たとえ壊れてしまっても
あなたと共に居られるなら、どうなっても良かったの。
「何故ですか?!わたくしに……何か、問題でもあったと言うのですか……?」
何度も言った台詞。一語一句違わずに、願うように繰り返した。
「とぼけても無駄だ。この男爵令嬢へした非道の数々、王太子妃として許されるものではない。」
何度も聞いた台詞。一語一句違わずに紡がれるその言葉は、わたくしの願いを繰り返し跳ね除ける。
あなたは傍らにわたくしではない女を置いて、わたくしのありもしない罪を読み上げる。
何度も繰り返した場面。卒業パーティで突如行われたわたくしの断罪。
何故彼は長年婚約者として連れ添ってきたわたくしではなく、出会って間もない身分も下の令嬢の言う事を信じるの?
そう何度も思った。
もうすぐ彼はあの言葉を告げるだろう。
「君との婚約を――……」
二度と聞きたくないあの言葉。
だからわたくしは、その言葉が紡がれる前にやり直すの。
何度も何度も。
叶わない願いなんてきっとないわ。
今はまだわたくしの想いが足りないだけ。
きっといつか、
いつか彼にわたくしの想いが届いて、
あんな罪は濡れ衣だと気付いて、
再びわたくしを傍に置いてくれるわ。
◆
卒業パーティの1週間前、その日はわたくしと彼との最後のお茶会。
彼が告げるあの言葉から逃げたわたくしは、いつもここに戻って来ていた。
彼とわたくしの未来が無くなってしまうのなら、無くなる前を繰り返せばいいだけよ。
時間を巻き戻して、何度だって彼とのお茶会を繰り返すの。
このお茶会で彼は、わたくしをエスコートしない旨を告げる。それでもこのお茶会は、わたくしが最後に彼を独り占めできる時間だった。
目の前には冷たい瞳の婚約者が、わたくしに目を向ける事なく座っている。
何度繰り返しても彼の瞳は変わらない。
あの断罪の時も、彼の瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
そしてわたくしの気持ちも変わらない。
王太子である彼にふさわしい完璧な淑女を演じながら、彼への愛を瞳に宿す。
愛しているわ。
愛しているの。
例え何度裏切られようと。
例え何度繰り返しても、あなたの態度が変わらなくても。
諦められないの。
でも、そうね。
わたくし何度繰り返したのかしら?
少し、疲れてしまっていたみたい。
いつもいつも、何度繰り返そうと彼に向けていた瞳をつい逸らしてしまったわ。
「君は……もうやめるつもりなのか?」
突然掛けられた声に驚いて目を向ければ、彼がこちらを伺うように見ていた。
いつもの冷たく無関心な様子ではなく、彼の瞳には見たこともないような色が浮かんでいる。
こんな事は今まで無かったわ…
彼の瞳はなんと形容したら良いのだろう。
怒り?失望?いいえ、違う気がするわ。
どこまでも暗く沈んだような瞳の奥に、熱をはらんでいる気がしたの。
呆然とするだけのわたくしにしびれを切らしたのか彼が再びその口を開いた。
「聞いているのか?……それとも、もう私とは口も利きたくないか。」
「も、申し訳ありません。仰っている意味がよくわからなくて……あの……殿下、さっきのは一体どういう……?」
「……昔は、名前で呼んでいただろう。」
あまりに突然で、一瞬何を言われたのかわからなかった。
確かに、昔は殿下のことを名前で呼んでいたわ。
なんだかおこがましい気がして何度目かの繰り返しから名前で呼ぶのをやめてしまったけれど。
でも何故今それを?
わたくしの質問には答えてくださらないし、妙なことを口走る彼は今までの彼とは違う。
現に、暗く熱を持った瞳でわたくしのことを真っ直ぐに見つめてくる。何度繰り返したってそんな事彼はしなかったわ。
そんな風に彼に見つめられると……わたくしは、期待してしまいそうになる。
「いや……私のせいだな。あなたが諦めたくなるのも当然だろう。……あなたの気持ちに胡坐をかいていた私の責任だ。……すまない。」
呆然とし続けるわたくしに彼はそう言った。
謝った?殿下がわたくしに?そんな恐れ多いこと……いえ、それよりも、今の言葉ではまるで……
「殿下は……わたくしに諦めて欲しくないのですか?」
思わずそう聞くと彼は、
「ああ。」
と、短く、しかし強く答えた。
その目はまるでわたくしを慈しむようで、わたくしがその短い言葉の意味を理解するには十分だった。
なんということかしら!
彼にわたくしの想いが届いたのよ!それだけではなく、彼はわたくしの想いを受け入れてくださった!
こんな幸せがあるかしら?
何度も何度も繰り返して遂にこの日を迎えることができたのね。
ああ、やはりわたくしは間違っていなかった。諦めなければ願いは叶うのよ。
喜びと嬉しさで胸が溢れ、思わず頬を涙がつたっていた。
人前で泣くなんて淑女として恥ずかしい真似だと分かっているのに、涙が溢れてくるのを止められない。
そんなわたくしを見る彼の瞳は優しく、それもまたわたくしの心を揺さぶった。
あの今まで見ていた冷たい瞳ではない。彼がそんな目でわたくしを見てくださるだなんて。
「殿下……殿下、わたくしは、あなたを愛しております……」
絞り出すようにそれだけ告げれば、彼は殊更優しい笑顔で頷いた。
何度繰り返しても告げられなかった言葉。拒否されるのが怖くて、あなたに私を愛していないと言われるのが恐くて口に出せなかった想い。
それをやっと告げることができた。ああ、その上彼はそれを受け入れてくれるのね!
溢れる涙をそのままに幸せから顔がほころんでいく。
しかし、次に彼が口にした言葉はそんなわたくしを突き放すかのように、冷たくわたくしの胸を貫いた。
「君の罪を許そう。」
ああ、それはなんて、残酷な言葉なのかしら。
ひどく優しい顔をして、囁くようにそんな事を言うなんて。
後日行われる卒業パーティ。そこで彼はわたくしを断罪しようとしていた。
───ありもしないわたくしの罪。
彼はわたくしを信じてくれたわけではないのね。あの謂れもない罪をわたくしがやった事だと信じ込んでいるんだわ。
「殿下は……わたくしのことよりあの男爵令嬢の言うことを信じるのですか……?」
思わず彼を非難する言葉が漏れた。
「なに?」
「わたくしは彼女に何もしていません!誤解ですわ……!わたくしは、なんの罪も犯しておりません!」
身を乗り出すようにして自身の無実を訴える。
最初こそ訝しむようにしていた彼だったが、何か合点がいったのか「ああ!」と呟いた。そして、わたくしに向かって、
「あの男爵令嬢に対する虐めのことか?あれは私がなんとかしよう。あなたが何もしていないことはわかっている。」
と、そう言った。
殿下はわたくしがしていないことを知ってらっしゃったの?では、今まで何故あんな事に……いえ、それよりその事ではないと言うのなら、わたくしの罪とは?
「けれど君は嘘をついているね。そんな取るに足らない男爵令嬢への加害などとは比べるべくもないほどの大罪を犯しているだろう。」
そう言って笑った殿下の瞳は、今までさんざん見てきたあの冷たい色によく似ていた。
「【王太子】に何度も繰り返す呪いを掛けたんだ。王族を呪うだなんて本来は処刑ものの大罪だ。そうだろう?」
そう告げた彼の顔は、とても愉しそうに歪んでいた。
ああ、彼は知っているのね!何度も何度も繰り返したことを。
彼は気づいているんだわ!わたくしがそうさせていたことに。
わたくし以外が気付くものではなかったはず。なのに何故殿下は……ああ、だけれど、あの長い長い時間を彼と共有できていただなんて!
わたくしの頬は熱を持ち、口角が上がっていく。
ああ、こんなに嬉しい事があるかしら!
「君が何を思って呪いを掛けたのかは想像つくが……その果てを考えていたのか?……まあその考え無しで刹那的な思考も今ではかわいく思えるよ。」
彼はまるで困った子でも見るようにして笑うと、テーブルの上にあったわたくしの手をとった。まるで大切な宝物を扱うように両手で包み込む。
「だが、もう終わりにしよう。あの日の君の瞳は何度見ても飽きないほどに魅力的だが、私は他の色も見てみたくなった。
あなたの罪も何かも愛そう。
あなたのことは私が守ろう。
あなたを愛している。
だから、王太子妃となってずっとそばにいてくれるね?
これからも、今までのように私を愛してくれるね?」
握る手に力が込められた。強く、強く、まるで逃さないと言われているかのように。
彼の瞳の色はあの冷たく無関心な色ではない。
熱を帯び、どこか昏く、揺らめく瞳。
有無を言わせぬ言動とは裏腹に、その瞳はどこか縋っているかのように思えた。
殿下は心配しているのかしら?そんな必要ないのに!
何度繰り返しても変わらなかった想い。何度だってあなたに囁くわ。
「もちろんです、殿下……!何度繰り返そうとも、この先も、わたくしの気持ちが変わる事は無いとお約束します。愛しておりますわ、殿下。」
信じていたわ。殿下、あなたの事を。
何度も何度でも繰り返せばきっと、わたくしの思いに気付いてくれるって。受け容れてくれるって。
嬉しい、嬉しいわ。
ああなんて幸せなのかしら。
もう繰り返す必要なんて無いんだわ。
それでもこの先も、ずっとあなたと共に居られるのね。
◆ ◆ ◆
「君との婚約を破棄する。」
何度も言おうとした台詞。
けれど、その言葉が形になる前に私は戻っていた。
何度も何度も。
あのお茶会に。
そしてまた卒業パーティを迎える。
これはなんだ?
なぜ私はこの時を繰り返している?
理由は分からなかった。
戸惑いは最初だけでその内にそれを受け入れた。
何度でも繰り返されるなら、
何度でも同じ言葉を告げよう。
◆
卒業を目前にしたある頃から婚約者がある令嬢を虐めているとの噂が広がった。
その令嬢は平民から訳あって男爵家に迎え入れられた者で、その出自の為に多くの、特に女生徒からの誹謗中傷を受けているという。手を上げられた事も幾度かあるようだった。
そしてその筆頭が婚約者の彼女であるのだと。
彼女から受けた被害を王太子である私に直接言いに来た男爵令嬢の魂胆は、とてもわかりやすいものだった。
おそらく虐めに婚約者が絡んでいるという話も嘘だろう。
あの面白味も何もない婚約者が、そんな自身の瑕疵になるような事はしないだろう。
非の打ち所の無い完璧な淑女。ただその瞳には、他の令嬢達と同じような王太子への憧れが滲む。
そんな婚約者の姿が、私にはとても面白くなかった。
だからこれはいい機会だと思ったんだ。
真偽はどうあれ平民出の娘に嵌められたのは事実。王太子妃となるのなら、その程度自力で解決してくれなければ困る。
理由は十分にある。
形ばかりのこの面白くない婚約関係を、いい加減解消しようじゃないか。
そう思って、あの男爵令嬢の企みに乗って、卒業パーティで君に罪を突き付けるような真似をすれば、今まで見た事も無いような色に彼女の瞳が染まるのを見た。
君は信じられない物を見るように、その瞳に強い悲しみと絶望を滲ませてこちらを見る。
その目に僕への非難の色は無く、ただただ請うように震えている。
その瞬間、今まで君に、いや他の何にだって抱いた事も無いような気持ちに打ち震えた。
だから何度も繰り返されるこの時間に、私は感謝したのだ。
何度も言った台詞を一語一句違わずに。
変わらぬ瞳に感情を隠して。
そうすれば何度だって君のその顔を、瞳を、見ることができたのだから。
何度も繰り返す内に私は気づいた。
他の誰もが寸分違わぬ動きを繰り返すのに、婚約者の彼女だけは違った。
同じ台詞に同じ瞳で私を見てはいたが、彼女の動作は毎回微妙に違う。
それはまるで、前回の行いをなぞっているかのようだった。
私は確信した。
これは彼女が引き起こしていることなのだと。
何度裏切られようと、
何度冷たくあしらわれようと、
私を見つめるその瞳は熱を持ち、
私に突き放された瞳は深い絶望に沈む。
彼女は私を愛しているのだ。途方もないほどに!
非の打ち所がない完璧な淑女でも、王太子という肩書にあこがれるだけの令嬢でもない。
何度繰り返し何度裏切られても愛を諦められない愚かな女!それも、恋焦がれた末に王族を呪ってしまうとは!
それに気づいた時私は歓喜した。彼女が婚約者である事に感謝した。
ああ、私の婚約者はなんて可愛いのだろう!!
だから何度も繰り返した。
何度でも君は諦めなかったから。
私は何度だって君のその瞳を、あの愚かな行いを見ることができた。
君を愛しているよ。
君が絶望と悲しみに打ちひしがれるその様が見たい。
この時間を何度でも繰り返していたい。
だから君に何度でも付き合おう。
何度だって同じ言葉を吐き続けよう。
君が止めようとしない限り、私は君が望む言葉を告げはしない。
君は知っているのだろうか?
君がそうまでして求めた男は、最初から壊れているんだよ。