さんささんのみみしっぽ
たとえ異世界に飛ばされたとしても、人の本質などそれほど変わるものじゃない。
物づくりが好きなインドア派は今もせっせと手を動かし、アウトドア派は狩りに冒険にと日々忙しい。
そして、ゲーム時代からチャットでの交流に勤しんでいた彼らは、今日も今日とてたまり場になっているギルドの食堂で、わいわい駄話にふけるのであった。
「だっからさァ、ゲーム時代じゃなくてこっち来てからの話! 狼牙族っていやもふもふ犬耳しっぽktkrだろが。なのに誰か一度でも見たことあんのかっつー」
「ふむ……我が<魔眼>にすら捉えられぬとは、確かに不審な…」
「そういや、俺も見たことないな」
「見たことないというより、想像もつかないでゴザルよ」
「だよな~……さんささんに耳付いてしっぽぶんぶんとか……あれ? でも俺けっこういけるクチかも……」
「いけるクチも何も脳内HDD永久保存だろJK! ああ~見たい、三佐さんの耳しっぽ! クールビューティまさかのわんこ化!」
「とはいえ、あの冷静沈着が服を着て歩いてるみたいな三佐どのが、おいそれと人前で耳など見せるものでござろうか…」
「そこはほら、三佐さんが耳しっぽだすしかないほどの危機的状況を作り出せれば…」
「特攻MAJIDE!?」
「お主のことは生涯忘れないでゴザルよ…」
「って、何でオレが単独特攻確定してんだよ、お前らも手伝えよ」
「冗談。全俺緊急会議の結果、死にたくなければ不参加で全員の見解一致」
「キサマ、上官への【戦闘】行為など、軍法会議モノだぞ…!」
「いや、でも訓練に見せかければやれない事もなくないか…?」
「あの大鎌の錆と化すのか…合掌」
ところで、エルダー・テイルがゲームではなく、限定された現実となって大いに変わったこともある。
ゲーム時代、どれほど賑やかに誰かの噂話をしていようと、チャットルームへの入室が参加者に通知される仕様から噂の当人に内容が漏れることはあまりなかった。が、こうして顔と顔を突き合わせ、夢中になって盛り上がるとなると話は別だ。
足音もなく部屋に入ってきた長身の男性と、その隣で無表情を崩さないやはりすらりと背の高い軍装の女性。
アキバを代表する大ギルド<D・D・D>のギルマスとその補佐は、テーブルに近づくまでに会話のほとんどの内容を把握し終えていた。
「それにしても、あの姿がそんなに貴重なものとは知らなかったな」
何でもない事のように言うクラスティの声で、食堂にいたものは残らず飛び上がった。
「狼牙族などそう珍しい種族ではありません。何に騒いでいるのか理解に苦しみますね」
そうして続いた三佐の声に、室内の温度ががくりと下がる。何しろギルド内では三羽烏と異名をとるほどの実力派である。その上、とてもじゃないが冗談の通じるようなキャラでもない。
これはまずい。やっちまった。
多少の違いはあれど皆の脳裏に浮かぶのは、覚悟。
怒られる。罵倒される。我々の業界ではむしろご褒美です、はあはあ。……覚悟?
「──って、あれ? 待って下さいよギルマス。あの姿ってことは、ギルマスは三佐さんの<狼化>を見たことあるって事ですか?!」
立ち直りの早い一名が、とんでもない事に気付いたとでも言うように問う。とたん、食堂内は再び騒がしさを取り戻す。小さく「ずるい」「どうやって」と声が混じるのはご愛嬌。
「まあ、見たことがないと言うと嘘になるかな。相当怒らせた結果の話だからあまりオススメは出来ないが」
「怒った三佐さんMAJIDE!?」
「耳しっぽの三佐どのに怒られる……まさに男の本懐でゴザル」
「ちょ、ギルマス、そこんとこの話をもうちょい詳しく……!」
「いやどうだろう……あの時のことは彼女に口止めされているから」
「口止め……って、それどういう事っすか! 状況と場合によっては脳内俺会議の満場一致でリア充の眼鏡を割りに行く……!」
「お、おい落ち着け俺会議。割りたい気持ちはわかる、わかるが相手を見るんだ……!」
「いい加減にして下さい」
しん、と水を打ったように静まる室内。
荒げもしない一言でこの効果を生み出せるのはいかな巨大ギルド〈D・D・D〉においても彼女しかいない。
「隊長がわざと誤解を生むような発言をされる意図は不明ですが、戦域哨戒班が死に物狂いになる状況を想像できるなら、冗談でも耳だのしっぽだのと言えるはずはないと思いますが?」
「「「「……すみません」」」」
子供のようにうな垂れるメンバーの横で、クラスティひとりが鷹揚に肩をすくめる。
「あの程度の軽口聞き流せばいいだろう、三佐。そんなに怒るとまた耳が出てしまうぞ?」
「ご心配なく隊長、あれで随分とショックに耐性がつきましたからそう簡単には。──とにかく、ここには巡回から戻ったばかりで疲れている者もいます。あまり騒ぎ過ぎないように、いいですね?」
「「「「イエス・マム!」」」」
型で押したような敬礼と揃えた声に、三佐はやれやれと首をふって踵を返した。
「邪魔をしてすまなかったね」
三佐の後を追う長躯が姿を消すと、食堂には毒気を抜かれたような沈黙がおりた。
その中で誰かがぽつり、ともらす。
「で…結局三佐は何にそんなに怒ったんだろうな…?」
当然、彼らは知る由もなかった。
〈冒険者〉の間で〈大災害〉と呼ばれた事件のあとで、彼らのギルマスが夜な夜なフィールドに出ては無謀な戦闘に明け暮れるようになったことなど。
ギルド内でただ一人、それに気づいた三佐が後をつけ、その行為を諌めたことも。
『おひとりでこのような場所にきて、死にたいのですか?』
『死のうにもそれは不可能なようだね。何度か試してはみたんだが、<復活>のシステムはいまだ機能しているようだ』
『貴方という人は……ッ』
「そう言えばあまり<戦闘訓練>に出ても文句を言われなくなった気がするな」
廊下で追いついたクラスティがしれっとした顔で話す。
「どれだけ言葉を尽くしても聴く耳を持たない人が相手ですから仕方ないでしょう。戦域哨戒班が最大限努力するより仕方ないと諦めたまでです」
くつくつと響くクラスティの笑い声。
「苦労をかけるね」
「分かっているのなら少しはご自身を大切にしてください。シャワーでも浴びるように気軽に死なれてはこちらも迷惑と言わざるをえません」
「これは、なんとも手厳しい」
「当然です。わたしには貴方とギルド、両方を守る責任がありますから」
この世界に来て彼女が狼型を現したのはあの時だけだ。
この先もあの姿にはなりたくないと思う。
その時は、何かとてつもないことが起きているという予感があるから。
「しかし、確かにもったいない気もするな。狼牙族は獣型を現していた方がやはり人目を惹くと思うよ」
「冗談はそこまでにしてください。午後は会議に行かれるのでしょう?」
「ああ、そうだった。〈自由都市同盟イースタル〉ね……さて、どうなることやら」
こうして高山三佐の耳しっぽはギルド内でも虹の根元(見たくても見れない)とされたのである。
時は初夏、〈冒険者〉の街アキバに〈自由都市同盟イースタル〉への参加要請があった頃のお話。