零ノ二十六話 義慫慂
自己紹介も程々に、俺はレグセルに目的と状況を簡素に伝えた。
「――それで……つまりは金がないと。 ノーヴスト大陸を目指してるのに」
「そうなる」
「だが、そこまで君が急ぐ理由って何なんだい?」
「それは……その……。 ……(天使に言われてな)」
「へ……。 ふはははは! 天使と来たか!」
事実を小声で言ったのだが、レグセルに笑われてしまう。
「流石は勇者って感じだね」
「勝手に振り回されるこっちはたまったもんじゃないけどな」
「天の使いによる啓示とは、女神に愛されている証左だろう。 是非にあやかりたいものだよ」
「そのまま面倒事も引き取ってくれると有難い」
「それは遠慮する」
軽口を叩き合える程度には打ち解ける。偶然だったとはいえ、相手側の目的が把握出来ているというのも大きいだろうが。
「どうやって来たんだ? ここまで来るのに」
「それは、馬に乗って来た。 俺の体重もあるが、優秀な奴なのもあってかなりのペースで進んでたな」
「馬、か……。 君は向こうの大陸にもその馬を連れて行くのかな?」
「そのつもりだが……」
俺がそう答えると、少し言いづらそうにしながらレグセルは告げる。
「船に子供一人を乗せる料金と、貨物として馬を運ぶ料金とでは数倍――いや、数十倍は違いが生じる。 現実的に考えるなら、置いて行くべきだろう」
「……」
その考えはあった。だが、ここまでの旅でそれなりにミルフィーザへと愛着が生まれていたのもあって選択肢から外していた。
「……そこまでするぐらいなら、俺は無理をして急がずにゆっくりとノーヴストを目指す」
「だが啓示があったのだろう? 人ならざる存在からのね。 君の立場からしてしても従うべき内容だろう」
「いざとなったら遂行しなくても構わないとさえ思ってる」
ミルフィーザは幼少より過ごしてきた家を逃げる様に飛び出してから今に至るまで、ずっと共に居た存在でもある。ニーマディアという国から持ち出せた唯一とも言うべき相棒であり、名付けをした遊牧少女の忘れ形見でもあった。
「……女神ノービスを信仰対象の一柱としているサンルスディアとしては天の使いの頼みというのは遂行してもらいたいのだけれどね……」
「……」
「マフテス、馬を船に乗せる場合の諸費用を計算してくれ」
「……これを」
レグセルは部下に指示を出して、幾つか何かを書き込んだ木簡を手渡される。そしてそこに書かれた数字を俺に見せ付けた。
「ほら、これ。 これが相場だ」
そこには、莫大な額の移動費が記載されていた。この町に着いてどうにか捻出した宿に、優に数節単位で滞在できる程である。
「うぐっ……」
「理想と現実というのは切り離して考えなければね、特に導く立場であれば猶更だ」
「……俺はお前みたいに導く立場じゃない」
「国だけでなく、個の単位でも同じだよ。 少なくとも君が君の所有馬を導くには、君が手にしている物では圧倒的に足りない。 そうだろう?」
「……」
見た目は子供でも、勇者としての記憶は大人の現実を知っていた。そう、ミルフィーザを連れてというのは俺の我儘なのだ。
これだけの額を稼ぐには、それこそ年節の足踏みが必要だろう。
『カティがここを出て、世界中を見て、それ、を、教えてくれない、かな?』
あの少女は、俺にそう願った。こんな所で無為に過ごすのはその願いに反するだろう。
『カティ、お前は長生きするんだ。 そして勇者として名を馳せた暁には、わたしの名を後世に言い伝えてくれ』
にぃさまは、こんな事に費やすために俺を逃がした訳ではないだろう。
『それが貴方にとっても、最も幸福な選択になります。 間違いありません』
あの天使の言葉が真実であるかは定かではないが、急げと言われた以上、手放す事こそがあの頼みに従ったと見なされる行動だろう。
「…………わかった。 そうだな、それが俺が取るべき選択なんだろう。 俺は一人でノーヴストに向かう。 それなら短期間の稼ぎでも進めるんだろ?」
「それなんだけど、提案があるんだ」
「提案……?」
「その話を進めるには、一旦君の馬を見せてもらえるかい?」
「……あぁ」
何だかわからないまま、俺は泊まっている宿へと向かった。
……
それまで話をしていた場所とは違い、それなりに人の気配のする宿へと到着した。俺もそうだが、レグセルの側も身分を隠して行動してるため、双方身の上については話さないという合意を予め取っている。
「ミルフィーザ、戻ったぞ」
俺の姿を見つけたミルフィーザは安心したという様子を取った後、レグセル達を確認して一瞬警戒する。だが、俺が打ち解けている様子だったからか、その警戒をすぐに解いた。
「これが君の馬か。 確かに上等な子だね」
「それに、かなり賢いと思うぞ。 な?」
俺の問いかけに、「そうだ」と返事をするみたいにミルフィーザは鼻を鳴らす。
「そうらしいね。 ここまで人語を理解した素振りの子も初めてだ」
ミルフィーザをひとしきり撫でた後、改めて俺はここに移動した理由を尋ねる。
「で、提案ってのは何だ?」
「そうそう、これだけの質なら何ら問題もない。 僕に売らないかい? この君の馬をさ」
「ん……?」
ミルフィーザを置いて行くと決めた以上、どこか里親探しはしなければとは考えていた。だが、相棒であるミルフィーザに値を付けるという発想がこの時はすっぽり抜け落ちていた。
「君は旅の資金を得られ、僕は上等な馬を得られる。 それに、君としてもミルフィーザの今後を考えるなら乱雑な扱いをする者へと譲りたくない。 悪くない提案じゃないかな? 君にとってもこの子にとってもさ」
「……」
確かに悪い提案ではない。寧ろ願ってもない話だった。
そもそもレグセルについてだが、酒場で助けられた所から今に至るまで、俺の話を聞いて助けしてする様子である事。そして、彼の活動が言葉通りなのであれば、清々しいまでのお人好しなのは間違いなかった。無論、身分もあってそれだけではない理由は持ち合わせてるだろうが、話をする限りでは善良な人物であるのは疑っていない。
そんな彼にであれば、相棒を託すのはやぶさかではない。それどころかこれ以上に優良な相手は想像出来なかった。
「……因みに幾らになる」
「マフテス」
「――此方を」
既に準備されていたらしい木簡を受け取ったレグセルは、一筆してから俺にそれを見せた。
「相場に色を付けて、これぐらいだ」
相場は横線が引かれた数字で、それに上乗せされた額が提示されていた。
「え……な……!?」
その値は馬一頭にしてはかなりの金額で、一般的な健康馬数頭分に相当する。そこに俺一人がノーヴスト大陸へと向かえる料金が色付けされていた。
「……君は仲間を失うんだ、納得できるだけの金は用意するよ。 僕はこの子を大事に扱うと約束するし、それ以外にも君が必要としている物を準備しよう」
「ミルフィーザの引き渡しは、出発の日まで待ってくれるか?」
「構わないよ」
「なら、よろしく頼む」
俺は、ミルフィーザとの別れが確定する返事をすると共に、最大限の配慮をしてくれたレグセルへと頭を下げた。




