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暴走トラックから女の子を救った俺は異世界転生して当然だと思っていたが

作者: 千果空北

 今日も風が気持ちいい。

 学校帰り、緩やかな坂を自転車で下る俺は華の高校二年生。

 趣味は小説を読むこと(但しネット小説のみ)。部活はやってない。彼女もいなければ休日に遊ぶ友達もいない。休憩時間に雑談し、一緒に昼食を食べるクラスメイトならいるが、そんな相手は友人と呼べないと俺は思っている。


「あー、早く転生してぇーなぁー」


 手を離しても自転車は進んでいく。

 俺の人生も同じだ。

 朝起きて、学校に行って、クラスメイトと喋る。学校が終われば変わり映えのしない家路を辿り、ネット小説を読んで寝る。


「なんで神様は俺を見つけてくんねぇんだろうかな……」


 平地に降りた俺はハンドルを握り足を動かす。

 勉強が苦手でスポーツは出来ない。けれど異世界に転生したら、俺だって英雄になれる。チートスキルを貰ってレベルを上げて、可愛い女の子と仲良くなれるんだ。

 その為に努力もしている。

 週に一回、神棚に和菓子を供えているし(但し食べるのは自分)、神社に寄ればお賽銭五円を投げ入れ柏手を打っているのに。


「あーあ、何処かにトラックに轢かれそうな幼女いねーかなー」


 俺がそう溜息を漏らすと、背後でクラクションが鳴り響く。何度も何度も耳を劈く轟音は一台や二台の車では済まない。何だ何だと俺が振り返ると、一台の大型トラックが乗用車を別車線に押し退け進んでいた。


「ぼ、暴走トラック!? こ、この展開はまさか!!」


 慌てて前を向き、俺は目を凝らす。


「やっぱり、横断歩道に幼女がいるーっ!!」


 本を読みながら横断歩道を渡る少女は、まだ暴走大型トラックに気付いていない。

 読書好きの女の子を見殺しにしてなるものか! と俺は必死にペダルを回し、少女に叫ぶ。


「逃げろ!! トラックが来るぞ!!!」


 少女は顔を上げて俺と、迫り来るトラックを目にして固まる。


「うおおおおおおおお!!!!」


 俺は更に力を入れてペダルを踏み込む。

 安物の自転車がガタガタと軋む。風が頬を通り抜け、汗が顎を伝い落ち、そして俺は道路に飛び込んだ。

 少女のほっそりとした躰を突き飛ばし、代わりに俺の躰を踏み潰さんとトラックの巨体が迫る。




 ――――そして、世界が反転する。




 真っ白な空間に果てはない。

 ポツンと佇んだ俺は砂漠のように変わり映えしない世界に目を細め、確信して口を開いた。


「ここは、死後の世界……」

「って、そんな訳あるかっ!」


 ノリツッコミでは断じてない。俺は咳払いを挟み、訂正を加える。


「ここは、転生させてくれる神様が出てくる場所だよ」

「はあ……、ん? ……やっぱり死後の世界じゃないですか」

「あ、うん」


 俺の言葉の意味を理解出来ずに首を傾げたのは十代前半の、あのトラックに轢かれそうになった女の子である。紅い野球帽を被り、読みかけの文庫本を手にしている。

 少女は足元の栞を拾い上げてブックカバーに覆われた文庫に挟むと、俺に手を差し出す。


「私は聡子です。聡い子供でさとこ、ここであったのも何かの縁です。よろしくお願いします」

「よ、よろしく。俺は奈郎読蔵(なろうよむぞう)だ」

「それで、神様って何のことです?」


 聡子ちゃんは早々に俺の手を離し、文庫の続きを読みながら尋ねる。

 片手間な態度に俺は少しムッとするが、俺は年上だから、と言い聞かせて説明する。


「ここはね、転生前の待合室みたいな場所なんだ」


 俺がそう口にした瞬間、聡子ちゃんの顔には「何を言ってるんだ、こいつは……」と言わんばかりの蔑みが浮かぶ。


「死んだ人間が転生すると言うのは、仏教的価値観です。私も奈郎さんもまだかなり若いです。特に私はそんなに徳を積んでいないので不安がありますね。人間に生まれ変われたらいいんですが……」

「聡子ちゃん、随分達観してるね」


 突然仏教的な何かを口走る少女に俺は目をパチクリさせる。


「でも、多分そっちの転生じゃないかな」

「ならどっちですか?」

「ほら、小説とかで良くある設定の! あなたは女の子を庇って死にました。なので異世界に転生もしくは転移させてあげましょう。しかしそのままでは不安なので特別なスキルを一つ選んでいいですよ……って奴だよ!」

「……そんな小説があるんですか? 聞いたことないんですが。というか私も死んでるんですが」


 饒舌な俺に聡子ちゃんは胡乱な瞳を向ける。

 聡子ちゃんの後半部分を華麗にスルーして、俺はピンっと人差し指を立てる。


「あるよ、沢山! まあでも、聡子ちゃんにはちょっと早い小説、かな……。そう言えば聡子ちゃんは何を読んでるの? 実は俺も結構読む方なんだ。教えてよ」

「私ですか? はい、これです」


 手渡された文庫の表紙を捲るが題名はない。聡子ちゃんは俺の手から文庫を奪い、逆側を開く。

 そこには『The Old Man and the Sea』――と、普段俺が読まない類の小説の題名が記されていた。日本語に直訳すると『老人と海』、パラパラと捲ると中身も全て英語であり、俺は眩暈を感じる。


「へ、へぇー……洋書? 読めるの?」

「翻訳版は擦り切れるまで読みましたので。それも三週目なので辞書を引かなくても読めるようになりました」

「そ、そうなんだ。翻訳されてるってことは有名な本なの?」

「……ヘミングウェイですよ?」

「名前は聞いたことあるかな、ハハハ……」


 俺は文庫を聡子ちゃんに返し、ゆっくりと視線を逸らす。


「奈郎さんは普段何を読んでいるんですか? 最近の人気作家……は詳しくないんですけど、夏目漱石や井伏鱒二辺りは好きです。読んだことはありますか? 海外作家だとコナン・ドイルとか」

「お、俺はもっとファンタジーな小説が多いかな……」

「ファンタジー……ならトールキンとかですか? 『指輪物語』は後半盛り上がるんですが、前半がちょっと長いし遅いしで大変ですよね」

「トールキン、うん、ガンダルフの俳優さんが格好いいよね。渋くて」


 饒舌になった聡子ちゃんに俺はたじたじだ。

 夏目漱石? 井伏鱒二? 国語の授業でやった筈だけど憶えてねーよ!


 早く話題を変えなければ、と苦心する俺と饒舌な聡子ちゃんの目の前に、ふんわりと光の球体が現れる。


「おおおおおお! きたあああああああああああ!!!」


 俺は思わず雄叫びを上げる。

 聡子ちゃんとの会話で不安になったが、やはりこの空間は仏教的な転生を待つ死後の世界ではなく、ネット小説的な転生を神様が授ける待合室らしい。


「私はこの世界の神です」


 ぼんやりと輝く球体の神様はお決まりの文句を口にする。

 俺は下唇を噛んではにかみを堪え、二の句を待つ。


「お察しかと思いますが、ここは死後の世界。少女を助け、不運にも死んでしまったあなたに――……って、あれ、二人いる!? なんで! 助けてないじゃないですか、やだー」


 神様の声が慌てる。

 俺も慌てる。だって、それを言われると無駄死にみたいだし。


「ええと、コホン、兎に角ですね」


 咳払いを挟み、球体が人の形に変わる。さらさらと流れる金髪を持つ女神様だ。


「あなた……たち? には全知全能の私が転生の機会を与えます。但し転生先は元の世界ではなく、私の力が及ぶ別世界になります。しかしそのままでは不安なので特別なスキルを一つ選んで貰います。それともガチャ回します? 回数制限なしで気に入ったスキルが出るまで回してもいいですよ」


 予定外の事態からのリカバリーに弱いのか、女神様の説明は妙に適当な口調で行われた。

 しかしどんなに適当でも俺は構わない。両手の拳を握りしめ、頻りに頷く。


「ちょっといいですか?」


 盛り上がる俺と役目に努める女神様に水を差すように、聡子ちゃんが手を挙げる。


「なんでしょうか」

「さっき言っていたんですが、神様は全知全能なんですか?」

「勿論です」

「じゃあ来年のセリーグの順位教えてください」


 紅い野球帽を被った聡子ちゃんの質問で、女神様の頬が引き攣る。どう答えるべきか視線をツゥーっと逸らし、口を噤んでいる。


「さ、聡子ちゃんって野球好きなの?」

「鯉する乙女です。好きな投手は佐○岡投手です」

「その人いまコーチだよね」

「現役時代から好きなんですよ」


 聡子ちゃんは野球帽の鍔を上げ、誇らしそうに口角を上げる。ドヤ顔だ。


「それと、野球観戦は読書との相性抜群です。サッカーと違って盛り上がる場面がしっかりしていますから。本を読みつつ、ランナーが溜まったら顔を上げればいいんです」

「……ホームランは?」

「ホームランはリプレイがあるからいいんです!!!」


 俺が興味本位で放った直球の疑問(ボール)は、聡子ちゃんの渾身の逆切れ(スイング)で場外に運ばれ消えていく。


「あ、あの、来年のセリーグの順位……」


 二人の遣り取りの隙間を割って女神様が口を開く。


「今知ってしまったら面白くないでしょう? 一年通してハラハラドキドキ、それが正しいペナントレースの楽しみ方です」

「……それは確かに」


 聡子ちゃんの納得した様子に女神様はホッとする。

 異世界に行くんだからペナントは見れないだろ、と俺の脳裏に無粋な指摘が浮かんだが、言葉にはせずに飲み込んだ。


「じゃ、じゃあ女神様そろそろ……」

「次の質問です!」


 俺の気持ちを露知らず、聡子ちゃんが威勢良く手を挙げる。


「ど、どうぞ」


 女神様の美貌が引き攣る。


「歴史には予言者や救世主が度々登場します。モーセ、キリスト、ムハンマド……彼らの存在は昨今の宗教で高い位置を占め、その教えは神の教えとして広まっています」

「……」

「彼らが主と仰ぐ唯一神とは、本当に――――むぐっ!」

「それ以上はいけない!」


 俺は慌てて聡子ちゃんの口を抑える。

 女神様はホッと胸を撫で下ろし、額に浮かんだ汗を拭う。


「何をするんですか! そもそも全知全能の神様が今一度地上に降り、ビシッと言ってやれば宗教対立なんてなくなるんですよ!」

「それで争いがなくなるようなら苦労はしないんですよ」

「全知全能なのに苦労するんですか?」

「言葉の綾です。あと宗教関連の話題はスルーします。全知全能なので、大人げない無視も簡単にやってのけますよ、私は」


 聡子ちゃんの煽り言葉を女神様は腕を組んで迎え撃つ。

 バチバチと二人の間で火花が爆ぜ、俺は頭を抱えたくなる。


 アレだけ望んだ異世界に行けるのに、どうしてこうなった!


「なら、次の質問――――」

「いい加減にしろよ、お前はっ!!」


 その怒鳴り声は、意外にも俺の喉がひねり出したものであった。

「お前の良い所は優しさだよ(クラスの男子談)」や「奈郎君って物静かだね(クラスの女子談)」などと評される俺が、そんなっ!!

 怒鳴られた聡子ちゃんはシュンと落ち込み、聡子ちゃんの質問に苦しめられていた女神様まで責める視線を向けるので、忽ち俺の居心地は悪くなる。


「……ごめんなさい」

「俺の方こそ、ごめん」


 聡子ちゃんはぺこりと頭を下げ、俺もポリポリと頬を掻きながら謝罪を口にする。

 へへへっと笑い合う二人の様子を女神様が微笑ましそうに眺める。


「じゃあ、私の最後の質問ですっ!」


 聡子ちゃんは懲りていなかった。

 けれどこれが最後と宣言した以上俺は黙って見守る構えを取り、これまでの難題を撥ね退けた女神様も意気揚々と待つ。


「女神様は全知全能。その女神様が持ち上げられない石って、女神様は創り出せるんですか?」


 それはかの有名な、全能の逆説であった。

 女神様は視線を左右に忙しなく動かし、聡子ちゃんはにこやかに答えを待っている。


「全知全能の神様に会ったら、絶対に訊くって決めてたんですよね」


 と、聡子ちゃんは朗らかな笑顔で付け加える。


「ぜ、全能は――――」

「あ、ちなみに前提として、時間の概念や重力を切り口に逆説を解くのはナシですよ。全知全能(笑)の神様が詭弁を使って逃げてもいいんですけど、その場合は次からは『全知全能で、特に詭弁なら誰にも負けない神様』って名乗ってくださいね」

「うぐっ!」

「本質的に全能じゃないなら、なんで全知全能なんて名乗ったのですか?」


 朗らかを一転、氷のように冷たい表情を浮かべた聡子ちゃんは女神様ににじり寄る。


「本質的な全能を持たない神様なら、他人の人生を弄ぶべきじゃないと私は思います。神様を名乗るなら、そのくらいの分別はつけるべきじゃないんですか」

「……」

「そもそも神様と言うのは、――――……あっ!」


 つらつらと辛辣な言葉を並べる聡子ちゃんを前に、ブチッと何かが千切れた時のような音が女神様の口内で響く。

 そしてふらりと倒れたかと思うと、ツゥーっと口の端から血の筋が垂れる。


「舌噛み切りました」

「えっ」

「女神様、舌を噛んで死んじゃいました」

「えええええええええええ!!!!」

「神は死んだ。ニーチェ(笑)」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってえええええええ!!!!」


 俺は倒れた女神様の下に駆け寄り、ピクリとも動かずに白くなっていく女神様の端整な顔を前に崩れ落ちる――のではなく、蘇生を試みる。

 頬を叩きながら声を掛け、意識の有無を確かめる。顎をクイッと上げて気道の確保。ジュルリと舌なめずりして唇を濡らし、いざ豊かな胸を圧迫せんと手を伸ばす。


「あいてっ!」

「舌噛んだ相手に人工呼吸してどうするんですか……というか妙に慣れた手付きが気持ち悪さを助長します」

「いいだろ! 男の子なら誰だって夢見るだろ!! 美人や美少女に人工呼吸はさ、実益を兼ねた浪漫なんだよ!」


 ドン引きしてるよチクショウめっ!


「助からないことは分かってるよ! でも人が死んでんだよ!? 助かる見込みがないと分かっていても、あの柔らかそうな唇に吸い付く……じゃなかった、蘇生を試みるくらいはやらせてくれよ! 俺、ライフセイバーの免許持ってんだよ! 講習通ったんだぜ去年の夏!」


 聡子ちゃんは二歩下がり、俺が思いの丈をぶつけている間に女神様の体はさらさらと細かな粒子となって消えていく。

 俺は膝を付き、滔々と涙を流す。


「ああ、俺の転生……俺の異世界生活が……」

「そ、そんなに異世界が良いんですか?」

「勿論だよ! モンスターを倒してレベルを上げる。女の子を助けた俺にはハーレムが! ギルドで活躍を重ねたら街の人や王様にも頼られ、内政で国を豊かにするんだよ! 異世界の文明は遅れてるから、俺の知識でも神様のように崇められるんだ!」

「良く分からないんですが、分かりました」


 熱意の籠った俺の説明に、聡子ちゃんはうんうんと頷く。


「奈郎さんは、異世界を舐めてるんですね」

「えっ」

「奈郎さんが思い浮かべる異世界の文明水準は、この世界のどの時代をイメージしているのすか?」

「中世ヨーロッパ……、かな?」

「では、中世ヨーロッパがどんな世界か知っていますか?」

「ファ、ファンタジーな感じで、石畳の街と王様と……」

「違いますよ。中世ヨーロッパは、キリスト教と黒死病で支配された暗黒の世界です。国家の概念は薄く、地方領主が土地を支配しています。田畑を耕す農民に自由はなく、農奴として荘園に囲われています。ペストで数が減り相対的に地位が上がりましたが、それ以前の待遇は動く農具扱い、悲惨その物です。転生するなら五賢帝時代のローマが一番治安と衛生面が良いです。次点で中世イスラーム。常識です」

「ひぃっ!」

「それと内政と言いましたが、具体的にどんなことを?」

「農地改革とか、財政再建とか……」

「奈郎さん、大学で経済学や農学を学んだ経験はありますか?」

「……ありません」

「アフリカや東南アジアの国々では、私たちより何百倍も頭の良い人たちが一流の教育を受けていても、それらの政策を完遂出来ずに失敗します。一流、とはその国の一流ではなく世界の中で一流、ということですよ。奈郎さんは通信流通科学全てが揃った現代に遠く及ばない、インフラが無いに等しい中世ヨーロッパの国家を本当に発展させることが出来ますか?」

「うぐっ!」

「更にモンスターを倒す、と言ってましたけど、奈郎さんは格闘技の経験ありませんよね。チートスキルを貰った所で、自分より大きな体躯を持つモンスターと戦えるんですか? 戦い方、分からないですよねきっと。鶏一匹捌いたことありますか? モンスターを倒すって、鶏捌くより大変ですよ」

「…………」

「そして最後の砦、ハーレムです」

「もう……、やめ……」

「女の子がピンチを救ってもらったくらいで、男に靡くと思っているんですか? もしそうなら、大学の期末考査の後はカップルだらけになってますよ」

「もうやめてくれ!!」


 俺は耳を塞ぎ、蹲る。


「夢くらい見てもいいだろ! なんだよお前は、異世界ですら黄色い声援を浴びちゃいけないのかよ!」


 俺の心が悲鳴をあげ、聡子ちゃんは冷たくあしらう。


「ダメじゃないですよ」

「なら、なんで!」

「妄想は現実と分けて考えてください。どれだけ異世界に行きたかったとしても、暴走トラックに突っ込むのは正気とは思えません。そんなに現実世界が嫌なのですか?」


 聡子ちゃんの指摘に、俺はハッと顔を上げる。

 現実世界が嫌? そんなことはない。

 学校には知人以上友人未満がたくさんいるし、女子ともそれなりに話はする。テストの成績だって中の中だけど、真面目に勉強したら上の下に入る潜在能力はある筈だ。親兄妹との関係は良好で、俺の誕生日は明後日だ!


「なら、異世界に行かずに現実世界で頑張ればいいじゃないですか」

「えっ」

「トラックに突っ込むバイタリティを使えばハーレムは無理でも彼女は出来るでしょうし、これから有り余る(・・・・)時間を学業に使えば成績も上がって良い大学にいけますよ。内政がしたいなら、大学で必死に勉強して国家公務員になればいいんです。中世国家より、GDP世界三位の日本で官僚になった方がよっぽどチートで俺TUEEEできますよ」

「さ、聡子ちゃん!?」


 両膝を着いた俺の頭に、聡子ちゃんの小さな手が触れる。なでなでの格好だ。

 けれど俺は少女にされるなでなでよりも、なでなでされながら消えていく聡子ちゃんと自分の躰に驚いていた。

 白い世界は端から順に崩壊を始め、俺と聡子ちゃんが立っている場所もすぐに巻き込まれる筈だ。


「俺も、躰が……っ!!」

「奈郎さん」


 驚く俺に、聡子ちゃんがにっこりと微笑みかける。


「轢かれそうな人に声掛けたらダメですよ。驚いて足が止まってしまいますから」

「あ、今それを言うんだ! ごめんなさい、でも完全に根に持ってるよね! それに関しては俺が悪かっ――――……うわああああああああああ!!!」





 そして、世界が反転する





 目を開いた俺の前には、知らない天井が広がっていた。

 消毒液の香りが鼻につき、ピーピーと機械音が耳に障る。


「知らない天井だ……」


 俺はお決まりの台詞を漏らし、体を起こそうと力を入れる。


「いてえええええええ!!!」


 だが全身に激痛が走り、涙目で叫ぶ。

 俺の叫びが聞こえたからだろうか、廊下からパタパタと慌ただし気な足音が聞こえ、白衣の天使が飛び込んでくる。


「意識が戻って良かったです。生死の境を彷徨っていたんですよ」


 ナースさん、いいですね……じゃなくて、俺はどうやら入院してるらしい。

 何故? トラックに突っ込んだからだ。

 ナースさんは笑いを噛み殺しながら教えてくれた。可愛い。


「そういえば聡子ちゃん、俺が助けた女の子は……」


 俺がそう口を開いた瞬間、病室のドアががらりと動き、ずかずかと二人の男が入ってくる。片方はスーツにトレンチコート、渋い帽子を被った中年で、もう一人は二十代後半の背が高い男である。こちらもスーツがビシッとキマっている。


奈郎読蔵(なろうよむぞう)くんだね」


 若い男が丸イスを用意し中年の男を座らせる。

 おお、これはテレビドラマでよくあるアレか! と俺は感動し、声色を意味ありげかつニヒルなものに変える。


「刑事さん、ですか……随分と早かったですね……」


 人生で一度は口にしたい台詞ベストテンの一つを言えて内心ガッツポーズの俺とは違い、中年男の目付きはどんどんと鋭くなる。


「私たちが刑事だと分かっているなら、話は早いな」

「えっ、ちょっ……、本当に刑事さん?」


 中年男は懐から警察手帳を取り出し身分を明かし、鋭い目つきを崩さずに腕を組む。

 ムスッとした中年刑事に怯える俺を見兼ねたのだろう、若い刑事が代わりに続ける。


「奈郎君、僕たちはキミが何故一人で(・・・・・)トラックに突っ込んだのか聞きたいんだ」

「えっ」

「坂道を下る際にスピードを出し過ぎてトラックに突っ込んだと目撃者の方は話していたよ。ただ、キミを轢いたトラックも制限速度を大幅に超過した速度で走っていたからね。過失は向こうにあるかな」


 刑事さんが何を言っているのか分からず、俺は混乱する。


「俺は、轢かれそうな女の子を……聡子ちゃんを助けようと……」

「その子の顔、思い出せるか?」

「――――ッ!!」


 中年刑事さんに指摘され、初めて俺は気付く。

 聡子ちゃん。頭の良い女の子。紅い野球帽を被り、野球観戦と読書が好きで、ヘミングウェイの『老人と海』を読みながら横断歩道を……、顔が思い出せない!

 神様を殺し、異世界転生を散々貶めて……志をズタボロにされたのに……!!


「ああ、あああ……!!」

「キミも犠牲者か。これで何人目だ?」

「奈郎君で六人です、警部」


 中年刑事さんは帽子の鍔を指で下げ、若い刑事さんは悔しそうに唇を噛む。


「隣を見なさい。キミは両足で済んだが、隣の彼は全身複雑骨折で二度と動けない。向かいの彼は精神が壊れて二度と現実に帰ってこれない」

「何があったか聞いても、異世界……転生……しか喋らないんです」


 ぶるぶると唇が震え、真っ白な病室の壁が途端に怖くなる。


「け、け、刑事さん……あの子は、何者なんですか……?」

「さあね。私たちにもそれは分からん」


 刑事さんは首を振り、その代わりに一冊の文庫本を取り出す。


「だが全身複雑骨折の彼と精神崩壊を起こした彼は例外として、他の三人は怪我が治ると同時に社会復帰を果たした。この前会ったが、皆晴れやかな顔をしていたよ」

「これは……」

「ヘミングウェイの『老人と海』の翻訳版だ。次に来た転生失敗者に渡してくれと頼まれた」

「刑事さん、俺は、俺は……」


 ぽろぽろと、双眸から涙が溢れ出す。

 刑事さんから受け取った『老人と海』、そこに掛けられたブックカバーは何人もの転生失敗者に回し読みされて汚れていた。


「頑張ります、現実世界で」


 俺は涙を拭い、そう自分に言い聞かせる。

 本を読み、彼女を作る。入院中に受験勉強を始めて、一流大学に行って勉強をしよう。

 官僚になって、野球中継を見ながら本を読もう。

 応援する球団は、勿論セリーグの赤ヘル球団だ。



初めての短編です

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[良い点] 最近の転生ものの9割以上がどこか安易な現状に対して皮肉が効いて壮快でした。 誰にでも分かる例えを多用して、論理的なメッセージを分かりやすく伝えていたと思います。文章はこうでなくっちゃ。 […
[良い点] 素晴らしいの一言に尽きる。 ハーレムなどという幻想に囚われすぎた今のなろうにはこういった小説が必要かもしれ無い。努力を一切せずにあれこれやられても全く面白く無いどころか、寧ろ不快を禁じ得…
[一言]  拝読しました。  まぁそうですよね。  神様チートあっても、簡単に俺Tueeeできるわけないですよね。  へし折る方向性ながら、キレイにまとまっている作品でした。  ただ一点。どこのチ…
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