零ノ十三話 名付
俺が世話になっているリガロ族は、定期的な狩猟の他に遊牧として幾つかの家畜を扱っている。遊牧の民なのだから当然ではあるが。
その彼らの食文化にて重要となるのが、赤と白の食べ物という考え方だ。赤が肉で、白が乳製品に当たる。
そんな乳製品への加工は、育児や裁縫に並ぶ重要な女性の仕事でもあった。
「――で、そっちの仕事はしないのか?」
甲斐甲斐しく馬の世話をする遊牧少女に俺は声を掛ける。
「わたしはいーの! なんてゆーか、そういう仕事は合わなくって……」
合う合わないの話ではないと思うのだが、彼女は逃げる様に目を逸らす。
家畜の世話も女性の仕事の一つだが、自らが騎乗する馬の世話は男性がすることが多い。彼女はそんな馬の世話だけを積極的にやっていた。
「狩りに参加してるのもそれが理由なのか?」
「……」
「責めてる訳じゃない。 それに、俺の立場で気にしても仕方ないしな」
「……カティってば、小さいくせに大人みたいな喋り方になるよねー」
「……自分が年不相応だって自覚はあるよ」
「ほら、そゆとこー。 あんま可愛くないよ?」
「ほっとけ」
俺に可愛さを求めてどうするのか。
茶化す態度から彼女なりの真面目モードに切り替わると、胸の内を語り始めた。
「……うーんとね。 わたしのお母さん、わたしを産んだ時に死んじゃったみたいで……。 お母さんになるって想像ができないんだよねー。 あ、お母さんっていうのがどんな感じかは、他の子のお母さんで知ってるんだけど……」
「……」
「他の人より遅れてるってのもあって……、自分がお母さんになるって想像が出来なくて……」
「……それで男性の仕事をする様になったのか」
「そんなとこかなー。 ……それに裁縫とか料理とか苦手なのは間違いないしー、……得意な事をするのが一番だってお父さんも言ってくれてるから……」
口を動かしながらも、馬の世話を続ける彼女の顔は憂いを帯びていた。
「何かカティと会ってからそんなに経ってないのに、何か不思議と話せるねー。 こういう話、他の子と話した事もないのにー」
「……知らないからこそ、吐き出せたりするもんだ」
「そうかもねー」
そう言った彼女の表情は、普段と同じに戻っていた。
「……わたしの秘密は話したんだし、今度はカティの事を教えてよ」
「それを聞きたくて話したのか?」
「ううん、それはぐーぜん。 折角だからってはなしー」
「……」
「誰にも言わないから。 ほら、わたし、口堅いしー」
「それは知らないが……」
この遊牧少女の事は詳しくないが、少なくとも口が堅い性格には思えない。
「……まぁいい。 俺は――」
その後、俺は城での出来事を簡単に話した。
無用の同情を誘うつもりはないので内容をぼかしながら、それと勇者である事は隠して説明する。
「――と、そんな理由で俺はあの場所に倒れてたんだ」
幾ら優秀な馬で駆けたとはいえ、位置的にそう遠く離れた場所でもない。襲撃をしていた三国の耳に入れば俺もだがこの遊牧の民も危険に陥る可能性がある。
にも拘わらず、俺は彼女に話をしてしまった。それには気付いていたが、誰かに話してしまいたいと心のどこかで感じていたのだろう。
「そっか……。 それでカティは逃げて来たんだー」
「……誰にも言うなよ?」
「言わないよ。 信じてないなーお姉ちゃんをー」
「……」
姉と呼ぶには威厳も過ごした時間も足りていない。少なくとも彼女を敬う事はあり得ないのだけは間違いなかった。
「でもいいなー。 わたし、ここでの生き方しか知らないから……。 そういう話、もっと聞きたいかもー」
「俺だって、城の外には殆ど出なかったぞ?」
「それでもだよー。 わたしが知らない話も知ってるでしょー?」
「……」
俺は勇者の記憶として様々な時代の様々な地の知識を有している。それらを解禁すれば、俺よりこの世界を知っている人間の方が少ない位だ。
「……一応、にぃさまの本で読んだ知識なら教えられるが――」
「ほんと!? 絶対だよ! やくそくー!」
「あ、あぁ……」
この時の俺が何故そんな約束をしたのかはわからない。単に話し相手になってもらいたかったからなのか……。
これ以降、彼女と二人きりの時に限ってだが、兄の本という体で彼女に世界のあれこれを話聞かせることになった。
「――と、これで最後の……あ! これってカティが乗ってた子だー」
「……あぁ、そうだな」
並べられた馬の中で、端に繋がれていたのはあの馬だった。
「お父さんたちが見た目からして優秀で、丁寧に手入れされてるって話してたんだよねー。 でも気性が荒くて誰も乗せてくれないから困ってるって言ってた」
「気性が荒い? かなり賢いって聞いたし、俺を乗せてる時もそんな感じだったが――」
「うわー!」
遊牧少女がそんな馬に触れようとしたら、確かに近づくなと言いたげに暴れる。
だが俺の方を見て少しすると、暴れる様子を止めて俺の方をじっと見つめる。
「あれー? 急に落ち着いた……」
「みたいだな……」
服装が遊牧のものを一見では俺が誰かわからなかったらしいが、俺があの時城から逃げる時に乗せたのだと気付いたらしい。
「んじゃまー、手入れさせてもらうねー」
一言断りを入れた遊牧少女が、この馬の手入れを始める。
「……そういえばカティ?」
「どうした?」
「この子の名前はー?」
「…………知らん」
そう言えば、この馬の名前は知らない。城に居た当時は名前があっただろうが、もう知る術もないだろう。
「……名前ないのは不便じゃない? この子、カティに懐いてるみたいだしー、しっかり名前を付けてあげようよー」
「名前か……」
何かに名付けをしたという経験がない。
「馬の名前か……うーん……。 凄い馬って名前で良いんじゃないか?」
直球な名前を口にすると、遊牧少女は目を細めて呆れた表情をする。
「流石にそれはどうかなー……」
「だ、だよな……」
俺に名付けのセンスはないらしい。特別歴代の勇者がそうだったという事はないので、純粋に俺の感性が悪いのだろうと思われる。
「うーん……。 お父さんが優秀な馬だろうって言ってたし、気性も実は荒くなくて頭が良いみたいだしー……。 ……ミルフィーザとかどう?」
「ミル――って何でお前の名前から取ってるんだよ……」
ミルフィーザという名は、確実にこの遊牧少女の名前のアナグラムだった。というよりほぼそのままである。
「だって……優秀な馬ならいいでしょー」
「お前なぁ……」
そんな調子で「今日から貴女はミルフィーザだよー♪」と話し掛けながら世話を続ける。この馬は別にそれで構わないとでも言いたげに軽く鼻を鳴らす。
「……まぁ、お前がそれで構わないなら良いんだが……」
「ねー。 良い名前だよねー」
そのまま世話を続ける彼女に名前の訂正をさせるのは諦めて、世話をする様子を隣で見ていた。




