第4話 魔物退治
白塗りの壁が続く廊下に、革のブーツの足音が響き渡る。
天井部から吊り下げられた青白い光を放つ魔道具の照明が、石畳の上に僕の影を浮かび上がらせていた。
朝食の後逃げるように立ち去ったアリスの横顔が、どうしても頭から離れる事ができない。
神様に与えられた恩恵であるウィンドウを操作しながら、僕はこの世界の成り立ちを眺め読みしている。
そもそもの始まりは、1本の樹であった。
小さな大地が海から隆起し、そこに生えた樹には神の力が宿っていた。
それは創造。
生命を育むための偉大な力。
その樹は分裂を繰り返し、大地に数多の生命を産む事になる。
大地には草木が生い茂り、太陽が雲を作り雨を降らせて水となる。
それはまさに神の力のごとく凄まじい速度で伝播して、人の姿を形作る。
2本の手足に頭脳を持ち、群生体として栄えた人族。
己が力を高める為に同族との戦いに明け暮れた亜人族。
世界を混沌へと落とす為に、生まれながらに神の力を色濃く継いだ魔族。
相容れない彼らは、出会えば戦を続けて来た。
戦は、魔族による一方的な蹂躙の様相を呈していたのだが、ある時天から一筋の光が降り注ぐ。
それはまさに、世界を二分する結果となった。
果てしなく続く戦を止めたのは、他ならぬ神であった。
神は告げた。
『この世界には調停者が必要である』と。
それから10万年あまり。
神により力ある者と認められた魔族は、調停者として世界を守り続けている。
....なんというか随分適当に端折られているような?
絶対やっつけで書いたでしょ....
まぁいいや。
魔族は調停者で世界を見守っているって事だよね。
それと、魔族による統治だか監視を快く思っていない人種が《勇者召喚》なんて訳の分からない物に頼っているって事か。
神様がなんでこんな力をくれたのかよくわかるってものだよね。
さてと、マップによるとこの先が宝物庫らしいんだけど....
ウィンドウの脇に地図を小さく表示して、僕はダンジョン内をトコトコ歩く。
昨日アリスに一通り案内されたのはいいけれど、このマップが無ければ確実に迷子になっていたことだろう。
神様からの恩恵はかなり便利で、取扱説明書を参照しながらでも視界を遮る事なく進む事ができた。
やがて、通路を抜けて目的地の宝物庫へ。
そこは周囲の個室に比べれば一際大きな鉄扉で守られており、見るからに高価な品物が納められている厳重な場所と予想できた。
そして、たいした力も必要なく、ギィと扉が開かれる。
目に映る光景はまさに金銀財宝の山であった。
入り口まで犇く金貨の尾根に、宝石の散りばめられた各種装備品。
《魔力感知》スキルのおかげで、それらから僅かに魔力の靄が零れ出ている事を感じつつ、僕はその圧倒的な光景に固唾を飲んで惚けてしまった。
「すごい....」
感嘆の溜息すらも飲み込むほどに、その光景は見る者を圧倒してしまう。
何より驚いた事に、《真偽の神眼》によりそれらの情報が拡張現実――所謂AR表示で浮かび上がっている所有者がウィル・ア・テラとなっている事だ。
ようするに、ここにある全ての財宝はダンジョンの主である僕の所有物という事。
いったいどれだけの価値ある品物なのか検討もつかない。
ただわかる事は、僕はかなりの資産持ちという事。
金貨一枚の価値が不明だが――
ティマイオス金貨:銅貨10000枚分の価値がある。
あ、そうですか。
AR表示がポップアップして僕に教えてくれる。
便利だよ?便利だけどなんというか.....
ありがたすぎて涙が出そうだよ!!
金貨の横に表示されたコインマークをタップすると、取扱説明書が通貨単位を教えてくれた。
アドリアーヌ白金貨:1,000,000セルト
アドリアーヌ大金貨:500,000セルト
アドリアーヌ金貨 :10,000セルト
アドリアーヌ大銀貨:5,000セルト
アドリアーヌ銀貨 :100セルト
アドリアーヌ大銅貨:50セルト
アドリアーヌ銅貨 :1セルト
シャンタル白金貨 :1,000,000シムル
シャンタル半白金貨:500,000シムル
シャンタル金貨 :10,000シムル
シャンタル半金貨 :5,000シムル
シャンタル銀貨 :100シムル
シャンタル半銀貨 :50シムル
シャンタル銅貨 :1シムル
えっと....わかりずら!?
というか、硬貨ばっかり種類ありすぎでしょ!?
人族はニヶ国しかないんだから同じ通貨でいいじゃん。
なぜそういうところで協定を結ばないんだと、小一時間程問い詰めたい衝動に駆られるよ。
っていうかさ。
シャンタル半白金貨2枚とアドアーヌ大金貨2枚を交換してくっつければ大儲けできそうじゃない?
なんて事を思ったら、ARがスクロールできて注釈が書かれていた。
注意:各国の通貨には魔法文字が記載されている為、偽造などはできません。
偽造は大罪であり、厳罰が下される事でしょう。
だってさ。
無駄にハイスペックなんだから....
さすがはあの神様の世界なだけはあるよね。
とりあえず自分の物だからと各国の金貨を適当に掴み、《格納庫》スキルを発動して中に収める。
荷物要らずで便利なんだけど、なんともゲームチックで目眩がしそうだ。
あまり多用しない方がいいのかな?
なんて考えていると、またもポップアップウィンドウが開いた。
《空間魔法:格納庫》
第一階位《虚空鞄》、第二階位の最上位の魔法。
無限収納並びに時間停止の特殊効果がある。
現在世界で使える者はおらず、神に認められし山吹真オリジナルの魔法である。
発動時微量の魔力を必要とするものの、他の《虚空鞄》《アイテムボックス》と発動方法が同一の為気にせず使うべし。
「.....」
あのさ。
神様絶対見てるでしょ!?
というかそんなに暇なの!?
いいの!?
(アハハ♪いいんだよ♪)
声返って来たし.....
(あの、神様?)
(......)
(おーい?かみさまー?)
(......)
ダンマリですか。
そうですか。
はぁ....
考えるのもばからしくなり、転がっていた装飾過多な黄金武器も適当に拾って収納していく。
どうせ僕の物なんだと開き直って、かなりの量の財宝を入れたつもりなんだけど....
まったく減った様子がない。
どこかの神殿を思わせる程の石壁石畳の広々とした空間に、身の丈を越える様にうず高く積まれた財宝達。
ショベルカーの様にガバーっと仕舞ったのだけれど、あまりの減らなさ加減にこれでいいやと投げ出した。
こっそり金貨の山にダイブして、アラブの石油王のごとく金貨の海を泳いだのは内緒だ。
やっぱりアレだね。
ドラゴンは光物――金銀財宝――が好きなんだね。
まるでカラスみたいだ。
なんて、アリスの前で言ったら怒られそうだ。
宝物庫を出て向かった先はアリスが居る訓練場という場所。
マップ表示では、捕らえられていた冒険者達――今はメイド見習い――が訓練をしている。
なぜわかるのか。
それは、マップ表示に点々と人型が映っているから。
便利なんだけど、便利なんだけど!!
重要な事なので2回!!
便利過ぎて堕落してしまいそうだ。
マップ通りに通路を進み、途中掃除中のアデルやエイミー達に軽く挨拶を交わす。
僕の姿を見つけるや否や、駆け寄ってきてあれやこれやと話し掛けてくるのはいいんだけど、なぜこんなに懐かれているのか未だに不明だ。
いや、恩人だからっていうのはなんとなくわかるんだけど、それなら解放した時になぜ帰らないのか。
もしかしたら、居場所が無いのかな?
なんて不遜にも考えてしまった。
彼女達が納得しているのならいいか。
女性に囲まれて過ごすのも――って、病院とあまり変わらないか。
同性の介護士さんは中々接点がなかったし。
話しかけると何かに怯える様な素振りをしてたんだよね。
アレってなんだったんだろう?
アデル達に「掃除がんばってね」と、激励をしつつ訓練場へ歩みを進める。
そして目的地に着いたは着いたんだけど....
何この地獄絵図は。
「雌豚共!!そんな事でウィル様のお役に立てると思っているのですか!!スクワット300回追加!!」
「「「「「ハイッ!!」」」」」
目下、鬼軍曹アリスの指示の下、フリフリメイド服を纏った元冒険者達が額に汗掻きスクワットを始める。
大声量で掛け声まで合わせ、昨日までは壁に鎖で繋がれ虚ろな瞳をしていた彼女達は、何故かやる気に満ちたキラキラ輝く目で眩しそうにアリスを見つめていた。
一方のアリスも、さっき別れた時は悲しそうな雰囲気だったはずなのに、今は腕を組んで満足そうに頷いている。
傍目には見目麗しい女性達なんだけど、雰囲気はまるで軍隊。
手を抜いたりだらけようものならアリスの檄が飛び、スクワットの回数が増量される。
通路に比べ、やや明るい採光の訓練場内は、もしこれが男性だったらかなり男臭い環境になっていた事だろう。
今は――芳しい? ちょっとわからないや。
水も滴る良い女?
う~ん....僕の表現はここで限界かな。
張り切るアリスとそれに従う女性達を、見てはいけないものの様な気がして、僕はそっと扉を閉じてそこから離れた。
アレはいったい何の訓練なんだろうか?
壁に立て掛けてあった、剣や槍などの武器は何に使うの?
メイドには体力が必要なのだろうか?
それとも、意識改革でもしているのだろうか?
僕にはまったく理解できない訓練内容に、頭を掻いて逃げ出す事しかできなかった。
中天の太陽が眩しいそんな時間。
アリスブートキャンプから逃げ出した僕は、神様に与えられた恩恵を試すべくダンジョンを抜け出して地上へとやって来ていた。
草木香る緑黄の季節。
ウィンドウに表示された時間はお昼の12時過ぎ。
どうやら、この世界も24時間周期で一日が過ぎ、年間365日あるようだ。
閏年なんてものがあるのかわからないけど、時間がずズレても構わないよね。
季節は、『緑の生期』。
所謂、春ってところみたいだ。
それにしてもとても気持ち良い。
青空の下伸び伸びと散歩をするなんて、まるで夢のようだ。
前世と言っていいのかわからないけど、僕はずっと病院と家を行ったり来たりしていたから、こんな時間が来るなんて夢にも思わなかった。
そりゃ病院にも庭園があったけどさ。
透析やらなんやらで自由に歩ける時間なんて無かったし。
本当に神様には、いくら感謝してもし足りないくらいだ。
獣道すら存在しない森の中を、雑草を踏み分けながら黙々と歩く。
どれだけ歩いて体力を消費しても、息切れしない身体がとても嬉しく、思わず走ってみたりジャンプしてみたり。
時折小動物の気配に驚いてマップを覗けば、兎の親子が表示されほのぼのする。
「生きてるってすばらしい」なんて思わず呟き、誰にも聞かれてないよね?と周囲を見回す。
もし誰かに見られでもしたら変な人だと誤解されるだろう。
でも、それはそれで楽しそうだ。
....間違いなく神様には聞かれていそうだけど。
まぁいいよね♪
木々の途切れを見つけそこへやって来てみれば、清涼な小川が流れていた。
覗き込めば底が見え、透明度の高さが窺える。
上流を眺めれば、どうやら遠くの山脈から流れ出た水だと理解できる。
ちょっとお腹が空いた事だし、長年の夢を叶えてみよう。
それは、もちろん田舎育ちの子供が一度はするであろう魚獲りだ。
銛にできそうな手頃な木を探したけれどみつからない。
立ち木の枝でも伐採するかと考えたところで、先程《格納庫》に仕舞った装飾過多な黄金の槍を思い出す。
さっそく取り出して持ってみると、高価な槍で魚獲りってどうなの?と思い悩んだ。
しばらく槍を突いたり振り回して満足し、《格納庫》へ仕舞って取扱説明書を検索する。
せっかくファンタジー世界に来たのだから、ここは1つ魔法を使ってみようじゃないか。
【アクティブスキル】の中から、魔法を探す。
白魔法・黒魔法・死霊魔法・付与魔法・生活魔法・暗黒魔法・精霊魔法・空間魔法・召喚魔法.....
数が多すぎて嫌になるくらい。
本当に神様から贈られた【固有スキル】の《全知全能》ってなんでもできる。
それでいいのか?なんて思っていたけど、なんでもできるってすばらしい事だよね。
その気になれば世界を支配できるんじゃないか?
そんな事するつもりもないけど。
魔法の各項目を虱潰しに探し出し、魚獲りにむいていそうなのは黒魔法・暗黒魔法・精霊魔法・空間魔法・召喚魔法とか。
召喚魔法や精霊魔法で従者やら精霊を召喚してお願いしてもいいけど、せっかくなら自分で獲ってみたいよね。
ならばと、思い付いたのが黒魔法だ。
火魔法の《火矢》《火槍》《炎壁》《爆裂》は同時に焼けて一石二鳥かと思いきや、消し炭になりそうなので却下。
候補としては、水魔法か土魔法の《水矢》《水槍》《土矢》《土槍》とかがいいかな?
それ以外だとちょっと威力がありそうで魚獲りには使えないだろう。
だけど、魚がボロボロになりそうだ。
なんとか傷付けずに丸々手に入れたい。
焚き火で焼く予定だし。
氷魔法の《氷矢》《氷槍》じゃ同じだし、風魔法もダメだよなぁ。
ウィンドウの黒魔法の項目をつらつらと読んでいると、お目当ての魔法を見つけた。
それは、雷魔法の《衝撃》だ。
《雷魔法:衝撃》
対象に衝撃を与え気絶させる。
込める魔力量に応じて衝撃の度合い変化。
上手く使いこなさないと危なそうだけど、これなら無闇に魚を傷付けなくて済むしサクっと倒せて便利だろう。
スキップしながら小川を覗き込み、魚が集まっていそうな木陰へ魔法発動。
「《衝撃》」
掲げた左手から目標を定めて解き放つ。
神様の恩恵のおかげか脳裏に雷の本流が流れるイメージが浮かび上がり、無事に川面へと雷線が奔った。
「おおっ!?」
初めての魔法は、僕にかなりの衝撃を与えた。
物理的にではなく精神的に。
だって、本やゲームの中だけの存在である魔法を、僕が発動させる事ができたんだから。
というか、掲げた手は無意味だったみたいで、目標位置に直接雷線が流れるというなんとも恥ずかしい事になってしまった。
きっと神様は笑い転げている事だろう。
いつか意趣返しをしてみたいものだ。
《衝撃》が命中した川面には、思惑通りに気絶した魚達がプッカリとお腹を上に浮かび上がる。
・・・・・
しめしめと川面を歩き、大量の魚を掬って川辺へと向かう。
本当は泥吐きなんかした方がいいんだろうけど、お腹も空いているし泥臭い魚というのも食べてみたい。
《格納庫》から、黄金ナイフを取り出して川辺で魚を切り開く。
お母さんがやっているのを見た事はあるけど、見るのとやるのでは勝手が違う――はずなんだけど、なぜか見事に捌けてしまった。
不思議に思う暇も無く、ウィンドウにはある文字が。
『【パッシブスキル】《剥ぎ取り》を使用しました』
あ、そうですか。
内臓を取り出しただけで《剥ぎ取り》とはこれ如何に。
なんて、どうでもいいか。
簡単に水洗いして、拾って来た落ち木を串代わりに焚き火で炙る。
火はもちろん生活魔法の《着火》で済ませた。
パチパチと舞い散る火花が、なんとも言えない風情を醸し出している。
焚き火に枯れ木を使わなかったからか、夥しい量の煙が舞い上がり、遠くから見たら狼煙でも上げているように見えるだろう。
逐一マップを参照しつつ、誰か近づいて来ないか確認に努める。
この世界へ来てまだ2日。
アリスや元冒険者の彼女達以外に出会ったのなんて、ミノタウロスとさっきの兎の親子くらいだ。
しばらくしてようやく魚は焼きあがったんだけど....
僕、何も調味料を持っていない。
焼く前に振りかける塩すら忘れて、調味料の類なんて持ってきてないよ!!
仕方がなく魚を冷まして一齧り。
案の定味もなく焦げ目がジャリジャリ――しなかった。
いや、味はしないんだけど、焦げてない。
なんで?と思ったら、またもスキルが発動していた。
『【パッシブスキル】《料理》を使用しました』
調味料も無いくせに、焼いただけでスキルが発動するとか....
どんだけですか。
それにしても....美味しくない。
川魚特有のヌメリは無いけど、なんか泥臭い。
いや、食べるよ?食べるけどさ....
なんて言うんだろう?
せめて何かのスープに入れれば食べれなくも....ない、かな?
その後なんとか6匹をたいらげた僕は、残りの12匹を《格納庫》へ仕舞い再食を胸に誓った。
魚君、必ず後で美味しくいただくからね!!
火を消した焚き火跡を処理しつつ、各種魔法やスキルを試し、索敵に引っかかったとある異形の怪物へと向かう。
移動に便利なスキル《天地駆》を使い、空と地面を縦横無尽に走り回る。
《立体機動》スキルが無ければとっくに転げ回る様な三次元の動きに、ウィルの身体はどこまでもついていけるのが不思議でならない。
さすがはドラゴンといったところだろうか。
やがて見えてきたのは、全身毛むくじゃらの魔物と言われる怪物。
AR表示ではバグベアーとなっている。
名前 :ゴ・ラト
種族 :バグベアー
ジョブ:戦士
LV :10
HP :78
MP :8
力 :80
敏捷 :16
体力 :58
知力 :6
魔力 :3
パッシブスキル
剣術LV1
腕力上昇LV2
アクティブスキル
剣技LV1
固有スキル
なし
なんだろう....
やっぱりアリスの情報を見てしまったからか、とても弱く感じる。
人族のエイナに比べると、13ものLV差があるにも関わらず、情報は中々切迫していのがとても不思議だ。
取扱説明書によると――魔物は人族に比べて力が強い。との事だ。
そうなんだ。と、僕は深く考える事を手放した。
どうせ摩訶不思議のファンタジー世界なんだし、深く考えてもわからないものはわからない。
僕がそんな投げやりに考えている間も、名前付きのバグベアーは手にしたボロボロの鉄剣を無闇やたらと振り回し、木々や雑草を斬り付けて雄叫びを上げている。
何をしたいのか理解に苦しむところだけれど、何か食べ物を探しているのかもしれない。
この近くにバグベアーが食べそうな物と言えば――兎の親子くらいだろうけど、全然見当違いの方向に居るし、何がしたいんだろうか?
木の実でも食べるのかな?
あ、目が合った。
バグベアーは僕を見つけるや否や、一目散に突進を始めた。
どうやら、僕を獲物と思ったみたいだ。
状態も『平常』から『興奮』に変わっている。
どうでもいいけど、まだ《真偽の神眼》に慣れていないからか目が非常に疲れる。
鉄剣を振り乱しながらドシドシと突進してきたバグベアーは、僕との距離が近づくと大上段から鉄剣を振り下ろしてきた。
このまま僕が動かずに居れば、間違いなく頭をかち割られて絶命する事だろう。
もちろん殺される気なんてさらさら無いので、体を捻って剣線を回避する。
勢いのつき過ぎたバグベアーは、空を斬った鉄剣の勢いを殺しきれずにゴロゴロと地面を転がり、5メートル程離れた位置で仰向けに転がった。
ふむ...僕に魔物を殺す事ができるか試してみよう。
《格納庫》から黄金剣を取り出して身構える。
鉄剣を杖の様にして起き上がったバグベアーは、口から涎を垂らして鼻息荒く血走った目で僕を睨み付けた。
そして、人生初となる戦闘が始まる。
打ち紡がれる剣撃の音が耳を叩く。
様々なスキルのおかげか、あれだけの猛攻を捌いたにも関わらず、僕は息も切れずに剣を構え続ける事ができた。
一方のバグベアーは何度打ち付けても平然とする僕に恐怖を覚えたのか、ジリジリと摺足で距離を詰める僕に対し、怯えた様に一歩、また一歩と後ずさる。
もしかしたらやりすぎたかもしれない?
なんて思っていると、バグベアーは起死回生とばかりに鉄剣を僕に投げ付け、一目散に逃走を謀った。
だけど、逃がすつもりはない。
僕のダンジョンで雇っているミノタウロスの様に、魔族により管理されていない魔物は、闘争本能の赴くままに人族に危害を加える者だそうだ。
それなら、もしこの場で見逃すような真似をして、今後誰かの命を奪われたら目も当てられない惨事になるだろう。
僕にできる事は、このバグベアーを倒し、神様に浄化してもらう事――だと思う。
縦回転しながら飛んできた鉄剣の柄を、タイミングを合わせて掴み取り、背中を見せて逃走するバグベアーへ《天地駆》のスキルを発動させて追いかける。
そこそこの距離があったというのに、スキルの恩恵かあっという間に追い付き、背中から手にした鉄剣で心臓を貫いた。
「グァウ!?」
断末魔の悲鳴をあげて、バグベアーが事切れる。
地面へ崩れ落ちた拍子に鉄剣が抜け、辺り一面にドクドクと赤黒い鮮血が流れ出た。
初めての魔物対峙だというのに、僕は感慨に耽る事はなかった。
生前――動物をこの手で殺めるなんて事はした事がない。
それなのに、なんの感情も沸きあがらないのは、もしかしたら僕は壊れているのではないだろうか?
そんな僕の思いも、やはりポップアップウィンドウが教えてくれた。
『【パッシブスキル】《恐慌耐性》を使用しました』
なんというか、それでいいのか?と思ってしまう。
罪の意識も芽生えないなんて、それは人としてどうなのだろうか?
いけない事をしているような感じがする。
(いいんだよ真君。もし君が壊れてしまったらボクは悲しい。それに、君はちゃんと死と言うものを理解しているじゃないか)
神様の声が頭に響く。
いつものおちゃらけた能天気な声と違い、今聞こえた声はとても静粛なものだった。
(普段が普段だからね。今のは聞かなかった事にするよ)
またも神様に心を読まれてしまった。
わかってはいるんだけど、中々どうしてポーカーフェイスみたいな事はできないみたいだ。
(当然だよ?ボクは神様なんだから♪ それでね、真君?)
(なんでしょうか?神様)
いつもの穏和な性格を交えつつ、神様は語ってくれた。
それは、僕の前世の話し。
幼い頃より長い間病院に入院していた僕は、院内学級だけでなく、様々な機会で人と出会う事があった。
僕の担当医の先生もそうだし、沢山の看護師さんもそうだ。
だけど、仕事柄出会うだけじゃなく、病院という特殊な環境ならではの出会いも沢山あったんだ。
おじぃちゃんが入院しているらしくて、待合室で談笑していた叶親子とか、いつも点滴棒を押して歩いていた加藤のおばさんとか。
会えばお菓子をくれて、色々ためになる話を沢山してくれた。
お母さんが仕事で来れない時とか、僕は暇を見つけては遊びに行っていたっけ。
だけど、出会いには別れがあるってその時に知ったんだ。
快復しての退院ももちろんあった。
だけど、そうじゃない。
治療の甲斐なく亡くなってしまう人も居て....
本当によくしてくれた加藤のおばさんは、42歳の若さで大腸ガンで亡くなってしまった。
旦那さんと娘さんがとても泣いていたのを覚えてる。
僕だって悲しくてわんわん泣いた。
人には寿命があるからって、泣いてくれてありがとうって、誰よりも悲しいはずなのに、旦那さんは笑って僕の背中を叩いて励ましてくれた。
人が死ぬのはとても悲しい。
それも、知り合いならば尚更だ。
神様は、その話しを持ち出してもう一度『浄化』の説明をしてくれた。
人族だけじゃなく、生存本能に従いあるがままに生きた魔物ですらも、神様はそれを許し魂を浄化して再誕させると言った。
全て僕の望むままに、清浄なる世界を築けるようにと。
(だから、真君が気に病む必要は無いんだよ)
僕を安心させるようにそう話してくれた神様は、透き通った姿を見せて僕の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
(....ありがとうございます。神様)
(お礼はいいよ♪それじゃ、またね♪)
笑って姿を消した神様は、消える寸前にこう言い残して行った。
真君は、ボクの家族だから――