第10話⑤ 影霧への唯一の特効薬
==杏耶莉=ベージル・臨時治療家屋==
私が影霧の感染者達の治療を始めて、数時間が経過した。
治療とは言っても名ばかりで、実際は苦しむ人の傍に寄って声をかけ続けているだけだった。治療薬のようなものが存在しないことと、意志の強い人が復帰しやすいからだった。
「大丈夫ですか! 気を強く持ってください!」
「うっ……うぐぅ……」
横たわった彼らにはまるで意思を持ったような霧が纏わりついている。 そのうちの一人が強く苦しみ出すと、霧の量が突然増すと激しくのた打ち回る。
「うわっ……!」
「嬢ちゃん、そいつはもう無理だ!」
傍に居た騎士の一人が、霧の量を増した患者を引きずる様に別室へと連れて行く。既に何度かその様子を見ていたが、別室から戻ってくるのは常に騎士だけだった。
手遅れといった表現がされていることから、恐らくは感染蔓延を防ぐために処理されてしまっているのだろう。この場でそれが行われないのは他の患者へ不安が広がる事を防止する為だと思われる。
私の力不足だったのだろうか?と、どうしても考えてしまう。呟くように近くに居た騎士に質問していた。
「……他に方法ってないんですか?」
「影霧は重症化するまでは感染が他者に広がりにくい。 裏を返せば重症化した者を放置することはこの場の全員を危険に晒すことになる」
「そう、ですか……」
「……我々にできるのは、彼らにどうにか気を強く持ってもらうことだけだ」
私とは違い、何度もこのような現場を経験しているのだろう。やり切れないという感情が伝わってくる。
(他に、出来ることはないの……?)
苦しむ彼らを、私は唯元気づけることしか出来ていない。そんな折、ある一言を思い出した。
『影霧、と呼ばれている現象は風に弱い。 それと、キミの剣であれば斬り裂くことが可能だろうね』
マークが私に伝えたその一言。そこには現状の打開方法についてのヒントがあった。先程会話をした騎士に疑問をぶつけてみる。
「風でこの霧を吹き飛ばすことってできないですか?」
「あくまで風は、処理されて行き場をなくした影霧を霧散できるだけで、この患者達を助けることはできない」
「剣、で斬ったりとかは……?」
「……出来ると思うか?」
そんな疑問に不審そうにそう返される。普通の剣ならば確かにこの騎士のいう通りだった。
(でも、私の剣なら……)
手持ちのドロップをディートすると、そのまま生成した剣を構える。
「何やってんだ、嬢ちゃん!」
傍から見れば奇行そのものである私の行動に、傍の騎士が制止しようとする。それを振り払って、私は患者達の頭上で蠢く霧を斬り付けた。
空を斬った感触のみで、手ごたえは一切感じなかった。だが、意思を持ったように蠢いていた霧は力を失ったように霧散した。
「なっ……」
「やれた……?」
「……つらく、なくなった……?」
近くに居た騎士は驚き、その影霧に感染してか朦朧としていた患者は、突然軽くなった体に驚くような声を出す。
奪われた体力こそそのままだが、明らかにそれ以前と比べて楽そうな状態となっている。
(これなら、いける!)
「――危ないので退いてください!」
看病を続けている他の騎士達を押しのけて、私は室内で蠢いている黒色の霧をひたすらに斬り続けた。
……
内側の影霧を外に漏らさない様に閉め切られていた窓が全開で開かれ、風のドロップを使える人達によって空気の循環が行われていた。
この建物内に百人足らずは運び込まれていた患者だが、そのほぼ全てが影霧の苦しみから解放されていた。
体力的にすぐに起き上がれる人ばかりではなかったが、それでも多くの人が助けられたことに私は安堵していた。
(もっと早く、気が付いていれば……)
幾ら斬りつけても霧が霧散しない患者、既に重症化していた患者は助けることができなかった。それと別室へと連れて行かれて、処理された人達は当然助けられていない。
この場で治療を行っていた騎士や助けられた患者達にとても感謝されたが、それよりもそんな助けられなかった人達のことを考えてしまっていた。
「嬢ちゃんのお陰だ。 本当にありがとう」
「い、いえ……」
霧とはいえ剣を振るとドロップのエネルギーを多く消費したので、持ち込んでいた剣のドロップは大量に使ってしまった。
それと、私も激しく動いたというだけでは片づけられない程に体力を消耗しており、疲労感で眩暈がしている。
何度か追加で運び込まれる患者を剣で治療しているが、そのペースもかなり落ち着いてきていた。
「どうやら、今回の影霧の発生源らしき場所を見つけたらしい」
患者を連れてきた騎士の話によれば、スラム街にその発生源とやらがあるらしい。発生源に近い程重傷者が多い事と、それ以外の町中はあらかた見て回られたらしいのでもう患者は運び込まれる可能性が低いとのことだった。
「そこに第七隊が向かったんだが、残りの要保護者が居るとすればそこだろうな」
「――第七隊……」
見習いとはいえ、私が所属している隊である。
「……それなら、ここで待っているよりもそこに向かったほうが良いですよね?」
「それは、そうかもしれんが……嬢ちゃん顔色が悪いぞ。 大丈夫か?」
「……平気です」
殆どの感染者が助からないとされている影霧で、唯一重症化する前ならば治療ができる私が動かなければ救える人も救えないだろう。
「第三隊は治療済みとはいえ体力のない人達をほっとけない。 それに、現状唯一治療ができる嬢ちゃんが危険地帯に行くのは――」
「何もできない状態で待機していたくありません。 そのスラム街に行って、一人でも多く救いたいです。 それに私、第七隊所属ですので」
「……わかった。 途中までは第五隊のオレが案内する。 だが、オレも持ち場に戻らにゃならんので、スラム街の中へは嬢ちゃん一人で行ってもらうことになっちまう。 それでもいいか?」
「構いません。 それでお願いします」
今のスラム街が危険地帯であるとはいえ、最終的には私の能力を鑑みて一人でも対処可能と判断された。
そうして私は案内を通じてスラム街へと足を踏み入れた。




