第36話④ 瑞紀の過去
==楓=快天の節・十四週目=瑞紀宅の自室==
「で、話ってのは何用だ?」
図書館であの記事を見つけて以降、どうにも気になっていた私は六笠本人に直接聞くことにした。
彼女の部屋に二人きりになったのを確認してから、私は話を切り出す。
「……私の記憶に関わる内容ですので、正直にお答えしてくださいね」
「んだよ、改まって」
「……偶然ですが、貴方の身の上話を知ってしまいました。 その際にわずかながら何かを思い出しそうになりましたので、正直にお聞きさせてください」
「……」
「新聞の小さなコラムに記載されていました。 間違いありませんね」
「……は? 確か新聞には私の名前は書かれなかった筈――」
「その通りですね」
私はコピーしておいた新聞記事の切り抜きを鞄から取り出した。
「その新聞記事とは、これの事でしょうか」
「ちょっと貸してくれ」
そう言いつつも焦りからか記事の切り抜きを引っ手繰った六笠は、その内容を一読してから私に対して怒鳴る。
「おまっ、わたしについては書いてねぇじゃねぇか!」
「……引っ掛かりましたね?」
そう、なんだかんだ確証を得られなかった私は、彼女をブラフで嵌めたのだった。
まんまと引っかかった彼女は私の悪い顔にぽかんとする。
「――っテメェ!」
「何かを思い出し掛けたのは本当です。 出来れば協力していただきたいのですが……」
彼女は背後をちらっと見て、頭をガシガシ掻くと観念した様子でため息を付いた。
「はぁ……、わーったよ。 けど条件がある」
「条件、ですか……」
「そうだ。 私の下らない身の上話を聞くならアイツ……杏耶莉の詮索は今後しないと約束してくれ」
「春宮さんのですか……?」
珍しく真剣な表情で頷く彼女を見て、本気を悟った私はその条件を呑むことにした。
「承知しました。 今後私が積極的に彼女の詮索はしないとお約束します」
「消極的にもやるな」
「……一切の詮索はしないと誓います」
隙を突いて約束を有利にしようかとしたが、あっけなく見破られてしまう。こういう事の積み重ねで信用を落としかねないのでもう彼女にするのは止めておこうと思う。
「じゃあ話すぞ。 つっても何から話すかな……」
そう言って彼女は自らの過去を話し始めた。
「わたしのお袋の家系は、地元で有名な名家ってやつでな。 有名企業の社長とか地方議員とかを多く排出しているんだ。 んでもって男女問わず長子を当主に据えるって習わしで、幸運なことに我が母親は第一子だったんだ」
「名家の出でしたか」
「わたしか? ……血筋はな。 まーけど何を思ったのか、お袋はどうにも外の世界を知りたいとかで家出同然で飛び出したらしい。 黙って座ってりゃあ当主になれたってのに馬鹿な女だよな」
「……」
「それでもって適当な男を引掻けて拵えたのがわたしだったんだな。 それを堕ろせなくなった頃に知った本家では勘当だなんだって大騒ぎになったんだと。 戻る場所を失ったわたしのお袋は行く当てもなしに引っ掛けた男……わたしの親父に当たるんだがそこに居座るしかなくなった」
「実の親に随分な物言いですね」
「ま、聞いてればわかるよ。 親だろうと何だろうとどうしようもない奴ってのは居るもんだぜ。 んで、それでも途中まではうまく行ってたらしいんだ。 けど親父の勤め先? 建築だか土木だか忘れたがそれが潰れちまったんだよ。 社長が脱税してたとか何とか――って理由はどうでもいいな。 わたしはガキだったし詳しく知らん」
「……」
「それからがもう悲惨でな。 親父は酒だギャンブルだってのにのめり込んで毎晩怒鳴る暴れるの大騒ぎ。 ……その頃になれば私も覚えてるな。 で、金がない我が家では仕方なしにお袋が働くしかなかった。 箱入り娘で貰える賃金は爪先程度で、その僅かな金も親父に使い潰されて毎日腹が減ってた記憶が鮮明に残ってる」
「……それは――」
「おっと、わたしは吹っ切れてるし、情けは無用だぞ。 で、偶然親父の蹴りをもろに食らったわたしは縫う必要がある程度には大怪我を負った。 幸い後遺症とかはないけどな。 ほれ」
そう言って足を捲って見せられる。確かに僅かに彼女の指す部分には傷跡が残っていた。
「で、その際に病院で全身に打撲が見つかった所為もあって児童相談所とかがお節介にも介入した。 それ以降は面倒になったのか、わたしに親父は手を出さなくなったが、その代わりにお袋への当たりが強くなったんだけどな。 その間わたしが何してたと思う? 部屋の隅でガタガタ震えてただけだぜ。 滑稽だよな」
「……笑えませんよ」
「いや、今となっては笑ってくれた方が有難い。 ……そん時からだな杏耶莉との腐れ縁は。 当時のわたしにはどの同級生も面倒事は御免だから近寄らなかったんだがアイツだけは違ったんだ。 多分何も考えてなかったのかもしれんが、それでもわたしには唯一心を許せる相手だったんだ」
「そんな時から春宮さんと……」
「だな。 で、最後はその記事にもある通り勢い余ってお袋は殴り殺された。 結局あの女が何を考えてたのかわたしにはわからなかったな。 それで親父は今も豚箱だ」
「……」
「わたしの親権は最初に話した実家に移ったんだが、どうにも現当主のババアはわたしがお気に召さないらしく、敷居を跨がせたくないって喚いてな。 かと言って施設に預けるのは当家の血がどうとか面倒な話もあって宙ぶらりんな状態で放置されてるってのが現状だな。 最低限有り余ってる資金から生活費は出てるから今の方が楽な暮らしが出来てる。 話は以上だ」
「……赤野さんは何処から?」
説明に明らかな不備があったので質問をする。
「あぁ、普通に忘れてた。 赤野の母親があの本家に駆け込んだらしい、理由は知らん。 んで、そのお手伝いとして働く事になったそうだが、年齢が近かったわたしのお袋と姉妹同然で育ったんだと。 わたしのお袋には弟も居るそうだが、子宝に中々恵まれなかっから年が離れてるってのも理由の一つらしい。 んで、お袋が出て行って気掛かりだった状態でわたしが一人取り残されたってんで、世話役を買って出たらしい」
「懐かしいお話ですね」
「「!?」」
気が付けば背後に赤野が立っていた。
「リスピラ様が呼んでいるので来ました」
「あ、あぁ……リスピラがね」
どうやら、赤野には異世界転移を含めた事情を話しているのだそうだ。リスピラも一目見て軽く驚いた程度だというのだから肝の座った人である。
「リスピラさんは今何を……?」
「水浴びしておいでです」
連れられて到着した部屋の中央には小さなボールと、その隣に有名な炭酸水のペットボトルが半分程減った状態で置かれている。
どうやら彼女は女児向け人形の水着を着て、一人炭酸プールを楽しんでいたらしい。恐らく六笠と一緒に買いにでも行ったのだろう。彼女のサイズに合わせる為に人形用を使うとは……考えたものである。
「あ、きたの。 ふたりともいっしょにはいるの! つめたくてしゅわしゅわでたのしいの!」
「わたしじゃ指先しか入らんわ」
そう言って六笠は隣に置いてあった炭酸水を掴んで飲む。
「ぬるっ!」
「新しいのをお持ちしますね」
赤野がリスピラの入っているボールに氷を落とすと、キッチンの方へと消えていった。
「要る?」
「要りません……」
彼女から手渡された常温炭酸水のペットボトルの受け取りを丁寧に断った。




