくちゃって……。自分で決めたことを守って、そのクリアーできたって気持ちを、わたしの中で支えにしてきただけのことなの」
「すごいじゃないか、麻子! 俺なら、そんな情況にいたら、どうなっているか分からないよ」
「あら、真司らしくないこというのね」
「そうか、俺、まだ、そういうこと経験したことないから、よく分からないけど、辛いだろうなと思ってさ」
「そりゃね、教室で一人でいると、心にチクチク針が刺さるような、辛くてみじめな気持ちは、中々消えてくれないけど、でも今は、慣れちゃった」
麻子は、「真司がいてくれるから……」といおうと思ったが、何だかいい出せなかった。真司はやさしいけれど、失礼なことをいって、からかうことがよくあるからだ。本気じゃないと分かっていても、カチンとくることが何度かあったので、あんまり調子に乗らせないようにしようと思った。
麻子は、真司がなぜ、よくからかうのか、その真意が分かっていなかった。
「えっ、そんなの慣れるものなのか?」
真司が不思議そうに、麻子の顔を覗き込んだ。
「まっ、まあね」
麻子は、心臓の鼓動が、真司に聞こえていないかどうか心配になった。
「ふーん」
真司は、『シャーロック・ホームズの生還』に目を移すと、何やらまた書き始めた。
明日から、気の進まない新学期が始まるが、今の麻子は、タンポポの綿毛に包まれた妖精のようにフワフワした幸せな気分に浸っていた。
読んでいただきありがとうございます。
タイトルの青いガーネットは、ホームズ正典の短編の体得です。この作品の青いガーネットとは、クリスマス短編青いガーネットで真司が麻子に贈ったトルコ石です。それをこの長編で麻子が身につけていたらという意味も込めています。
パワーストーンも好きなので、石のこともほのかに入れてみました。
あと、麻子と真司の中学校生活と、両想いになるまでを描きます。
よろしくお願いいたします。