中
今日も、実加と沙織は地球の平和を守っていた。しかし。
「ピンク!よけて!」
「えっ…?」
ブルーの声に驚いて顔を上げると、目の前に大きな岩が飛んできていた。
後ろに飛び退いて なんとか直撃は免れたものの、無理な体勢で着地したためか、足を 痛めたようだ。
「何やってんの!」
ブルーの怒声が飛んできて、ピンクは肩をすくませる。ブルーがピンクの前に立ち、次々に飛んでくる岩を手のひらから青い閃光を生み出し、打ち砕いている。
ブルーの いつもよりも強い眼差しが、彼女も疲弊しているせいだと、ピンクは気づいていた。
「退却しよう。ブルー」
「待って、あんなやつに負けるわけには…」
「ブルーだって怪我してる!今は 一先ず退こう!」
「――――この借りは、必ず返してやる!首洗って待ってなさいよ この変態野郎ども!!」
もはやどちらが悪役か分からない台詞を残し、ピンクとブルーは退却した。
基地に戻った後、実加は足の治療をした。その後、上官に 二人揃ってガッツリお叱りを受けた。
「信じらんない!なんで私まで…」
「仕方ないよ、沙織さん言動がヒーローじゃないもん」
「だいたい、実加がヘマしなきゃ私が悪態つく事もなかったのよ!今日の敵は…サタンは手強いって、あんたも戦ってすぐに分かったでしょ?!」
「うん…」
「じゃあなんで、戦闘中に気を抜いてたのよ!」
「そ、それは…」
今日、実加と沙織が戦ったのは、普段適当に いなしているファングやクロコダイルの上官にあたるサタンだった。いつものようにクロコダイルを黒焦げにし、ハイタッチをした時。
突如、雷鳴と共に黒い影を纏いながら、全身を漆黒のよろいに身を包んだサタンが実加たちのもとへ降り立ったのだ。
サタンは何も語らず、恐るべきスピードでもって、手にした闇色に光るロングソードで沙織に斬りかかったのだった。虚を突かれた沙織だったが、瞬時に掌から青い光の刃を生み出し、サタンのソードを受けた。
刃が擦れあう鍔迫り合いの音が響く。両者が力を込めて刃を押し合う。そこに、空に高く飛び上がった実加が風の勢いを借りながら鋭い蹴りを繰り出す。
サタンの肩に当たったかと思った瞬間、実加は黒い突風に吹き飛ばされた。一瞬、風圧と衝撃に息が止まったが、何とか体勢を立て直して着地を決めた実加が見たのは、地面に座り込む沙織と、今にもロングソードを彼女に振り下ろさんとする、サタンの姿だった。
「だめえーーー!!!」
沙織がやられる。頭が真っ白になった実加は、持てる力の全てを込めて、サタンに ぶつかっていった。クロコダイルなら吹き飛ぶ程の威力がある実加のタックルを、サタンは少し体が ぶれる程にしかダメージを受けていない。
強すぎる。今までの敵とは、レベルが違い過ぎる。
「だめ、お願いだから止めて…!」
未だに高くかざされたままだったロングソードを持つサタンの片腕を掴む。抱き付くようにしてサタンの身体を締め付け、身動きがとれないように拘束を試みる。
その瞬間。実加は、びくりと身体を震わせた。
―――――え?これって…
「ピンク!」
沙織の声に、飛ばしていた思考を現実に引き戻す。 実加がサタンを押さえている間に、体勢を整えて サタンから距離を取った沙織が、サタンへ向けて青い光球を放とうとしている。
実加はサタンから手を離して飛び退くと、その刹那に沙織はサタン目掛けて光球を放った。
爆音が響き、砂煙が舞う中。
実加は、砂で視界が遮られながらもサタンの姿を探した。
(倒したの…?!でも…でも、もしかして、サタンって…)
自分の考えが、あり得ない事だとは分かっている。でも、もしかして、まさか、という思いが頭を占めて消えてくれない。自分の推測が当たって欲しくない。嫌だ、そんなはずない。そう思うのに。
実加は、ある推測に頭を悩ませていた。その時、目の前に岩が飛んできて…というのが、冒頭に至る訳である。
「――――香り?」
実加の口から出た言葉に、沙織は首を傾げた。
「香りが何なの?それが実加が戦闘中に ぼけっと突っ立ってた事と関係あるわけ?」
ギロリ と睨み付けられて、実加は うっ…と言葉に詰まった。
「だ~か~ら!香りが何なのって聞いてるの!」
本気で頭にきているらしい沙織は、バンバン、とコーヒーの乗ったテーブルを叩いた。
「沙織さん、ちょっと落ち着いて」
ここは実加と沙織が所属する組織の休憩スペースである。不機嫌丸出しの沙織の様子に、周囲が怪訝な目を向けている。沙織の耳元に寄って、実加は囁いた。
「だからさ、その、香りが…一緒だったの」
「一緒?誰と誰が?」
はあ?と言わんばかりの視線だ。
「サタンと…」
「サタンと?」
「さ、サタン、と…」
ばちん。
「早く言いなさいよ」
「ごめん、わかったからデコピン止めて。軽く爪刺さったから!ほんとに痛いから!」
涙目で懇願する実加を、「で?」と促す沙織。
「あのね、さ…………佐竹さん、と。一緒だったの。香りが」
「佐竹…って、あんたの恋話に出てくる隣人の?」
こくり、と頷く実加に、沙織は疑いの眼差しを向ける。
「じゃあ何?サタンは実加の隣人で、何食わぬ顔してあんたの隣の部屋に住んで、地球を侵略しようとしてるって?」
「私だって、そんなまさかって思うし、まだそうだと決まった訳じゃないけど…でも、あの香りと、あの腕とか、体の感じとかが似てて…私だって、あり得ないとか 思うんだけど、でも…っ!」
「実加」
興奮する実加を、沙織はなだめるように名前を呼ぶ。
「サタンがあんたの思い人であっても、そうじゃなくても、あいつは倒さなきゃいけない敵なの。そんなに動揺してたら、命取りになるよ」
そうだ。あんなに強い敵に少しでも気を抜いたら、自分がやられる。…私、もっとしっかりしなくては。
掌を固く握り締める実加を、普段よりは いくらか優しい眼差しで見守っていた沙織は、ふふっ と笑みをこぼした。
「もしかしたら、仮面の中身は私たちが全く知らない、お洒落なオニイサンだったりしてね?…いい?実加。同じ香りの人間なんて山程いるんだから。同じ香水持ってりゃ、その香水の数だけ、同じ香りの男がいるのよ。だから そんなに思い悩む必要ないわ」
「沙織さん…」
思いがけない沙織のあたたかい言葉に、実加は胸が熱くなる。うる、と涙が溢れてくる。
「という訳で、あんた今日は お詫びに私の家でご飯作りなさい。ついでに30分のフットマッサージもつけてね」
「ぇえー…」
せっかくの感動の涙も、5秒で乾いた実加だった。
「おはようございます。佐藤さん」
「あっ、あぁえっと、急ぐので すみません!」
あからさまに不自然な態度であるとは、誰が見ても明らかだったと思う。反省している。
実加は悩むなと言われても悩む人間だった。そして けっこう引きずる。
沙織と食事をして なんだかんだでマッサージをした次の日。いつも通りに出勤しようとドアを開けると、ちょうど隣の佐竹の部屋のドアも開いたのだ。昨日の今日で、疑惑の佐竹とまさかの遭遇を果たしてしまったのだ。
実加は、気まずさから思わず目をそらして顔を伏せ、佐竹から走って逃げた。おかしさ満載の行動だとは自覚していたけれど、彼の顔を見ていたら「違いますよね?」と問い詰めてしまいそうだった。だから、逃げた。
「聞いてよ、沙織さん。私 佐竹さんから逃げてきちゃった!挨拶も返さなかった!」
出社してすぐ、 沙織に抱きついて涙ながらに訴える実加を、沙織は 溜め息をついてじいっと見つめる。
「…あんた、私が昨日 フォローしてやった優しい言葉全部、どこに置いてきたの?」
言われなくてもわかる。沙織は100%、このバカたれが、と思っている。そんな顔だ。
「だって、違うと思いたいのに、今朝 顔を見たら佐竹さんの顔の向こうに、サタンの黒い仮面を思いだしちゃって。それに必ずしもサタンじゃないっていう確証は ないし、信じたいのに信じきれないっていうか、佐竹さんの」
「あーうるさいうるさい」
どんよりと暗い実加の空気を振り払うように、沙織は シッシッと手を振った。
「ひどい…」
「らしくないのよ。そんな腐って糸引いたドドメ色の豆腐みたいな重い空気、あんたらしくないじゃない」
「沙織さん。それ、かなり臭そうなんですけど」
「顔見るたびにサタンを思い出すんなら、顔を見なきゃいいのよ」
「そんなこと言ったって、隣なんだからいつ何時鉢合わせするか…」
実加が 小さな声で反論すると、
「実加。…言ったでしょ?顔を、見なきゃいいのよ」
沙織は、あんたバカね、と言わんばかりに フン、と鼻を鳴らした。
服や身の回りの生活用品をぎゅうぎゅうに詰めたバックを持ち、実加は終業後、沙織の家に来ていた。
「とりあえず、適当に収納しといて。布団は今まで泊まりに来た時のやつをあんた専用にしていいから」
「うん、わかった」
実加は仕事が終わってすぐに一度家に帰り、必要なものを最低限かき集めて旅行用の大きなバックに詰め、また すぐに沙織の家に来たのだった。
「沙織さん、ありがとう」
家に着いて すぐにコーヒーを出してくれた沙織に、実加は笑って礼を言った。
「別に。家事労働全部負担してくれる同居人なんて最高じゃない。あんたは余計な事考えないで、早く頭ん中を落ち着かせて、ちゃんと人間に戻ればいいのよ」
ズズー、とコーヒーを啜る沙織に、実加は笑みを深くした。沙織の頬が少し頬が赤くなっていることは、彼女には言わない方がいいだろう。絶対に。からかったら鉄拳が飛んでくる。
突き放す様な言い方でも、そこに沙織なりのエールが含まれていることは、実加には分かっていた。本当に、沙織さんはいい人だ。もし自分が男
だったなら惚れていただろう。敵ながら沙織に思いを寄せる、あのファングのように。…最後に見た彼は黒焦げだったな。熱いコーヒーに口をつけながら、実加は ぼんやりと思ったのだった。