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零ノ二十八話 船出旅


 潤沢な資金で以て十二分な準備を済ませた俺は、早朝の港に来ていた。


「……これで、お別れだな」


 見送りに来ていたミルフィーザを優しく撫でてやる。状況をしっかりと理解している素振りのこの馬は、心配そうに嘶く。


「ここまでありがとうな。 ……もう大丈夫だ」


 俺は名残惜しそうな腕を下げながら一歩後ろに下がった。


「もう良いのかな?」

「……あぁ。 これ以上は必要ない」

「そうか……」


 隣のレグセル達は出発の直前までこうして待ってくれていた。こうした配慮にはとても感謝している。


「船は初めてなんだよね、君? 酔い止めは準備してるのかな?」

「あぁ、用意してる」

「食事は?」

「それも足りてる」

「やはりしっかりしてるね、君は」

「……なぁ、なんでアンタはそんなに助けてくれるんだ?」


 偶然知り合っただけのレグセルであるが、不気味な程に親身になってくれていた。俺の素性を知り、利用価値に気付いているから……という素振りでもない。


「俺がお前に恩を返せる保証がない」

「そもそも僕は、君に恩を着せたりしていないよ。 双方が納得した正当な取引に過ぎないよ」

「……余分に支払いをしてもらった記憶があるが?」

「僕は富める側だけど、富を独占しては皆が幸せには成れないよね」


 要領を得ない答えに、俺は僅かに苛立ちを感じつつ問う。


「何が言いたい?」

「誰かが誰かを助ける。 その助けを受けた人間が別の誰かを助ける――そうして世界が回れば、世界が平和になる……。 そうは思わないかな?」


 楽観的とも取れる発言に、俺は首を横に振った。


「……戯言だな。 助けられた人間の中には仇で返す奴も居れば、誰にも助けられない奴も出る。 その内、手痛いしっぺ返しをくらうぞ」


 呆れた口調で俺が苦言を呈すると、困ったように笑いながらレグセルは答える。


「差し伸べた手を払われた事も、貸した金を返さないどころかさらに奪われた事もあるよ。 でも僕に共感してくれた者はそれ以上にたくさんだ。 そうして集まってくれた人に支えられてもいる。 有難い事にね」

「……」

「君が今回乗船する商船の人もその中の一つだ」

「……子供を保護しているというのもそれが理由か?」

「この世界の未来を担うのは子供達だ。 保護した子供の中で誰か一人でも僕の理想を受け継いでくれたら……と思わなくはないけど強要はしてないよ。 ……有難い事に共感してくれている子も多いけどね」


 このレグセルという男がお人好しなのは疑いようもない事実だ。だが、理想だけでなく本質も見えているらしい。それを承知の上で、可能な限り理想を追い求めているのだろう。


「それに君は、何度も賊を討伐し、この辺りの商人を助けてくれたみたいだろう? あの後、出会った者の何人かに聞いたよ」

「……道を塞いで、邪魔だったからな」

「君は僕と同じで、人に寄り添える人間なんだろう? それなら、その助けになれた事を誇りに思うよ。 本心からね」

「……」


 俺が何かを答える前に、船の方から大声で叫ばれる。


「おーい! 荷物の積み込みが終わったぜ!」


 大荷物という程でもなかったが、俺の食料といった荷は商船の船員が運び込んでくれていた。


「時間らしいね」

「あぁ……。 今回は本当に助かった」

「僕は助けるために活動しているからね。 良かったよ、それならね」

「いつか借りは返す」

「何かを貸したつもりはないよ」

「貸しだと感じてるのは俺の方だ」

「……程々で構わないよ、それならね。 それに、返す相手は僕でなくても構わない」


 俺は渡し板を通って船に上がる。その後に背後から声が掛かる。


「それじゃあ、カーティス君。 また運命の神の導きがあれば」

「あぁ、それじゃあな」


 最後にミルフィーザの方を見るも、後ろ髪を引かれる前に俺は船内へと入った。


 ……


 船が港を出て数日、俺は船の上で穏やかに過ごしていた。俺の扱いは一応客となっているらしく、沖に出てから船上で仕事の手伝いをする必要もない。

 危惧していたものの、俺の体質的に船酔いはしないらしい。勇者であろうとなかろうと、酔う体質か否かは個人差がある。酷く酔う場合は本当につらいというのを知っているからこそ、内心では胸を撫で下ろしていた。


(さて、やるか……)


 俺が船内の一室で眺めているのは、港町オリーシヴで購入した赤色の液体が入った瓶だった。それの蓋を開き、手に乗せると――自らの頭上から髪に塗り付けた。


「うひぃ……」


 冷たく、ねばついたその液体をゆっくりと馴染ませていく。


「くぅっ……」


 嫌な感触に顔を歪ませながら、瓶の中身を空にした。


 ……


「おう小僧――って、その頭、どうしたんだ!?」


 甲板に出た俺を見かけた商船の船乗りが、驚きの声を上げる。


「これか……? まぁ、ノーヴィスディアに行くからな。 染めたんだ」


 俺の髪色は、赤くなっていた。

 勇者との関わりの深いノーヴィスディア聖王国において、俺の髪色で歩き回れば間違いなく問題に巻き込まれる。勇者の騙りと判断されれば火炙りにされるし、本物だと判断されれば祀り上げられてしまう事だろう。


「オリーシヴでも目立ってたしな。 別に勇者だと思われたくないんだったらこうすべきだろ?」


 ノーヴィスディアを行き来している商船の船員だからだろうか。俺の物言いに理解があったらしく、この船乗りは肯定する。


「おれぁノービスの教えを信じちゃいるが……勇者だ何だってのはわかんねぇが、面倒事に巻き込まれそうなのには違いねぇな!」

「だろ? 少し風に当たって乾かしたい。 ここに居ても良いか?」

「おう! お前はレグセルさんの客だ、好きに使ってくれや!」


 気前よくそう言い残して立ち去る船乗りを背に、俺は潮風を受けながら何もない地平線を眺めていた。……その後、別の船乗りに同じ質問を三度は答えながら……。


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