表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ホンモノが残る町―鏡隠し

作者: 春哉那多

 沖蔵透里が学校の鏡にまつわる怪談を聞いたのは前期のテストが終わって弛緩した空気が流れる中でのことだった。


「そういえばさ、中央階段の踊り場の壁に色が違ってる部分があるじゃん?」

「……ああ、あれね。あれがどうかした?」


 後ろの席に座る柳光宏と夏休みの予定について話をしていたが、突然話がそれたため透里の反応は一拍遅れた。


「アレって昔大きな鏡を設置してた跡なんだってさ。知ってた?」

「知らないけど、あんな跡がくっきり残ってるなんて長い間置かれてて、その話をするってことはどうして撤去したのかも調べてきたんだろ」


 透里の返答に光宏は待ってましたと笑みを浮かべた。


「やっぱ気になっちゃうかー。知りたい? 知りたいよな!」

「興味ないから別にいい」


 本当は気になったがあまりにもあからさますぎる反応だったので、透里は興味のない素振りをした。

 決して怖いわけではなかった。


 教える。別にいい。

 そんなやりとりを何度か繰り返す。


「なんでだよ聞いてくれたっていいじゃんか! あっ、そっか、お前怖いんだな。あー、そっか。悪かったよ。ヘタレチキンならしょうがないな」

「はぁっ!? ヘタレチキンじゃねえし怖くもねえよ。わかった、言えよ、言ってみろよ!」

「よっしゃ、聞いてちびんなよ。これはホンモノだからな」


 そう前置きして光宏は語りだす。


「今から十年くらい前の話です――」


 今から十年くらい前の話です。

 夜の学校で肝試しをしようと何人かの生徒が集まりました。

 ペアを組んで指定された箇所をまわっていたのですが、どうしたことか最後のひと組だけが待てども待てども戻ってきません。

 慌てた生徒たちは全員で探し周って、割れた鏡の前で倒れている生徒を見つけました。

 気を失っていた生徒を起こして事情を聞くと、もう一人の生徒は鏡から伸びてきた手に引き込まれて消えてしまったと恐慌状態で話しました。

 他の生徒が恐る恐る鏡に触れてみましたが何ともありません。割れてはいましたが普通の鏡です。

 結局いくら探しても鏡に引き込まれてしまった生徒を見つけ出すことができず。鏡も撤去されてしましました。

 生徒は今でも鏡の中からこちらを見ていることでしょう。

 ずっと。

 永遠に。


「――鏡の中に消えたから鏡隠しって言われてる怪談なんだが、どうだった?」

「今の話、どうしてですます調だったんだ?」


 透里は真っ先に浮かんだ疑問を口にする。


「そういうことじゃねぇよ! 感想を聞いてんだよ。怖かった、とか夜一人で寝られなくなりそうだとかさぁ!」

「怖かった、夜一人では寝られなくなりそうだ」


 光宏は頭を掻きむしった。


「そのまま引用すんなや! 少しは自分で考えて言え!」

「悪かった悪かった」

「絶対思ってないだろ」

「それはそうだけど、けど本当にあったことなのか? よくある学校の怪談とか七不思議の話とかじゃなくて」

「いやさっき言っただろ、“ホンモノ”だって」

「それって、つまり本当にあった話ってことか?」

「そんな認識であってるな。と言っても人を引き込めるほど大きな鏡はもう校内にはないからホンモノとはいえ危険がないけど……お前知らなかったのか?」

「何をだよ」


 光宏は困ったなというような表情をした。

 その表情の意図が読めず透里は眉を(ひそ)める。


「この町にはさ、昔から結構残ってるんだよ。鏡隠しはもちろん、くぐってはいけない神社の鳥居。夕方以降は子供だけで入ってはいけない山。実際行方不明になったやつは何人もいる。そういった怪談や伝承を誰かから聞いたことはないか?」

「いや、初めて知った」


 高校進学を期にかねてより一人暮らしをしてみたかった透里は親を説得して、数年前に亡くなった祖父が住んでいたこの町に引っ越してきた。

 近所とはそれなりに親交があったが、土地に根付いた話を聞くというほどではなかった。

 そして透里自身、そういった(たぐい)の話を素直に信じ受け入れるほど純粋でもなく、また真っ向から否定するほど愚かでもなかった。


「そうだったか。なら手っ取り早く見てもらうのが一番だな」


 むしろちょうど良かったのかもなぁ、と光宏はひとりごちた。


 その後、当初の予定通り夏休みについて話をした。

 予定がある日、ない日を根掘り葉掘り聞かれたとき、透里は嫌な予感しかしなかった。



 *



「ちくしょう、やっぱり思ったとおりかよ……」


 若干の怨嗟が込められた呟きを漏らしたのは透里だった。

 時刻はあと数分で九時になるといったころ。

 誰ともすれ違うことなく学校へと続く道を進む透里の足取りは重い。

 風もなくまとわりつくようなじっとりとした暑さに辟易しながら、なぜこのような時間に学校へ向かっているのかを思い返す。


 きっかけは光宏からの電話だった。


『透里はたしか今日暇だったよな?』

「そうだけど」

『よかった、今日の夜に皆で遊ぶことになったんだけどお前も来ないか?』

「別にいいよ、行く行く。誰んちに集まるんだ?」

『家じゃない。学校で肝試しするんだよ。九時に正門前に集合な』

「…………は?」

『じゃあ伝えたから。来いよ、絶対来いよ!』

「ちょ、ちょっと待て!」


 一方的に通話は切れて折り返しかけても通じなかったため、こうしてやむなく集合場所へと向かうこととなったのだった。


 正門前に近づくと人影が見えてきた。


「よう、透里。時間通りだな」


 壁にもたれかかりニヤニヤと笑っていた光宏は腕時計を見て言った。

 透里は半眼で答える。


「お前、この前から計画してたろ」

「ははは、よくわかったな。けど参加するって言ったのはそっちだからな」


 そう指摘され透里はぐぬぬと唸る。電話してた時に遊びの内容を詳しく尋ねなかったことを猛省した。


「なんだよやっぱり怖いのかよ」

「こ、怖くねぇよ。ってかお前たちこそ怖くないのかよ。この町って、その……ホンモノ? が多いって聞いたけど」


 光宏は怖さとは無縁の人間らしいので集まっている他のメンバーに尋ねてみる。


「まー、ワタシはそんな怖くないかな。ずっとここに住んでるからもう慣れっこだよ」


 クラスメイトの坂丘が代表して言うと周りもそうだよなと笑いながら同調する。


(そっか、そもそもこんな夜遅くに集まるのは怖いもの知らずなやつらに決まってるよな)


 とはいえ透里は少し安堵する。

 昔から住んでいる人間が怖がっていないというのなら自分もそこまで怖がる必要はないだろうと考えた。


「あ、でもさ」


 と光宏が呟き、


「恐怖を感じたり身内が被害にあったことがあるやつはどんどん引っ越してくぞ。少子化とか関係なくうちの町の人口は絶賛減少中だ」


 などと宣ったため、


「やっぱり今日は帰るわまたな!」


 脱兎のごとく駆け出したが、全員に追いかけられたためあっさりと捕まってしまった。


「どうして逃げるんだよ透里」

「逆に聞きたい。どうして逃げ出さないと思ったんだ? それにどうしてお前らは引っ越さないんだよ」

「引っ越すほどでもないからな。そりゃあ神隠しは毎年あるけど――」

「帰る、帰してくれ! だいたい夜に学校に入るのは校則違反だろ!」

「あっ、こら、逃げるな。おーい、誰かロープ持ってきてくれ。あと猿轡もな」


 悲鳴に近い叫び声だったがなぜか近所から通報されることはなかった。




「ねー、いい加減機嫌直してよぅ」

「……別に最初から怒ってない」


 うっそだー、と先を歩く坂丘はまるっきり信じていない。


 昼間来たときに一箇所だけ鍵を開けておいたらしく、校内への侵入は容易だった。

 ひとまとまりで周るのはつまらないということでクジを引いてペアを作ることになり、透里は坂丘と一緒になった。

 不気味なほどの静寂の中で話し声だけが響く。


「柳っちは悪気があって誘ったわけじゃないからね。悪ノリはしてたかもだけど」


 余計悪いわ! と言いたかったがそれを言ったら怒ってるのを認めるようだったし、そもそも坂丘に言っても意味がなかった。


 溜息をつく。


「はぁ……どうせ町に慣れさせるために誘ったんだろ」

「あっ、よくわかったね」

「休みに入る前に聞いた話も合わせたらそんなことだろうなって」


 この町は広い割にはそこまで栄えているわけではない。どちらかというと田舎よりだ。

 余所者を排除するようなことはないが、諸手を上げて歓迎するというわけでもない。

 引っ越してきた人間がこの町の特殊性に適応できるか、できないか。今まではそれを見極められ、そしてこれが最終試験なのだろう。


通過儀礼(イニシエーション)


 そんな言葉を透里は思い浮かべた。


「でも透里っちも逃げちゃダメだよ。逃げたら追いかけたくなるもん」

「狩猟犬かよ。さっきに限っては怪談よりもお前らの方が怖かったよ」

「実は一番怖いのは怪談よりも人間でしたってオチだね」

「なんだそれ」


 一人では心細かったが二人で話しながらだと恐怖はさほどなかった。


「ところで今はどこに向かってるんだ?」

「あれ、言ってなかったけ、理科準備室だよ。あそこはかなりヤバめの怪談があって――ごめんごめん、嘘だから帰らないでよ。全然ヤバくないから、むしろ安全だから」

「ヤバくなくても何かあるのかよ」

「それは着いてからのお楽しみね」


 普段は入ることのない理科準備室は通常の教室よりも少しだけ狭く、実験器具などが置かれているため、さらに狭くなっていた。


 ととと、と坂丘が教室の端に駆け寄ると透里を手招きする。呼ばれるままに近づいた透里はギョッとする。


「……なんでこんな所に骨が?」


 そこにはガラスケースに収められた骨格標本があった。


「小学校とかではよく見るけど高校にまで置いてあるのは珍しいでしょ」

「まあ、たしかに。それで骨格標本(これ)がどうかしたのか」

「この骨って本物の骨らしいんだ。昔、自分が死んだら学校に寄付してくれって言った人がいたんだって。でね、たまに校内を徘徊してるみたいなんだよね。ワタシはまだ見たことないけど」

「まあ、七不思議とかでは定番だよな」

「学校側は迷惑してるみたいだけどね。いつもガラスを割ってケースから抜け出してるから先生が修理費がかかってしょうがないって言ってたよ」

「ガラス割るって生徒のイタズラとかじゃないのか?」

「違うと思うよ。だってガラスは内側から割られてるって聞いたもん」

「“ホンモノ”ってやつか」

「けど誰かに危害を加える類じゃないから初心者にはちょうどいいんだよ。やつは“ホンモノ”の中でも最弱っ! ってね」

「お前、祟られるぞ……」


 骨格標本へと目を向ける。

 透里と同じ背丈なので正面から見ると見つめ合う形になる。

 眼窩には眼球がはまっていないのに覗かれている気分だった。

 もしかしたら目を離した瞬間に動き出すのではないか。

 そんな想像をした透里の口が勝手に動く。

 

「なあ、もう離れよう」


 居心地の悪さから透里は移動することを提案した。


「そうだね、とりあえず柳っちたちと合流しようか」


 坂丘はあっさり頷くと携帯を取り出し光宏へと電話をかけた。


「もしもし柳っち? 今どこ? ――あっ、そうなんだ、ちょっと待ってて」


 携帯から耳を話した坂丘は透里に「柳っちたち、プールにいるってよ」と話す。

 学校のプールは理科室から見える位置にある。準備室から移動して窓から身を乗り出してプールの方を見やる。


「おーい」


 坂岡が声を上げると、それに気づいた光宏とペアの猫井という女子生徒がブンブンと手を振った。


『お前らは徘徊するガイコツを見に行ってたんだよな』


 スピーカーに切り替えられた携帯から光宏の声が聞こえてくる。


「今日は動いてなかったけどな。それで、そっちはプールなんかで何してたんだ?」

『何言ってんだプールに来る理由なんて泳ぐ以外あるわけないだろ』

「いや、今日は肝試しするって言ってたじゃんか」

『んなもんついでだついで。こんなクソ暑い日はプールで泳ぐにかぎるだろ。あれ、水着もってこいって言わなかったっけ?』


 光宏があっけらかんと言い放つ。


「聞いてねえよ」

「あらら、それじゃあ透里っちは一人で見学かー」


 手ぶらで来ている透里に対して全員カバンや手さげなどを持ってきているのを不思議に思っていた。おそらく水着やタオルを持ってきているのだろう。


(コイツ、わざとやってんじゃないのか? 町に慣れさせる云々も泳ぐための方便じゃないだろうな)


 そう考えてそれはないかと思い直す。入学してから真っ先に友人になった柳光宏の人となりについてはある程度わかっているつもりだった。


「今回はたまたま予備の水着持ってきてるからそれを貸してやるよ」


(ほらやっぱり)


「なんでマッチポンプみたいなことしてるの? 柳っちは馬鹿なの?」


 坂岡がさらりと毒を吐く。


『なら俺より成績が悪い坂岡は馬鹿以下だな』


 ギャーギャー言い争いを始める二人を透里はなんとか嗜める。


「――とにかく、貸してくれるんならありがたく使わせてもらう。光宏の言う通り今日はかなり暑いからな」


 既に無断で校内に侵入するという校則違反を犯してるのだ。ならばいっそこの状況を楽しんでしまえ。

 肝試しをしたら少しは涼しめるかと思っていたが、暑いものは暑かった。風も吹かず蒸し暑いなかで泳ぐプールはさぞかし気持ちいいだろう。

 そもそもバレなければいいのだ。


 他のメンバーと連絡を取るからということで通話は一旦切られることになった。

 透里たちもプールに向かうため理科室から出ようとしたとき、ふと足元を見ると自らの影ができていた。


「月灯りかあ」


 空には雲一つなく満天の星と真ん丸い月が浮かんでいた。

 と、先ほどプールを見てたときは気にとめてなかったが、水面に星や月が映っていることに気づく。

 プールは凪いだ状態で綺麗に映っていて。

 それはまるで鏡のようで――


「……」


 鏡。

 鏡といえば光宏から聞いたあの話。

 鏡の中へと引き込まれたという生徒の話。

 鏡隠しというあの怪談。

 大きい鏡はもう校内にはないから怪談として終わっている――つまり問題ないと言っていたが。


(本当に大丈夫なのか?)


 嫌な汗が背中を伝う。


「何してんの透里っち。早く行こうよ」


 理科室から出てこない透里を不審に思った坂岡が戻ってきた。


「なあ、坂丘は鏡の中に引き込まれた生徒の怪談を知ってるか?」

「鏡隠しのこと? もちろん知ってるけど学校(ここ)にはもう鏡はないから廃れてる話なのによく知ってるね」

「それなんだけどさ」


 プールの水面が鏡のようだ、と坂丘に説明する。

 能天気だった坂岡は話を聞くやいなや携帯を取り出し電話をかけ始めた。しかし相手には繋がらなかったようだ。


「ダメだ、柳っち出ないや。猫井ちゃんの方も」


 言いながら窓をガラリと開けてプールにいる二人の名前を大声で呼ぶ。決して声が届かない距離ではないはずなのに二人とも気づく様子もない。


「おい、坂丘。これってまずいのか」

「多分ね。水鏡(すいきょう)も鏡の一種っていうし、そもそも鏡は向こう側――つまり異界に通じてるらしいからこのままだとマズイと思うよ」

「だったら早く二人のところに行かないと!」


 会話してる時間すらもったいないと教室を出ようとする透里の耳に坂岡のか細い声が届く。


「……もう間に合わないと思うよ」

「は、何で!?」


 だって、と坂岡はプールを指差す。

 最初に見たときは何かわからなかった。が、ソレの正体に気づいた瞬間、ゾワリ、と肌が粟立つ。


 プールからは腕が生えていた。


 一本や二本ではない。無数の腕が。ゆらゆらと揺れる青白いソレからは生気を感じることができず、この世のものではないということを容易に理解させられた。

 腕の動きに反して水面に波紋や飛沫がないというのも不自然だった。


「助けに行こうなんて馬鹿なこと考えてないよね。声も届いてないみたいだし、透里っちも行ったら確実に巻き込まれるよ」


 腕たちはありえない長さで伸びていくが、光宏たちが気づいた様子はない。


「じゃあ二人を見捨てろってのか」

「言葉を選ばず言えばそうだね。あー、みんなにプールには近づかないように連絡しないと」


 再び携帯を取り出し電話をかけはじめた坂丘に取り乱した様子はなかった。


(慣れてるってこういうことか)


 人が、それも友達が目の前で消えるかもしれないのに冷静に取捨選択ができる。この町で暮らすのに必要なことなのだろう。


 でも。


 ついに腕が光宏たちの体を掴んだ。恐慌状態で悲鳴をあげているはずなのにやはりこちらには聞こえてこない。

 ゆっくりと。だが確実にプールへと引きずられていく光宏たちを見た透里は、


(俺には無理だ……友達を見捨てることはできない)


 落ち着いた口調で通話している坂丘を尻目に教室から飛び出した。

 

「間に合わないって言ったのに――えっ、なんでもないよ、ただの独り言」




 走ることを禁止されている廊下を全速力で駆け抜け、階段を一段飛ばしで降りていく。

 校内に入る前に脱いだ靴を履きもせず、砂利を踏んで裂ける足の痛みも気にせず透里は駆けた。


「ハァ、ハァ……」


 プールには誰もいなかった。

 理科室から見たときは光宏と猫井がいたはずなのに、二人の気配も痕跡すら残されていない。

 たくさん生えていた青白い腕も幻だったかのようだ。


 プールに目を向ける。

 水面は先程と変わらず鏡のようだった。

 と。


「――っ!」


 悲鳴が喉元までせり上がる。


 水面から腕が伸びていた。


 先ほどと違うところは腕は一本だけという点と、明らかに透里を意識した動きで手招きをしているという点だった。


「光宏? それとも猫井か?」


 透里の言葉に腕が反応したのか動きが一瞬止まり、ゆっくりと近寄ってくる。


(もしかしたら助けを求めてるのかもしれない。今腕を引っ張りあげたら助けられるかも。けど……違ってたら?)


 どうするべきなのか立ち尽くしていると不意に水面に水しぶきが上がった。


「腕を掴んだら助けられるとでも思った? ホントに透里っちは馬鹿だなあ」


 声の主は坂丘だった。いつの間に外に出ていたのか、その手には小石を握っていた。


「何か投げたら水鏡は壊れるかなって思ったけどその通りだったね。あー、よかった」


 言いながら小石をプールへと投げ放つ。小石は水面を二回、三回と跳ねて沈んでいった。投じられた小石によってできた波紋で水鏡は壊れていく。

 今までの無風が嘘だったかのように生ぬるい風が吹き始めた。


「光宏っちたちは運が悪かったんだよ」

「運が悪かった?」


 オウム返しに呟く透里に坂丘はそう、と答える。


「多分あの水鏡はいくつかの偶然が重なってできたんだね。それを知らずにプールに来た光宏っちたちは、向こう側に引き込まれてちゃったの。向こうに連れてかれた人が戻ってきたって話は今までないし、助けようとして一緒に消えた人も大勢いるんだから。あのまま腕を掴んでたら透里っちも引き込まれて向こう側の住人になってたよ。まー、透里っちはまだ町に来てからそんなに経ってないからしょうがないけど次からは気をつけてね。私ももう助けないし、自分で割り切れるようにしとかなきゃ」

「……そんなことできるわけないだろうが」

「ならどうする? もう一度水鏡ができるまで待って助けにでも行く? それともいっそこの町から引っ越す? あーあ、透里っちとは良いお友達になれると思ったのになー」


 滔々と嘯く坂丘に透里はさっきまで感じていた薄気味悪さとはまた別のものを感じた。

 黙りこくる透里を気遣ったのか、坂岡は「正門前にみんな集合してるから先に行ってるね」と伝えて振り返ることなく行ってしまった。

 残された透里は思う。


(この町も住んでるやつも絶対におかしい。だけどここでは当たり前のことで、それをよそから来た俺があれこれいうのは間違ってるのかもしれない。でも……ああ、くそっ……!)


 だけどとでもを繰り返したが、この場では答えが出そうになかった。

 答えがでないのならいつまでもこの場にいる必要はない。

 仕方ないので坂丘たちと集合するため正門を目指す。


「おいおい透里、俺を置いてくつもりか?」


 突如かけられた声に耳を疑う。

 声が聞こえた方へと振り向くとそこに水鏡(すいきょう)に引き込まれたはずの光宏が佇んでいた。


「どうしたんだよ、幽霊でも見たような顔してさ」

「だって、お前さっき……」

「あぁ、あの腕な。スゲエびっくりしたけど我武者羅に暴れてたら振りほどけてさ。猫井も無事だぜ。ま、逃げ出したあと安心したのか気絶しちまったけどな」


 理科室から移動している間に二人とも引き込まれてしまったかと思っていたが、どうやら運良く逃げ出せたようだ。


「そっか、よかった。じゃあみんな正門前に集まってるらしいから集合しようぜ。猫井はどこにいるんだ?」

「……ん、向こうだ」


 そう言って光宏がプールを挟んで茂みがある方を指差す。


「なら猫井も起こしてさっさと――」


 透里の言葉が途切れる。

 一つの違和感があったから。


「光宏、お前……」

「どうした?」


 話し方や仕草は間違いなく光宏のものであり、聞くのを一瞬ためらったが、念のためということで聞くことにした。


「お前、腕時計つけてるのってそっちの腕じゃなかったよな?」


 最初に正門前で集合した時。

 あの時は左手首に巻かれていた腕時計が、今は右手首に巻かれていた。


「……」


 光宏は答えない。透里の違和感が加速する。


「向こうに猫井がいるって言ってたけど、茂みの奥って行き止まりだったよな。どうしてそんなところに逃げたんだ?」

「……」

「本当に猫井はそこにいるのか?」

「……」

「何で黙ってるんだよ、何か言えよ!」


 透里の激昂が周囲に響く。


「ちゃんといるよ、向こうに」


 対して光宏の声音はやけに平坦だった。

 表情から感情を伺うことができず無意識のうちに透里は後ずさる。


「お前、誰だよ……?」

「何言ってんだよ。俺は柳光宏だ。なぁ透里。早く猫井のところへ行こう。待ってるんだよ、向こうで。向こう側(・・・・)でさ」


 向こう側。


 それはどういった意味なのか。


「頼むよ透里、一緒に来てくれ。猫井を、俺たちを助けてくれよ」


 光宏と同じ笑みを浮かべたソレはゆっくりと追い縋るように透里に歩み寄ってきた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] じわじわと怖かったです。 伝承が怖い、慣れている人々が怖い、異界に繋がる鏡が怖いです。 時計の位置が逆ということに気がついた時の理不尽な怖さは格別でした。それともこれは通過儀礼かなと思った…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ