零ノ三十九話 虚実皮膜
俺の次の目的地としているレスターはレスプディア南部の主要都市であり、現在俺が居るノークレスはドレンディア北部の町なので国境を超える必要がある。
国家間の関係が現在は友好的なレスプディア王国とドレンディア共和国ではあるが、それでも手続きや入国には審査を受ける必要があった。それらの準備として最低限の身なりを整えたりする必要もあるので、あの騒動から数日はノークレスのアドの家で支度をしていた。
「ん……、荷物の多くがドロップか?」
断りもなく俺の手持ち袋の中身を覗いたアドがそう口に零す。俺も無償で寝泊まりさせてもらっている立場ではあるので強く、咎めたりはしないが……。
「まぁ、な。 ディータならいざって時の為に用意しておかないとだからな」
「でぃーた……というのが、ここでの君みたいにドロップを使う手合いの名称だったか?」
「そうだな」
アドは、珍しく真面目そうな表情を見せる。
「……火や水を生成したり、絵に描いた物質を実体化させるというのは不可解極まりないんだが?」
「そうか? だって鉄と石を叩いて火が出るみたいに、ドロップで火が出るのは普通だろ」
「鉄の方は物理法則に則ってそうした現象が存在するんだが? 対して《これ》ドロップ|はそれらを超越しているよね?」
アドは手持ち袋を閉じると、それを俺の方に放り投げる。正確にキャッチするも、今必要な訳ではないのでその場に降ろした。
「そう言われてもな……。 にしても、お前も絵とかじゃないものに興味を持ったりするんだな」
「いや? 単に先日の活用法を見て、これも芸術的な何かに活用できないかと模索しているだけだが?」
「あ……そう」
真剣な表情の裏には、いつも通りの彼女の思考が透けて見える様だった。俺としては芸術分野などには微塵も興味がないので、口には出さないもののくだらないと内心では思う。
とはいえ、彼女の描いた物を実体化させるというのは応用が幾らでも利く有能な能力だろう。俺もその能力を使えるドロップが手に入れば万能に近い可能性があると考えない訳でもない。
そんな彼女の実体化させる力は紛れもなくユニークドロップに該当するだろう。この世界に同様のドロップが存在するとしてもとても希少で、多用できる代物ではないのは確実だった。
「一応忠告しとくぞ。 お前があの実体化のドロップを使うには託宣のドロップしかないが、それのエネルギーとなるのはお前の生命力だ。 多用し過ぎると寿命を縮める事になりかねない」
「ん……? それは知っているよ。 この託宣? ――のドロップの値段も安くはないし、無駄遣いはしないが?」
「なら構わない」
「それに、わたしの場合だけ……生命力とやらはここの人達より多いと思うが?」
「は……?」
彼女は自らの首を指差して俺に説明する。
「出会った時にカーくんは見ただろうけど、わたしは生死の基準が君達よりもずっと低い。 例えば血の流出に関してこっちの人間は三割を失うと危険なのだよね?」
「あぁ」
「わたしの方では八割の喪失までなら回復可能だが?」
「は……?」
「とは言っても六割を切れば意識は失うだろうけど、その間に輸血出来れば生還するというのが常識だったね? それに平均寿命もここの人間の優に十倍はある。 わたしは見た目通りの年齢だが?」
「……本当に何なんだお前の世界とやらは……」
「単に退屈でつまらない世界だよ? ともあれ、わたしにはその生命力の数値がこの世界の十倍はある。 そして、実現した物には何でも使うつもりだが?」
「……」
夢の様な寿命と回復力を持つ世界から現れた彼女の潤沢な生命力は、贅沢にも自分がしたいだけの芸術に全て費やされるらしい。
「なんか、お前は一人で生きていけそうだな……」
「正確には他人に合わせられないのだから、一人でしか生きていけないの間違いだが?」
「んなもん誇るな……」
金で動く傭兵や商人の様に、名声の為にに手段を問わない貴族の様に……彼女も芸術の為なら何でもするのだろう。そういった意味では行動は制御し易いのかもしれないが、必要以上に近しい関係にもなりたくない手合いである。
……
支度を進める数日間で風に聞いた程度の噂ではあるが、ここの領主は処断されるらしい。理由は裏で不当な手段を用いて美術品を集めていた証拠が出てきたからだそうだ。それが発覚したから罰を――というのは表向きだろう。
実際はそんな証拠をノービス教が見つけるのに苦労する訳がない。利がある間は見て見ぬ振りをするのがあの教団の基本だ。裏を返せばあの領主を消すだけの理由があるのだろう。その大儀として偽装に面倒な美術品の証拠みたいなものを使うのはわざわざでっち上げたりしないので、領主が不正を行ったのは事実だろうからそこは自業自得である。
問題はその理由とやらが何なのかだが……それを追求する動機が俺にはないし、探るための情報源はおろか自分の姿もノービス達に見せたくはない。関係ない割り切って気にするだけ無駄と考えるのが賢い生き方だった。
「そろそろだな」
レスプディアへと向かう馬車の乗り合い所に、アドも見送りに来ていた。てっきり彼女の事だから出てこないものだと思ったのだが、案外と義理堅かったりはするらしい。
「ん……。 カーくんの目的地はエルリーンだったね?」
「そうだが……?」
「あそこも大きい町だから出会うかどうかはわからないけど、わたしの知り合いには気を付けるんだよ?」
「知り合い……? 《ここ》この世界|に知り合いが居たのか?」
「一人だけ、わたしの芸術を理解出来ない輩が一人だけ居るが?」
「……どんな奴だ?」
「緑髪の勝手な男だ。 あの自己中心的な人間と一緒に居られる人間が見てみたいものだね?」
「……そうか」
「同族嫌悪か?」という言葉を飲み込んで、適当に相槌を打っておく。
「お前もあれの無駄遣いはするなよ」
山分けした領主の報酬だが、彼女は早速とばかりに流行の収束によって投げ売りされ始めた彫刻用か何かの道具を大量に買い込んでいた。あの分だとすぐにまた金銭で苦労する事になるだろう。
「わたしは学習できる人間だよ? もうお金に困ったりはしないが?」
「ならいいけどな……」
そうこう話をしていると、馬車の方で「乗車する方は乗ってください!」という声が聞こえた。
「時間だ。 それじゃあな」
「ん……。 次に会う時の土産はこっちで手に入りづらい顔料で頼むよ?」
「――は?」
再度、馬車の持ち主らしき人物が「もう居ないですかー?」と声を出す。
「お前、ぎりぎりで――ったく……」
文句を言う暇もなく、俺は乗り遅れまいと駆け出しながら小さくなっていく彼女の方へと振り返る。すると、したり顔をしたアドが最後まで見送る事なく踵を返して帰って行った。




