Episode19 Return Date
==カエデ==マクリルロ宅・リビング==
「私に任せてくださいませ!」
「お願いします」
「ぉねがーします」
結局メグミの上流作法を、チェルティーナから学ぶことと相成った。
語学学習が日常生活に支障のない程にこなせる様になり、手持ち無沙汰になったのが大きな要員である。
メグミ本人も学びたい意思を示していたのに加え、蚊帳の外に追いやられていたチェルティーナがしつこいのも理由にあるのだが……。
「それで、相場を鑑みれば相応の額を要求することになってしまいますが、その話を付いていますわね?」
「はい。 マーク曰く、『別に害がある訳じゃなし、やりたいならやれば良いよ』とのことでした」
「……貧しい貴族なら、捻出すら困難な程の額を吹っ掛けたのですが……。 もう少し額を引き上げてしまいますわよ?」
「……お嬢様」
「……わかってますわよ」
彼女としては儲けを出すのが目的ではなく、異世界人である私やメグミと関わりを持ちたいのが最大の理由だと話していた。だからこそ、嫌がらせを兼ねて額を釣り上げるのは性格が悪いだろう。
「マークはだめです、か?」
「……そうですね。 知識や才能は見張るものがありますが、人間として手本とすべき性格ではありませんね」
「あい。 しょーちし、まちた」
わかっているのかいないのか……、私の言葉に素直に返事をするメグミ。
「っと……。 無駄話はここまでにして、始めますわよ」
「あい」
こうして、メグミの作法訓練が開始された。
……
「――うーん、違いますわね。 ……こうして、体の重心を極力動かさない様心掛けるのですわ。 仮に今は出来なくても、心に留めておくことで自然と身に付きますの」
「あい。 ……こう、ですか?」
「そうですわ。 まだまだ未熟で、正直に申し上げれば出来ているとはいませんわね。 でも、諦めずに続けてくださいませ」
「あい」
そんな彼女らのやり取りを眺めていた私に、ある感情が湧き上がる。
(これも、既視感が……)
以前の様な頭痛こそないのだが、チェルティーナの教える作法を私も実践しようとすると、すんなりでやれてしまった。
「……あら、カエデ様? 貴方も作法について知見がありますの?」
「いえ、わかりません。 ですが、何となく……」
「……そう簡単に身に付く精度ではありませんですわ。 本当に、学んだことはありませんの?」
「……どうなのでしょうね」
私の煮え切らない反応に呆れた彼女は、興味を失ったようにメグミに向き直る。
(やろうと思えばできましたが、癖として普段の動きに取り入れられてはいませんでした。 とすれば、過去それを習った経験のみが残っていて、それを活用する環境に居なかった……。 とかでしょうか?)
実際、日本でそんな作法が要求される場はまず存在しない。使う必要性がないことは容易に想像が付く。
(やはり、習い事に熱心な両親だったという線は、誤りではないと考えるべきでしょうね)
「うぅー、むつかしい」
「当然ですわ。 一朝一夕で身に付く程、上流作法は甘くありませんわ!」
「もうつかれたー……」
「まだ駄目ですわ!」
「テルテーナ、きびしーです……」
「チェルティーナですわ!」
「チェ、ルテーナ……?」
「……まぁ、発音は仕方ありませんわね。 でも、作法の方は許しませんわ! この足捌きは――」
以外にもスパルタな彼女の指導を受けたメグミだったが、口では嫌そうにしている割にはそれなりに楽しそうである。
(メグミが人見知りしない性格というのもありますが、案外相性が良いのかもしれませんね)
初対面にも関わらず、これだけ打ち解けられるのであれば、私は必要ないかもしれない。
そんな事を考えていたからだろうか。突如研究室から飛び出してきたマークに私達は驚く。
「マーク様、何事ですの!? 淑女の秘め事の場に現れるとは、相応の事態なのでしょうね!?」
喚くチェルティーナを一瞥したマークは私に向き直って、口を開く。
「キミの元の世界へと繋がる裂け目の兆候が見られた。 あと数日でキミの帰還日となる」
「え……」
その刹那、私の脳内で思考が停止する。
「……っと。 私の帰還日はもう少し先だと思っていましたが……」
「それも、あのノートから得た知識かい?」
「はい……」
マークは少し思案する様な様子になる。その後、詳細について私に説明する。
「別に、帰還日の来る時期は決まっている訳じゃない。 最悪これぐらいまでには発生するという目安は存在するけど、それより早く繋がる日が来る可能性はある。 今回の様にね」
「……つまり、私の場合がそうだと」
「そうなるね」
ノートの方の場合はおよそ八か月……この世界基準なら二節の期間滞在していた事になる。
だが、私の場合はその半分の一節弱……およそ三か月程度である。
「どうするんだい? キミが此方に残る選択をするなら、それを尊重はするつもりだけど……」
「私は……」
「ちょっと待ってくださいませ!」
横で話を聞いていたチェルティーナが割り込む。
「やっと仲良くなれましたのに、カエデ様も居なくなってしまいますの?」
「……」
「それに、メグミ様はどうなさるおつもりですの? 貴方が保護者ですわよね」
口には出さないが、それは否定したかった。
メグミは拾ってきたという表現こそ正しいのだが、実際にマークの保護対象だし、生活費はマーク持ちだ。
ただ懐いているから普段接する時間が長いので勘違いされるのもわからないでもないが、私に何の責任もないはずだった。
「カエデ……?」
「……」
唯、そんな考えを見透かされているように、メグミに見つめられる。
「居なくなるの?」
「うぅ……」
結局そこは未だに悩んでいる部分だった。仮に戻っても、私に居場所は存在しない……正確にはわからないだが……。兎に角、当てがないのは間違いないだろう。
「私は……」
でも、今決めなければいけない回答だった。
(私は……)
様々な事柄を反復して思考する。どちらが良いか、何を失うのか……。
正直な話、ほぼ閉じた空間で過ごした日々が殆どで、唯一の事件と言える賊掃討作戦は思い出として寧ろマイナスだった。
けれど、記憶に少ない知り合いはこの世界にしか存在しない。だが、失った記憶にはきっと多くの知り合いが元の世界に居るのだろう。
(私は……)
そう考えを巡らせていると、足元に柔らかくて重量感のある物体がぶつかる。それを見ると、メグミであった。
「カエデ!」
「……はい」
「わたしは、きにしなくていーです」
「……」
「カエデのけめたことを、やーて、ください」
『私の決めたことをやってください』。そう言葉すらまだ流暢に話せない女の子に気を使われてしまう。
「メグミ様はそれで良いんですの?」
「あい。 カエデがけめたことが、だいじですから」
「……」
そんな言葉に私は背中を押される。今思い返せば、優柔不断な私の背中を押してくれたのはなんだかんだでメグミだった。
「私は決めました。 私は――」
その決断を、なんだかんだでこの場に居る方々は尊重してくれた。




