零ノ三十四話 狗吠緇衣
アドが描いて実体化した林檎だが、試しに齧ってみると間違いなく林檎の味がした。だが咀嚼して、一定の大きさを下回ると消滅してしまった。これは他のドロップで生成したそれと同じで、耐久が存在するものとして考えれば不思議ではない。
さらに、ドロップはあくまで絵を実体化させる能力のみで、対象は彼女が描いた絵であれば構わないらしい。以前描いて放置されていたという彼女の別の絵に描かれていた人間を、絵から抜き出す形で生成できてしまった。
とはいえ、その人間は巧妙な人の形をした物でしかないらしく、身じろぎすらしなかった。この瞬間だけ、傍から見れば殺人現場になっていた事だろう。これも林檎と同じく一定の時間経過で消失した。
そして彼女が背景と感じている部分――例えば絵の中で奥に植えられた木なんかは実体化できなかった。
これらの特徴を総合すると、彼女のドロップ能力を使えば生物でなければいかなる道具であろうと生成が可能なドロップ能力と考えられる。最も、絵に描かなければならない手間が必要なので速効性はないし、託宣のドロップを使う弊害として彼女の命を削る。無暗な多用はするべきではなく、大きな物は実体化を避けるべきだ。
「――と、検証はこんな具合だな」
「ユニークな能力だろうけど、これが何の役に経つのか? わたしには犯罪行為ぐらいしか思いつかないが?」
確かに彼女の発想は間違いない。一時的にどんな物でも用意できるのであれば高価な品を適当な商人にでも売れば大儲けだろう。その後の事を考えなければだが……。
「いや、その手は使わずともやりようはある……」
「んー? 教えてみなよ?」
「それはだな――」
俺は彼女にその作戦を伝えると、すぐさま行動を開始した。
……
「よってらっしゃい! そこのご婦人! どうだい!」
絵画専門区域にて、俺は呼び込みをしていた。
「何のお店……? この絵は、服?」
「そう、服の絵だよ! 豪華絢爛なドレスから、遠方の異国の民族衣装まで……装飾品も何でもあるよ!」
「でも絵よね……? それも着ているのではなく服だけで……?」
ご婦人ご指摘の通り、俺が売っていたのは服や装飾品だけが描かれた絵だった。普通なら、絵に描くなら人とセットで描くのが普通だろう。
「絵のレベルは高いけど、着られていない絵で背景もなし……。 にしては高価じゃないかしら?」
「そうかい? でもきっと後悔させませんよ! 購入していただいた方限定の無料サービスも合わせればね?」
「無料サービス……」
そのサービスを謳い文句として掲げている看板をご婦人は見る。その目は細くなっていって、俺に不審な視線を向けた。
「実体化サービスというのの意味がわからないわ?」
「ん……。 じゃあお姉さんにはお試しとして特別に半額サービスで提供してみるよ。 その代わり、気に入ったらお友達に宣伝してくんないかい?」
「半額……」
割引、半額という言葉に魅力を感じたのだろう。不審そうだったご婦人は僅かに頬が緩む。
「それなら大した金額じゃないし……そのサービス込みでお願いしてみようかしら」
絵として描かれた内容で考えると確かに高価だったが、定価でも娯楽に飢えた富裕層の平民が手を出せない額ではない。
まだ怪しんだ様子の抜けない彼女は、半額となった絵の代金を硬貨で受け取る。
「毎度あり! じゃあ着てみたい服選んでくれい!」
普段と違う商売テンションで俺が気前よく告げると、ご婦人は装飾の激しい貴族のドレスを一つ選んだ。
「ちょっと待ってくんな――」
そう言って、俺は裏の天幕の中に控えていた彼女にその絵を持っていく。
「……頼んだ」
「カーくん、君は解離性同一症なのか? 先程の外での喋り方は随分違うが?」
外の様子をこっそり見ていた彼女――アドは不思議そうに俺を見ながらそう返事を返す。
「人間ってのは時と場合、相手に応じて態度を変えるもんだぞ」
「……それがこっちの文化か?」
そう言いながら、彼女は絵を実体化させる。白いキャンバスを残して、ここにご婦人にピッタリのドレスが生成された。
俺はそのドレスとキャンバスを持ってご婦人の前に戻る。
「出来ましたぜ」
「え、これ……さっきの絵が……?」
「はい。 実体化させやした」
「本物……?」
「いえ、偽物ですぜ。 ドロップの生成物なので消失しやすね。 保証期間は一日だけですぜ。 また、破損した場合も同じですので、外であられもない姿になりたくなければ気を付けてくんな」
「えぇ……」
一応実体化サービスの看板に注意事項として記載しているのだが、彼女は突如手にした身に余る服に意識を奪われていた。
俺が考えた作戦は、服や装飾品の一時提供サービスだった。
手順としては予めアドが服の描かれた絵を用意し、それを販売に際して生成させるだけだ。 準備に必要な物や、売る場所はこの町で行われているサポート制度を使えば元手なしで始められる。精々アドが準備する絵の準備に苦労する程度だ。
ここは絵だけを売れる専門区域ではあるのだが、あくまで売っているのは絵。実体化したものはサービスなのでキャンバスも一緒に持ち帰ってもらった。違反はしていないが屁理屈ではあるかもしれない。
こんなサービスをすれば間違いなく目立つだろう。俺もアドも目立つのは本意ではない。その対策として俺は先日の残りを使ってもう一度赤色に染めている。また、彼女は裏方で顔を出さない方針とした。
この作戦はアドの負担が大きく、また自分本位な彼女に協力させるために、この世界の風景画を提供していた。この世界の美術に興味がある彼女は、俺が描いた風景画を数点を見た時点で協力を約束した。
風景画の用意は簡単だった。俺が記憶している風景であれば、描画のドロップで準備できるのだ。俺だけの記憶ではそう多くの国は準備できなかったのだが、勇者の記憶があるので数多の国だろうと各時代だろうと描けたりする。
実体化させた服を売る際に、この辺りで見られるものだけでなく遠国の物を用意している。こうすれば目新しさもあるし、何なら豪華なだけの服なら手に入る連中にも売れるという判断だった。尚、風景画の提供には彼女が異国の服を描けるようにするという理由も含まれていたりする。
こうして始まった作戦だったが、初日は怪しさ満点で閑古鳥が鳴いていたものの、数日後にはこの区域を歩く多くの人間が豪華だったり異国情緒溢れる服を身に纏って闊歩する様になっていた。
一日限定の安価で豪華な服。そんな特別感に刺激され、周囲の流行に乗り遅れまいと気が付けば大繁盛。アドは服を描く作業に夜通し服を描く事となった。
そんな外からも異常に思える事態が領主の耳に入らない訳もなく、程なくして俺達に領主からの招集の知らせが届いた。




