六十三話
「ハレイスト!!」
会議室を出ると、少し離れた所でルクシオンがハレイストを待ち構えていた。ルクシオンが浮かべる表情は、困惑と怒りだった。ハレイストが父であるエディンズの言葉に反論しなかったからだろう。自分が出来なかったから、多少八つ当たりのような部分もあるが。
ハレイストは叫ぶ自分の兄に視線を向け、兄が口を開く前に口を開いた。
「協力してもらいますよ、兄上」
「…は?」
ハレイストが浮かべた笑みに、ルクシオンは呆けた声をあげ、動きを止めた。
何を、と言う表情のルクシオンに、ハレイストが笑う。
「唯々諾々と従うと思ったら大間違いです」
晴れ晴れと、けれど、どこか黒い笑みを浮かべるハレイストに、ルクシオンの頬が引き攣る。それに気付いていないのか、気付いているが意図的に無視しているのか。ハレイストは笑みを深めた。
「協力、してくれますよね、兄上?」
「で、俺にも協力しろと?」
ルクシオンに頼み事をした後、ハレイストは城を抜け出し、城下に出た。国王が自ら首を差し出すという発言をした事により、城は上から下への大騒ぎ。停戦条約も可決し、貴族達への沙汰も下った。それら全ての対応に慌てる城から抜け出すのは、ハレイストに取っては赤子の手を捻るようなものだった。
「上の意志に逆らう事にはならないと思うけど?寧ろ、その逆」
ハレイストは居酒屋にギルバートを呼び出し、話をしていた。
苦い顔をするギルバートと、涼しい顔をするハレイスト。こうして見ると、年齢の上下が逆に見えるから不思議だ。ギルバートの方が五つ上なのだが…。
「……何を知ってる?」
「『知るか』。格好いい捨て台詞だよね。しかも、背を向けたまま」
探るような目つきをしたギルバートに、ハレイストは頼んだものを飲みながら穏やかに言う。
そののほほんとした空気に、ギルバートは脱力してテーブルに突っ伏した。
「お前の情報網はどうなってんだ…」
「企業秘密」
突っ伏したまま呻くギルバートに、ハレイストが笑う。
しかし、ハレイストの言った言葉が理解できなかったはギルバートは、背中を曲げたまま、顎をテーブルにつけてハレイストを見る。
「きぎょう?」
「昔の言葉だよ」
何だそれは、と言う表情のギルバートに、ハレイストが苦笑する。会話の中に一般の人には分からないような昔の言葉を挟んでしまうのはハレイストの悪い癖だ。
昔の事を研究している人なら分かるかもしれないが、研究者は基本的に部屋に篭っている者が多い。そもそも、今の時代に研究者などいない。
「訳の分からない言葉を使うなっての」
「癖なんだよ。つい、ね」
口を尖らせるギルバートにハレイストが笑う。
「…まぁ良い。で、何を手伝えって?」
曲げていた背を伸ばし、組んだ両手の甲の上に顎を乗せながらギルバートが言う。おふざけはここまで、という事らしい。
ハレイストも笑みを引っ込め、手に持っていた飲み物を置く。
「前回と同様、噂を流して欲しい」
「噂?そんなんでどうするんだよ」
ハレイストが言うと、ギルバートが怪訝な声をあげた。二人が邪魔しようとしているのは国王の意志だ。それを、人の噂程度でどうすると言うのか。
そんなギルバートに、ハレイストは笑って答えた。
「案外、人の噂って侮れないんだよ?それに、当日は民の前で行われるしね。その他の手回しは兄上に頼んであるよ」
当日の日程の調整とか警備とか執行者とかに関しては。と、ハレイストは内心で続ける。
幸い、今回の国王の決定には不満を持っている者は多い。ただ、国王の意志だから、と言う理由で反発出来ないだけだ。それ程に、国王の意志は固い。
それでも、付け入る隙はある。国を思う国王故に、隙が出来る。
「…お前の兄貴はそれで良いのか?」
「嬉々としてたから良いんじゃないかな?それに、補佐はつけたよ」
溜め息と共に言ったギルバートの言葉に、ハレイストが笑って答える。
ハレイストがルクシオンに頼み事をすると、ルクシオンは顔を輝かせて早速動き始めた。ただ、大丈夫だとは思うが、一応の補佐はつけておいた。ルクシオンのやる気をあげる為にも。良い所を見せたいと言う事で、何時も以上に頑張るはずだ。頑張りすぎて空回りするのを防ぐ為の補佐でもあるが。
「…お前は本当に腹黒いな」
「ありがとう」
「褒めてねぇ…」
ハレイストが笑顔で言うと、ギルバートは項垂れながら言う。
ハレイストに嫌味が通じない事は分かっているが、性格的に言わずにはいられないギルバートだった。しかも、ハレイストはハレイストでギルバートの反応を楽しんでいるので、始末に終えない。
「で、頼めるんだよね?」
ハレイストが首を傾げながら問う。
その問いに、ギルバートは項垂れたまま答える。
「どうせ拒否権無いだろうが」
「よく分かってるね」
楽しそうに笑うハレイストに、ギルバートは深い深い溜め息を吐いた。
「で、あたしは役に立った?」
執務室に戻ったハレイストを待ち受けていたのは、トーレインとエレン、それにスカラだった。
執務机の上に止まり、椅子に座るハレイストを見上げたスカラが首を傾げる。
「勿論。ありがとね、スカラ」
ハレイストが言いながら頭を指先で撫でると、スカラは嬉しそうに目を細めた。その可愛らしい姿に、ハレイストも和む。
が、不満そうなのが約二名。
スカラに妬ましげな視線が集中する。が、その視線を向けられたスカラは、二人に向かって鼻を鳴らして見せた。瞬間、二人が青筋を浮かべる。
「トーレインとエレンも、ありがとう」
「殿下のご命令ですから」
「主の為に動くのが私の幸せですので」
スカラから指を離し、ハレイストが笑みを浮かべて言うと、二人は頭を下げながら答えた。その表情はとても嬉しそうだ。
何とも変わり身の早い事である。
「特に、トーレインはごめんね。嫌な役頼んじゃって」
「いいえ。これからは殿下の傍から離れるつもりはありませんから。妻共々」
ハレイストが申し訳なさげに言うと、トーレインは穏やかな笑みを浮かべた。
確かに、ここ数年間はハレイストとあたかも敵対しているかのような態度を取り続けたトーレイン。本当はそのような事はしたくなかったが、ハレイストの頼みである事と、スフィアランスに着いて行く許可と引き換えに了承した。
トーレインの妻であるリリアーヌは、スフィアランスに行く事を二つ返事で頷いた。リリアーヌはトーレインから離れるつもりはないし、何より、トーレインはハレイストの敵に関しては真っ黒になる。そんなトーレインと一緒に計画を話すのが楽しみの一つらしい。
何の計画かは、言うまでもない。
「エレンは、兄上をよろしくね」
「ええ。何とかしてあのヘタレを直して見せます」
ハレイストがエレンに顔を向けて言うと、エレンは握り拳を作りながら頷いた。その瞳には強い決意の色が浮かんでいる。
ルクシオンのヘタレさは、周囲の知る所である。特に、侍女たちはとても詳しい。
「たまには押してみるのもいいんじゃないかな?」
「そうでしょうか?」
ハレイストが言うと、エレンは首を傾げた。
「じゃないと、何時までも平行線だよ?」
「それもそうですわね」
「鈍いし、ヘタレですからね」
ハレイストの言葉に、エレンとトーレインが頷く。
「何せ、ヘタレだから」
「そうですね」
「そうですわね」
三人が頷くと、それを聞いていたスカラが溜め息を吐いた。
「酷い言われようだね」
その言葉に、三人が異口同音に言葉を返す。
「事実だからね」「事実ですわ」「事実です」