4.探索者たち
謎めいた指輪を拾い、建物から出てからわずか数分後──スレイはまたしても異常事態に出くわした。
強い毒気をはらんだ朝靄に沈んだ街路、そこを歩いている最中にふと生命の気配を感じたのだ。スレイは即座に剣を抜き、輝く切っ先を街路左の曲がり角、尖塔を支える柱の陰に向けた。この〈黒い口〉の生き物は、自分のほかはクリーチャーのみ。そう確信していたため、
「敵意はありません。攻撃しないでください」
柱の陰から凛とした女の声が響いたとき、かれの方がいきなり切りつけられたように驚いた。とはいえ積み重ねてきた経験のおかげで切っ先がぶれることはなく、同時に常人よりはるかに優れた六感をフルに使い、神経を尖らせて周囲を警戒する。
「……もし人間なら、手を上げてゆっくり出てこい」
スレイがそう言うと、コツコツと軽い足音が廃墟に響き、命令通り手を上げた状態で一人の女が姿を現した。
声の印象通り涼しげな細面は上品なつくりで、小さな鼻と透き通った白肌は北方の生まれであることを物語っている。淡い金髪は場違いなほど繊細に輝き、瞳は明るい緑色。年齢はスレイよりもいくらか下だろう。一見して華奢な身体には、“ウォーロック”が伝統的に用いる、金属糸と合成皮膜によるタイトな戦闘衣と、女の瞳と同色のケープをまとっていた。腰には楡の木と鋭い結晶による、短剣にも似た短杖を一振り下げている。
「見ての通り人間です、マスター・ハイランダー。──そちらに行っても?」
驚きつつも油断なく観察するスレイに、女がまったく物怖じせずに──それどころか余裕の笑みさえ浮かべて──言った。
「だめだ。外界で出くわす人間は、人類じゃないことが多い。とくに美女の場合は大抵変身する怪物だ」
「なるほど、本物のハイランダーらしい警戒ですね」
感心した様子の女がスレイの左頬、ハイランダーの証である炎模様の刺青を見て言った。当然だが、向こうもこちらのことを警戒し、ある種の走査をしているのだ。
「なら、これでどうでしょう?」
上にあげられたままの女の右手、その人差し指の先に、ふいに小さな光の玉が灯った。まるでホタルのような淡い光だったが、“光”の神功の力で生み出されたその灯りが、清浄な力を放っているのをスレイは感じとった。
剣を収めたスレイを見て女が灯りを消し、ついで悠然とした足取りで話しやすい距離まで近づいてきた。どうやら彼女の方もスレイを人間だと認めたらしく、古式に則った挨拶をした。
「〈白亜の塔〉のウォーロック、クロエ・ソレルと申します」
ウォーロック!──知と力の探求者にして行使者たち。ハイランダーが超人的な肉体を誇るのに対し、彼らは長い修練で現実に影響を及ぼす様々な神功の秘術を身につける。平時は〈メガリス〉で様々な研究に従事しているが、ひとたび戦場に出れば恐るべき破壊者となり、その術法は敵対者をちりへと変える。
目の前のクロエ・ソレルも一見戦闘者には見えないが、人類の生存圏をはるかに離れたこの〈黒い口〉にいるからには、ウォーロックの中でも指折りの精鋭に違いない。
「ハイランダー、スレイ・ブライトだ」
「マスター・ブライト、お噂はかねがねうかがっております」
スレイが折り目正しく一礼すると、クロエはなにやら意味ありげな笑みを浮かべた。大方、兄イシス──〈選ばれし者〉にできの悪い弟がいることを耳にしていたのだろう。かれは追求せず、別の質問を投げかけた。
「それで、ウォーロック、あんたはなんでこんなところに?」
「それで、ハイランダー、あなたはなぜこんなところに?」
声を重ねた二人はしばしお互いを見つめていたが、やがてスレイが口を開いた。
「おれはあるものを探してここに来た。一ヶ月ほど前にな。何を探しているかは教えられないが……」
「奇遇ですね、私もあるものを探してここに来ました。二時間ほど前に」
クロエがやはりと頷くのを見て、スレイは背筋が凍える思いを味わった。まさか、自分と同じものを探しているなどということがありうるだろうか? とうの昔に見捨てられたこの廃都に、まったく同じタイミングであれの探索に訪れる。そんな悪夢めいた偶然が。
スレイの内心をよそに、クロエが秘密を打ち明けるように声をひそめて言った。
「隠す理由はありませんね。私が探しているのは……〈失われた碑文〉です」
半ば予期していた答えだったにも関わらず、スレイは落雷に打たれたような衝撃を受けた。必死に顔には出ないようにと努めたが、橄欖石を思わせるウォーロックの目はかれの動揺を見逃さなかった。
「どうやら目的は同じのようですね」クロエがほうと息をついて、「〈黒い口〉に隠された〈失われた碑文〉──ハイランダーがこのことを知っているとは驚きました。別の資料を見つけたのですか?」
「資料?」
「ええ、いくら命知らずのあなたたちでも、なんの手がかりもなしにこんなところまで来ないでしょう。私と同じように──どこかで地図を見つけたとか?」
「……なにを見つけたって?」
「地図です。〈失われた碑文〉の隠し場所が記されている地図」
「…………」
“そんなバカな”情け容赦のない追い打ちに、スレイは完全に顔色をなくして押し黙った。クロエが不審そうな目でかれを見上げ、
「あの」
「ちょっと待て、話が違う」
「話?」
「いや、なんでもない……。確かにおれも〈失われた碑文〉を求めてここに来た。だが、おれが知っているのはそれがこの地のどこかにあるということだけだ。──それで? 〈メガリス〉は何を見つけたって?」
「〈碑文〉の隠し場所が書いてある地図が見つかりました。三ヶ月ほど前に」
「ふざけんな」
あまりのことにスレイはぐらりとよろめいた。三ヶ月前と言えば、まさにかれが探索の旅に出たころだ。“おれはなにか間違えたのか?”
「こんな偶然がありえるのか……? お前、おれの後をつけてきたんじゃないだろうな」
「失礼な」クロエがむっとして、「地図はたしかに存在しますし、あなたは三ヶ月も追跡に気づかない無能ではないでしょう」
同意を示すかわりにスレイはうめいた。“こんなことはありえない”と思う一方、彼女が嘘をつく理由も思いつかない……
「私と一緒に来ますか? スレイ・ブライト」クロエが腹立たしいほど慈悲深い声で言った。「一ヶ月ここを探索したならば、多少は土地勘というものがあるでしょう。私の水先案内人になってくれるなら、地図を見せてあげます」
“こ、このやろう──”屈辱的な提案にスレイは歯噛みした。“どうなってんだ、〈失われた碑文〉はおれ一人で見つけるんじゃなかったのか……?”
かつて〈始祖〉に与えられながら、〈異界の神〉の攻勢により行方知れずとなった〈聖なる碑文〉──それを持ち帰って兄を見返すどころか、このままでは単にクロエ・ソレルのおまけである。下手をすると、スレイ・ブライトは地図もなく探索していた間抜けとして歴史に名を刻むことになる。かれは背中を冷たい汗がつたうのを感じ、諦め悪くも目の前のウォーロックから、探索の主導権を取り戻す方法を考えはじめた。