9th Stage
次の日、俺はラジオのレギュラー番組『オラジ通り』への出演のためにスタジオの中へ入った。パーソナリティ席にいる江村佐織と挨拶を交わすと、ニュースのチェックをしようとポケットからスマホを取り出した。
「都内の感染者数がようやく1ケタになったか……」
東京でウィルスの感染者数が多いのは、一極集中の都市構造が大きな問題とスマホ画面に載った記事が指摘している。記事が警鐘を鳴らしても、東京から離れたくない人は数多いのだが……。
ニュース記事を読み進めようと画面を覗くと、昨日の自転車盗難事件の続報となる見出しが目に入った。
「サンニンビンゴ・松森佳代、盗難された自転車が戻ってきてホッと一息」
どうやら、盗まれた自転車が松森の住むマンションの自転車置き場へ戻ってきたようだ。この記事に目を通しているうちに、俺はふとした疑問を感じるようになった。
「どうして、犯人はわざわざ盗んだ自転車を自らの手で返しに行ったのか」
生放送のラジオ番組が終わると、いつも通りにマスクを着用してスタッフにお礼を言ってからラジオスタジオを後にした。本来なら、ウイルス感染防止のために本拠の自宅マンションへ向かうところだが……。
「おっ、松森から返事がきたみたいだな」
俺は、自分のSNSから松森へ送ったダイレクトメールからの返答をスマホの画面で確認している。松森から自宅前へくることへの許諾を取ると、他のメンバーに連絡を取った上で相手が指定したマンションのほうへ進むことにした。
松森が暮らすそのマンションは、俺たちが共同生活する場所から近いところに所在している。マンションの前には、俺と同様にマスクを着用した松森が姿を現した。
「こんにちは、返事どうもありがとう」
「いえいえ、お気になさらずに」
ウィルス禍は、相手との距離感が改めてクローズアップされることになった。松森と会話する時も、相手へ気遣いながら社会的距離を保って行っている。
松森が所有しているその自転車は、駐車場内の自転車置き場の一角に停めている。これこそが、先日盗難に遭ったいわくつきの自転車だ。
「これでよくサイクリングに行っていたわ。ウィルス感染対策で外出自粛になるまでは……」
その自転車は、サンニンビンゴを結成する前から松森が大切に使っているものだ。お笑いの仕事に行く時はもちろんのこと、バイトでもプライベートでも松森は自転車をずっと愛用し続けている。
手入れをこまめにしているおかげで、購入してから7年経った現在でもその自転車は新品同様だ。
「何度もコンビを結成しては解散の繰り返しで、芸人をやめようと思ったのは一度や二度ではないわ。でも、お金がなくてもこの自転車は絶対手放さなかったの」
自らの相棒として大事に使っていたからこそ、松森は犯人に対する憤りを露わにするのも無理はない。それがあっけない幕切れだとしても……。