死に至らしめる32分
「あなたの魂、頂戴します」
定型文を告げて僕は振り上げた大鎌をためらいなく振り下ろす。のたうちまわっていた老人は途端に動かなくなった。
手に持った懐中時計を見ると文字盤は00を指している。
「ジャスト」
__そう、僕は死神である。
死神というと語弊があるかもしれない。狩られる人間からすれば、間違いなく死神以外のなにものでもないが、僕らは、死を司る神に管理された、ただの未転生である。
「やあ、No.n9001くん。君、よく働くねぇ」
気がつくと、背後に神が立っていた。
「今、何回めのお仕事だかわかるかい?」
僕は首を傾げた。16歳で死んでから、もう随分経つ。最近はもう惰性で仕事をしている。僕らが姿を見せると、恐れおののく者、拝む者、殴りかかろうとする者、いろいろな人がいるが、もう慣れてしまった。
「いいえ。わかりません」
正直に答えると神はいけません、と手をクロスさせて罰印を示す。
「だめだよぉ、君、なんで自分が死神やってるか言ってみて」
ほら、と促され、これまた素直に答える。
「それは、僕が転生するのに足りないものがあるからです」
「ちゃんと探してる?君、不安なんだけど」
まあいいや。と彼は言葉を区切る。
「僕が前に君に言ったこと覚えてるかい?」
言ったというのは、どれのことだろうか。またしても首をかしげる。
「ちょっと、僕言ったよね?君は1万人の魂を狩ったら、転生できるよって」
「そういえば、そんなこと言ってましたね」
「困るよ。覚えててくれないと。ちなみに、君が今狩ったのは9999人めの魂。次が、ちょうど1万人だ」
「No.n9001、いやこう呼ぼう、香山悠人くん。次の仕事場は、君の生まれ育った町の病院だよ」
「はあ、そうですか」
僕がおざなりに頷くと、彼はため息をついた。
「何なのかね。このやる気のなさ。いいかい?今回で、僕と会うのはきっと最後になる、はず。だから、聞きなさい」
「見て、感じて、時に思い出して、識りなさい。そして考えてみるんだ。君らの存在について。僕に助言できるのはこのくらいかな」
「じゃあ、そろそろ行くね。はい、これ資料」
彼が言うのと同時に頭の中に文字が流れ込んでくる。
「悠人くん、さようなら」
そうして、彼は消えて言った。
僕は転移する。場所は目的の病院だ。対象者の死亡時刻は明け方4時11分。今はもう3時を回っている。
魂を狩る僕らにとって、必需品というか、手放せないものが二つある。一つは懐中時計。この時計は不思議で、針は2本。長針と秒針しかない。次の仕事の1時間前になると針が動き始め、00ジャストを針が示すと相手の命を狩り取る時間になる。
もう一つは得物。僕は大鎌にしているが、狩るイメージさえ持てれば包丁でもなんでも好きな形に出来るらしい。
二人部屋の病室の片方は空だった。足を踏み入れると、片方に、酸素吸入器をつけた女が横になっている。手の中の懐中時計をみると針は、あと32分を示していた。
「葉山すみれさんですね」
呼びかける。死の間際の人間なら聞こえるはずだ。
「僕は__死神です」
こう名乗るのはわかりやすいから。
たしか、目の前の彼女は享年64歳。肺炎で入院し、喘息の発作で死亡、とかだった気がする。
今は穏やかに呼吸していて、とても死の間際の人間に見えない。
「死神……?」
横になっていた彼女がこちらに身体を向ける。彼女がヒュッと息を飲んだ気がした。
「死に際の夢ってよく出来てるのね……」
その顔と声に、僕は既視感を覚えた。記憶が一気にバックして押し寄せる。
「……まさか、秋永すみれ?」
呆然と呟いた僕に彼女は言った。
「もしかして悠人くん?」
もう間違えようがなかった。彼女を生前の僕はよく知っていた。彼女、すみれは初恋の相手だ。そして、16歳の夏、彼女と付き合い始めてすぐに、僕は交通事故で死んだ。
あの頃は毎日が輝いて見えていて、明日が来ることを疑いもしなかった。またね。と言って別れた先の再会が、こんな形になるなんて__
「悠人くんが私の命を終わらせに来たのね」
記憶の中より幾分か、かさついた低い声だ。
昔、キラキラと輝いていた瞳は、深みのある色を湛え、迷いなく僕を見やる。
彼女には紛れもなく昔の面影があった。だがそれであって僕の知る彼女ではないのだ。
「疑わないんだ?僕が死神って」
「台風が来てるからね。持病の発作が出てもおかしくないし」
それに、と続ける。
「文句を言うくらいなら、私は悠人くんに感謝をしたい」
どうゆう意味だろうか。ベッドに寄りかかっていた彼女は精一杯姿勢を正した。
「悠人くんがいなくなって本当に寂しかった。当たり前の1日が、代えることのできないもので、これからどんなに長生きしたって、どんなことをしたって悠人くんには会えないんだって」
「それを悠人くんは教えてくれた。だから、人と人との出会いは大事なものなんだって思えて、友達も沢山作れたし、大人になって、主人に会ってからも、1日1日を目一杯大事にして、この人と幸せになるんだって思えた」
「きっかけは全部悠人くん」
僕はそんな大層なことをしただろうか。僕はただ惰性で__いや、違うかもしれない。遠い昔、彼女に告白した時、ちっぽけな人生の最大の勇気を振り絞った。手を繋いで帰った時、心臓が飛び出るかと思った。
「僕は__ちゃんと生きてたんだな」
感嘆したような呟きが、知らず口からこぼれる。
「あの頃、ちゃんと悠人くんが好きだったよ」
彼女と話すと、目から鱗が落ちる思いだ。
ああ__彼女はきちんと生きたんだ。
ふいに浮かび上がった感情をなんて言おうか。
初恋の彼女は、僕みたいに若く死ぬでもなく、必死に生きて。今、目の前にいて。それなのにまぎれもなく僕は彼女を殺す。
魂を狩るとは人を殺すことだ。人から大事なものを奪い、大事な人と引き離し、必死に生きている命を消すことだ。何で、何で今まで気づけなかったんだろう。
「僕ははじめて死神になって後悔している」
「人を好きになること、命が尊いこと、僕に大事な感情を教えてくれたのはみんな、すみれだ」
彼女はただ聞いていた。
「僕は君の大事にしていた人の世界を壊す。壊してすみれを奪って行く」
彼女が愛したという夫はどれだけ悲しむだろう。
そして、また気づく、僕が死んだことですみれも悲しんだだろうことに。
懐中時計はあと5分。僕は、自分が震えていることに気づいた。大鎌を持つ手がガクガクして取り落としそうになる。
「愛とはどんなものかしら」
不意に彼女が言った。
「私はね、思うのよ。人は前に進むもの。愛は包み、捧げ、分かち合い、背中を押すもの」
「心配なんてしていないの。あの人はきっと悲しむけれど、生きるのをやめてしまうことはないって」
__私がそうだったように。彼女は確かにそう言った。
そこに僕が知る彼女はいなかった。ただ、女神のように気高く見えた。
あと3分。彼女の様子がおかしい。__発作だ。
ヒューヒューと呼吸が乱れ、苦しそうに胸を抑える。
「……もっと……生きたかった、よね……悠人、くん」
苦しげに彼女がこぼす。
「もっと……一緒に、いたかった……本当、だ、よ?」
「僕もすみれと一緒に生きたかったよ」
僕はもうじっとしていられなかった。彼女はおそらく走馬灯を見ているのだ。
少しでも彼女が楽になれるように、そんなこと意味ないと知りながらも、身体をくの字に折る彼女の背をさするようにする。
僕はもう自分の手ですみれを狩れる自信がなかった。死神として、仕事として当たり前のように魂を狩っていた感覚をもう僕は思い出せそうにない。まして惰性でなんて、横っ面を殴り飛ばしてやりたかった。
あと1分だ。やるしかない。僕は決死で大鎌を構えようとした。彼女の死を、苦しみを長引かせてはいけない。そして__
00を針が示す。僕は大鎌を振り下ろして、そのまま投げ捨てる。
こらえていた感情が爆発し、彼女を抱きしめ泣きじゃくった。
ただ、ただ__泣いた。
いつまでそうしていたかわからない。
気づくと傍に神が立っていた。
「僕は、もう魂を狩れません。人間として生きたいんです。転生させてくれませんか?」
僕は目をこすりながら神に初めて自分から願った。
「よく頑張ったね。君に足りなかったものは、再び生きる活力だよ」
神は言った。
「魂を狩るものは優秀ではいけないんだ。君は彼女と会って命を識っただろう?」
「僕は嬉しいよ。悠人くん、君をやっと転生の輪にのせてあげられる」
__君という優秀な死神は死んだんだよ。続いた彼の言葉を認識すると、身体を構成していたものがバラバラにほどけていく感じがする。
転がり落ちる、もう次の仕事を示すことのない懐中時計。
「32分だよ」
ふいに神は言った。
「え?」
「9999人の命を狩っても変わらなかった君が、彼女に再会してから死神でなくなるまでの時間」
本当にね__彼は言う。
「縁とは偉大なり!」
神はカラカラと笑う。僕にはもうわかる。これも、この神なりの愛なのだと。__彼女が全て教えてくれたから。