6.地図
結論から言うと、クロエの地図は本物だった。──無論、スレイが見る限りという注釈がつくが。
彼女が開けた路上の真ん中で手にした、手の中にすっぽり収まるサイズの小さな立方体、古代の記録装置が宙空に〈黒い口〉──いや、失われた都市ローラウの立体地図を投影していた。街路いっぱいに三次元的に投影されたそれは精緻をきわめており、建物どころか街路樹の一本一本まで完璧に描画している。
「地図はこの街が破壊される以前のものです」
“叡智”の神功で装置を直接操作するクロエが言った。彼女が言うとおり立体地図上に焼かれた建物はひとつもなく、芸術然とした街並みが盆地を覆っている。スレイが探索してきた無数の廃墟──尖塔群も当時の美しい姿のままだ。遺物の目利きは簡単ではないが、まさか自分を騙すためにこんな手の込んだ贋作は用意すまい。
かれは一ヶ月の間さまよったローラウの遺影にいくらか感傷的な気分になり、その在りし日の姿にしばしの間見入っていた。
「〈碑文〉は……ここですね」
クロエの操作で地図の一部がズームアップし、二人の前に一つの建造物を映し出した。ご丁寧に〈失われた碑文〉の存在を示すのだろうピンも一緒に表示されている。スレイは眉根をよせて、
「ここにはおれも行ったが、入り口さえなかった」
「〈碑文〉は巧妙に隠されています。鍵となる情報がなければ永遠に見つからないでしょう」
スレイの口から悪態がついて出た。(そこに本当に〈碑文〉があるかはともかくとして)クロエのもたらす情報が重要であればあるほど、自身の間抜けさを突きつけられる。もしも彼女とすれ違っていれば、かれは〈黒い口〉を延々と彷徨うはめになっていただろう。
クロエが立体地図から目を離して言った。
「そこまで落ち込む必要はないと思います。この出会いが偶然とはとても思えませんから」
「どういうことだ?」
「先程も言いましたが、私がこの地に入ったのはほんの二時間ほど前です。ざっとあたりを大雑把に走査して──あなたを見つけたとき、どれだけ驚いたかわかりますか?」
「わかる」
スレイが頷いた。ハイランダーとして各地を探索する際にかれも経験していることだが、外界にいて当然のクリーチャーに襲いかかられるより、いるはずのない人間に出くわすほうがはるかに驚くものだ。
「ご存知でしょうが、この〈黒い口〉は長い間忘れられてきた場所です。〈失われた碑文〉のありかは誰も知りませんでしたし、ここは派手に焼かれてろくな遺物も残っていません。そんな場所で〈碑文〉を探す人間が、たまたま出会うなどというのは、無視していいほどの低確率でしょう」
「……ま、たしかにな」
スレイはうなずいた。かれ自身、何十年も前の預言に導かれてこの地に来たのだ。クロエの方にも〈始祖〉のはからいがあってもおかしくはない。おかしくはないのだが……
スレイはクロエの話を聞きながら、ウーシアが語った預言の内容について思い返していた。師はスレイが〈黒い口〉で〈失われた碑文〉を見出すと断言した。決してスレイたちではない。これはどういうことだろう?
考えを巡らせていると、クロエが立方体を操作して地図を消した。
「そろそろ行きましょう。あなたはついて来る、ということでいいんですよね?」
「む……」
ついて来る──やはり完全にオマケ扱いか。スレイは思わず口を引き結んだ。しかしいくら不満があろうとも、隠されているという〈碑文〉を見つける自信などかれにはない。例の建造物に近づいておきながら、入り口を見つけることさえできなかったのだ。
スレイは歯ぎしりするのをこらえ、かわりに大きく息を吐いた。
「その前にいくつか話しておくことがある。お前の仲間はどこだ?」
「仲間?」
きょとんとしたクロエをスレイは訝しんで、
「〈碑文〉の捜索隊だ。〈メガリス〉の学者どもがときどきアホになるのは知ってるが──いくらなんでも術者一人に地図をもたせて送り込んだりはしないだろう」
「ああ……なるほど。確かにそうですね」
「おい?」
うんうんと頷くクロエの態度にスレイは不審を覚えた。〈戦士団〉がかれの単独行を承認したのは、言ってしまえばそういう預言だったからであり、〈メガリス〉が〈失われた碑文〉の場所を示した地図を発見したのであれば、大規模な捜索隊を組織するはずだ。
それこそ外界探索の専門家である〈戦士団〉には、真っ先に協力の要請が来るであろう。──まさかそれが正規ルートなのかと、スレイはあらぬことを考えたが、
「期待を裏切って申し訳ありませんが、私は一人です」
「……なんで?」
「…………です」
「は? 聞こえない」
「信じてくれなかったんです!!」
クロエがいきなり喉も裂けよとばかりに大声を出した。記録装置をぶんぶんと振り回して、
「これが〈失われた碑文〉の地図だと誰も信じてくれなかったんです! せっかく遺跡で見つかったのに! ちゃんと安置場所まで書いてあるのに! あのトンチキどもはいまさらそんな物が見つかるはずがないと……あげくのはてに私が自分で書き込んだんじゃないかと言い出す始末。あのあんぽんたんが……」
「わめくな、敵が寄ってくる」
クロエはひとしきり気炎を吐いたのちぜいぜいとあえいだ。どうやらよほど腹に据えかねているらしい。
だが──スレイは思った──そのあんぽんたんの言い分も分からないでもない。何百年も行方不明だった〈失われた碑文〉のありかがいまさらわかったと主張しても、そう簡単に信ずる気にはならないだろう。スレイが長いことウーシアの預言を信じきれなかったように、言い出した方の正気を疑うのがおそらく一般的な反応だ。
「それで一人でここまで来たと。……いや、ちょっと待て、まさか〈メガリス〉の許可取ってねーのか!?」
「ええ。導師の顔にメダル(ウォーロックの証)をぶん投げて飛び出しました」
「おまッ……え、正気か……?」
スレイは呻いた。たとえ強大な力を持つウォーロックといえども、資格や許可なしに外界の探索をすることは許されない。適切な知識がなければかの地の様々な危険物──異界種族由来の凶悪な病原菌、寄生や憑依などの能力をもつクリーチャー、危険な力を持つ呪物や兵器などを生存圏に持ち込んでしまい、大惨事を引き起こす可能性があるためだ。未許可の外界の探索は、下手をすると極刑もありうる重罪──敵対的な異界種族を利したと判断されれば、反逆罪まで適用されかねない。
「お前、よくおれに声かけたな……。逮捕されるとは思わなかったのか?」
「この出会いは偶然ではないと言ったでしょう。それに……」クロエは地図の入った記録装置を、スレイの顔にかざしてみせた。「あなたもこれと、私の知識無しで無為な探索をする気はないはずです」
「…………」
スレイは思わず口を引き結んだが、この場合、沈黙は肯定と同義であった。ハイランダーには無許可の探索者を逮捕する権限があるとはいえ、お縄になったクロエが協力的な態度をとるとは思えないし、そもそも高位のウォーロックは簡単に逮捕できるような相手ではない。返り討ちも十分に有り得る。
スレイの葛藤を察しているのだろう、クロエは余裕の笑みを浮かべた。
「ご安心ください。地図はあなたも見た通り本物ですし……〈失われた碑文〉さえ手に入れれば、細々とした罪はすべて帳消しになるでしょう」
「……そうであることを祈るよ」
クロエ・ソレルはまさに背水の陣だ。〈失われた碑文〉を手にして罪をチャラにしなければ、二度と故郷の地を踏めないことを理解しているのだろう。ふふふ、と完全に据わった目で笑い、記録装置を懐に収めた。
「スレイ・ブライト。一緒に探索するにあたって、あなたに言っておくことがあります」クロエがあらたまった調子で言った。
「なんだ唐突に」
「無法地帯にいるのをいいことに私を襲ったら、即刻死刑判決を下します」
「こえーよ、てか自意識過剰だろ」
「さきほど私のことを絶世の美女と」
「ああ、そういや……いや、絶世とまでは言ってない」
「とにかく、私を襲ったら八つ裂きにしてクリーチャーの餌にします」
「なんで凶悪度を増した?」
まあ、クロエの警戒も当然といえば当然だ。彼女の言った通り外界は完全な無法地帯である。たとえばここで二人のうちどちらかが、なんらかの理由で死んでも、生き残った方が口をつぐめば事件にさえならない。
「失礼しました。しかし念の為、私が休む時は一キロほど離れてください」
「失せろと言いたいなら素直にそう言ったらどうだ?」
「冗談です、マスター・ハイランダー。とりあえず効率的にいきましょう」
クロエはそう言うとスレイに右手を差し出した。一応はパートナーとして扱ってくれるらしい。描いていた青写真とは大分違うなと思いつつ、かれは華奢な手をそっと握った。