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赤い手

作者: いきる

私はこの家は大き過ぎると思う。核家族用に作られたこの家も、もはや自分一人しか住んでいないような状態では、不憫だ。

今では父親も、帰ってこない。でも仕方ない。昨日、父の派遣された地方で大地震があったらしい、すぐ自宅に帰れる人は少ないのだろう。寂しいとか会いたいという事は最近あまり感じなくなった。ただ私の使う以外の部屋を不憫に思う。



今日は、一睡も出来なかった。何もしていない日にはわりとよくある事だ。空いた部屋を気にしないようにしながら、階段を下りた。静かな朝。


じっとしているとやたらと考え事ばかりしてしまうのはもはや癖だった。爪の脇に生えたささくれを血が出るまでむいた。いくら考えても、行動に表れないのだから、無意味ってものである。


二月ももう終わりに近づいている。なにもない自分にとってはただの空白だ。

とりあえず、図書館にでも行く事にする。人に会いたいわけじゃなくただ人が居る所に行きたい時、よく行く場所だ。


図書館までは歩きでも十分かからない。上着とマフラーを掴んで家を出た。寒くて、人通りも少ない。狭い坂道。裸の木が均等に並んでいる。こんな寂しい道が気持ちを落ち着かせてくれる。


図書館の中も、暖房が効いていなくて、上着を脱ぐ必要がなかった。いつも通り二階に上がり、ボロボロの茶色くて無駄に長いソファに腰掛ける。二階には人がいつも少ない。


マフラーに顔を埋めて腕を組んだ。自分の世界に入るポーズだ。もし誰かがいたら、図書館に来て本を読まないなんて、なにしにきたの。なんて普通の事をきかれるんだろうな。




いつの間にか眠りに落ちていた。隣のソファに男の子が座っている。こんなに空いているのに、隣に来るなんて、変な人扱いされると思わなかったのかな。


いつもなら近くに人がいると、過剰な自意識が反応して、やたら気にしない振りをしてしまうのだけど、寝起きであるせいか、ずっと見つめてしまっていた。


見覚えのある顔をしていた。

長い前髪をうっとおしそうにしているのを見て、前島だと気付いた。


前島。

小学生の頃、こいつを傷付けることでストレスを解消していた記憶がある。

当時ですら、ストレスを解消していることが分かっていた。中学で不登校になっているのを知った時は、二分で忘れる程度の罪悪感を持った事はあるが、私があの時いじめていなくても、いずれ誰かにいじめられていたと思うので、それ程考えなかった。



意思とは関係なく人を不快にさせてしまう、湿疹が乾燥した赤いアトピーの手。しわが入った首。背が小さく痩せっぽちで、袖からのぞかせた手首は私のよりも細いように見える。誰が見てもかわいそうな雰囲気を漂わているのは小学生時代から変わっていないみたいだ。



「キミみたいな人も図書館に来るんだね。」


前島は、本から目を離さず言った。


「前島?」


訊いても、彼は無言で本から目を離さなかった。その態度はまるで、私の事をもう怖くないぞと言っているようだった。

赤い手が震えていた。

きっと文字なんて読めていないくせに、なんて馬鹿なんだろう。


「ねえ、前島だよね。すごい!もう十年ぶり、くらいなんじゃない?今何してるの?」


小学生の頃からの友達に、前島と会った事を報告しようと思った。会った人もきっと今まで居ないだろうし、レアキャラだから。


「何してるかって。」

前島は目の下にまで伸びた前髪の隙間から私を見た。

「キミには分からないよね。いじめる側の人間にはね。いじめられる側の人間は、ずっとその場にとり残されているんだ。」


台本を読んでいるような棒読みっぷりに、思わず吹き出してしまった。明らかに前島は、人と話すのに慣れていない様子だった。目を合わせられないのだろう、ずっと私の胸の辺りを見ていた。


実際、小学生時代のことを言い訳にして、きっと何もしていないだけなのだ。それはただの想像じゃない。

こいつはもともとそういう人間だ。いじめられても、直接言われても、何も変えようとしなかった。いじめられる側の人間に原因は無く、いじめる側が全て悪いという教師の言葉を、鵜呑みにしていたからだ。


いじめる人間が悪かったとしても、いじめられるのはいじめられる側の人間なのだから、そんな理論無意味だった。


「じゃ、死ぬしかないんじゃない」


自然と本音が出てしまった。

本当に、死ぬしかないと思ったから。本人に変わる気がないなら、何も変わらないんだ。何か変えたいなら、死ぬしかないんだ。


前島の鼻息が五月蝿かった。やかんが沸騰したような音を発していた。


「死ね、お前が死ねばいい。」


前島は完全に震えながら、席を立った。バタバタと足音を立てて階段をおりて行った。かわいそうな人だ。何も分かっていやしない。きっとこれからも一生分かれないんだろう。


携帯を開いて、友達に連絡をとった。前島との遭遇のことは、会ってから言おうと思う。



今日の夜、友達と会う事になった。小学生からの、男友達だ。


白いワンピースに、MA-1を着た。その男友達は小学生からの親友だが、会うのは二ヶ月ぶりだった。


「久々だな。桃菜、お前いつも、当日とか急すぎるだろ!」


嬉しそうな顔をしてきたので、私も笑顔を作った。彼は私が誘うといつでも他の予定をキャンセルして、私を優先しているらしかった。



コーヒーが二つ、無機質に並んでいる。

前島のことを話すと、彼はオーバーに懐かしそうにした。



「なーんかなぁ、小学生の頃からクズの奴はでかくなってもかわんねえのかなって思っちゃったよ。」


彼は、前島が私に死ねと言ったことをわざとらしく非難していた。


「人間ってさ、小学生から、結局は変わらないもんなのかな。」


「いや、お前は変わったよ。あの頃のお前は今考えるとどうしようもない酷い子供だったけど、今は普通になってるし。むしろ優しいし俺は今のお前は好きだよ。」


照れて、頷きながら彼は言った。

私はまた、吹き出しそうになった。

今の私?小学生の頃からいつでも私についてくるくせに。あなたは何も変わってないよ。私はうつむいて笑った。照れているように。


「でも、小学生の頃は大変だったな。」


「あの頃は、本当健吾が居てくれて助かったよ。居なかったら多分、死んでたよね。」


笑いながら言った。彼は、死んでたとか言うな、と真剣に言ってきた。彼の悲劇のヒーローぶりにはうんざりだが、なんとなく彼を喜ばせてみた。


健吾がいなくても、死んではいなかっただろう。周りの大人たちが大袈裟に私を守ろうとしたのを思い出した。

今思えば、母親だって、一人で疲れ切って居たんだと思う。世間は虐待、という一言で、かわいそうな子供と酷い親を想像するが、実際は酷い子供と、かわいそうな親だったような気もする。


彼は、煙草に火をつけた。

私は机の下で親指のささくれをむいた。軽く痛み、まるい血が浮き出てきた。


「今日もありがとね、話聞いてくれて。」


親指をペーパーナフキンで抑え、上着の袖に腕を通した。


「もう帰んの?」


彼は煙を吐いて、言った。


「明日バイトで朝早いんだよね。だるいわあ。」


私はわざとらしくだるそうにした。彼はあーバイトね、と言って笑い、煙草の火を灰皿に押し付けた。




大学の近くで一人暮らしをしている健吾は、私とは反対方面のホームにでた。向こうのホームに居る健吾と目が合って手を振ったりするのが面倒なので、逆側を向いて、立った。



今日も。

今日も叱ってくれなかった。

突然連絡して、会って一時間で帰るなんて自己中だろと。前島に死ねと言われたのも、昔あんなにいじめていたから当然だろと、言って欲しかった。


叱ってくれる人が居ないと、私はどこを目指して何をしたらいいのか分からなくなる。健吾は優しい。優しくて、叱ってくれなくて、指図してくれなくて、優しくないのだ。


健吾に叱られることを期待していることすらおかしい。無理な事をどうして願ってしまうんだろう。






ああ。


快速特急の電車がホームの端の人間を照らし、次に私を照らそうとしていた。今飛び込めば自分ごと、この無駄で終わらない考えも終わらせられるんだろうか。でもやっぱり、全部諦めたような気がするだけで諦められていないのだ。何かが自分の手足を重くして、飛び出せないようにしてくれるみたいだ。


いつも通り、電車に乗り込んだ。何も考えていない顔をしながら。

笑いながら輪を作っている女子高生や、まるでより電車感を出すために雇われているような、サラリーマンたちが、繰り返しの一日をまた終わらせようとしていた。

皆、何かに所属していて、確かに何かに向かっているように見えて、羨ましかった。

この中に電車に乗ってはいけない人がいますとアナウンスされて、乗客全員が私を指差し、降りるようまくし立てる。というような事を想像した。



西口を出て、右に曲がってまっすぐ行き、階段を上る。まっすぐ行くとすぐ、自宅が見えてくる。

人通りの少ない道、特に夜は、人から尾けられているんじゃないかとなんとなく思い後ろを振り返る事があった。今日は振り返らないでいい。何故だか分からない。振り返っても振り返らなくてもどっちでもよくなっただけかもしれない。毎日ただ、つまらない。

今日もやっぱり家は暗いままだ。私が出て、また戻ってくるだけの家。

鍵穴を回す。私も繰り返しの一日を、自然に終わらせようとした。








「あいつはよくわかんない奴だった。小学生から一緒だ。

小学生んとき家が隣同士で、親同士も仲良かったし、お互い一人っ子だったから良く遊んだんだ。あいつは優しくて、友達も多かったけど、なんとなく何かに不満そうだった。

昔はあいつんちも普通の家だった。両親もいたし。俺は父親はもともといなかったけど、普通に母親と仲良かったし。平和って感じだった。

あいつの母親は優しい人だった。俺が遊びに行くと笑顔で迎えてくれたし、俺の母親みたいな明るい感じの人じゃないけど、落ち着いてる感じの人で、俺の母親もこうやって落ち着けるような人でも良いかもな、なんて思ったりもしてた。

俺の母親とあいつの父親は結構仲が良くて、良く二人で飲んだりしてた。あいつの母親はあまりその中に入らなくて…あいつはそれが何故か気に入らないようだった。なんで仲良くしないの?とか聞いたりしてて…。

いつの日からか、あいつの家から両親が喧嘩する声しか聞こえなくなった。あいつの父親が俺ん家に遊びに来ないようになって、俺たちが遊ぶ場所も、公園とかになった。

それから、あいつの父親が仕事で、ずっと帰ってこない期間というのがあった。

そのときも、半年くらい帰ってこないらしいと聞いてた。喧嘩の声がしばらく聞こえなくなると思うと嬉しかった。でも、父親が行った後、あいつは少しずつ痩せていって、前島を異様にいじめるようになった。あいつの母親を見かけなくなった。窓からあいつの家の中が見えるほど近かったんだけど、シャッターを閉めるようになった。

それから、あいつが虐待されてたことが分かった。遊んでるとき、あいつの腕に煙草を押し付けた跡があって、俺の母親が児童相談所に通報して、あいつは父親と二人暮らしになった。

あいつはまた、優しい子になった。家庭訪問で先生と俺の母親があいつの話をしてるのを聞いた。学校も毎日来て、辛いはずなのに、気丈に振る舞っているんです。すごく良い子です。って。

違う、と思った。

なにが違うのか分からなかったけど、すごく気持ちが悪かったんだ。」








工場の流れ作業が、一番自分に合っていると思う。こう大人数で同じ事を繰り返していると、自分のここに居る事がどんどん薄く感じて来て、何かに吸い込まれるような気持がして来て、心地良い。マスクで顔を隠し、帽子で頭髪を覆い、誰もが同じ見た目になるので、機械と同じようなものになるのだ。


休憩室では、皆一生懸命自分が居る事を主張して、安心しようとしている様に見える。自動販売機でわざとらしい感じのメロンパンを買った。甘い味しかしない。


今日も、パパ、帰ってこないだろうな。

良いんだ。私は一人で居られる。むしろ、一人の方が楽かもしれない。


休憩室は一昨日の地震の話題で持ちきりだ。テレビからは、どのチャンネルも同じ映像が流されている。

「………区で200〜300人の方の遺体が発見されたということです。福島県では、26人の方の死亡が確認されています。」



工場の下駄箱で靴を履き替える。入ったのは朝なのに、もう外がグレーになっていて、上から蓋をされている気分になった。電車で帰る事を思って、少し憂鬱になる。嫌いだ。電車を待つのも乗るのも、もう嫌だ。




毎日、工場か、自宅か、図書館に居るだけ。若いだけが取り柄の人は、老けたら何になるんだろう。学校も辞めてしまった。工場で働きまくって、工場長にでもなろうかな。


人のように生きてもやっぱり、何も出来ないんだ。自分には。もう、諦めよう。いつだって表面取り繕う事になるだけなんだ。


門を出て、いつものように地下道を通り、駅へ向かう。ホームレスが隅で横たわっている。ただの、生命力。頭上で電車が走る音がする。頑張って生きている者は美しいんだろうか。私は何なんだろう



改札を通り、階段をまた上って、ホームに着く。

ああ、よかった、あと三分で電車が来る。早めに来るから、あと二分で来るだろう。

もう、いいよ。私を尾けてるのは分かってるよ。それでばれていないと思っていたら、笑っちゃうくらい、バレバレ。私は電車を待つフリをするから、その赤く荒れた両手で思いっきり、押せばいい。こんな人生にもともと進むも退くもない。いじめられる側の人間は、ずっとその場にとり残されてるんだよね。私も、とり残されているよ。君をいじめて、得られた事も変わった事も何もなかった。あんなに君に酷い事を言い続けて居たのに、どうして皆見てるだけなんだろうね、汚いよね。皆、口に出せばいいだけなのに。私に、止めろよ、死んだ方が良いのはお前だろって、言えばよかっただけなのに。


電車が見え始めた。私は、押されるのならすごく強く押されるんだろうなと、なんとなく想像していた。鎖骨と鎖骨のあいだの柔らかいところがビー玉が詰まったように、苦しくなり、涙が出た。どんと、背中を押された。



ママに会いたい。


なんで、ママ。嫌な事があるなら言えば良いのに、どうして何もないように笑ってるの。やめてよ。私が何を言ってもどうして、笑ってるの。ママ。私を見て。名前を呼んで。また、桃菜って、言ってよ。私は悪い子なの?どうなの?分からないよ。教えてよ。ママ。ママ。


死にたくない。やっぱり、やり残した事があるんだ。死にたくないよ、ママに会いたい。謝って、またママと一緒に楽しく暮らすの。ごめんねって。許してくれるよね?怒って。


煙草の火は、ちゃんと、熱かった。でもママがその日の夜、ぎゅってしてくれた。温かい手のひらを私のほっぺにくっつけてくれた。ごめんねって、泣いてて、私もごめんねって言った。でも私は許せなかった。熱いことや痛いことなんてどうでもいい。叱って欲しかった。ママに私の事を見て欲しかったのに。ごめんねじゃないんだよ。私すごく、悪い子なのに。







健吾と、健吾のお母さんと、パパと、ママと歩いていた。ママと私は手を繋いでいた。健吾のお母さんが嫌味の無い笑顔で、桃菜ちゃんママ、と前の方から呼んだ。ママはまたいつもの笑顔で、手を振った。それからママは少し、気付かれないように泣いてしまった。ママは皆の輪の中に入るのが少し苦手だったから。でも、皆はママがその輪に入りたいわけじゃ無いと思ってたから、何も言ってくれなかった。ママは、何も言わず、笑顔を作った。




そんなことを思い出した。

















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