零ノ十九話 邪霊
(ん……。 ん!? 俺は眠ってたのか……)
助けを呼びに行った後の記憶が曖昧で、気が付けば俺はベッドに寝かされていた。その隣のベッドには遊牧少女が寝かされていた。
「何なんだよ……この黒いの……」
彼女にも俺にも影霧が纏わり付いていた。この影霧と呼ばれる物体が何なのか今の俺でも理解していないが……。
「飲み物……」
異様に乾く喉を潤すべく、近くの水差しの中身を胃に流し込む。だが、水差しの中身を空にして胃が逆流しそうになるまで水を得ても尚その乾きは収まらない。
(んだ、これ……)
水差しを乱暴に置いて、ベッドに体を預ける。体の全身が熱を帯びていて怠い。
(風邪でも引いたか……?)
確かに予想だにしない戦いで疲れていた。とはいえ、それにしても疲労度合に違和感がある。
もう一度頭だけを遊牧少女の方に向ける。怪我をしていた腕は治療が施され、今は眠っているらしい。
(俺も寝よう。 回復にはそれが一番だ……)
そう思い、俺は重い瞼を閉じて意識が薄れていく感覚に身を委ねた。
――
――――――――――
――乾いた――
(――っ!?)
眠りに付いた。それは確かだったにも関わらず、俺は俺の意識の中に別の『何か』を感じ取る。
――乾いた。 喉が渇いた――
(何が起こった……? いや、違う――誰だ?)
俺は勇者の記憶に振り回された経験がある。それらの記憶はある種、歴代勇者達の人格とも呼べるものでもある。人格とはその人間の経験という記憶によって形成されるものだからだ。
だからこそ、自らの中に存在する意識というものに敏感だった。だからこそ、瞬時にその感覚に気が付けたのだった。
(何者だ。 何で俺の中に居る?)
――渇きを潤せ。渇きを潤せ――
その存在はその単純な要求だけを繰り返しながら、少し――また少しと俺そのものを浸食しようと動く。
(まともに意思疎通が出来る相手じゃないな)
――渇き。渇きを――
(仕方ない。 俺の意識も危ないんだがな……)
早々に穏便な対処を諦めた俺は、勇者の記憶の内、封じ込めていたどす黒い記憶の蓋をほんの少し開く。その瞬間、何もかもをまとめて飲み込もうと広がっていく。
――渇き。か――わ――
大した思念でもなかったその存在は、即座にどす黒い記憶に呑まれて消滅してしまった。そしてそのまま俺自身も呑もうとするどす黒い記憶をもう一度封じ込めた。
(ぐっ……。 ふぅ……)
どうにかどす黒い記憶を封じ込めた頃、俺は眠っていた意識から目が覚めていた。
どれだけの時間が経過したのかはわからないが、多少の疲労感こそあれ平常な感覚へと回復している。
(それに俺から溢れ出る黒いのも消えているな……)
どうやら、あの『渇き』だ何だという存在が影霧と関係していたらしく、それを上回る狂気によって排除したことでなくなっていた。だが――
「こっちはそのままか……」
隣に眠っている遊牧少女は影霧を纏ったままだった。
……
俺は遊牧少女の父親や他のリガロ族の大人達と情報の共有を行った。
影霧を纏った狼に襲われ、それ自体は倒す事が出来たが俺も彼女も影霧を発症してしまった事を説明した。
俺が助けを呼んだ後、意識を失った俺と彼女の負傷を治療こそしたが、不気味な影霧の対処に困って隔離していた事を聞かされる。
「つまり話を整理すると……娘は噛み付かれてしまっているが、カティは直接の接触は最小限であったにも関わらず、憑かれてしまったと……」
「あぁ。 あの黒いのを一定量吸い込んでしまったのが原因かもしれない。 俺はまた憑かれても祓えるが、他の人間がどうなるかはわからない」
「意識を乗っ取ろうとするあの黒い煙……。 やはりババの行った通り悪霊かもしれんな……」
「悪霊、ね……」
遊牧の民といった自然との関わりの深い人間は、そうした風習やオカルトに傾倒している場合も多い。この時点の俺も影霧の対処法なんて知らなかったし、悪霊だと決めつける族の老婆を否定するだけの材料もなかったのでそこは放って置く。
「……最低限の怪我は治療したが、取り憑かれこそされなかったが治療した者も若干の不調を訴えておった。 近寄るだけでも呪われる可能性が高いしの。 やはり悪霊を跳ね返した実績のあるカティくんに任せるのが一番ではないかね」
「自分もそう思います。 元々娘とも仲が良かった彼に寄り添ってもらうのが娘も安心出来るかと」
「という訳じゃ。 病み上がりで申し訳ないが、君に彼女の面倒と悪霊の監視を頼みたい」
「わかった」
元よりそのつもりだった俺はそう返事を返す。
「ではあの狼の骸は火葬してしまおう。 万が一にも呪いが集落に降りかかっては叶わん」
「ですね……」
以後、俺は極力遊牧少女と同じ建物から出ない様に厳命される。食料や飲み水、それから必要な物は言えば用意してくれると言われたので、彼女の治療に専念する事となった。




