前編
――君の笑顔が好きだった。
幼い頃から何をするにしても一緒だった。お互いの両親が仕事で忙しく、家の事は子供たちだけでやらなければならなかった。だから二人で話し合い、男である俺が力仕事や掃除などを担当し、器用だった君は炊事を中心に担当した。子供だった自分たちには大変な事だったが二人で協力して仕事するのは楽しく苦ではなかった。
――君の笑顔を見るだけで俺は満足だった。。
俺が仕事を終えると君はいつもありがとうと言ってくれた。話し合って決めた役割分担だし、何より照れ臭かったからお礼はしなくていい。そう言うと君は、言葉にしないと伝わらないからと口癖のようにいつも言っていた。
君に感化されて、俺も思ったことは口に出すようにする事にした。人間関係が多少こじれるようなことはあったが、そのおかげで多くはないが強いつながりを持つ友を得ることができた。
――だからこそ君を、君の笑顔を守ると約束したんだ。
俺達は二人とも類稀な魔術の才能があった。俺は攻撃魔法の才能が有り、君には回復魔法の才能があった。昔から誰かのために何かをするのが好きだった君は、その魔法を使って多くの人々を治療して各地を回っていた。君が何かをしているのに自分は何もしていないのを恥ずかし思った俺は、少し遅れる形にはなったが攻撃魔法の才能を生かすために王国騎士団へと入団した。
すぐに騎士団内で頭角を現して、今のようになるのにさほど時間はかからなかった。
――なのに、俺は。
目の前で何が起きているのか理解できなかった。いや、理解したくなかった。時間が止まっていた。俺の時間が止まったのだとそう感じた。
いつもの様に君は笑った。世間話をするようないつもの笑顔で。俺に感謝をするときのような笑顔で。俺の大好きな笑顔で君は笑った。それがどういうことなのか理解したくない。そんな笑顔を理解することなどできるはずもない。
思考が戻り、現実を突きつけられる。認めたくない。絶対に認めてはならない現実を。
ああ……そうか……そうなのか。俺は、おれは。
――君を守る事ができなかった。
*
味の薄いほとんど水と変わらないお茶を手に取り、口に含む。するとロランはすぐに顔をしかめた。
別に味が薄すぎてまずいから顔をしかめたわけではない。
「隊長。どうかしたのですかい?」
そんなロランの様子を見て副隊長が声をかけてきた。年はロランの二倍に近い壮年の男性だ。
「まだ入れ立てのように熱くてな。不思議に思っただけだ」
このお茶が入れられたのはだいぶ前になる。とっくに冷めてなければおかしいのだ。なのに火傷しそうなほどの温度を保っていた。
副隊長はそのことですかと笑うと。
「それは坊やが作った魔法の効果によるものです。何でもカップの内側に熱魔法をかけて保温性を高めているんですって」
「魔法でか……。しかし、あいつがこんなに持続する魔法を使えるとは思わなかったな。こんな長い時間効果の残る魔法は俺でも使えねぇよ」
「坊やが言うには使い方さえ覚えれば少ない魔力で使える魔法だそうですぜ。約半日ほど保温効果が持続してその間は暖かい飲み物をそのまま飲める優れたものです。逆に保冷効果のある魔法も開発したそうで。あいつはこういう魔法を作るのが好きなんですよ」
ロランは副隊長の言葉に感心したように息を吐く。
「すごいな、あいつは。魔法を戦いでしか使えない俺には思いつかない発想だ。派手ではないが民間でも役に立つ素晴らしい魔法だな。戦争なんてしていなかったら賢人として名を残していただろうな」
でしょうね。と副隊長が同意する。
見ていた書類に目を通し終えて机に置く。息を一つ吐き、情報を整理する。ここは帝国との国境付近にある最前線基地。そこの会議室でロランは斥候などが持ち帰った情報をもとに作戦を考えていた。
数分後。作戦を考え終えたロランは副隊長に伝えた。そのまましばらく二人で話し合い、より良い策を考える。そうして作戦が決まった。
「皆に作戦を伝える。全員を集めてくれ」
「かしこまりました、隊長」
一礼し副隊長が退室する。ロランはその背を見送り作戦説明の準備に取り掛かった。
「そろったな」
会議室に集まった自分の部下をロランは見渡す。大きな机を囲むように全員が背筋を伸ばし、気をつけの姿勢で立って待機しているので少し苦笑してしまう。このまま説明を始めると堅苦しいのでロランは楽にしろと声をかけた。すぐに副隊長を含め全員が姿勢を崩し、着席する。いや、全員ではない。ロランの部隊に最近加入した新米が姿勢を崩していなかった。顔が引きつっているその表情から彼が緊張しているのがわかる。
その様子を見た副隊長が茶化すように笑い。
「どうした坊や? 隊長のいうことが聞けないのか。まさかお前、反逆の意思があるんじゃないだろうな?」
「そそそそそそんなことあるわけないじゃないですか! わ、私にそんなことできるはずないですよ!」
副隊長の言葉を真に受けたのか新米隊員はさらに体を硬直させる。それがおかしくロランは吹き出してしまった。ロランにつられて他の隊員も笑いだしてしまった。それで緊張が解れたのか新米隊員はようやく姿勢を崩して着席し、照れ臭そうに後頭部をかく。
副隊長に目を向ける。彼を茶化し、緊張を解したのは副隊長のおかげだ。坊やとあだ名で呼んでいることからわかるが副隊長は彼のことを気に入っている。彼はロランよりも若く十代の半ばだったはずだ。副隊長とは親子でも問題ないほどの年齢が離れている。もしかすると副隊長は彼を息子のように思っているのかもしれない。
手を叩きロランは視線を自分へと誘導する。自分の部下たちの顔をもう一度見渡し、作戦の説明を始める。
「斥候の持ち帰った情報によると帝国の準備がもうすぐ終わるそうだ。俺の予測では今夜から明日に攻めてくる可能性が高いだろう。集まっている兵力は四百から六百。その中に五十人以上の魔法使いが確認できたそうだ」
皆が息を呑む。それほど多くの魔法使いを投入してくるとは思っていなかったからだ。戦争において魔法使いは一人でも戦況を変えられるほどの力を持つ。それを五十人も投入してくる。今度戦争はかなりの規模になると理解した。
「対するこちらの兵力は俺たち十人と集めた傭兵が三百程度だ。内訳は弓兵が百で残りは歩兵だ。ハッキリ言って絶望的な戦力差だ」
そこで一旦区切ると、自分の部下の顔を一人一人しっかりと見つめる。
「だが、お前達なら問題ない。王国の中でも選りすぐりの精鋭魔法使いだ。帝国の魔法使いの数が五倍だとしてもお前達なら負けはしない」
ロランに向かって副隊長が頭を下げる。それに追随する形で他の隊員も頭を下げた。
「過分なる評価、我々には勿体ないかぎりです。その期待に応えるため、隊長の顔に泥を塗らぬよう我ら一同尽力する所存です」
「期待しているぞ」
ロランが笑みをこぼす。自分はいい部下に恵まれたと心底思う。だからこそ彼らの期待を裏切るわけにはいかない。最善の策を考え、この絶望的な戦力差を覆さなければならない。今用意している策は最善だという自信がある。ならば何も問題はない。あとは自分の部下を信じるだけだ。
「さて、今から作戦の説明を行う。副隊長、頼む」
「了解です」
ロランが副隊長に声をかける。副隊長は一つ礼をして。
「『アールーキナーティオ』」
そう力強く言った。すると机が光を放ち、会議室が白く染まる。光が晴れると机の上に最前線基地付近の地形が現れた。半透明で実体のない奇妙な虚像。副隊長の得意とする幻影魔法を用いて机に地形を投影したのだ。ロランは副隊長の幻影魔法を使って作戦の説明を始めた。
「付近の地形で相手が攻めてくる可能性の最も高い場所がこの平野だ。そこで」
ロランが部下の一人に視線を向ける。男の多いこの部隊の数少ない双子の女性の片割れ、髪の長い女性隊員へと視線を向ける。
「君は広範囲の攻撃魔法が得意だったな?」
「は、はい。えっと……術式の構築に時間はかかりますが、最上級の広範囲魔法まで撃てます」
適性の属性が風と火なのでそれ以外は使えないですけど。そう補足した。
「ふむ。それならば少しでも威力の高い火の魔法の方がいいな。それで、君は弓兵を率いてここに」
ロランが机に投影された地形図を指さす。指さしたその先、平野を見渡せる高台に赤いビーコンが投影される。副隊長が幻影魔法を操作したのだ。
「この高台に陣取ってくれ。探査魔法に敵兵が感知された時点から術式の構築を開始。姿が見え次第魔法を発動し、敵兵の殲滅を任せる」
「了解しました」
それから。とロランが視線を移す。視線を移した先は長髪の女性隊員の横、容姿の似通った髪の短い双子の妹がいる。
「君は姉のサポートだ」
短髪の女性隊員は無言で頷き。具体的には何を、と続きを催促する。
「今から説明する。君の主な仕事は、伝達魔法を使って姉の指示を弓兵達にタイムラグ無に、正確に伝えることだ。それと姉の打ち漏らした敵兵を弓兵と共に狙撃しろ」
「了解……。弓の強化はしなくてもいいの?」
それにロランが答える前に彼女の姉が、彼女の頭をひっぱたく。
「……いたい」
「こらっ。隊長への言葉遣いには気を付けろって何度も言ってるでしょ!」
すいませんと姉がロランに対して頭を下げる。ロランはそれに笑みをこぼし気にしなくていいと言って。
「弓の強化は別の人に任せる。だから君は自分の務めを果たせ。……そうだな」
誰が適任か、部下の顔を見渡し考える。その答えはすぐに出た。
「新入り。頼めるか?」
「うえっ! ぼ、ぼく、いや私で痛って!?」
自分に振られると思っていなかったのか、新米が驚きのあまり椅子から転げ落ちた。その劇の中でしか見られないような反応に、会議室が再び笑いに包まれる。
「お前なら問題ない」
笑いをこらえるようにロランがそう言う。先程の新米の様子にロランも笑いそうになったのだ。
「お前は付与魔法が得意なのだろう。弓の強化はお前に任せる」
「た、確かに他の魔法よりは得意ですが、誇れるって程では……」
隊長の付与魔法と比べると酷いですし。と俯きながら新米の彼がそう言う。ロランはそれに首を振る。
「謙遜する必要はない。お前の付与魔法はかなりの腕だ。それに魔法構築の発想は俺では思いつかないものを思いついている。このカップがその一つだな」
ロランが手元にあった空のカップを手に取り、内側を触る。未だそのカップは保温魔法による熱を持っていた。
「かなりの時間が経過しているにもかかわらず未だ効果が切れていない。さらに言えば常時発動している魔法だというのも、俺からしたらあり得ないことだ。こんな魔法は使えないし考えることもできないさ」
ロランの説明に隊員たちは驚いている。魔法に深く関わっている彼らだからこそ、そのすごさが分かる。皆の視線が新米に集中する。彼は突然のべた褒めと皆の視線に恥ずかしそうに、照れ臭そうに後頭部をかく。
「い、いえそんなにすごい魔法では……。コツさえつかめば少量の魔力で誰でも使うことができる魔法ですよ?」
「だからこそすごいんだよ」
え? と新米が首を傾げる。その様子に他の隊員達が苦笑した。彼は自分の魔法のすごさがいまいちわかっていなかった。ただ皆の様子からすごいのだろうと思い始めた。
彼にとっては普通の事なのだ。こういった魔法を作るのは子供の時からの事で珍しいことではない。だからこそ皆の驚きが理解できなかった。
「お前の話を信じるのなら、その魔法は少量の魔力で誰でも使うことができる。これはすごいことだ。魔法とは魔力に依存する。魔力の量が多ければ多いほど、その魔法の効果が強くなる。だが、お前の使った魔法は魔力に依存しないのに効果は高い。つまり、魔力総量に関係なく使うことができる魔法という事だ」
「で、でも、その魔法は戦闘用では……」
自信無さそうに新米が言った。ロラン自身もこの魔法が戦闘に適していないことぐらい分かっていた。彼の自信をつけるために言ったことだったが逆効果だったみたいだ。魔法の発想を差し引いても彼の付与魔法はこの部隊で、ロランに次ぐ実力を持っていたのだが自信がない者に任せても仕方ない。
「……そうか。それなら仕方ないな別のやつに任せよう。……副隊長。お前に――」
「あ、あの!」
ロランの言葉を遮り新米が声を上げた。
「や、やっぱり、自分に任せてもらえないでしょうか?」
「……大丈夫なのか?」
「ぜ、絶対にとは言い切れないですけど。自信があるとは言い切れないんですけど。それでも隊長に期待してもらったのに、その期待を裏切るのは、何もしないっていうのはいやだと思って。だから僕に任せてくれませんか?」
先程と同じように地震が無いようだった。だがその言葉を聞いて、彼の眼を見て、ロランは大丈夫だと判断する。
「なら、弓の強化はお前に任せよう。もし行き詰まることがあれば誰かを頼れ。皆力になる」
「はい!」
力強く新米が返事をした。なにも問題はない。彼ならば期待以上の事をしてくれるだろうとロランは確信した。
「残りはそれぞれ歩兵を四十ずつ率いてここに」
机に投影された地形図の森林部の上に赤いビーコンが出現する。
「この付近の地形だと攻めてくる可能性があるのは先程の平野と、この森林の二つだ。そこで残りは森林を囲むように兵を展開させ、帝国兵を一人も森林から抜けさせるな」
了解ですと隊員達が了承する。ロランは一人一人にどのように動けばいいのか、兵の動かし方も併せて丁寧に説明する。こちらの方が、圧倒的に兵力が少ない。そんな状況で相手に勝つには全員がうまく立ち回らなければならない。そのためロランは念入りに説明する。
「副隊長。お前は後方で待機し、戦況を見てどちらかに参戦してくれ」
「かしこまりました」
「以上で作戦の説明を終わる。何か質問はあるか?」
「よろしいですか?」
筋肉質の男性隊員が手を上げる。ロランはゆっくりと視線を向ける。
「なんだ?」
「この作戦で、隊長は何を?」
「俺は保険だ」
副隊長へと目配せする。この前線基地のすぐ近く、巨大な湖がある湖畔に先程と同じように赤いビーコンが投影される。
「俺はここで待機し、敵の奇襲に備える。可能性は限りなく低いが、敵が湖から攻めてくる恐れがある」
「水棲魔法を使用しての奇襲……。という事でしょうか?」
隊員の問いに頷く。彼の言っている水棲魔法とはその名の通り、水中での活動を可能とする魔法だ。ロランはこの魔法を使って湖の底を通り、奇襲してくるのではと考えている。
「それは少し、ありえないのでは? 水棲魔法は珍しい魔法です。使える人間は限られています。それを使用して奇襲してくる可能性はほぼ無いと思われますが」
「確かにそうだな。こんなことを言うと呆れるかもしれないが、何か嫌な予感がするのだ。だからこそ、保険として俺が待機しておくのさ」
何もなければ貴重な戦力を遊ばせてしまう。だからこそ彼が不満を持つのも理解できる。根拠もほとんどロランの勘と無いようなものだ。
「隊長の予感は、魔法なんじゃないかと思うほど当たりますからね。……無視はできませんね。ふっ……せっかく、隊長にも参戦して頂き楽しようと思ったのですが。これは我らが粉骨砕身で頑張らないと駄目ですね」
「期待しているぞ」
お任せ下さい、と筋肉質の男性隊員が胸を叩く。
「他になにかあるか? ……無いようなら各自戦闘準備に入れ。今夜までには必ず準備を整えておけ」
解散とロランが号令をかけ、副隊長も含め全員が会議室を後にした。
「さて……俺も準備をしておこう」
独り言ち、ロラン自身も戦闘の準備を開始した。
軽く一振りして鞘へと剣を納める。この剣は問題ないようだ。問題があったのは一本だけだ。その一本は刃こぼれなどの外観では分からなかったが、振ると何か違和感を覚えた。恐らくは剣の芯が歪んでいる。そんな状態で振れば折れてしまうだろう。戦闘中に折れてしまうと致命的な隙を晒す。そうなると危険だ。
ロランは剣を取り換えるため、前線基地内の武器庫へと足を向けた。
ロランの戦闘準備は一時間もかからなかった。今回は元々、保険として単独で待機するのがロランの役目だ。そのため戦闘準備といっても武器の手入れぐらいしかすることが無かった。
兵を率いるのならば、その兵たちと交流する。どのように動くのかを説明したり、場合によっては剣の指南や魔法を教えたりする。だが、今回は兵を率いない。交流する必要がないのだ。
自分の部下たちには、先程の作戦会議で言いたいことは伝えている。もし何か、まだ聞きたいことがあれば各自直接聞きに来てくれと言っておいたので問題はない。
武器庫に着くと中から気配がした。誰がいるのかは分からないが、今の状況なら特に不思議でもないので気にせず中へと入った。何よりその気配は見知ったものだったからだ。
「やはりお前か」
「た、隊長!」
ロランが武器庫に入ると、中にいた新米が姿勢を正そうとする。ロランは気にしなくていいと手でそれを制する。
「ど、どうかしたのですか?」
何か問題でもと新米が焦っている。それにロランは手に持っていた剣を突き出し。
「この剣に違和感を覚えた。恐らく剣の芯が歪んでいる」
「なるほど、剣を替えに来たのですね。えっと……あそこにあるは全部大丈夫です」
新米が武器庫の端を指さす。そこには大量の剣が置かれていた。それは武器庫なので当然だが、それより気になることがある。
「その弓、まさかもう付与をしているのか?」
新米の近くに戦闘で使う予定の弓が大量に置かれていた。
「あ、弓への付与はもう済ませてあります」
「何?」
ロランが首を傾げる。新米はおろおろとロランの顔を窺い。
「な、何かまずかったでしょうか?」
「今から弓に付与しても意味がないだろう。戦闘が始まる前に効果が切れてしまうぞ」
付与魔法による武器の強化は、強力だが効果の持続時間が短い。今回の弓への付与は単純な飛距離の強化と貫通力の強化のため、効果が及ぶのは一時間から二時間程度だろう。最低でも今から一時間以内に戦闘が始まらないと付与した意味がなくなる。
ロランの認識では敵の反応を探知してから弓への付与をする。そう考えていたからこそ今弓への付与をしているのは予想外だった。
新米はロランの言っている言葉の意味が分からなかったのか呆けた顔をする。少しして理解したのか頷くと大丈夫ですと言って。
「戦闘行動を取らなければ、かけられている付与魔法は最低でも二日間は持ちますから。問題はないはずです」
「なに? 二日間?」
はいと新米が頷く。何を言っているのか理解できず今度はロランが呆けてしまう。少ししてようやく理解できたが、だからこそ意味が分からなかった。
「二日間、効果を持続するのか? 付与魔法がか? どういうことだ?」
付与魔法を二日間も持続させるのは不可能ではない。常に付与させる物を手に持ち、効果が途切れることなく持続するように魔法をかけ続ければ不可能ではない。だが逆に言えばそうしなければ不可能だ。今回のように予め付与魔法をかけるような場合では無理なはずだ。
ロランの疑問に新米はえっとと、呟くと。
「別に不可能ではないですよ? それを可能にしているのは二つの要素があるんです」
人差し指を立てながら説明を続ける。
「一つ目は自分の魔力以外を使うことです」
「自分以外の……大気中の魔力を使うということか?」
「そうです。やっぱりわかりますか」
流石隊長ですと、よく分からない尊敬の眼差しを向けられてロランは苦笑する。確かに、大気中の魔力を使う技法はある。自身の使用魔力を下げられるため有用な方法だ。だが、それはどうしても大気中の魔力に依存するため、自然が豊かで人の手の入ってない秘境とかでない限り微々たる効果しか及ぼさない。今回の付与魔法にそれを用いたとしても不可能なのではないかと思ってしまう。
話が途切れてしまったのを新米がすいませんと謝る。
「少しそれましたね。……えっとこれは普通の環境だと無理なんです。ここが戦場だからこそできることなんですよ」
「戦場……なるほど、そういうことか」
ロランの疑問がようやく氷解する。今まで思いつかなかったがよく考えてみれば当然のことかもしれない。
「想像している通りだと思います。一応説明しますと、ここは王国と帝国の国境間際、最前線です。過去何度も戦闘が行われ、そのたびに魔法が使われました。だからこそ、ここは残留魔力の影響で大気中の魔力量がすごいことになっているんです。だからほとんどすべての魔力の代用を担ってくれるんですよ」
戦闘の主役は魔導士や魔法剣士などの魔法使いだ。どちらも魔法を使い、たった一人でも戦場を制圧出来ほどの実力を持つ兵士。この最前線では何人もの魔導士、魔法剣士が殺し合い、天変地異の如く魔法が吹き荒れていた。当然使われた魔法はすさまじい数で、それに比例し大量の魔力が使われた。
だからこそ残留魔力はすさまじいことになる。当然のことだが言われて初めてそのことに気づいた。ロランは戦場では戦闘のことしか考えない。地形を利用したりしていかに敵を効率よく殺すか、そればかりだ。新米の話を聞いて思ったことも、それを使えば効率よく魔法が使えて戦闘が楽になる。そんなことばかりだ。
「なるほどな。確かにこの戦場に残っている魔力はすさまじい濃度だろう。それを使えば可能だろうな」
「それだけじゃなく、もう一つの要素もあるんです」
新米は先程二つの要素と言っていた。だからこそもう一つと言われてもあまり驚かなかった。
「二つ目は付与魔法自体を工夫したんです」
「工夫?」
今度は全く見当が付かなかった。魔法を使うとき工夫は当然するがどのようにするのか全く分からなかった。
「武器への付与は基本的に魔力を大量に消費します。常時効果を発動させていたら大気中のを使っても数時間ほどしか持ちません。でしたら常時効果を発動させなければいいんです」
新米は嬉しそうに笑みを浮かべながら話を続ける。こういったことを説明したり話したりするのが好きなのだろう。かなり饒舌になっていることから簡単に予測できる。
「弓に付与しても、効果が必要なのは矢を射る時だけです。ならばその時だけに効果が発動するように付与魔法を工夫すればいいんです」
「確かにそうだが、俺もその工夫はやろうとしたことがある。だが、構成が難しすぎる。理論値を見たが、あれは不可能だ」
その魔法の術式自体は作られている。だが針の穴を通すような繊細な魔力運用を要求されるため、消費魔力自体は抑えられるが逆に効率が悪い。一つ一つにかかる時間がどうしても多くなってしまう。
そこまで考えてロランは気付く。新米の近くには付与魔法のかかった弓が大量にある。正確な数は分からないが目標数に近いか超えていそうなほどだ。
「確かに難しいですが、コツさえ掴めば誰でも……とまではいかないですけど、コツを掴めば可能ですよ。ただ、感覚的なものなんで何度も反復練習しないとだめですけどね」
「……すごいな」
ロランがぽつりと漏らす。彼はこの部隊では一番魔力保有量が少ない。一般の魔法剣士と比べると多い方だが精鋭が集うこの部隊では少なすぎるほどだ。
彼は一ヶ月前に、部隊の補充に際して副隊長が推薦したのをロランが採用した。最初は魔力保有量を見て大丈夫かと疑問に思ったが、信頼している副隊長が優秀だと念を押すので仲間として迎え入れた。
まさかここまで優秀だとは思わなかった。
こと魔力運用や魔法の開発において、ロランは彼の足元にも及ばないだろう。それ程の才能だとロランは思っている。
「お前の才能は戦闘にも役立つ。だが、保温魔法などの発想から、お前は生活に役立つ魔法の開発が得意なようだ。羨ましい才能だ」
「そ、そんな羨ましいなんて。僕は隊長には逆立ちしたって絶対に敵いません」
何を言っていると問いただしたかった。隊長の強さは底が知れないほどの凄まじさだ。羨ましいと言われても彼は素直に喜べなかった。
「俺は戦闘にしか魔法を使えない。使おうと思えばそれ以外に使えるのだろう。だが、俺はそれしか知らない」
ロランが自嘲気味に言った。
「俺が考え工夫することはいかに敵を殺すか、それだけだ。そこに疑問はない。自分が決めた生き方だ、後悔などあるはずがない。だからこそ俺とは違う生き方に憧れるのさ」
だからお前が羨ましいとロランが笑みを零す。
「俺の才能は戦闘にしか使えない。殺すための事しかしないからな。だが、お前は違う。お前の才は戦闘にも役立つが、真価は平和な時代でこそ発揮されると俺は思っている。お前の魔法は人の文明の発達に貢献できるほどだ。俺はそう確信している。だからな、もっと胸を張れ。そして自分を誇れ。そうすればお前は歴史に名を遺す偉人となれるだろう」
「あ……え……」
新米は照れてか言葉に詰まる。予想外の絶賛に顔が赤く染まる。面と向かって誰かにここまで褒められたのは初めてだった。副隊長に優秀だと褒められたことはあったがここまで具体的ではなかった。
「まあ、そのためには早く帝国との戦争を終わらせないとな」
「は、はい! ……隊長のおかげでやりたいことができました」
「そうか。どちらにしろ今は目の前の戦闘に集中しないとな」
「ですね!」
新米が嬉しそうに笑った。
ロランは準備ができ次第所定の位置で待機しろと言って、取り換えた剣を手に武器庫を後にした。
*
『よっと……。これでぜんぶかな』
『そうみたい。いつもありがとう、ロロ』
『……お礼なんていいよ。父さんと母さんが忙しいからふたりで決めた役割でしょ』
『でも、ことばにしないと伝わらないから。とくにかんしゃの気持ちはってパパが言ってたの。だからわたしはぜったいにお礼をいうんだよ』
『そっか。なら、おれからも。いつもごはんとか作ってくれたてありがとう、ヴィヴィ』
『……ふふ。どういたしまして。いつもわたしのかわりにちからしごとをしてくれてありがとう、ロロ』
『どういたしまして!』
*
ロランの目の前には大きな湖がある。前線基地近くの湖だ。
新米と武器庫で会話してかなりの時間がたっている。通信魔法で新米に言ったことと同じように待機しろと伝えた。ロランも準備が出来てからずっとこの場所で待機していた。
すでに日は沈み、辺りは暗闇に包まれていた。
数メートル先の視界すら見えない暗闇。ロランは暗視魔法を使って視界を広げているが、それでもすべて鮮明というわけではない。
湖から吹く風がロランの頬を撫でる。ただの冷たい風。だが妙にざらつくような不快感がある。
何もなければいいが。そう思えば思うほど不快感が強くなる。
気を引き締めてその場に待機していたロランに部下から通信が入る。探知魔法に敵兵が確認されたらしい。
隊員全員に通信魔法を繋ぎ、あまり多くは語らず健闘を祈るとだけ言って通信を切った。
あたりに伏兵が潜んでいないか、魔法を使わずに気配を探る。気配は感じられない。だが湖の中の気配までは探れない。今日は風が強く、湖には高い波が立っている。だから無理だ。
探知魔法を使っても意味がない。水の中には効果が及ばないからだ。だからこそ敵は付近にいないとまだ判断できず、油断もできない。
その時だった。
ロランの鼓膜を轟音が震わせる。視線を音の出所へと向ける。視線の先には巨大な炎の柱が雲を突き破っていた。
「始まったか……」
ロランが呟くように言った。あの炎柱は自分の部下によるものだ。どうやら向こうでは戦闘が始まったらしい。
ロランはざわつく気持ちを落ち着かせるために、腰の剣一本一本に手を触れる。
今のロランの装いは王国の騎士服に身を包み、腰に特殊な形状のベルトを巻いている。そのベルトには左右に五本ずつ、計十本の剣を差していた。
これがロランの戦装束。
十本の剣を腰に、数多くの戦場を駆け抜けた。
全ての剣に手を触れ、心を落ち着かせると、湖から気配を感じた。ほんの一瞬だけのごくわずかな時間だが、それが人の気配だと確信を得る。
両腰から一本ずつ剣を引き抜くと、それぞれに付与魔法をかけた。効果はオーソドックスに強度と切れ味の強化を両方の剣にかける。そして右の剣には火属性の付与、左の剣には水属性の付与を追加でかける。すると右手の剣は熱気を放ち赤く発光し、左手の剣は冷気を帯び青く発光する。
静かに湖を睨み付け、その時を待つ。
湖に波とは違う波紋が広がる。
ロランが行動を開始する。素早く魔力を編み、術式を構成する。六芒星を模した魔法陣が空間に投影される。
「『ラディウス』」
短く声を紡ぐと、魔法陣より閃光が射出される。
その閃光は狙い通り湖より現れた帝国の兵士を一瞬で蒸発させ、水面を抉る。
戦果は五人。恐らくそれより後ろは防御魔法で弾き被害を抑えたのだろう。ロランは冷静にそう分析すると湖に向かって突貫する。
走りながら右の剣にさらに魔力を込める。刃がより赤く発光すると逆巻く炎の渦に包まれた。
その剣を湖に向かって上段から一気に振り下ろす。
爆炎をまき散らしながら炎剣が湖を割る。手ごたえはない。もとより当てるつもりなどなかった。当然当たる方がいいが目的は別にある。
湖の水が高温により蒸発し、水位が低くなる。それにより敵の姿を視認することができた。全員が魔導士、又は魔法剣士で構成される七十人ばかりの魔導部隊。斥候からの情報に無かったことから、向こうの部隊は囮でこちらが本命なのだろう。奇襲による前線基地の制圧が帝国の作戦だとロランは判断する。
敵は炎剣による攻撃を先程と同じように防御魔法で防いでいた。防御魔法はその特性上魔法を防ぐことはできるが物理攻撃を防ぐことはできない。
両手の剣を握りしめ、奇襲の失敗により動揺している敵の部隊の中心へと突撃する。剣を振るいまずは二人切り捨てる。
火の付与が付いた剣は高温で鉄をも焼き切る切れ味を誇り、切られた人間は切り口が黒く焦げる。水の付与が付いた剣はその冷気により切り口から徐々に凍っていく。
いとも簡単に真っ二つになった死体と氷像が出来上がった。
敵の司令官らしき人物が怒号を飛ばす。帝国の言葉で理解はできなかったが何を言っているのかは分かった。
敵の魔法剣士達が剣を引き抜き、魔導士が術式の構成を始めた。
魔法剣士がロランへと斬りかかる。訓練が行き届いているのか、全員が統率のとれた動きだった。
ロランも焦ることなく冷静に対処する。振りかぶられた剣には付与魔法。すぐさま解析するが簡単な切れ味と強度の強化しか無かった。
ならば問題はない。右手に握った剣を振るい、敵の剣を紙のように焼き切ると、そのまま首を切り落とす。
背後から別の魔法剣士が迫る。ロランは確認すらせずに左手の剣を後ろに向かって突き刺した。出血することなく刺された部位から徐々に凍っていきすぐに氷像が出来上がった。ロランはその氷像を一時的な盾として使い敵の攻撃を防ぐ。
その間右手の剣を使って剣ごと敵を切り裂く。凍らされたとはいえ元々仲間だった氷像だ。その仲間意識を使って敵の攻撃を防いでいたが、それももうすぐ効かなくなるだろう。
左手の剣を伝い氷像へと魔力を込める。ある程度魔力を込めると剣ごとそれを敵へと放る。敵兵の一人が放られた氷像に押しつぶされた。そして込められた魔力が解放され、辺りへ冷気がまき散らされる。その冷気が周囲の数人を同じように氷像へと変えた。
右手の剣で迫る敵を捌きながら、後衛へと目を向ける。戦闘が始まってから魔導士たちは魔法剣士の後ろで術式を構成していた。ロランは戦いながらその構成に介入して邪魔していたが、これ以上遅らせることは不可能だ。
だからこそ敵が怯んだ今この瞬間を使う。魔導士たちの場所を認識して彼らの頭上に術式を構成する。
魔導士の頭上に先程と同じように六芒星の魔法陣が現れる。魔力を込め、引き金となる言葉を紡ぐ。
「『ルーペース』」
魔法陣より巨大な岩が降りかかる。数人は何とか防ぐことができていたが、大半がなすすべなく押しつぶされてしまった。
水が弾けるような不快音に帝国兵は顔を顰める。その間ロランは魔法の熱で刀身が崩れかけている右手の剣を投げ捨て、左右の両腰から再び剣を引き抜いた。同じように付与をし、右手は変わらず火の付与を、左手は水ではなく風属性を付与する。刀身が淡い緑に発光する。
構え敵の攻撃に備える。先程蒸発した湖の水が雨となって降り注いでいた。
警戒しつつロランは敵兵を睨み付ける。
帝国兵はロランの様子を窺うだけで攻めてこようとはしなかった。念のため魔導士の動きを確認する。魔導士たちは術式の構成をすることなく、剣士たちと同じようにロランの様子を窺うだけだった。
何を企んでいるのか分からない。ならばこちらから攻めるか。ロランはそう考えたが、すぐに思考を追いやった。これは防衛戦であって殲滅戦ではない。
確かに殲滅した方が後々の戦では楽になるだろう。だが自国である王国のためにそこまで働く気が起きなかった。
硬直が続く。敵は攻めてこず、ロランから攻める気もない。そんな状態でも構えを解かず、どの方向から攻撃されても対処できるように気を緩めることはしない。
一人の帝国兵が一歩前へと出た。
ロランはその帝国兵へと視線を向ける。帝国の軍服に身を包んだ壮年の男性。その男が真正面からロランを見据える。
「無理を承知で御頼み申す」
翻訳魔法を使ったのか、男の言葉は流暢で何を言っているのか理解できた。
「自分は帝国軍魔導部隊の指揮官――」
「御託はいい。簡潔に用件だけを伝えろ」
男――帝国軍司令官の発言をロランが遮る。ここは戦場だ。戦場で無駄に長く敵としゃべる趣味などロランにはなかった。
剣は握ったままだが構えを解き、腕をだらりと垂らす。そんなロランの様子を見て帝国の司令官は話を聞いてくれるのだと理解した。
司令官が話を続ける。
「貴殿に一騎討ちを申し込みたい」
「…………」
ロランは何も言わず帝国の司令官を見据える。
一騎討ち。戦場で騎士に限らず、戦士が一対一で決着をつける戦闘方法。最近はあまり見なくなったが、ロランが戦場に出る少し前まではよく行われていた。一騎討ちはとても名誉あることで、多くの戦士たちがこぞって行っていた。
だが現在では戦争が過激化し、一騎討ちは行われなくなった。戦争に名誉など必要なく、いかに相手を殺すか、それが重要になったからだ。
ロランはその提案に興味を覚えた。一騎討ちなど経験したことが無い。それに何が目的なのかも気になった。
「私が勝てば部下の命だけは助けてほしい」
「ほう……」
なるほどそういう事か、とロランは納得する。視線をぐるりと見渡し残った帝国兵を確認する。先程の戦闘ですでに半分近い兵士がロランによってやられていた。
部下を助けるため、というよりはこのままだと確実に負けると思った帝国の司令官がわずかな可能性にかけたのだろう。もしかしたら一騎討ちを受けてくれるかもしれない。それならば部下が逃げる時間を稼げる。そんなところだろう。
別に正直もうどちらでもいい。もし逃げるならロランに追う気はなかった。撤退するのならば追わない。戦うのなら徹底的に相手を殲滅する。そう考えている。
今まで帝国兵は戦闘しかしてこなかった。だからロランは殲滅しか選択して無かったからこそ、逃げても殺されると判断したのだろう。
撤退しようとしているのだから見逃してもいい。だが、一度一騎討ちというものを経験してみたい。ロランはそう判断した。
「……いいだろう。貴様の勇気に敬意を払い一騎討ちに応じてやる。ただ、もちろん条件がある」
「……条件とは?」
ロランが不敵に笑う。
「一騎討ちの最中に貴様の部下に介入されたら敵わない。今すぐに退がらせろ」
「……!」
司令官が驚いたように目を見開いた。すぐに部下たちに視線を送りこの場から撤退を指示した。
ロランの言いたいことを正しく理解したようだ。
「貴殿に感謝を」
司令官が剣を鞘から引き抜く。それを見てロランは左手の剣の魔法を解除すると、鞘へ納める。そして残った右手の剣を両手で握る。
剣を二刀から一刀に変えたのは別に侮っているからではない。ロランの二刀術は乱戦用の剣術なのだ。だから一対一などの戦闘においては一刀の方がうまく戦える。
「帝国軍魔導第一部隊隊長、――」
司令官が名乗りを上げる。ロランはがらにもなく気分が高揚し名前を聞き逃してしまったが、別に司令官の名前に興味が無かったので気にしなかった。
「王国魔導騎士団隊長、聖騎士ロラン・アストルフォ・ルノー」
名乗りを上げたのならそれに返すのは礼儀だ。ロランは答えるため名乗り上げた。
「いざ、尋常に」
司令官が剣をロランに向けて構える。切っ先を相手に向け刀身を目と水平に保つ構えだ。
「推して」
対するロランは剣を正眼に構える無難な構えで応じる。
「勝負!」
「参る」
先に動いたのは司令官だった。ロランに向かって疾駆すると上段から剣を振り下ろす。
その攻撃は凄まじい速度だったがロランにとっては遅い。慌てることなく相手の剣を焼き切ろうと迎え撃つように剣を振るう。
剣を切り裂き、決着――とはならなかった。
金属同士がぶつかり合う甲高い音が響き、剣が火花を散らす。ロランは一瞬驚いたがすぐに当然かと思い直す。
ロランの赤い剣と司令官の青い剣が交差する。
ロランが得意とする攻撃魔法や付与魔法。その中には属性魔法と呼ばれるものが存在する。土、水、火、風の四属性を元に使われる魔法だ。土は水に強く、水は火に強く、火は風に強く、風は土に強い。属性魔法はこの四竦みで成り立っている。
司令官の剣の刀身が青い。それはつまり水属性の付与が付いているという事。属性にはそれぞれ対応した色がある。土は黄、水は青、火は赤、風は緑。
司令官はロランの剣を見て対応属性である水を選んだ。
魔法の実力が拮抗していたのならロランの剣は容易く切り裂かれていただろう。鍔迫り合いが成立しているのは偏に司令官の実力がロランと比べひどく劣っていたからだ。
司令官がロランの剣を弾く。手放すことはなかったもののロランの体が剣に釣られて動き隙を晒してしまう。その隙をつき放たれた斬撃。剣で防ぐことはもう無理だ。それでも焦ることなく空いた左手で素早く魔力を編み障壁を張る。
まるで鋼鉄の壁に剣を叩き付けたかのような感触だった。ロランは慣性も利用して体をひねり回転させると、その間に今度は土属性の魔法を付与させ黄色へと変化した剣を振るう。
だがまたしてもその刃が届くことはなかった。
司令官の剣が青から緑へと変化していた。水から風へ。土の対抗属性を己の剣に付与させていた。
そこから始まる剣戟。互いの剣の刀身が入れ代わり立ち代わり変色する。一進一退の攻防だった。
予想外だった。まさかここまで心躍る戦になるとは思っていなかった。帝国の司令官は自分と比べると魔力の保有量は段違いに低い。なのに勝負になっているのだ。
それは経験の違い。ロランは今まで集団戦しか経験したことが無かった。一対一の戦いはこれが初めてなのだ。訓練では何度も経験があるが実戦ではない。司令官がロランに食らいついているのは経験の差が多くを占めていた。
これが一騎討ちではなく集団戦のままならこうはなっていなかっただろう。もしそうなら倒した後に少し強かったと感じる程度にしかならなかった。そんな状況で剣を受け止められたのなら、並行して攻撃魔法を構築し倒していただろう。
一騎討ちでロランがその攻撃をしないのはする暇がない、のではなく。ただ勘違いしているだけだ。ロランは一騎討ちにおいて、剣以外の方法で攻撃しては駄目だと考えている。なので付与魔法は問題なくても直接的な攻撃魔法は使っては駄目だと判断している。
それは間違いで一騎討ちとは、自分の持てる力すべてを使って行うため攻撃魔法を使うのは問題ない。予め剣だけで行うものだと思っていたのに加え相手が攻撃魔法を使ってこなかったためそう結論付けた。
帝国の司令官は攻撃魔法を使わなかったのではない、使えなかったのだ。
魔法を並列して使うのは難しい。付与魔法を使っているため司令官は攻撃魔法が使えない。だからと言って攻撃魔法を使ったら付与魔法が使えなくなり、容易く切り捨てられるだろう。
風を付与させて斬りかかっても赤い剣に阻まれる。ならばと、次の一撃を叩き込もうと振りかぶる。相手の剣は赤。通常ならば水を選択する。だがロランはあえて火を付与させた。
司令官が驚く。だが剣と剣がぶつかり合う寸前に刀身が青く輝いた。
惜しい。そう思うロランの表情には笑みが浮かんでいた。
楽しいのだ。この戦闘が。
ロランは別に戦闘狂というわけではない。どちらかと言えば戦闘は嫌いだ。人を殺すことには慣れても、進んでやりたいとは思えない。だが自分の仕事は人を殺すことだ。いやでも血を浴びることには慣れてしまう。
攻撃がまた防がれた。そのことを楽しいと感じる。ロランはどうやれば攻撃が届くのか、そのことを模索するのが楽しかったのだ。
基本的にロランは敵を一瞬で倒していた。ほとんどを一太刀で切り捨てていた。だから戦闘での読み合いなど経験したことがなかったのだ。圧倒的な力による蹂躙。それがロランの戦い方だったからだ。
この一騎討ちが始まりすでに四十合以上は打ち合っている。司令官はロランの猛攻に防戦一方で攻めあぐねていた。対するロランも攻撃を全て防がれ有効打がなかった。
地面を抉りながら下段より剣を振り上げる。変わらず対抗属性を付与した相手の剣に阻まれた。剣がぶつかり、音が響いた。
その音を聞きロランは顔を顰め舌打ちをする。
地面を蹴り、後ろに大きく跳び後退する。そして手に握っていた剣を投げ捨てた。
剣は地面にぶつかると根元から音を立てて折れる。
折れた剣を見てやはりなと呟くとロランは腰から新たに剣を引き抜く。剣の音に違和感を覚えたが間違いではなかったようだ。
ロランは帝国の司令官を見つめ、浅く礼をする。
「貴様……いや、あなたに感謝を」
「む……」
突然の礼に司令官が戸惑いの声を上げた。それに気にせずロランは話を続ける。
「あなたの武は素晴らしい。短い間だが俺も多くを学ばせてもらった。だから礼を言わせてもらった」
「……礼を言うのはこちらの方だ。貴殿の温情で私の部下が助かったのだ。再度礼を言う」
「逃げる者を追ってまで殲滅しようとは思わないさ。さて……決着をつけよう」
ロランが剣を構え、それに司令官が答えるように構え直した。
司令官を見つめながらロランは思考する。読み合いでは勝てない。認めたくはないが技術も勝てない。攻めあぐねている。
二刀で攻めることも考えた。対抗属性を付与されて攻撃が通用しないのなら、それぞれの剣に違う属性を付与できる二刀で攻めれば勝てるかもしれない。
だがロランは一対一においては一刀の方が戦いやすい。拮抗している今の状態で二刀に変え、もしも対応されてしまったら、ロランは確実に負けるだろう。
ならばどうするか。
ロランには一つだけ思いついた策があった。やったことは無く、ぶっつけ本番になってしまうが他にない。
経験でも技術でも勝てない。ならばどうするか。ロラン自身が最も得意とする戦法は圧倒的な力による蹂躙。経験や技術でも覆すことのできない力。ロランが勝つにはそれしかない。
駄目で元々。失敗を恐れずにやるしかない。
予め魔力を体内で均等になるように編む。そして慎重に武器へと編んだ魔力を流し込み、属性を付与させる。
パンっと空気のはじけるような音が響き、剣の刃が魔力を帯びる。それは四属性のどの色にも該当しない色だった。
紫色に輝く剣を振りかぶりロランが司令官へと迫る。
あり得ない。司令官は酷く動揺した。
紫色の属性などない。可能性としては二つの属性を掛け合わせたものかもしれない。だが、それは不可能だ。異なる属性を組み合わせた例など存在しない。同時に二つの魔法を扱うようなものだ。それは人間の思考では無理だと言われている。
ロランの得意とする付与魔法を使いながら攻撃魔法を使うのとはわけが違う。付与魔法は一度使っており、効果を持続するだけでいいため攻撃魔法を撃つことは難しいが不可能ではない。
焦ったのは一瞬。司令官はすぐに持ち直すと対抗策を考える。剣の色から予測しかできないが、あれは火と水を掛け合わせたものだろう。ならば選択する属性は一つだ。
司令官の剣が青く染まる。その剣でロランの攻撃を受け止めた。
閃光が弾け、金属音が響く。紫色の剣は青色の剣により侵攻を止めた。司令官の選択は正解だった――かに思えた。
ずぶりと紫の刃が青の刃に沈む。ロランの攻撃を止めたのは一瞬だった。すぐさまゆっくりとだが確実に司令官の剣をロランの剣が切り裂く。
剣が切り口から徐々に凍り付いている。火属性は抑えることができているようだが、司令官の剣に付与されているものよりさらに強力な水属性は抑えられなかったようだ。
何とかしなければいけない。だがどうすることもできない。剣を手放すなど問題外だし、他に行動しようにも上から押さえつけられているかのように動けない。
剣が中ほどまで進むとそこで変化が起きた。司令官の剣の色が消えたのだ。青から通常の色へと戻ってしまった。切り口から魔力が漏れ出し胡散したのだろう。
そこからは早かった。侵攻を止めていた水の付与魔法が無くなったことにより、紙のように司令官の剣が切り裂かれた。
ロランは司令官の首に向かって剣を振りかぶっていた。
鞘を掴み、防御しようとしたがもう遅い。
ロランの剣が迫る。
ここまでか。司令官は己の死を悟った。抵抗はもう意味をなさない。その時を待つだけだ。
だが、その時は訪れなかった。
首筋に添えるように剣が止まっていた。どういうことなのか、それはすぐに分かった。
ロランの剣の刃がボロボロと崩れ落ちていた。王国の粗悪な剣ではロランの莫大な魔力に耐えきることが出来なかったのだ。
「……引き分けだな」
ロランが柄だけになった剣を投げ捨ててそう言った。
これが引き分けだと? 確かに二人とも武器を無くした。だがロランの腰にはまだ六本も剣が差さっており、司令官と違い丸腰ではない。このまま続けると司令官は新しい剣に斬られて終わりだ。仮にどちらも丸腰だったなら魔法勝負になり、結局司令官に勝ち目はないだろう。
「引き分けではなく、貴殿の勝ちでしょう。誰が見ても明らかです」
司令官は侮辱されてような気分だった。
「いや、引き分けだよ」
司令官の感情を分かっているのかロランが再度そう言った。
「しかし困ったな。引き分けの時はどうするのか決めていなかったな……」
どこかわざとらしくロランが続ける。
「負けてはいないが勝ってもないのに、あなたの部隊を追撃するというのもおかしな話だ。こちらに望みはない。引き分けというのならば、あなたの望みを叶えよう」
仕方ないといったようにロランが笑った。
司令官はロランが何を言おうとしているのか理解した。引き分けにこだわる理由も。
「流石は王国最強の騎士。貴殿の騎士道に感服しました」
「騎士なんて柄じゃない。騎士道など考えたことも無いさ」
ロランが苦笑する。聖騎士ではあるが自分は騎士らしくないと常々思っていた。だからその評価はむず痒いとロランは感じた。
「貴殿に受けた恩には必ず、必ず報うと誓いましょう」
「なら、いつか一緒に酒でも飲もう」
ええ是非。そう言って司令官は撤退した。
「王国最強の騎士……か……」
ロランが小さく呟いた。
最強なのは事実だろう。思い上がりでもなんでもなくロランは王国で最も強い。無駄に謙遜する必要もないためその評価を受け止めている。
その実力からロランは王国の英雄として、国中の期待を一身に受けている。国王より、聖騎士を任命され信頼されているのだ。聖騎士とは王国で最も強く高貴な騎士だ。現在はロランしかいない。
英雄や聖騎士と言えば聞こえはいいが、それは国内の評価だ。他国からは王国最強の騎士とも言われているが、最も有名なのは王国唯一の戦力だ。
現在王国と戦争をしている帝国は、国力が王国の倍以上はある。戦争が始まってもう五年が経過していた。一年もかからずに帝国が王国を侵略すると言われていたがそうはならなかった。
その理由はロランの存在だ。ロランただ一人の存在が帝国の侵攻を邪魔している。帝国はたった一人に苦しめられているのだ。
帝国はロランが王国の戦力の半分以上を担っているとみている。それは事実で、ロランがいなければ王国はすでに帝国によって滅んでいただろう。
王国の英雄、聖騎士ロラン・アストルフォ・ルノー。彼は王国の生命線なのだ。
*
『……天国って本当にあるのかな?』
『……え?』
『もし、あるなら。父さんと母さんはそこで幸せに暮らしているのかな』
『天国はあるよ。……必ずね』
『そうかな……そうだといいな』
『だから今を精一杯生きるの。また会うときに色んなお話をするために一生懸命生きて、沢山話すのよ。そうするときっと楽しいから』
『……なら俺たちは父さん達に誇れるように生きないとな』
『うん。がんばって二人で誰にでも誇れるように生きていこうよ!』
*
ロランが前線基地に帰還するとすでに部隊も帰還していた。
ざっと見渡すと傭兵たちの被害は少なく無いようで、ひどい有様だった。自分の部下たちも数人見かけたが無傷ではないようだ。
少しして、ようやく探していた人物が見つかった。
「副隊長」
近づき声をかける。副隊長は振り向くとロランに向かってお辞儀をする。
「予感が当たった。こちらは奇襲に遭遇し、対処した。こちらは問題ない。そちらの報告もしてくれ」
ロランが共に行動しない戦闘後ではいつもの事だった。自分の戦果を話し、副隊長の戦果を聞く。そう、いつもと変わらないことだったのだ。
「隊長……」
「どうした……誰が犠牲になった?」
その雰囲気からすぐに理解できた。今回の戦闘が十全ではなかったことに。副隊長は弱弱しく口を開いた。
「坊やが……」
「なに……?」
坊や。副隊長がそう呼ぶ人物は一人だけだ。ロランの部隊で最も若い新入りの隊員。この戦闘が始まる少し前にロランと話し、やりたいことが出来たと語った彼だ。
「戦闘中、傷ついた傭兵の一人をかばって……。一瞬でした。助けに入ることも、何も……」
出来なかった。口には出さないがそう言っているようだった。
ロランは心を無理やり落ち着かせる。隊長である自分には悲しむより先にやることがある。思考を冷やし、冷静に判断する。
「遺体の回収は?」
副隊長が首を振る。遺体の回収ができないのは残念だが珍しいことではない。戦場で死んだ人間に引きずられると次に死ぬのは自分となる。だからこそ戦闘中は考えないようにするのだ。そのため遺体の回収をする時間がなくなる。
それに魔法により死んだ場合は遺体が残っていることのほうが珍しい。だから期待はしていなかった。
「……遺品は?」
「坊やの部屋にもあるでしょうが、戦場から回収できたのは……この剣だけです」
差し出された剣を見る。刀身が半ばから焼け焦げて折れていた。その剣からいろいろと何があったのか察してしまう。ロランは感情を押し殺して事務的に行動しようとする。
「彼の自室に残っている遺品を整理して、故郷に送ろう。その剣を渡してくれ」
「……隊長。自分にやらせていただけないでしょうか?」
副隊長がロランの目を真っ直ぐに見つめる。
新米の事を副隊長は息子のように思っていた。それだけ可愛がっていたのだ。彼の死で一番堪えているのは副隊長だろう。
「そう……だな。お前に任せよう」
「承りました」
副隊長には気持ちの整理が必要だろう。だからすべてを任せることにした。少しでも副隊長が向き合えるように。
副隊長がすぐに行動をして、ロランの前から姿を消す。ロランは深く息を吐くと、沈む気持ちを無理やり切り替える。
その後、隊員たち一人ひとりに会って話をした。皆が新米の死に気落ちしており、図らずともカウンセリングをするような形になってしまった。
一つ気になった事があった。皆精神的に疲れてはいるものの肉体的な損傷はなかった。戦闘で傷を負ってないわけではないのだろう。酷く破損した鎧や騎士服を見れば分かる。ならば治療を受けたという事になる。それも傷がすぐになくなるという事は治癒魔法での治療だ。
だがそれはおかしいのだ。ロランの部隊にはちゃんと治癒魔法が使える隊員がいる。その隊員は擦り傷などの軽い傷程度なら治せるのだが、それ以上の傷は無理だ。鎧の損傷から見るに軽傷では済まなかったと予測できる。
どうしてなのか聞いてみたのだが、皆笑ってはぐらかすばかりだった。その時に何人かの隊員に茶化された。隊長も隅に置けませんね、全く。などと言われたのだ。最初はよくわからなかったが、おそらくは無理やり気分を切り替えるために自分をいじったのだろうとロランは考えた。それでも意味は分からないが。
ロランは今一人、前線基地の隅にある修復用の木材に座っていた。
ボーっと傭兵たちや自分の部下を視界に収め、一人静かに佇む。
周りに誰もしないからこそ、新米のことを考えてしまう。
彼と最初に会ったのは一ヶ月前だ。部隊の補充の時だった。やたらとおどおどしており、自信がなさそうだったのを覚えている。それから一ヶ月、多くの戦闘を経験した。彼は優しかったのだろう。人を斬るとき辛そうな顔をしていたのを遠くから見たことがある。
ちゃんと話したのは先の戦闘のあれだけだ。別に避けていたなどということはないが、ここ最近は忙しく、交流する機会に恵まれなかっただけだ。
誠実な人柄だったのだろう。他の隊員たちとの関係も良好だった。
もう、過去形でしか語れないのだ。
隊員の誰かが死ぬのは今回が初めてではない。以前にも多くの部下が戦争で命を落としている。そのたびに自分はどうすればいいのか分からなくなる。
自分のせいだ、と自責するのは簡単だし、いい逃げ道になる。だが、ロランにはそれが出来ない。自分のせいだと思うよりも先に、仕方のないことだと受け止めてしまう。自分の実力では無理だった。仲間と協力してもどうしようもなかったのだと判断する。
だからロランは人の死を忘れない。全てを受け止め背負っていく。損な生き方だと自分でも思っている。だが、変えられないし変える気はない。
俯き、額に手を当てる。
いくら悲しんだとしても死人は生き返らない。だから無駄なことだとはわかっている。でもロランは割り切らないからこそ、悲しむのをやめることが出来ないのだ。
「おーい。そこで黄昏ているお兄さーん」
ロランに声がかかる。その声に覚えがあった。
当然だ。何度も聞き、心に刻まれている声だ。片時も忘れることなどありはしない大切なものだ。だが、だからこそ聞こえるはずのない声だ。今ここにいないことは知っているから。
「ヴィヴィ……?」
ロランが顔を上げる。そこにいた人物はロランの予想通りの人物であった。教会のシスター服に身を包んでいる一人の女性。淡いプラチナブロンドの髪に水晶のようにきれいな碧眼。優しい雰囲気を感じさせる整った顔立ち。
幼き頃より共に過ごしたロランの大切な愛しき人、オリヴィアが優しい笑顔を浮かべてロランの目の前に佇んでいた。
「ふふ……そうですよー。あなたのオリヴィアですよ」
隣に座りますよーとオリヴィアがロランの横に座る。
「ヴィヴィ……いや、すまない。オリヴィアがなぜここに?」
「別にヴィヴィでも構わないよ。私も気にせずロロって呼ぶしね」
気にしないからそう言ってオリヴィアが笑う。それにロランもつられて笑ってしまう。
だが、オリヴィアはここにはいないはずなのだ。今はここから少し離れた村で病気などの治療に当たっていたはずだ。
「意外に早く用事が済んだから、ちょっと寄ってみたの」
いたずらが成功した子供のようにオリヴィアが言った。隊員達に傷がなかったのが何故か分かった。それはオリヴィアが来たからだ。
彼女の治癒魔法ならどんな傷でも治すことが出来る。生きているのなら肉体の欠損すら治せるのだから不思議ではなかった。
「そうか……会えてうれしいよヴィヴィ」
「私もよ、ロロ」
二人で笑いあう。少しだけ気分が楽になった。だがそれだけだ。オリヴィアと話したのに心が晴れることは無かった。
「どうかしたの?」
そんなロランの様子に気が付いたヴィヴィが問いかける。
「いや、少しな……」
「……誰かに話せば、少しは楽になるかもよ?」
「俺だけ……弱音を吐いて楽になるのはいかんだろ」
それは逃げだ。皆が向き合って辛い思いをしているのに、自分だけ楽をするのはおかしいとロランは思っている。
「別に構わないでしょ?」
オリヴィアが首を傾げる。
「なぜだ……?」
「そういうのを背負うのは構わない。ロロが決めた生き方だからね。それを否定したりはしないよ。でもね、飲み込むのはやめようよ」
「飲み込む?」
「背負って受け止めるのはいいけど、それを飲み込んでお腹に溜めてしまうと苦しいよ。そのまま溜め込むといずれ破裂しちゃうから」
だから弱音を吐いて少しは息抜きしないと、そうオリヴィアが笑いかける。
「いいのかな?」
「そうやって気にしてロロがダメになったら、余計に迷惑かけちゃうよ?」
そうだなとロランが頷いた。今の状況で自分が使い物にならなくなる方が問題だろう。そう判断し、オリヴィアの言う通りにすることにした。
何から話すか、ロランが思考を整理する。
「……部下が一人死んだんだ。一ヶ月前に入隊したばかりの新入りだった。信じられるか? 俺たちよりも若いんだぜ」
それからロランはオリヴィアに話を聞いてもらった。新米の人柄やどんな事が得意かなどを。オリヴィアはしっかりとロランの話を聞き相槌を打つ。
「すごい……奴だったよ。魔法を工夫するのがうまかったんだ。俺では絶対に考えつかなような工夫さ」
ははと力なくロランが笑う。
「俺たちがそれぞれの道を歩み始めて、もう随分とたつ。俺たちは自分でそう生きると決めた。だが、あいつはまだ決めていなかった。何もだ……。やりたいことを見つけたと言っていた。もう推測にしかならないが、あいつのやりたかったことは平和な世界で何かしたかったのだと思う。おそらくは人のためになる魔法の開発をしたかったのかもしれないな」
ロランが俯き拳を強く握りしめる。どうしようもない感情を示すかのように拳から血が滲む。
「本当にいい奴だったんだ……! わずかな時間しか話せなかったけど、それでも分かる程いいやつだった。なのに……なのに……」
「『死は別れではない。旅立ちなのだ』」
ロランが顔を上げ、オリヴィアを見る。その言葉に覚えがあった。
「だから悲しみ過ぎてはならない。また会うときに胸を張れるように精一杯生きていけばいい」
「ヨシュア様の言葉……か」
王国で、帝国で、周辺諸国一帯で最も信仰されている宗教、聖教。その教祖であるヨシュアが残したとされる言葉だ。聖教のシスターであるオリヴィアはもちろんだが、ロランも熱心な信徒であり当然知っている言葉だった。
「なんて、私が聖書の、ヨシュア様の言葉を借りても薄っぺらいし、説得力に欠けるよね」
「いや、そんな事は」
「ううん。あれはヨシュア様の言葉だから。誰が借りても事実そうだと思うよ。自分自身の言葉じゃないと心には響かないからね」
オリヴィアが儚く笑う。そして何かを考えるように顎に手を当てうーんと呻る。
「そうだね。私自身の言葉で言うなら」
そう言うとオリヴィアがロランを抱き寄せた。ロランは突然の事に混乱してしまう。
「別に悲しんでもいいんだよ? 悲しんで、悲しんで悲しんで悲しんで悲しんで。悲しむのに疲れた時、少しだけ前を向けばいいの。そうすればまた歩くことが出来るから」
「俺に……前を向くことが出来るのかな?」
「大丈夫だよ、ロラン。あなたなら絶対に大丈夫。だから安心して?」
「そう……かな」
もう無理だった。そこで決壊した。
オリヴィアの胸の中で子供のように泣き喚いた。オリヴィアは聖母の如く微笑み、ロランを優しく包み込んだ。
「……かっこ悪いところ見せちまったな」
「別にいいよ。よくある事でしょ?」
「う……そう言われるとはずかしいんだが」
目の周りを赤くはらしたロランの頭を、オリヴィアが撫でる。恥ずかしかったのだが随分と楽しそうに優しく撫でるからしばらくは何も言わなかった。
「……ありがとな」
「お礼なんていいのに」
オリヴィアが頬を赤く染め照れたように笑った。
「言葉にしなければ伝わらない。特に感謝の気持ちは。そうだろ?」
オリヴィアが目を丸くする。言葉にしなければ伝わらない。オリヴィアの幼い頃からの口癖だった。
「そう……だね。私からもありがとね、ロロ」
「なんでお前が礼を言うんだよ?」
「ロロから元気をもらえたから」
ふふと小さく笑みを零す。それを見てロランは首を傾げた。
「……何かあったのか?」
「……まあね」
ほいっとと掛け声を上げ、軽快にオリヴィアが立ち上がった。
「私の事を快く思っていない人がいるの。その人にとって私は目障りな存在みたい。私の活動が邪魔されるのよ」
活動に使う道具が壊されていたり、協力してくれる人員が突然理由もなくやめたりなど被害は大きいらしい。
「確かに自己満足で始めたことだから仕方ないかも知れないけど、やっぱり辛いかな……」
オリヴィアの活動は金が無く、病気や怪我の治療が出来ない民間人をほぼ無償で治療している。類稀な治癒魔法の才能を持っているオリヴィアならどんな病気も怪我も簡単に治癒することが出来る。それを使って誰かの役に立つことがしたいとロランが騎士団に入団するのと同時期にオリヴィアが始めた活動だ。
最初は受け入れられなかった。信じられず、苦労したらしい。しかし諦めず献身的に人々に尽くすと次第に受け入れられていき、今では聖女と呼ばれ王国の人々の希望となっている。
その行いは王国だけでなく周辺諸国にも伝わっており、戦争中である帝国にもその名は伝わっている。オリヴィアは王国以外でも民間人のために魔法で治癒を行っており、王国以外でも聖女と呼ばれており、慈愛の聖女の名で広く親しまれている。
「……辛いなら、やめればいい」
「え?」
オリヴィアが呆けた声を上げる。ロランはそれが少し面白かったが表面には出さず、話を続ける。
「自己満足で始めたんだろ? だったら勝手にやめたとしても問題ないだろ?」
「そう……だね」
「ヴィヴィ。君の中ではもうどうしたいのか決まっているんじゃないのか?」
ロランが優しく笑いかける。ヴィヴィはその笑顔に応えるように笑みを零す。
「私も、挫けず頑張るよ。どうせ自己満足なんだし、邪魔してくる人なんか気にせずに恵まれぬ人達に救済を。なんてね」
「おう。その意気だ」
そうやって二人で顔を見合わせ笑いあった。その後少しだけ他愛もない会話をしてロランは英気を養った。
「さて……と。そろそろ私は行くね」
「今からか? もう遅いんだ、泊まっていけばいだろ。部屋は空いているし貸すぞ?」
「うーん、明日やらなきゃいけないことがあるから、そこに向かわないといけないんだけど」
「こんなに暗いと馬車も走れんぞ。それなら今日はここに泊まって、明日朝早くに出た方が確実だし、安全じゃないか?」
「そうかな……ならそうしようかな」
「ああ。それがいいぞ」
ありがとう。オリヴィアがお礼を言った。ロランは立ち上がるとズボンの汚れを払った。
「部屋へ案内するよ。寝るためだけの部屋だから酷いもんだがな」
「気にしないし文句なんか言えないよ」
「そうか。……おっと忘れるところだった。あいつらにもちゃんと言っておかないとな」
いくら隊長とはいえ、部外者を勝手に前線基地に泊めるのは問題がある。話を通さなければと考えた。そんな時だった。
「どうかしたのか?」
オリヴィアの様子が少し変だった。ロランとの会話の途中だというのに視線を別の方向に向けているのだ。変というと少し大げさかもしれないが、オリヴィアは他人と話すとき必ずその人の顔を見て話すのだ。だからロランは変だと思った。
「えっと……あれ」
オリヴィアが苦笑いしながら視線の先を指さす。そこには前線基地の陣幕があった。その陰に複数の人影。
それでロランは察した。
話し声が聞こえてくる。「こっち見てるしバレた?」「バレちゃった?」などの会話が。
額に手を当て溜息を一つ。
「そういう事だ。お前ら、分かったな。……とっとと持ち場に戻れ」
ロランの言葉に七つの人影が一斉に散った。
*
『いつみてもすごいな。ヴィヴィの治癒魔法は』
『ふふ……。なんてったって私の自慢できる取り柄の一つだからね』
『強力な治癒魔法なのに痛みを伴わないというのは本当にすごいな。俺には無理だな。魔法で得意なのは攻撃魔法ぐらいだしな』
『私だって治癒魔法特化みたいなものだし、攻撃魔法もロロと比べると全然だめだもん』
『攻撃魔法は俺の数少ない取り柄だぞ。少しどんくさいヴィヴィに負けるわけないだろ』
『ひどーい。でも、みんなに私は戦闘能力皆無って言われるから間違ってないけど。この前も山賊に襲われて危なかったし』
『そんなことがあったのか。大丈夫なのか?』
『護衛がいてくれて、その人に助けてもらったよ』
『そうか……。よかった』
『こういうことがあるから、私も自衛できるようにならないと駄目なんだろうね』
『……戦闘はあまり好きじゃないんだろ?』
『でも、仕方ないかな』
『なら、かわりに俺が約束する』
『何を?』