4th Stage
それから2週間後、俺たちは購入したばかりの自転車にそれぞれ乗って自宅マンションから近くの公園へ向かっていた。都内の緊急事態宣言が解除されたとあって、サイクリングをするのに機は熟している段階と言っていいだろう。
けれども、この世からウィルスが消えることはない。自転車に乗るに当たっては、ヘルメットを着用するのはもちろんのこと、ウィルス対策としてのマスク着用も欠かせない。
今回は、動画配信を行う前段階としての試運転を兼ねている。公園内でいかにしてスムーズな運転を安全に行うかということが大きなテーマだ。
俺たちは3人とも自転車に乗った経験を持っているので、久しぶりに自転車を動かしても違和感なく進むことができる。これなら、すぐにでも動画撮影に入ることができそうだ。
「誰もいないなあ」
「この間まで閉鎖されていたということもあるけど」
この公園は、最近までウィルス感染防止のために全面閉鎖されていた場所だ。それ故に、閉鎖が解除されて公園内に出入りできるようになっても利用する人の姿はどこにも見当たらない。
そんな時、公園の離れた向かいにある裏口から自転車に乗っている男の姿が俺の目に入ってきた。彼が乗っているのは、同じ自転車でもロードレースに使えそうなロードバイクと呼ばれるタイプだ。
よく見ると、その男は『凸凹雑技団』のリーダー・田野長市だ。凸凹雑技団は、俺が赤沢彰吾とかつてコンビを組んだアカズクロスと同じ頃に結成されたお笑いトリオとして知られている。
田野も俺たちと同様にヘルメットとマスクを着けているが、彼以外のお笑い芸人でロードバイクを乗り回しているというのはあまり聞いたことがない。
「長市さん! 久しぶりです!」
「自粛期間が明けて練習を再開したけど、こんなところでシンゴーキの3人と会えるとは」
「ロードレースにも出ている長市さんと違って、俺たちは新参者ですから」
自宅マンションへ戻った俺たちは、パソコンのオンライン上で田野と再び会話することになった。田野の自宅には、10台近くが置かれているロードバイク専用の置き場を持っている。
田野は所有するロードバイクを1台ずつ紹介しながら、サイクルロードレースの魅力を俺たちの前で熱く語っている。その語り口は、お笑い芸人とはまた違った田野の新たな一面を垣間見せている。
「少し先の話だけど、スポーツ専門のBSチャンネルで放送されるバーチャルレースに出場することになったんだ」
「バーチャルというと……」
「ロードバイクをローラー台に設置して、実際のコースをそっくり模した仮想空間の中を走るというものだ」
ウィルス禍でイベントが軒並み中止になったのは、田野の場合も例外ではない。代わって登場したのは、オンライン上で開催されるバーチャルイベントだ。
田野は、オンラインで開催されるイベントを新たなチャンスと前向きに捉えている。そして、ロードバイクの可能性を広げるために自らのCeroTubeチャンネルを始めることも口にした。
「早速だけど、初回の配信には自転車の推し活仲間のシノマキヌオをリモートゲストに迎えるから」
「シノマって、時折テレビで見かけるピン芸人のことか?」
ピン芸人のシノマキヌオは、俺たちと比べると知名度が高いとは言えないだろう。しかし、シノマがお笑いライブの常連で一定の人気を持っていることは俺たちの耳にも入っている。
「だけど、シノマが自転車を趣味にしているというのは聞いたことがないぞ」
「そうか? SNSでは長市さんに負けず劣らずの自転車マニアだけど」
シノマのSNSには、自らが所有する自転車やロードバイクに関する書き込みを時折見かける。生真面目なところがたまにきずだが……。
「長市さんのようなユーモアがないのがなあ……」
田野との出会いは、俺たちが手掛けるシンゴーキチャンネルの新境地に大きく役立ちそうだ。この後、俺たち3人はリモートでの企画会議でスタッフの坂塚と峰渕に動画撮影の趣旨を伝えた。
本来ならスタッフの2人にも立ち会うべきところだが、今回はウィルス禍のリスクを回避する観点から撮影全般は俺たちで行うことを確認した。明日の撮影に備えて、俺はマネージャーの車に積むためのカメラやピンマイクなど必要な機材を準備している。